■「軍事パレード」で明らかになった政権の変化
2025年7月、日米の交渉が難航すると見られていた「相互関税」の協議が、最終的に15%という“落としどころで妥結した。多くのメディアはこれを「予想外の譲歩」として受け止め、日本国内には安堵の空気も漂った。
一部には「これでひと安心だ」との声も聞かれるが、その楽観は危うい。トランプ政権の狙いは、関税にとどまらないからだ。かつて防衛費の大幅増額や駐留経費の負担増を突きつけてきたように、関税の着地は単なる“序章”でしかない。実際、その前後から米国では異様な光景が現れ始めた。
トランプ大統領の79歳の誕生日だった6月14日、首都ワシントンではまるでロシアや北朝鮮など独裁国家の軍国主義を彷彿させるような光景が繰り広げられた。軍用機がワシントン記念塔の上空を旋回するなか、上空から空挺部隊が降下し、約7000人の制服を着た兵士、数十台の戦車・軍用車両、軍事ロボット犬などがホワイトハウス南方の憲法通りを行進した(英紙ガーディアン、2025年6月15日)。
トランプ大統領が8年間も待ち望んだ軍事パレードがついに実現したのだが、それは米陸軍創設250年を祝う本来の目的とかけ離れた、トランプ氏個人のためのものだった。
米国では基本的に民間人に対して軍隊を使うことは認められていない。トランプ大統領はこのルールを無視して、6月にロサンゼルスの移民強制送還に抗議するデモ鎮圧のため、州兵と海兵隊を動員した。もし全米の都市で同様のことが行われたら、国民の表現の自由は重大な危機にさらされることになる。
■1期目は国防長官に反対されて断念した
米国で大規模な軍事パレードが行われたのは1991年に湾岸戦争に勝利した時以来で、それ以前は1945年のトルーマン大統領と1961年のケネディ大統領の就任式にパレードが組み入れられたくらいである。そもそも世界の超大国で最強の軍事力を持つ米国はあえてそれを内外の人々に見せつける必要がないため、軍事パレードの開催は慣例になっていない。
にもかかわらず、トランプ大統領はなぜ開催したのか。そのきっかけは1期目の8年前に遡る。2017年にフランスの革命記念日の軍事パレードを見たトランプ氏は、「フランスにとって、フランスの精神にとってすばらしいイベントだ」と感銘を受け、その後米国で開催しようとした。
ところが、当時のジェームズ・マティス国防長官に「そのような軍事力の誇示は逆効果で、米国の国際的威信にマイナスとなりかねない。貴重な納税者のお金は他のことに使った方がよい」と反対され、仕方なく断念した(CNN、2025年6月13日)。
44年の軍歴を持つ退役海兵隊大将で、トランプ氏も「将軍の中の将軍」と評して国防長官に任命したマティス氏の言葉だっただけに、トランプ氏も聞かざるを得なかったようだ。
■2期目になって“軍の私物化”が進む
軍事パレードを開催すること自体は問題ではないが、それを政治利用することが問題なのである。ちなみにフランスで毎年恒例となっているパレードは政治利用ではなく、国家と軍の一体性を示すために行われているので問題ないという。
一方、米国のパレードはトランプ大統領の誕生日に開催するなど政治利用が露骨に出たため、野党民主党から「独裁者のようなパレードだ」(アダム・シフ上院議員)、「自分のエゴを満たすためだけのものだ」(退役軍人のタミー・ダックワース上院議員)などの批判が続出した(Politico、2025年6月13日)。
今回の軍事パレードは、実はトランプ政権が進めている軍の私物化の一環にすぎない。つまり先述したが、トランプ大統領の狙いは政治的に中立な軍を自分の思い通りになる組織に変えて、政敵の抑圧や抗議デモの鎮圧などに利用することではないかと思われる。
米国では民間人に対する軍隊使用は緊急時に地元当局者から要請があった場合などを除き、基本的に禁止されている。しかし、トランプ大統領はこのルールを無視し、6月7日にロサンゼルスでの移民強制送還に反対するデモを鎮圧するために2000人の州兵と700人の海兵隊を派遣するよう命じた。
