映画「国宝」はなぜ大ヒットしているのか。映画界に詳しい新聞記者の勝田友巳さんは「豪華で美しく面白い物語に乗りやすい半面、人間洞察の深みにやや欠ける。
ただしそれが、日本で異例の大ヒットとなった理由の一つでもある」という――。
■日本的な精神性に貫かれた作品
映画「国宝」が異例の快進撃を続けている。6月6日の公開から2週連続で前週を上回る観客動員数を記録、最終的な興行収入50億円もうかがう勢いだ。上映時間175分、歌舞伎界を舞台にした2人の役者のドラマと、およそヒットの法則と逆をゆく意欲作。成功の背景には5月のカンヌ国際映画祭を視野に入れた、周到な戦略があった。
さっそく振り返ってみよう。
カンヌ国際映画祭期間中の5月18日、日本映画「国宝」がカンヌのクロワゼット劇場で上映された。日曜日朝9時前からの上映だったが、会場は満席。李相日監督、主演の吉沢亮と横浜流星、渡辺謙が現地入りし、上映前に舞台あいさつに立った。
緊張気味の吉沢、横浜が「憧れの地に来られて光栄」と生真面目にコメントしたのに対して、国際舞台慣れした渡辺謙は英語で「2人の俳優が素晴らしい」と持ち上げた後、「ただちょっと長いです」と175分の上映時間をジョークにする余裕も見せた。
上映終了後は客席総立ちの拍手。カンヌでの上映で監督や出演者が臨席していれば、どんな映画でもスタンディングオベーションで敬意と歓迎の意を示すもの。
それでも3時間近い上映の間、観客が夢中になっている空気は伝わってきた。歌舞伎にしても芸道にしても、日本的な精神性に貫かれた作品だが、鑑賞の妨げにはならなかったようだ。
■二つに割れたカンヌ映画祭での評価
現地での評価は分かれた。RFI(フランス国際ラジオ)のサイトでは「俳優の素晴らしい演技と絵画のような歌舞伎の舞台で、『国宝』は2025年のカンヌで最も美しい映画の一つ」と称賛した。一方で、映画批評サイトCritikatは「豪華なテレビのようなありきたりの演出で、物語の勢いが欠けている」と辛口。
二つの見方、ともに納得がいく。そして「国宝」の上映がなぜ、カンヌ国際映画祭の主会場「リュミエール大劇場」ではなく「クロワゼット劇場」だったのか、なぜ、興行の常識を覆して日本で大ヒットしているのか、その両方を説明しているように思う。
カンヌで「国宝」が上映されたのは、正確には「カンヌ国際映画祭」ではない。
映画祭と同時期に開かれる「監督週間」部門で、フランスの監督協会が主催する。1968年、当時若手監督だったジャン=リュック・ゴダールやフランソワ・トリュフォーらが映画祭の権威に抗議して映画祭を中断に追い込み、その翌年から始まった。クロワゼット劇場は、映画祭の主会場で赤じゅうたんが敷かれたリュミエール大劇場から少し離れた、監督週間の会場である。
組織上は独立した別部門で、権威や商業性より作家性を重視し新たな才能発掘を掲げている。
一方で、映画祭本体と密接な関係にあって、映画祭では選ばれなかった作品が回ってくることも多いようだ。
「国宝」は歌舞伎舞台の美しさや豪華さを再現した映像表現で高い達成度を示す一方、商業性を強く意識した娯楽作品だ。芸術性の高さで賞を競う映画祭本体の「コンペティション」部門というよりも、日本映画の到達点として世界に示したい。そんなカンヌの思惑が働いたのではないか。
■日本の伝統美と現代性を併せ持つ「国宝」
