※本稿は、松尾英明『不親切教師はかく語りき』(さくら社)の一部を再編集したものです。
■校内マラソン大会は「学習指導要領の狙いと全く不一致」
Q(ある教員からの声):校内マラソン大会について『不親切教師のススメ』(さくら社)では否定的に書かれていましたが、私は価値があると思っています。苦しいことや嫌なことにも耐える力を育てることは必要ではないでしょうか?
A【現役小学校教員・松尾英明】先に結論を述べます。全員参加のマラソン大会は、学校からなくすべき行事の筆頭であると考えます。その理由は、マラソン大会が学校のリスクマネジメントの観点や、子どもの心身の安全・安心という観点からデメリットが大きすぎるためです。さらに言えば、この行事は学習指導要領における体育科のねらいとも全く合致していません。
体育科では、本来「マラソン」のような過酷な運動は求めていません。学習指導要領で示されているのは「マラソン」ではなく「持久走」です。その位置づけも「陸上運動」ではなく、(小学校)高学年の場合は「体つくり運動」の中の「体の動きを高める運動」の一部、「動きを持続する能力を高めるための運動」の例示に過ぎません。
それも「無理のない速さで5~6分程度の持久走をすること」といった内容に限定されており、低学年は「2~3分」、中学年は「3~4分」という設定になっています。
要するに、気持ちよく数分間走り続けられれば目標達成とされる内容です。
しかし、現実の「校内マラソン大会」では、そのような「無理のない速さ」とは程遠い状況が見受けられます。息を切らし、倒れそうになりながら苦しい表情で走る子どもたちの姿が目立ちます。そこまでしなければならないことで、「走るのが嫌い」「体育が嫌い」になる子どもが多く出現するのです。これでは、子どもの心身の安全・安心を第一に考えた学校行事とは言えず、デメリットだらけでリスクが高すぎる行事です。
それにも関わらず、「マラソン大会」を実施する学校は一定数存在します。その理由を尋ねても、多くの場合「毎年行われている行事だから」という曖昧な答えしか得られません。一部の長距離競争が得意で好きな子どもや負けず嫌いな子どもたちにとっては輝ける場でもあるため、それらごく一部の子どもの保護者の反対意見を気にして廃止できないという事情もあるようです。
しかし、この行事を実施する以上は、あらゆる危険が想定され、その対策が万全でなければなりません。実際に学校でのマラソン大会や練習中の死亡事故例はインターネット上でも多く見受けられます。無理な競争で倒れる児童が出る可能性も容易に想像できます。
さらに、順位がつけられること、練習中からずっと「ビリ」で走らされる子どもへの配慮、大会当日、観衆の目に晒されるプレッシャーなど、心身両面へのケアも必要です。短距離走のように一瞬で終わる競技とは違い、精神的な負担が極めて大きい行事であり、そのリスクが適切に検討されているとは言いがたい現状です。このような行事を何の対策もなく続けるさまには、安全意識の欠如や人権意識の低さが疑われます。
私自身、ジョギングが好きで、子どもの頃からある程度習慣化していましたが、マラソン大会だけは嫌いでした。「自分のペースで走る気持ち良さ」とは全く異なる苦痛があったからです。上位に入るほど速くはなかったことも関係しているかもしれません。走ることが苦手な子どもや嫌いな子どもにとって、この行事がどれほどの苦痛か、容易に想像できます。
このような行事を残しておくのであれば、安全対策とリスクへの認識を徹底し、全教員がその意義を理解し、子どもや保護者にしっかりと説明できる状態にするべきです。その上で、全員一律参加という形式を見直すことも必要ではないでしょうか。
■逃げ回る子を的にするのは教育上アリなのか
Q(ある教員からの声):ドッジボールは子どもたちにとても人気がある種目です。みんなが好きならば、みんなで一緒にやることも特に問題ないのではないですか?
A【現役小学校教員・松尾英明】人気があることと、すべての子どもにとって良いものであることとは、同義ではありません。
しかし、その一方で、この種目によって苦痛や不安を引き起こされる子どもたちがいる事実を見過ごしてはいけません。
まず、ドッジボールがもつ独自の特徴を考えてみましょう。ドッジボールは、強い子どもが優位に立ち、弱い子どもを「的」にするという特徴的構造をもっています。これは、狩猟や攻撃的な行動を模倣した遊びの形態であり、社会で必要とされる「思いやり」や「協力」といった価値観とは逆行しています。また、ボールを受ける際の身体的な痛みや、逃げ回るだけの「消極的参加」に追い込まれる子どもが存在することも、教育的な視点から見過ごせません。
さらに、学習指導要領からドッジボールが除外された理由も考慮すべきです。この種目には、次の運動へと発展する教育的価値が乏しいことが指摘されています。「ゴール型」「ネット型」「ベースボール型」という体育教育の枠組みにも合致せず、ドッジボール特有の攻撃性を助長しかねない懸念があるのです。
特定の子どもを「的」として狙い、ボールをぶつけるという行為、それを上手に行うことが「勝利を目指す戦略」とされる環境は、他者への共感や協力といった社会的スキルの育成に逆行する恐れを含んでいます。
「人気がある=全員にとって望ましい」という考えは、ドッジボールに限らず教育現場の全般において慎重に検証されるべきです。
学級で「みんなでドッジボールをしよう」と提案されると、「みんな」という言葉に強い同調圧力が伴います。
そして、内心では「放っておいてほしい」と思っている子どもたちの存在が、教育者や大人の目には見えなくなりがちです。
これらの点から、ドッジボールは一部の子どもたちには楽しい体験となるかもしれませんが、全員に強制すべき活動とは言えません。ドッジボールを本当にやりたい子ども同士の「有志」で集まって遊ぶのが妥当でしょう。大切なのは、他の子どもたちに配慮した選択肢を考え、多様性や個性を尊重する活動を提案することです。例えば、もっと穏やかな遊びや、子どもたちそれぞれが自分のペースで楽しめる活動を取り入れることが望ましいでしょう。
「みんなでドッジボール」を当たり前とする前に、本当に「みんな」にとってプラスになるのかを考え直すべきではないでしょうか。
「みんな」に代表されるような集団活動を大切にする視点はもちつつ、「みんな」を構成する最小単位である個を犠牲にしないこと。このバランス感覚こそが学級経営において最も求められるところなのです。
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松尾 英明(まつお・ひであき)
公立小学校教員
「自治的学級づくり」を中心テーマに千葉大附属小等を経て研究し、現職。単行本や雑誌の執筆の他、全国で教員や保護者に向けたセミナーや研修会講師、講話等を行っている。学級づくり修養会「HOPE」主宰。
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(公立小学校教員 松尾 英明)