6月3日に亡くなった“ミスタープロ野球”長嶋茂雄氏は、巨人の監督を勇退した3年後、脳梗塞に。壮絶なリハビリを乗り越え再び活動できるようになった。
長嶋氏は「リハビリは自分との苦しい戦いだが、相手が自分でも負けるのは嫌だった」と語っている――。
※本稿は長嶋茂雄『野球人は1年ごとに若返る』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。
■2004年に脳梗塞で倒れ、リハビリを重ねた
「お久しぶりです」と言ったらいいのか、「ご無沙汰していました」と言ったらいいのか。
ご心配をお掛けしましたが、何とか活動できるまでになりました。
そこで第一声はリハビリテーションの成果をお話ししたい。
「リハビリは嘘をつかない」と声を大にして言いたいですね。
それが実感だなあ。
振り返ってみれば、2004年3月に脳梗塞で倒れてから、リハビリが生活の中で重要な時間になりました。1日、1日がリハビリの連続、それが週となり月になり、積み重なり、こうして今の私がある。身体機能回復のリハビリは、薄紙を積み重ねていくようなもので、急に目に見えるような成果が現れるわけではありません。あきらめないこと、続けること、これがすべてではないでしょうか。
■ハードなリハビリに耐えられた理由は…
そのことをちょっとお話ししましょう。

朝は5時半に起床です。ここからリハビリがびっしり詰まっている。午前中のスタートは散歩、ウォーキングです。これを40分から45分。家に戻ってからはマッサージとリハビリですが、午後が本格的になる。リハビリテーション病院でトレーナーと一緒に、器具を使って上半身、下半身をたっぷり動かします。
ときどき「合宿」と称して日常メニューから外れて、きついリハビリを集中的に数日間続けることもある。正しいウォーキングからエアロバイクを使ったヒザの強化。腕、脚の内側、外側の筋肉の強化。背筋、腹筋も鍛える。不自由になった右腕の筋肉を取り戻すトレーニングはもちろんですが、身体全体のバランスを取るメニューを終日やる。5、6時間くらい続けますかねえ。
日中は、仕事や用事で出掛けることもありますが、夜10時には決まって就寝します。
そういえば、NHKテレビで、病院で汗をかいているところがちょっと紹介されたことがありましたが、観た人から「リハビリというよりトレーニングですね」と感想を言われました。たしかに他の人ではここまでやれないと思いますよ。ハードですから。
選手出身の球団職員で秘書役をしてくれているT君は「これは僕にもできない。監督(と、今でも呼んでいるんです)は身体の一部は故障したが、もともと丈夫だし、体力もあるからできるんです」とリハビリの様子をたずねる人に説明するそうです。そうかもしれません。それと、野球界では練習を1日休むと取り戻すには3日かかる、と言われています。そういう身体を動かすことの大切さが染みついていますから、耐えられるんですね。日曜日は休みますけれど。
■リハビリは自分との戦い、野球より辛い?
リハビリは苦しく、つらいものです。「なぜ、続けられるのか」と自問自答することもある。
そんな時に思い出すのは選手時代の練習です。イチローが「自分以上に練習する者がいたら、自分と同じか自分以上の者が出てくる」と言ったとか。ただの噂話かもしれませんがうなずきます。私も誰よりも練習したという自負があったから、どんな投手にも、誰にでも勝てると信じていました。
けれども、こういう相手のいる戦いは、ある意味では簡単なんですね。リハビリには目標になる外部の「敵」がいないんです。敵は自分の内部にいる。弱気になる自分ですね。効果が上がらない、苦しい、それでやめてしまう。そんな意志の弱い自分が敵になります。
私は、負けるのは相手が自分でも嫌でした。そんな弱い自分に「勝とう」と決めました。
気持ちをアグレッシブに保って「やるからには勝ってやる」。それで、ここまで来ました。この先にはゴルフをやったり、始球式で投げたり、打ったりが待っていると思っています。
私と同じように脳梗塞の後遺症と闘う人は200万人とか。いいですか、弱気になり、逃げてはダメです。
「リハビリは嘘をつかない」
これを信じて、と言うよりそれが事実ですから、自分との戦いを続けていくだけです。
(2010年11月1日)
■毎朝40~45分のウォーキングは欠かさない
ウォーキングに取り組む人たちの姿をよく見かけます。
中高年の人たちが、背筋を伸ばし、胸を張り、前方をキッと見据えて、小学校入学当時に並んで行進させられたときのように、腕を元気に前後に振って歩いています。
きりっとしたこの姿勢を見て「お出かけですか」などと聞く人はまずいないでしょう。
たとえ聞かれても「ウォーキングです」と答えればよろしい。
「歩く」のと「ウォーキング」は別物ですよ。
体のメンテナンス活動のメインになるのがウォーキングです。

