文化の異なる外国で働くとき、日本人ビジネスパーソンはどんな壁にぶつかるのか。高級ブランド「ルイ・ヴィトン」パリ本社に17年間勤務してPRのトップを務めた藤原淳さんは「入社してすぐ、右も左もわからない私に敏腕上司から意外な指令がきた」という――。

※本稿は、藤原淳『パリジェンヌはダイエットがお嫌い』(ダイヤモンド社)の一部を再編集したものです。
■痩せて老けるくらいなら、痩せない方がいい
ルイ・ヴィトンのパリ本社に私が採用されたのは2004年のことでした。コーポレートPRこと、企業広報という役職です。任務はメディアなどの媒体を通じて、ブランドの歴史、信念、そして価値観を世界中のお客様に広く理解していただくこと。
具体的には物作りの伝統や旅の真髄、SDGsに関する取り組み、アート業界とのコラボなどが広報の対象に挙げられます。なんでもあり、と言ってもよいかもしれません。
私が入社した頃はルイ・ヴィトンと日本人アーティスト、村上隆先生とのコラボレーション第一弾が立ち上げられた直後のことでした。私は早々から右も左もわからないアート業界に飛び込み、とにかく担当プロジェクトを記事にしてもらわなければならないというストレスに追われていました。
ところがこの業界は競合が激しく、ただ単にプレス・リリースを送っても記事にはなりません。ましてや、当時は「ファッション業界にアートの何がわかる」という風潮が強く、電話をしてもアート関係の記者にまともに相手にしてもらえないことも。困り果てた挙(あ)げ句(く)、敏腕な上司に相談すると、意外な指令が飛んできました。
■「重ねなさい」敏腕な上司から飛んできた意外な指令
「オフィスに座っていてもしょうがないでしょ。
デジュネを重ねなさい」
「デジュネ(déjeuner)」とはフランス語で「ランチ」のこと。とにかく記者さんと一緒にランチをしろ、と言うのです。つまり、売り込み云々(うんぬん)の前に一緒にゆっくり食事をし、親しい関係になりなさいということです。言い方をかえれば、「同じ釜の飯を食え」ということになります。
見ていると、確かに金髪美人の上司も毎日、毎日、会食でオフィスを空けています。なかなかつかまらないのでこちらは困るわけですが、彼女は決してほっつき回っているわけではありません。「ランチが仕事」と言い切る上司は、超優秀なPRなのです。
それからというもの、私もなるべくランチの予定を入れるようになりました。相手に「行こうかな」という気にさせるためには、場所の選定がとても大事です。美味しいビストロ、話題のシェフ、流行りのレストランを調べているうちに私も詳しくなり、「ランチ通」を誇るまでになったのはよいのですが、問題は他にありました。
お昼からしっかり食べ、時には食事と一緒にワインを飲んでいるうちに、みるみる体重が増えてしまったのです。入社1年後には2~3キロ増、2年後には4~5キロ増。
ついに3年後に10キロ増ということもありました。
愕然(がくぜん)とした私は、慌(あわ)ててダイエットを決め込みました。まずは食事制限です。何よりもデザート抜きを徹底することに決めたのですが、これがかなり辛く、体重はなかなか減りません。
ある日のこと。アート業界の大御所であるマリアンヌと会食をしていた時の話です。デザートにタルトを注文する彼女を横目で見ながら、「私はエスプレッソで……」とギャルソンに言いかけると、マリアンヌは言いました。
「ここはデザートが美味しくて有名なのよ。あんたも食べなさいよ」
ギャルソンもそれに乗じ、
「季節の限定品ですよ~」
と甘い誘惑を囁(ささや)いてきます。そこまで言われちゃ、と私も同じタルトを注文し、
(あ~、またやってしまった…… )
と肩を落としていると、マリアンヌは不思議そうに言いました。
「何をそんなに意気消沈しているのよ」
■「あのね、無理なダイエットをしても老けるだけよ」
実は今、ダイエットをしていること。そしてなかなか体重が減らないことを告げると、マリアンヌは素っ頓狂(とんきょう)な声をあげて言いました。

