■ファクト認識なしは政治家にあらず
今回の参議院議員選挙の結果を受けて、喜んだ人もがっかりした人もいるだろう。
私の中で、政党選択の基準にしていたのは「反ワクチンがいるか」と「選択的夫婦別姓に同意か否か」の2つであった。
実は、どちらも国政全体の中ではそれほど重要な問題ではない。国政全体においては財政だとか、防衛(あるいは軍事)だとか、医療・福祉だとかのほうが遥かに重要だ(外国人ウンチャラは相対的には些事(さじ)で、あれをビッグイシューに祭り上げた政党は戦術的に巧みであった)。
しかし、上記両問題は、政治家の科学性や論理性、ファクト認識能力を吟味するには非常によいアジェンダである。そして私は、科学性や論理性、ファクト認識能力のない政治家は端的に職能を欠いていると思っている。10本の指がすべて親指のような不器用な人間(私が、そうだ)が外科医になってはいけないように、科学性を欠き、論理的思考ができず、ファクトを認識しない人は政治家になる資格はない。
■政治無関心層を土俵に上げた参政党
「選択的夫婦別姓」問題は、大多数の政党、政治家がグダグダであり、この点で私はいたく失望していた。ただ、いろいろな政党に存在していた「反ワクチン」な候補者たちは大多数が落選していた(参政党は本選挙における「バグ」なので、例外とする)。
「反ワクチン」な政治家は右派にも左派にも存在するが、前述の理由で政治家の職能は欠いている。これで、多くの政党は「反ワクチンを候補者にあげるのは戦術的に悪手である」ことを学習したであろう。よいことだ。
そして今回の参政党の躍進の理由は複数あると思うが、YouTubeやTikTokのような動画「だけ」で情報を得ている、言い方は悪いがいわゆる「情報弱者」の欲望に上手に寄り添ったのが成功の最大の理由だろう。いわゆる「無党派層」かつ「選挙に行かない」人たちなわけだが、参政党の功績はこうした「政治に参加しない層」を選挙の土俵に引っ張り上げたことにある。
参政党に投票した、「選挙デビュー」を果たした人たちは、今後参政党の選挙後の「リアル」を知り、いろいろ考えさせられることであろう。そういう意味では、超長期的に見れば、参政党の日本に対する功績は、案外大きいものなのかもしれない。過剰評価もたいがいにしろ、と言われるかもしれないが。
*参考 参政党支持層の研究(古谷経衡) -エキスパート- Yahoo!ニュース. Available at: https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/a8c540ceeac4bad06c7f110d2c927b1b0f2763e2. Accessed 22 July 2025.
■「保守」と「リベラル」の違いは多様
私個人の見解を申せば、国政におけるビッグイシューはほぼ「程度問題」であり、「単一の正解」というものは存在しないと思っている。
保守だとか、リベラルだとかよく言われるが、国内外、各国における「保守」「リベラル」の違いは一様ではない。そもそも保守とリベラルが「程度問題」なのだから、むしろそうなるのは当たり前だとも思っている。
「保守」は手元の辞書を引くと「旧来の習慣、制度、組織、方法などを重んじ、それを保存しようとすること。また、その立場」とある。「リベラル」は「政治的に穏健な革新をめざす立場をとるさま。自由主義的であるさま」とある。
しかし、たいていの人はある部分では保守的であり、別の部分ではリベラルであるものだ。いくら「保守」だからといって、平安時代や室町時代の生活様式を完コピしている人は稀有だろうし、いくら「リベラル」だからといって、時代を数百年先取りし、往来を全裸で闊歩(かっぽ)したりはしないだろう(知らんけど)。
私自身も、ある部分では非常に保守的であり、別の部分では非常にリベラルであると自覚している。
■ヒトラーとスターリンは酷似する
診療にしてからがそうだ。私は「新薬に飛びつくな」と常々申しており、歴史の検証に耐えた古い抗菌薬を優先して使い、副作用情報などがまだ不十分な新薬をみだりに使わないように、と学生や研修医に指導している。