地元のロサンゼルス市長とカリフォルニア州知事は、「デモは地元の法執行機関で十分対応できる。軍隊の投入は状況を悪化させるだけだ」と強く反対したにもかかわらず、である。
■“違法”の判決は覆された
カリフォルニア州のギャビン・ニューサム知事は、「トランプ政権が地元当局者の承認を得ずに軍隊を動員したのは違法だ」として連邦地裁に提訴し、地裁はこの訴えを認めた。ところが政権側が控訴し、控訴裁判所が「連邦政府職員と財産を守るために軍の出動を命じたのはトランプ氏の権限内だった」として一審の判決を覆したため、州兵と海兵隊は7月末現在も現地に駐留し続けている。
これについては専門家からも懸念の声が出ている。
また、米国自由人権協会(ACLU)の国家安全保障プロジェクト・ディレクターのヒナ・シャシム氏も、「ロサンゼルスの移民抗議活動を鎮圧するために軍隊を動員したことは米国民を危険にさらす権力乱用です。軍は民間人の取り締まりにあたるべきではないという、米国の民主主義の根本原則を無謀に損なうものです」と批判した(NPR、2025年6月9日)。
■軍人向けの演説でも“政敵”を攻撃
トランプ大統領は軍を自分の味方にするために軍人たちへの働きかけも行っている。パレードの数日前の6月10日、トランプ氏はフォートブラッグ陸軍基地で演説した。大統領が軍人に向けて演説するのは珍しくないが、トランプ氏の場合は異例だった。
政敵のバイデン前大統領や民主党の議員・関係者を「急進左派の過激派」などと激しく攻撃し、まるで選挙戦中のレトリックのようだった。これを聞いた軍人たちの中にはトランプ氏を応援したり、敵対者(民主党)にブーイングを送ったりする者もいたという(前出・Vox Media)。
軍事問題の専門家によれば、「これは危険信号だ」という。政治的中立を求められる軍人たちの職業倫理が損なわれ、トランプ大統領への支持に傾く可能性が高くなるからである。
ここで重要なのは、最高司令官から違法な(あるいは違法の可能性が高い)命令が下された場合、軍がそれを拒否できるかどうかである。実は軍人たちは上からの命令に従うよう訓練されている一方で、違法な命令に対してはそれを拒否する権利を有し、場合によっては義務を負っている。
■政権から「ブレーキ役」はいなくなった
第1次トランプ政権で米軍制服組トップの統合参謀本部議長を務めたマーク・ミリー氏は当時、国内の治安維持やデモ鎮圧のために軍隊を使用しようとするトランプ大統領に「それは違法です」と言って反対したという(NPR、2025年1月29日)。
トランプ氏の危険性を知り抜いているミリー氏は2023年9月に退任する際、軍人たちに向けた演説でこう述べた。「我々は国王や女王、暴君や独裁者に誓いを立てるわけではない。独裁志望者に誓いを立てることもない。我々は憲法に誓いを立て、アメリカという理念に誓いを立てるのです」と(同NPR)。
全ての軍人は「合衆国憲法を支持し、擁護する」ことを宣誓する、そのためミリー氏は大統領から違法な命令を下されたら、大統領ではなく憲法に従うよう改めて促したのである。
ミリー氏はまた、引退前に行ったワシントン・ポスト紙のボブ・ウッドワード記者との対談で、「ドナルド・トランプほど米国にとって危険な人物はいない。今、彼が完全なファシストだと気づいた。この国で最も危険な人物だ」と言い切った(同NPR)。
トランプ大統領の危険性については米国人の多くも認識しているようだ。その証拠に6月14日には軍事パレードと強権的なトランプ政権に抗議する大規模デモ「ノー・キングス(=王はいらない)」が全米2000カ所以上で行われ、500万人以上が参加した。
■次の標的は「日米同盟」になる恐れ
デモの参加者からは、「この国で起こっていることに本当に恐怖を感じている」「米国憲法を無視することは、到底受け入れられない」「これ以上悪くなるはずはないと思い続けているが、事態はどんどん悪化している」などの声が聞かれた。