日本のエキゾチシズム、オリエンタリズムは、昔も今も日本映画の魅力の一つ。戦後間もない1951年、黒澤明監督の「羅生門」がベネチア国際映画祭でグランプリを受賞し、続く52~54年、溝口健二監督の「西鶴一代女」「雨月物語」、黒澤監督の「七人の侍」などがベネチアで立て続けに受賞、54年には「地獄門」がカンヌでグランプリ(当時の最高賞)に選ばれた(衣笠貞之助監督は作品に納得しておらず、この授賞に「内容は空疎。もらった意味が分からない」と発言しているのだが)。いずれも時代劇で、日本的な様式美、倫理観が新鮮な魅力として映ったのだろう。
近年の国際映画祭では是枝裕和、河瀬直美、北野武といった監督の現代日本を描いた作品が注目されていたが、ハリウッドでは時代劇もどきや和風アクションは変わらぬ人気だ。2024年にディズニープラスの配信ドラマ「SHOGUN 将軍」が大ヒットし、ゴールデングローブ賞やエミー賞などを席巻したことは記憶に新しい。
日本の伝統美と現代性が同居した「国宝」は、オリエンタリズム、エキゾチシズムの新たな形だ。いわばザ・日本。
外国人観光客が求める日本の要素が凝縮されているのである。
■歌舞伎俳優ではなく“人間”を描いた
日本の観客にとっても歌舞伎は、身近なようで意外と縁遠い。歌舞伎座のチケットは高額だし観劇は1日がかり。予備知識も必要だ。興味はあっても簡単には手が出ない。それがこの映画なら格安だし、いちばん良い場面を大写しで見られる。
李監督は映画化にあたって、本職の歌舞伎俳優ではなく、歌舞伎とは縁のなかった2人の若手俳優、吉沢亮と横浜流星に、時間をかけて歌舞伎の所作と芸を習得させる方法を選んだ。
高い身体能力を持つ2人は、出演もした歌舞伎俳優の四代目中村鴈治郎の下で1年半かけて“修行”し、劇中で「藤娘」「二人道成寺」「曽根崎心中」といった人気演目を披露。少なくとも素人目には本物と遜色ない舞台をつとめている。豪華な衣装や美術、音楽の演奏もごまかすことなく再現した。
一方で李監督は、吉沢らに歌舞伎を「うまくやらなくていい」と指示したという。“歌舞伎俳優”ではなく“歌舞伎界にいる人間”を描こうとしたのだ。
演出の基盤には、歌舞伎という様式美よりも、型に収まらないリアリズムを据えたのである。嫉妬や哀しみといった目に見えないものだ。
■キャストもスタッフも万全な構え
撮影監督のソフィアン・エル・ファニは、フランス映画「アデル、ブルーは熱い色」(2013年、アブデラティフ・ケシシュ監督)で同性愛の女性たちを、濃密で艶やかな映像美に仕上げた名手だ。
「国宝」では、歌舞伎の舞台を客席から固定カメラで遠望するロングショットと、舞台上の2人の汗やしわ、息づかいまで捉える極端なクローズアップや手持ちカメラを自在に駆使して、様式美とそれを演じる人間たちの両方に肉薄している。
奥寺佐渡子の脚本は説明を極力排し、どん底と頂点を激しく行き来する男2人の姿を活写した。
製作面でも、歌舞伎の舞台だけではなく、20世紀半ばから21世紀にかけての社会風俗や情景描写にも存分に美術予算をかけていることがうかがわれ、画面は重厚だ。吉沢、横浜のほか2人の子ども時代を演じた黒川想矢と越山敬達も、役作りは万全。上映時間の長さも気にならない。2025年の屈指の一作であることは間違いない。
■一抹の物足りなさが大ヒットの要因にも
ただ「許されざる者」「流浪の月」、あるいは同じ吉田修一原作の「悪人」「怒り」など、人間の闇、罪を描いてきた李監督の“集大成”というには、一抹の物足りなさも感じてしまう。
急激な時間経過と場面転換で進んでいく物語の速さには、戸惑いを禁じ得なかった。ライバル同士の2人は、生き残りをかけて相手を裏切り、術策を用いて傷つけ合うのに、決定的な対立には至らず、場面が変わると確執がリセットされてしまう。

