中国が黄海に設置した巨大な鋼鉄構造物が、韓国との間に新たな火種となっている。中国は「養殖施設」だと主張するが、韓国側は軍事目的での利用があるとして警戒を強めている。
米英などの海外メディアも中国の動きを相次いで報じている――。
■100人が居住可能なサッカー場ほどの人工島
韓国の済州島(チェジュ島)南西に位置し、中国の青島(チンタオ)から南東約200キロに広がる海域。両国の排他的経済水域(EEZ)が重なり、地政学的にセンシティブな「暫定措置水域(PMZ)」と呼ばれるエリアだ。この水域に中国が一方的に巨大構造物を建設し、物議を醸している。
中国側は養殖場だと説明しているが、なぜ暫定措置水域に建設する必要があったか、明確な説明を欠いている。韓国の行政当局である海洋水産部の関係者は4月、韓国・朝鮮日報に対し、構造物は「サッカー場ほどの大きさであり、事実上、小さな人工島として機能している」と語った。ニューヨーク・タイムズ紙は6月下旬、この問題を報道。韓国側は、海上の活動拠点として軍事転用することも十分に可能だと述べ、焦りを見せている。
朝鮮日報が入手した米国の衛星企業スカイファイ(SkyFi)の画像分析によると、問題の構造物は幅約100メートル、長さ80メートル。元は「アトランティック・アムステルダム」と呼ばれる石油掘削リグだった。フランスで1982年に建造され、中東などで2016年まで稼働していた大型の海上プラットフォームだ。
英テレグラフ紙が4月24日に掲載した詳しい画像を見ると、養殖支援だけが目的とは考えにくい設備が写っている。
「H」マークの付いたヘリポート、複数の救命ボート、高さ50メートルの通信アンテナ、そして約100人を収容できる居住区画。韓国・中央日報によれば、中国の山東海洋集団はこのプロジェクトに5億元(約1億4600万ドル)を投じたという。
養殖場の管理に、果たしてこれほどの巨大施設が本当に必要なのか。こうした疑問から韓国側の懸念が生まれている。
■施設に接近する者をナイフで威嚇する
単なる「養殖場」であるはずの海上施設に、中国側は異常なほどの警戒態勢を敷いている。
今年2月26日には、韓国との間で海上での衝突が生じた。米ニューズウィーク誌が入手した衛星画像と船舶追跡データによると、韓国海洋科学技術院の調査船「オンヌリ」が構造物の調査に向かった際、中国海警の3隻が執拗に妨害を繰り返したという。
スタンフォード大学系列の海洋分析組織シーライト(SeaLight)のレイ・パウエル所長は同誌に対し、データを分析した結果、中国船が韓国船の前方を何度も横切って危険な妨害を行っていたことがわかったと述べた。
さらに、韓国政府筋の情報として英タイムズ紙が報じた情報では、中国側はナイフで武装した要員を乗せたゴムボートを、施設周辺の海域に複数展開。韓国の調査船に対し、退去するよう要求したという。緊迫した競り合いが、およそ2時間にわたり続いた。
■南シナ海を強引に制して味を占めた
純粋な養殖場であるならば、これほどの防衛体制を敷く理由は何か。
タイムズ紙は、既成事実を重ねて黄海全体を「グレーゾーン」化し、領有権の主張を広げる戦術であるとみる。
中国はかつて、南シナ海で展開した「サラミ・スライシング戦略」で成功を収めた。サラミを薄く切って肉を削いでゆくように、表立っては抗議しにくいほどの小さな既成事実を積み重ね、相手が気づいた頃にはすでに全体を支配している戦術だ。海洋分析組織シーライトのパウエル氏は、テレグラフ紙に対し、黄海でもまったく同じ戦術が進行しているとの見方を示す。
実際、その経過を振り返れば、手法の巧妙さが際立つ。英フィナンシャル・タイムズ紙によれば、中国は2018年に比較的小型の養殖ケージ「深藍1号」を設置し、第一歩とした。その後、2022年10月に巨大プラットフォームを中核的な管理施設として配備。さらに、2024年にはより大型のケージ「深藍2号」を設けてさらに拡張した。一つ一つの行為は養殖場の建設や拡張に見えるが、全体として見れば、係争海域を実効支配するため計画的な動きが見えてくる。
テレグラフ紙は、北京が以前サンゴ環礁に基地を建設することで、事実上南シナ海全体に対する領有権の主張を補強することに成功したと報じている。2014年にはベトナムのEEZ内に石油掘削リグを設置し、ベトナムが激しく抗議したものの、最終的に既成事実化に成功した前例がある。こうした成功体験を背景に、中国は黄海でも強気の施設建設を進めている。

■力づくで領海化を進める「ギャングのやり方」
深藍1号の建設からすでに7年が経過し、中国側はますます態度を硬化させている。
今年4月に開催された韓中海洋協力協議でも、韓国が表明した懸念はまったく相手にされなかった。フィナンシャル・タイムズ紙によれば、韓国側は強い懸念を伝えたものの、中国側は深海サケ養殖場に過ぎないとする従来の主張を繰り返すだけだったという。
韓国与党「国民の力」のナ・ギョンウォン議員は、タイムズ紙の取材に対し、中国の行動はほとんど「ギャングのやり方」だと断じている。係争水域に人工構造物を設置し、他国の船舶が接近すれば力づくで阻止するやり方は、南シナ海や東シナ海で使われた手法そのものだとナ議員は批判する。
すでに韓国では党派を超えて中国への反発が広がっており、事態の深刻さがうかがえる。ニューヨーク・タイムズ紙が6月に報じたところによると、通常は対中政策で温度差がある韓国国会だが、海洋水産委員会において全会一致で非難決議を採択。中国の構造物を、海洋安全保障への脅威であると断定した。
中央日報によれば、カン・ドヒョン海洋水産部長官は対抗措置として、韓国側も係争水域に自国の養殖施設を設置する計画を表明。もはや外交的解決は困難との判断から、韓国側にも強硬論が広がっている。
■軍事行動のカギとなる海底地形の把握
軍事拠点に転用されるとの見方は、正鵠を射ているのか。米シンクタンクは慎重な見方を示しつつ、軍事転用説に一定の妥当性があると指摘する。