第1次トランプ政権にはミリー統合参謀本部議長やマティス国防長官などのブレーキ役が存在したが、2期目にはそのような側近は見当たらない。そのため、トランプ大統領はますます危険性を強め、独裁者への道を突き進んでいるように思える。
「自国第一主義」を掲げるトランプ大統領は2025年4月、ホワイトハウスの閣僚会議で日米同盟関係について触れ、「我々は彼らを守るが、彼らは我々を守る必要はない」「我々は彼らを守るために何千億ドルも支払っているが、彼らは何も支払っていない」などと不満を並べ立て、「不公平で一方的だ」と非難した。
しかし、この主張は事実と異なる点が多く、日本としては同盟関係の最新実態を簡潔にわかりやすくトランプ大統領に伝える必要がある。
たとえば、2022年に日米間で締結された「経費分担協定」によれば、日本は2025年に在日米軍の施設維持費や日本人職員の賃金などに約2270億円(約15億6000万ドル)を支出し、加えて米軍専用地の賃貸料や沖縄からグアムに移転する海兵隊の施設建設費などにこの年だけで約4560億円を投入しているという。(ジャパン・タイムズ、2025年4月16日)。
■トランプ政権はさらなる防衛費増額を求めている
しかもこの支出額は米軍基地を受け入れている他の同盟国の支出額をはるかに上回っているにもかかわらず、日本は公の場でそれを強調することに控えめな姿勢をとっているという。
このような状況の中で、トランプ政権は日本にさらなる防衛費増額を求めてきた。国防総省のパーネル報道官は6月20日、日本とアジア太平洋地域の同盟国に対し、国内総生産(GDP)の5%を防衛費に充てるという「世界基準」を設定したと発表し。
日本は近年、防衛費の取り組みを刷新し、2027年度にGDP比2%にする計画を進めているが、さらにその2.5倍に増やすというのはかなりハードルが高い。現実的に考えて、国会で承認を得るのは難しいように思われる。
加えて、日本にとってもう1つの懸案事項である台湾有事の際の米軍介入だが、バイデン前政権ははっきり「介入する」とコミットしたが、トランプ政権は明言しない「曖昧戦略」をとっている。
それにもかかわらず、国防総省は日本とオーストラリアに対し、米国と中国が台湾をめぐって戦争になった場合、どのような役割を果たすか明確にするよう求めてきた。(英紙ファイナンシャル・タイムズ、2025年7月12日)
■無理難題の押しつけが続く
しかし、米国自身が台湾を防衛するかどうか明言しない中で、そのような質問をされても日本としては具体的にどうするかを回答するのは難しいだろう。
このようにトランプ政権は日本に対して無理難題を次々と押しつけてくる。「15%の相互関税」を手放しで喜んではいけない。経済のディールが終わっただけで、次はさらに重い軍事のディールが控えているからだ。
日本はアジア太平洋地域の他の同盟国とも連携し意見交換しながら、「自国第一主義」のトランプ政権に対応していくことが重要となる。米国は日本にとって唯一の同盟国であり、何があってもこの国とうまくやっていく以外選択肢はないのだから。
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矢部 武(やべ・たけし)
国際ジャーナリスト
1954年生まれ。埼玉県出身。70年代半ばに渡米し、アームストロング大学で修士号取得。帰国後、ロサンゼルス・タイムズ東京支局記者を経てフリーに。人種差別、銃社会、麻薬など米国深部に潜むテーマを抉り出す一方、政治・社会問題などを比較文化的に分析し、解決策を探る。著書に『アメリカ白人が少数派になる日』(かもがわ出版)、『大統領を裁く国 アメリカ』(集英社新書)、『アメリカ病』(新潮新書)、『人種差別の帝国』(光文社)、『大麻解禁の真実』(宝島社)、『医療マリファナの奇跡』(亜紀書房)、『日本より幸せなアメリカの下流老人』(朝日新書)、『世界大麻経済戦争』(集英社新書)などがある。
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(国際ジャーナリスト 矢部 武)