芸の世界のえげつなさ、閉塞的な血統主義やそれに伴う非人間性、男性中心の不合理といった側面に深入りすることは慎重に回避され、憎しみよりも友情と連帯のメロドラマとして描かれる。
ドロドロした暗い情念によって停滞することがなく、物語に乗りやすい。半面、人間洞察の深みに欠ける。豪華で美しく面白い、しかしどこか甘い。カンヌでの上映が監督週間だったのは、そのせいではないか。同時に、それが日本で異例の大ヒットとなった理由でもあると思う。
■作品の力ばかりではない運の良さ
ともあれ“カンヌで披露され、大受けだった”という事実は、「国宝」の興行的成功に大きな後押しとなったことは言うまでもない。そこには作品の力ばかりではなく、万全の仕掛けと戦略、そして千載一遇のタイミングをものにした運の良さがうかがえるのだ。
「国宝」の製作は、ソニーピクチャーズ系のアニメ製作会社アニプレックスの子会社であるミリアゴンスタジオが幹事となって進めている。世界的にコンテンツを展開するエンタメ企業だ。
李監督は15年前から歌舞伎界を舞台にした映画を考えており、2018年に吉田修一の小説『国宝』が刊行されて以来、映画化の準備を進めていたという。妥協しない映画作りで知られる李監督だけに、50年にわたって歌舞伎の世界を描く大作は巨額の製作費が必要となり、出資を尻込みする企業も多かったようだ。
歌舞伎の“胴元”松竹ではなく東宝の配給となったことからも、そんな事情がうかがえる。
製作費は優に10億円を超えるとみられ、大がかりなアクションやスペクタクル場面のない日本映画としては、破格の規模だ。ミリアゴンスタジオは、製作費回収に海外展開は必須と位置づけ、国内に向けた話題作りのためにも、カンヌのような世界的に注目される舞台が必要だった。
■海外展開への一つの“解”に
そしてその点では、今年は絶好の巡り合わせだった。
これまで海外市場に冷淡だった日本映画界が、このところ急に視野を広げている。特に日本市場をリードする東宝に大きな変化がみられる。
2023年のカンヌで、配給した「怪物」(是枝裕和監督)が脚本賞を受賞、24年の米アカデミー賞では単独製作の「ゴジラ-1.0」が視覚効果賞、配給の「君たちはどう生きるか」が長編アニメーション映画賞を受賞。さらにディズニー製作の「SHOGUN 将軍」の勢い。海外市場への進出に本腰を入れ始め、今年のカンヌでは、配給した「国宝」のほか製作にも関わった「恋愛裁判」「8番出口」が上映されている。
同時に、今回のカンヌは日本映画の“当たり年”だった。映画祭にも流行があって、時代ごとに地域的関心も移ってゆく。カンヌでは2000年前後、日本映画が大いに注目されたが、その後は別のアジアや東欧に焦点が移り、いささか冷淡な時期が続いていた。ところが今年、コンペティション部門で早川千絵監督の「ルノワール」が選ばれるなど、突然日本映画への関心が高まり、海外メディアの注目も集めることになった。
「国宝」はアジア、欧州での配給が決まったという。国内で大ヒットして製作費回収は達成、カンヌでの上映で格や箔(はく)も付いた。今後も世界を回るだろう。
綿密な企画と才能、十分な製作体制と戦略。「国宝」は日本映画の海外展開について、一つの“解”を示したと言っていい。

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勝田 友巳(かつた・ともみ)

毎日新聞記者

1965年、茨城県出身。北海道大文学部卒。1990年、毎日新聞社入社。松本、長野両支局などを経て、学芸部。長く映画を担当する。編著に女優、香川京子さんの『愛すればこそ スクリーンの向こうから』(毎日新聞社)。

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(毎日新聞記者 勝田 友巳)
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