※本稿は、榎本博明『絶対「謝らない人」 自らの非をけっして認めない人たちの心理』(詩想社新書)の一部を再編集したものです。
■自信がなくて虚勢を張る人ほど謝れない
絶対に「謝らない人」というと、偉そうにしているから、自信満々な人だろうと思われがちである。だが、はたしてそうだろうか。
ほんとうに自信があるなら、偉そうにする必要はないだろう。ほんとうに自信があるなら、自信満々に見せる必要もない。
心理学の研究でも、自尊心が低く、もろい自己観をもつ人ほど謝らない傾向があることが示されている。
偉そうにして、自信満々に見せようとするのは、ほんとうは自信がないからなのである。自信がなく、不安でいっぱいだからこそ、偉そうに振る舞って、自信ありげな態度をとる必要があるのだ。
ほんとうに自信があるなら、頭を下げて丁重に謝るくらいのことで、そのプライドが崩れることなどないはずだ。
むしろ、自分に非があるなら、それを潔く認め、相手を尊重し、礼儀を守ることで、そのプライドは守られる。非礼なことをしたなら、そのプライドに傷がついてしまう。
ゆえに、謝るべき場面で謝らないことがある人は、じつは自信のない人が多いのだ。虚勢を張って偉そうにしているが、心の底では自信がなく、人から見下されるのではないかといった不安に脅かされている。いわゆるコンプレックスが強い人と言ってよいだろう。
■親切心からの「手伝おうか?」にムッとする
「謝らない人」をよく観察してみると、さまざまな面で自信のなさを漂わせていることに気づく。
たとえば、ちょっとしたことでイライラしたり、怒り出したりすることがある。コンプレックスに触れることを言われると、感情的な反応になりやすい。相手にまったく悪気がなくても、コンプレックスが強いと、「バカにされた」と感じたり、「マウンティングされた」と感じたりする。
与えられた仕事が早めに終わった同僚が、親切心から「手伝おうか」と声をかけると、「いや、もうすぐ終わるからいい」と言いながらムッとした表情になる。あなたの仕事は遅い、自分のほうが優秀だ、と言われたような気分になる、いわばマウンティングされたと感じるのだ。ふつうなら「ありがとう。でも、もうすぐ終わるから大丈夫」というような穏やかな反応になるはずだ。
このタイプは、何かと自慢をするクセがある。
もろく崩れやすい硝子のプライドを必死に守ろうとしているために、偉そうに振る舞ったり、バカにされまいと自慢したりするのである。
謝らないのも、見せかけの自信を見透かされたくないからだ。人に頭を下げたりすると自分の自信のなさが露呈してしまうのではないかと思ってしまう。だから謝らない。
■自分のやらかしを同僚にいじられて大激怒
ある講演の場で、このような解説をすると、自分の職場の同僚にもそういう人物がいると言う人たちがいた。
「たしかに謝るべき場面なのに謝らないことが多い同僚も、やたら自慢が多いですね。それと、バカにされたくないという思いが強いのが伝わってきます。私なんか、自分のドジ話をしてみんなと一緒に笑うことがありますけど、彼はけっしてドジ話はしないですね。
以前、別の同僚が彼のドジな行動をネタにしてからかったら、顔を真っ赤にして怒ったんです。みんなビックリでした。
「私のところにも謝らない同僚がいるんですが、言われてみれば自信がないのかも。とにかく言い訳が多いんですよ。そんなバカな、あり得ない、って思ってしまうような言い訳をしてでも、自分の落ち度を認めず、責任逃れをしようとするんです。往生際が悪いというか。非を認めて謝ってしまったら、自分の威厳がなくなって、硝子のプライドが崩れちゃうのかもしれませんね」
自信がないのに虚勢を張って自信ありげに振る舞っているため、自分の非を認めようとせず、謝らない。自慢が多く、自分のドジ話はけっしてせず、からかわれると怒る。このような人物が周囲にいないだろうか。
■「謝罪は敗北」と考える人の偏った心理
「謝らない人」には、他人との比較意識が異常に強いタイプがいる。自分と相手とどっちが上かといった比較図式が常に頭のなかにある。
競争心が強く、負けず嫌いなため、謝るというのは、向こうに屈服した形になるととらえてしまう。つまり、どっちが上かという比較図式の上で、頭を下げることは向こうのほうが上になるとみなす。
自分になんらかの落ち度があり、謝罪を迫られた場合、「悪いことをした」、「迷惑をかけた」、「不利益を与えた」といった意識が活性化され、申し訳ないといった思いに駆られて素直に謝罪するのがふつうだ。
ところが、このようなタイプは、そうした意識よりも、相手が優位に立ってしまうといった意識が活性化される。
そのため、申し訳ないという思いよりも、絶対に謝りたくないといった思いに駆られる。どっちが上かという比較図式の上では、謝罪=敗北なのである。
このようなタイプを謝るように理屈で説得するのは難しい。その人物が相手にどのような迷惑をかけたかをいくら理詰めで説明しても、どっちが上かという比較図式に縛られた人物には、冷静に理解する気持ちの余裕がない。
負けたくない、下に位置づけられるのは嫌だ、マウントを取られたくない、といった思いが強すぎて、真っ当な理屈も頭に入っていかない。
■「ここは謝るべき」と言っても言い訳ばかり
このような解説を聞いて、納得顔で自分の身近な人物に日頃感じていた疑問が解消したと言う人もいる。
「それでわかりました。私の職場に、そういうタイプがいるんです。周囲に迷惑をかけながらけっして謝らないんです。
でも、仕事はふつうにこなせているので、バカじゃないと思うんです。だからこそ、謝るのが当然だっていうことがなぜ理解できないのか、ほんとうに不思議で仕方がなかったんです。
先輩にあたる人が、『ここは彼に謝るべきじゃないのかな。君の失態をカバーしてくれたんだから』と言っても、ムキになって言い訳ばかりして謝らないんです。そこで先輩が、『君の失態を責めてるんじゃないんだよ。失敗することはだれにでもあるから。でも、彼に余計な負担をかけたことを謝ったほうがいいと言ってるんだよ』と説明しても、ああだこうだ言い訳をして、あくまでも謝らないんです。
でも、さっきの話を聴いて、なんとなくわかった気がします。彼は、競争心がとても強いところがあるから、同僚にカバーしてもらったのが悔しいんですね」
この人物も、ほんとうはありがたいはずなのに、優位に立たれたくないといった思いのほうが勝ってしまい、素直に謝ることができないのである。
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榎本 博明(えのもと・ ひろあき)
心理学博士
1955年東京生まれ。東京大学教育学部教育心理学科卒業。東芝市場調査課勤務の後、東京都立大学大学院心理学専攻博士課程中退。カリフォルニア大学客員研究員、大阪大学大学院助教授などを経て、現在、MP人間科学研究所代表、産業能率大学兼任講師。おもな著書に『〈ほんとうの自分〉のつくり方』(講談社現代新書)、『「やりたい仕事」病』(日経プレミアシリーズ)、『「おもてなし」という残酷社会』『自己実現という罠』『教育現場は困ってる』『思考停止という病理』(以上、平凡社新書)など著書多数。
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(心理学博士 榎本 博明)