■性加害容疑の選手について森保監督に質問した
不同意性交容疑で逮捕されたがその後不起訴処分となり、ドイツでプレー中の佐野海舟選手がサッカー日本代表に選ばれたことに対して、X(旧ツイッター)などで批判の声が上がっている。佐野選手の代表招集を支持する声もある一方で、オンライン署名サイトのChange.org(チェンジ・ドット・オーグ)で撤回を求める署名に約7800人の賛同者が集まった。5月下旬に開かれた記者会見で、森保一・日本代表監督が代表選出について説明する際、佐野選手のしたことを「ミス」と発言したことも、性暴力はミスなのかと批判の対象になっている。
森保監督はその後再び6月16日に、日本記者クラブで会見を行った。ワールドカップ最終予選を終えての開催だったが、前回の会見時、森保監督の発言に対して報道陣の突っ込みが足りないという批判も出ていたため、事実関係を確認しようと、出席して質問した。
性加害問題の会見でふだんよく見かける記者たちは少なかったようで、私の質問をさらに掘り下げる関連質問は出なかった。来年のワールドカップ開催を控え、東京五輪やジャニーズ問題の時のような新聞やテレビの忖度がされていないことを願うばかりだ。
質問したうちの1つは、不起訴処分の中身についてだ。不起訴と言っても(1)嫌疑なし、(2)嫌疑不十分、そして(3)嫌疑はあるが、示談が成立したため起訴猶予となる場合がある。佐野選手については、被害者側に謝罪し話し合いをしたという日本サッカー協会(JFA)の話も報道されている(ハフポスト「佐野海舟選手の性暴力を巡る問題で、「ミス」発言の森保一監督に批判。サッカー協会に見解を聞いた」)。
■「不起訴の詳細は確認していない」という代表監督
森保監督の答は端的に言って、「不起訴となった詳細は確認していない」というものだった。「守秘義務があるため、佐野選手と被害女性の間でどんな話し合いがあったか、ヒアリングもしていない」という。不起訴という結果になっても、それが即、不同意性交の事実がなかったということにはならない可能性がある以上、その確認をしていないことに疑問はあるが、結局のところ、あまり性加害問題を重視していない印象を受けた。
もう一つの質問は、二次加害を起こさないよう被害女性に配慮する必要はないのかという点だ。性暴力の被害者は長期にわたって苦しむことが多く、最近はフジテレビの件に見られるように、二次加害の深刻さが指摘されている。佐野選手が日本代表になり、プレーする様子が大々的に報道されるのを見て、被害女性がフラッシュバックを起こすということはないのか。そうしたことが起きないよう、被害者保護についても十分考える必要があると思うが、代表選出の際にその点を検討したのか聞いた。
■「罪を犯した人を社会から葬り去っていいのか」
これについて森保監督は、「苦しんでおられる方をより苦しめるようなことは、もちろんあってはいけない」と言いながらも、「何か罪を犯した、過ちを犯したことがある人も社会から葬り去っていいのかというところも同時に考えていいのではないか」と、前回の会見で述べた考えを繰り返した。そして「苦しんでおられる方々にできる限りのことはやっていこうと考えている」と言うのにとどめた。
前回の会見で森保監督は、佐野選手に対して「再チャレンジする道を家族として与えることの方がいいのではないか」とも言っていた。
■加害者のケアの前に、被害者のケアは十分か
ただ、そこで気になるのは被害女性のことだ。森保監督やJFA、日本代表チームにとって、彼女はどのような存在なのだろう。単なる部外者なのだろうか。でもそうした代表チームの「家族」の輪の中に入らない存在であれば、「葬り去られてはいけない」選手の、二の次にしていいわけではない。被害者のケアこそ優先されるべきものだからだ。
被害女性の周りには、彼女のことを考えてケアしてくれている人たちはいるのだろうか。JFAはせめて、被害女性の心のケアが継続してきちんと行われるよう、物心両面でサポートするといったことを考えてもいいのではないだろうか。また佐野選手の出場により、女性の心の回復に支障が起きていないか、見守る必要もあるだろう。
日本の女性の多くが一度だけでなく何度も、接触型・非接触型の何らかの性加害に遭っているといわれる。内閣府の調査をもとに、男女共同参画局が発表した2023年度のデータだと、女性の8.1%が不同意性交等の被害に遭った経験があるという。しかし彼女たちは十分ケアされてきたとは言えない。
■男性は性加害される確率が1%未満
今回の件が示唆するのは、日本は性暴力の被害者のことをあまり考えない社会であるということだ。森保監督の再三の説明からも、そういう感じを受けた。被害者について、質問が出るまで自ら言及することはなく、質問された際も、どう対応するのか具体的な答はなかった。
背景には、不起訴や守秘義務といった壁の向こうで、被害者が事件後どのような状態に置かれているか、外に知られることがないという問題がある。その壁は被害者を守るためのものである場合もあるが、一方で被害者の「その後」の苦しみを社会的に共有することを阻んでもいる。被害者の姿が見えないことも相まって、結果として加害者側にとって有利な対応をしがちになっているということはないのか。
■加害者はすぐに罪を忘れるが、被害者は一生の心の傷に
被害者と加害者の関係を考える際、目を開かせてくれるのが、『性暴力の加害者となった君よ、すぐに許されると思うなかれ―被害者と加害者が、往復書簡を続ける理由』(ブックマン社、2024年)という本だ。ヒントになる内容が多々含まれていると思うので、ここで少し紹介したい。性暴力被害者である、にのみやさをり氏がソーシャルワーカーの斉藤章佳氏と共に、性犯罪の再犯防止のための加害者臨床プログラムに参加している男性たちと、7年にわたって対話してきた稀有なプロセスが記されている。