こういう態度は業界内でもかなり保守的なものといえよう。一方、抗菌薬の治療期間については従来の長期治療ではなく、最新のエビデンスに則って短く、短く治療することを原則とする。従来、数週間かけて治療していた腹腔内感染は感染巣の外科的処置が充分であることを前提に1週間以内で終了する。2週かけて治療していた尿路感染を半分の1週間で終了する。
医療は案外、非科学的で、サイエンスよりも「習慣」に基づいて診療することがしばしばだが、こういう部分では断固として「習慣」を廃し、科学とロジックとエビデンスを優先させる。リベラルな態度と言えるだろう。
ことほどさように、「保守」だ、「リベラル」だ、と言っても要するに程度問題であり、人は概(おおむ)ねある程度は保守、ある程度はリベラルだ。
■プロとしての政治家の資格とは
だから、私は政治的立場を根拠に人物を判定したりはしない。「あの人は保守だから」とか「あの人はリベラルだから」というラベリングで人を尊敬したり、軽蔑したりする態度を散見するが、良くないことだと思っている。
人はみな、ある程度保守的であり、ある程度リベラルである。そして、ここが肝心なところであるが、あなたとまったく同じような基準で保守とリベラルが配合されている人は稀有である。人はみな、異なる「保守」「リベラル」の配合物なのだ。
「程度問題」であるとはそういうことであり、配合比率が3対7だとか6対4だとかいう理由で口もきけなくなるのはもったいない。
政治家においても同様だ。私と見解を異にする政治家がいるのはむしろ自然で、私とアイデンティカルな見解の政治家がいることのほうが奇跡なのだ。私は奥さんを心から敬愛しているが、それでも配合比率は微妙に異なるし、なんなら参議院選はそれぞれ異なる政党に投票した。
だから、私は「反ワクチン」の人の存在そのものは否定しないし、「選択的夫婦別姓制度」を嫌う人の存在自体も否定はしない。私と見解を異にする人が存在することそれ自体は自然なことだからだ。
ただし、プロとしての「政治家」がそうであることは否定する。それは、政治的見解やポリティカル・アイデンティティーの問題ではなく、単純に「職能」の問題だからだ。「職能」を欠く人物が、当該領域のプロになってはならない。それだけのことだ。
■所属すれども隷属せず
ちなみに、私と奥さんは投票した政党こそ異なったが「反ワクチン」「選択的夫婦別姓制度反対」な政党は回避した。職能なくして、政治家たるべからず。そこでは一致していたからだ。
私は、自分の知らないことに関心が高いほうである。家では、娘たちも妻も、食卓の時間に私の知らないことを喋ってくる。
食事中、私は家族の話をもっぱら聞いている。学校や職場でおきたこと、自分が考えたこと、映画や本のあらすじなどだ。食事中の会話は自分の感受性を高め、自分の関心がなかった領域のある種の感度を高めてくれる。
逆に、私は職場の宴席は苦手だ。なぜならそこでは、多くの人が「仕事の話」しかしないからだ。それは回診のときに十分にやっているので、わざわざ飯を食いながらやりたくはない。そうなると、残されたトピックはゴシップだ。生産性がないことこの上ない。
私はチームに団結や、絆を求めるのは好きではない。忠誠心ももってほしくはない。所属すれども、隷属せず。プロの集団なのだから、それぞれが自立し、自律し、プロとしての仕事を遂行してくれればよい。
共通するのはミッションだけでいい。あるべきゴール、ビジョンが共有できればそれでいい。
考え方の違う人と同居できるのがプロの条件だ。「価値観が合わない人とは仕事ができない」のは幼稚な態度だと思っている。もちろん私も、学術界にも仲の良い友人は何人かいる。かの孤高の私立探偵フィリップ・マーロウにも、仲の良い警官がいるように。
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岩田 健太郎(いわた・けんたろう)
神戸大学大学院医学研究科教授
1971年島根県生まれ。島根医科大学(現・島根大学)卒業。ニューヨーク、北京で医療勤務後、2004年帰国。08年より神戸大学。著書に『新型コロナウイルスの真実』(ベスト新書)、『コロナと生きる』『リスクを生きる』(共著/共に朝日新書)、『ワクチンを学び直す』(光文社新書)など多数。
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(神戸大学大学院医学研究科教授 岩田 健太郎)