「あんた、そんなに痩せているのに、何言ってるのよ!」
そう言う彼女は中肉中背。太ってはいないけれども、特別痩せてもいない体型の女性です。大体「日本人は細過ぎる」と言う彼女は、「あなたにダイエットなど全く必要ないわ」と畳みかけてきます。私が腑(ふ)に落ちない顔をしているのを見て、彼女は更に言いました。
「あのね、無理なダイエットをしても老けるだけよ」
これにはさすがにびっくりしてしまいました。当時の私は20代後半。まだまだ「老ける」という言葉には実感が湧(わ)かない年齢でした。ですからなぜ彼女が「ダイエットは老ける」と断言するのか、全くわからなかったのです。
どうしてそんなことを言うのか聞いてみると、マリアンヌは食事制限にばかりこだわっていると、体重は減るかもしれないけれど、その他は「嫌なことだらけ」だと言います。肌がたるむ、皺(しわ)が増える、髪の毛はパサパサになる……。更には、筋肉が落ちてボディ・ラインのメリハリがなくなる、ホルモンのバランスが崩れるなど、それは聞いているだけでゾッとしてしまうようなことばかりでした。
「痩せるためだけのダイエットをすればするほど、体は老けていく」
マリアンヌのその言葉は、「痩せればきれいになる」と信じ切っていた私にとって、あまりにも衝撃的でした。

「あなたも私の年齢になればわかるけど、痩せて老けるくらいなら痩せない方がずっといいのよ」
美味しそうに季節のタルトを口に運びながらそう言うマリアンヌは50代。お肌がツヤツヤしており、笑顔がとても魅力的な女性です。
マリアンヌに限らず、パリジェンヌはとにかくデザートまでしっかり食べます。そのことが思った以上に理にかなっていることを私が理解するのは、ずっと先になってからのことです。

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藤原 淳(ふじわら・じゅん)

著作家(パリ在住)

東京生まれ。3~6歳の間イギリスで育ち、横浜インターナショナルスクールを経て、聖心女子学院に入学。聖心女子大学の国際交流学科に在学中、フランス語の美しさに魅了され、フランス語を習得。1996年、朝日新聞が主催する「コンクール・ド・フランセ」(スピーチ・コンテスト)で準優勝し、2カ月のパリ語学研修を副賞として獲得。「フランス語で本を書きたい!」という漠然とした夢を抱くが、手掛かりがつかめず、大学卒業後はとりあえず大学院へ進むために再び渡仏。1999年、歴代最年少のフランス政府給費留学生として、エリートが通う有名校、パリ政治学院に入学。卒業後、日本の外務省が実施する在外公館専門調査員制度に応募し、在仏日本国大使館の広報文化担当に選抜される。3年の任期が切れた頃、広報の経験を活かしてパリに残る決意をし、ラグジュアリーブランドの最高峰であるルイ・ヴィトンのパリ本社にPRとして就職。
そこでパリジェンヌという異質な生き物と遭遇。戸惑いつつも、ありのままをさらけ出す、その爽快な生き方に魅了される。先祖代々、ヴィトン家に伝わるモノづくりの精神や旅の真髄(こころ)に関するイベントを年間30件、プレス・ツアーを50件企画。幾つもの修羅場をくぐり抜けているうちに面の皮も厚くなり、2007年にPRマネジャーに抜擢された頃には「もっともパリジェンヌな日本人」と称されるようになる。2010年、PRディレクターに昇進し、2018年には異種業とのコラボやメセナ事業を企画する新部署を立ち上げて初代パートナーシップ&チャリティー・ディレクターに就任する。2021年に本来の夢を全うするべく退社し、日本を紹介する本をフランス語で3冊出版:『Les secrets du savoir-vivre nippon(和の心とは何か)』(2021)、『Mes rituels japonais(日本人である私の生活習慣)』(2022)、『La parfaite Tokyoïte(真の東京人)』(2023)。日本での著書に、『パリジェンヌはすっぴんがお好き』(ダイヤモンド社)がある。作家活動の傍ら、インスタグラム:@junettejapon(フォロワー数:2025年7月時点で2万6000人)で日本に憧れを持つフランス人向けのコンテンツを積極的に発信している。

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(著作家(パリ在住) 藤原 淳)
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