ワシントンの戦略国際問題研究所(CSIS)は6月23日に公開した報告書で、現在入手可能な情報だけに基づくならば、問題の海上プラットフォームは中国の主張通り、養殖を主眼としている可能性も考えられると分析。中国の主張は一定程度妥当であるとの所見を示した。
ただし、南シナ海で中国が過去に支配を拡大した経緯を踏まえるならば、この構造物が軍民両用であるとの懸念にも正当性があると報告書は述べている。同研究所が目下可能性が高いと見るのが、海底地形のデータ収集だ。
黄海はおしなべて比較的浅い海域が続いており、潜水艦の行動が制限される。そのため、この海域で軍事作戦を展開する場合、海底地形を事細かに把握することが成功のカギとなる。
水中での養殖活動を担うとされる「深藍1号」「深藍2号」の2つの構造物は、現段階においては洋上部分に、主立った軍事設備は見られない。だが、戦略国際問題研究所によれば、すでに潜水艦の潜行や探知に役立つデータを収集している可能性が高いという。
■過去には「気象施設」で米軍を監視した疑い
同報告書は、南シナ海では中国が当初「気象観測所」として設置した施設が、後に軍事拠点へと転換された前例があると実例を挙げている。
UPI通信が2018年11月に詳しく報じたところによると、中国は南シナ海の南沙諸島の人工島に、少なくとも3つの気象観測所を新たに追加した。これらの観測所が設置されたサンゴ礁には、すでに滑走路、ミサイル、無線通信施設が存在しており、これを拡張した形となる。
中国生態環境部は、こうした施設が「完璧な」公共気象サービスを提供するためであると説明したが、韓国メディアのニューシスは、24時間稼働の気象レーダーが技術的には米海軍艦艇の追跡・監視を実施することも可能だと指摘している。

表向きは気象観測という民間目的を掲げながら、実際には軍事機能を併せ持つ施設へと発展させる――。まさに戦略国際問題研究所が警告する「気象観測所から軍事前哨基地への転換」が懸念された事例だ。
このパターンを踏まえれば、黄海の「養殖場」も同様の道をたどる可能性は否定できない。
■台湾有事をにらんだ布石か
憂慮すべきことに、「養殖場」が設けられた海域は、台湾海峡へのアクセスルート上にある。
高麗大学行政専門大学院のナム・ソンウク教授は、フィナンシャル・タイムズ紙に、中国による海上構造物が黄海に連鎖するように配置されれば、台湾海峡での紛争時、中国に利する可能性があると指摘する。
すなわち、韓国軍や韓国を拠点とする米海軍艦艇が東シナ海へ展開できないよう、妨害工作の拠点となる可能性だ。中国が推し進める軍民融合政策の下、表向きは民間の施設でも、通信設備やヘリポートを活用した監視拠点として直ちに転用可能となる。
ナム教授は、韓国がすぐに行動を起こすべきだったと述べた上で、どの国も領土問題に即座に対応しなければ既成事実になってしまうと危機感をあらわにした。平時は養殖場として機能していても、有事には海上交通の監視や妨害の拠点になりうる施設群は、東アジアに望まざる緊張をもたらしている。
■繰り返される「既成事実化」への警鐘
韓国にとって問題の本質は、漁業権をめぐる争いではない。国家安全保障の根幹に関わる問題となっている。
少しの譲歩を幾度も迫る戦略を許してはならないとの指摘は、日本への教訓でもある。
東シナ海から黄海にかけての中国の海洋進出は、アジア地域全体の安全保障を左右する大きな懸念材料だ。
中国の「養殖場」戦術には、強かなねらいが隠されている。安全保障上センシティブな海域で一方的に軍事施設を建設すれば即座に問題となるが、養殖という民間用途を隠れ蓑にすれば、相手国が即座に軍事的な対応を取ることは難しい。相手に最初の一歩を踏み留まらせ、そして気づいた時にはすでに複数の施設が建設され、実効支配の既成事実ができあがっている。
韓国の対応は、こうした戦術がいかに有効かを如実に示している。2018年の最初の施設設置から6年、ようやく超党派での非難決議に至ったが、その間に中国は着々と施設を拡充してきた。外交協議で懸念を表明しても、中国は養殖場だと繰り返すだけ。その間に蓄積されたデータや建造物は、もはや元の状態に戻すことはできない。
民間用途を装った軍事的な動きを早期に見抜き、毅然とした初期対応を取ること。黄海で着々と進みつつある「養殖場」の建設で、その重要性が改めて注目されている。

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青葉 やまと(あおば・やまと)

フリーライター・翻訳者

1982年生まれ。関西学院大学を卒業後、都内IT企業でエンジニアとして活動。6年間の業界経験ののち、2010年から文筆業に転身。技術知識を生かした技術翻訳ほか、IT・国際情勢などニュース記事の執筆を手がける。ウェブサイト『ニューズウィーク日本版』などで執筆中。

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(フリーライター・翻訳者 青葉 やまと)
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