私は早朝40分から45分のウォーキングを欠かしません。体を動かすことを仕事にしてきましたから、厳格な体調・健康管理が生活の基本でした。ですからウォーキングは呼吸するのと同じこと。ことさら意識するものではなかったのです。しかし、病で倒れ、リハビリに取り組むようになり、改めてウォーキングの大切さを噛(か)みしめています。
最近、リハビリ開始当時のウォーキングを知る人から「歩くスピードがずいぶん早くなりましたね」と言われます。確かに歩く速さは徐々にですが早くなっている手ごたえはあります。そして、これが不自由になった体の機能回復具合を示すバロメーターになっているのに気付かされました。
■巨人の監督になって2年目、朝の散歩を始めた
ウォーキングのスピードと言えば第一期監督時代のキャンプを思い出します。就任2年目、最下位になった翌年の1976年です。宮崎市内から青島に宿舎を移して、私も期するところはありました。選手の起床散歩は朝の7時すぎ、青島海岸で朝日を浴びての体操から一日が始まるのですけれど、私はそれより1時間以上前の早起きです。
暗いうちから青島のぐるりをと?回るウォーキング、当時この言葉は使われていませんから、散歩を決めたのです。
で、その散歩ですが、何も言わなかったのに初日に宿舎ロビーに降りると数人のカメラマンと担当記者が待ち受けていました。取材陣の宿舎は青島から車で30分ほどの宮崎市内。前の晩は一杯やって遅いのが決まりでしょうから、ご苦労にも4時起きで駆け付けたらしいのです。「変な人だから絶対一人散歩をやる」と予想したと言われました。
■年齢に応じたウォーキング・スピードで
変な人かどうかは別にして、その日からキャンプ終了まで4週間、記者・カメラの数はだんだん増えて多いときには20人ほどが一団になって2月の寒風が吹く暗がりを白い息を吐きながら小走りのウォーキング。私には出直しの気持ちもあるから無駄口は聞かない。時々光るフラッシュに眼がくらみ雑貨屋の青色のホーロー引きの「塩」の看板に衝突した記者もいたそうです。いまだに「時代劇の盗賊集団みたいで、変な散歩だった」と懐かしむOB記者もいるようです。
妙な話になりましたが、40年近く前の挿話を引き合いに、年齢に応じたウォーキング・スピードがあることを言いたかったのです。
考えてみれば足腰を弱らせないでおくことは体調・健康管理の土台でした。野球を例に取れば、調子の悪くなった選手が第一にやることが、打者も投手も下半身の鍛え直しです。ランニングです。下半身がグラグラしていては、打者はまともにバットが振れないし、投手は力の入った投球を生みだすシャープな腕の振りができません。不安定な土台にまともな家が建たないのと同じことです。
■野球選手と同じ、「継続こそ力」なり
一般の人たちにはこのランニングがウォーキングになるでしょう。言わずもがなですが、大事なことを付け加えます。
休まず続けることです。球界では「一日休んで落ちた筋力を取り戻すには三日の練習が必要」と言い伝えられています。怪我や故障で休んだ日数の三倍練習をしないと元に戻らないというのです。科学的に正しいかどうか、また、私は怪我で長く休んだ経験があまりありませんから「その通り」とは断言しませんけれど、感覚的に“正しい”と思います。
継続こそ力です。多少の雨でもやるべきでしょうね、休んだら数日間ウォーキング距離を延ばせとまでは言いませんけれど。
お勧め時間はやはり早朝、澄んだ空気が体に取り込まれて血液までもが澄んでくる思いで身が引き締まります。歩け、歩け……ではなかった。ウォーキング、ウォーキング。
(2012年6月1日)
※『野球人は1年ごとに若返る』はセコムが運営するウェブサイト「おとなの安心俱楽部」掲載のインタビュー記事「月刊長嶋茂雄」(2010年11月~2015年12月)の内容に基づいています。

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長嶋 茂雄(ながしま・しげお)

読売巨人軍終身名誉監督

読売巨人軍終身名誉監督。1936年千葉県生まれ。立教大在学中は東京六大学野球の新記録(当時)となる8本塁打を放つ。1957年巨人軍に入団。背番号3。入団の翌年本塁打、打点の二冠を獲得し新人王を受賞。MVP5回、首位打者6回、本塁打王2回、打点王5回、ベストナイン17回。「ミスタージャイアンツ」と呼ばれる。1974年の現役引退後、巨人軍監督に二度就任し、5回のリーグ優勝、2回の日本一に導いた。2005年文化功労者。2013年国民栄誉賞受賞。2025年没

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(読売巨人軍終身名誉監督 長嶋 茂雄)
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