衝撃的な話が幾つか語られているが、その一つが、加害者は簡単に自分の加害行為を忘れるが、被害者の多くは、加害を受けたことを生涯にわたって忘れられないということだ。「加害者には時効はあるけれど、被害者に時効はない」という、にのみや氏の言葉が出てくる。加害者と被害者の間の、極めてアンバランスな状況がそこにある。
同書によると、加害者にとっての「区切り」は色々あり、逮捕はその一つだが、示談が成立したり不起訴になったりすると、それで「終わった」と感じる加害者も多い。実刑となった場合は刑期を終えた時が「区切り」となり、世間的にも罪を償ったと見なされる。また加害者は、自分が与えた被害の程度を過小評価しがちだという。
これらは性暴力事件についての、社会の一般的な受け止め方でもある。つまり加害者の見方に沿って、性暴力の「その後」は捉えられてきたと言えるだろう。
■30年経ってもフラッシュバックが起きる
しかし被害者にとっては「区切り」などない、と同書は指摘する。にのみや氏に言わせると、性暴力被害を受けて、自分という人間や人生や尊厳が「木っ端微塵(みじん)」にされた後、どうやって生きていくかというのが被害者の「その後」になるからだ。被害を受ける前の人生に戻ることは、もはや不可能になるという。徐々に心が回復していく時期があっても、何かが引き金となってフラッシュバックが起きると、苦しい状態にまた引き戻され、元の木阿弥になる。
にのみや氏は現在50代で、性暴力を受けてから30年たつが、腕には無数のリストカットの跡が残る。今でも突然記憶がぼんやりしたり、時間が飛んだりする解離性障害の状態に、日に数回陥ったりもする。数年前には、階段を降りる最中に解離が起きて階段から落ち、大けがをして救急搬送されたという。「人生の記憶が飛び飛びになっている」という大きな損失を、何十年も抱えて生きてきたことがうかがえる。
■「減るものじゃない」と軽く考える傾向
個人差はあるだろうが、このように長期にわたって被害者への影響が続く状況は、あまり知られてこなかった。それどころか逆に、性被害とは、加害行為がなされていた時だけの短時間のものだと誤解されていることが多い。
大阪地検の北川健太郎・元検事正が部下を性暴行した容疑で逮捕された件を取材した時も、検察の元幹部の中に「減るものじゃなし」と、性被害を軽んじる発言をしていた人がいたという唖然とする話を聞いた。
こうした浅はかな捉え方も結局、加害者の見方を敷衍したものであり、「被害者はもっと抵抗できたはず」といったいわゆるレイプ神話も、加害者の目から事件を見たものだが、それが一部で社会通念となっている現状がある。
■被害に遭うまで大切にしていた日常が壊される
また性犯罪はなぜか、加害者への配慮がよくなされる。にのみや氏は過去、盗撮被害にも遭ったことがあるが、加害者が初犯で妻子がいることを理由に、被害届を受理するのを警察に拒否された、と同書は述べている。このように加害者側の事情はくみ取られる一方で、にのみや氏の日常に支障が出て、以前と同じ生活が送れなくなったことは、社会的な問題にされない。
「一度の被害がにのみやさんの生活を大きく変えました。
にのみや氏に限らず、性被害者は自由に好きな行動ができなくなり、外出すら控えるようになって人生の楽しみや活動範囲が狭まってしまうことは多い。また、同書は「レイプより盗撮の方がマシ」といった考えも、犯罪を過小評価したい加害者の勝手な見方に同調した結果だと指摘する。盗撮写真がネットで拡散されたのではないかと被害者が日々怯える場合もあり、そうした被害者心理を無視している。
■女性の被害が軽んじられる社会のままでいいのか
Xでは「#性被害者のその後」というハッシュタグをつけて、数年間にわたって今も多くの人が、性暴力を受けた後の自分の体験と現状を綴っている。にのみや氏を含め、被害を受けた人たちの発信や自己表現が増えるにつれ、社会の理解は少しずつ進みつつあるが、性暴力は、被害者の側から見なくてはいけないことが、こうした話からも改めてよくわかる。でないと、性犯罪がどういう種類の犯罪であるか、また社会がどのように対応していくべきか、知ることはできないだろう。
性暴力の被害者の多くは女性で、加害者の多くは男性だ。しかし司法も政治も企業もメディアもスポーツ界も、多くの表舞台で男性が中心となっている社会の中で、性被害者の「その後」の経験は、広くシェアされてこなかった。性被害者はがまんさせられたまま、孤立した状況が長年続いてきた。性暴力自体を軽視し、性暴力被害者の「その後」を軽視する社会からの転換が、今まさに求められている。サッカー日本代表選出を巡る問題は、それを浮き彫りにした事例の一つだ。
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柴田 優呼(しばた・ゆうこ)
アカデミック・ジャーナリスト
コーネル大学Ph. D.。90年代前半まで全国紙記者。以後海外に住み、米国、NZ、豪州で大学教員を務め、コロナ前に帰国。日本記者クラブ会員。香港、台湾、シンガポール、フィリピン、英国などにも居住経験あり。『プロデュースされた〈被爆者〉たち』(岩波書店)、『Producing Hiroshima and Nagasaki』(University of Hawaii Press)、『“ヒロシマ・ナガサキ” 被爆神話を解体する』(作品社)など、学術及びジャーナリスティックな分野で、英語と日本語の著作物を出版。
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(アカデミック・ジャーナリスト 柴田 優呼)