第26回を迎えた「日本ミステリー文学大賞新人賞」は、異色のノワールが選考委員、満場一致での受賞となりました。その作品は、柴田祐紀(しばたゆうき)の『60%』(2月22日発売)。
ナイフで生きている人間の皮を剥いだり、耳を噛みちぎったり…、と新人離れしたバイオレンスシーンの迫力が圧巻の作品ですが、著者の柴田さんの本業は、なんと結婚式場の支配人。幸せの最高潮の現場で働く人が、なぜこのようなノワールを? そんなギャップを知ってから作品を読むと、また違った味わいを感じられるかもしれません。
そんな新人賞受賞者の素顔に、光文社文芸編集部・担当編集者の永島大が迫ります。
第一印象は、今までの人生でトップ3に入る”柔らかな物腰と話し声”
2022年10月19日、4人の選考委員の討議の上、「60%」が受賞作に決まった。その瞬間、この作品の担当編集となった私は、その場で秋田在住の柴田さんに電話をかけた。受賞という吉報をお伝えし、今後のスケジュール等を打ち合わせするためだった。ワンコールで繋がり、「おめでとうございます!」と話し始めた私に聞こえてきた声――。驚くほど物腰が柔らかく、丁寧な言葉遣い、心地いい滑舌。その瞬間の印象を今もはっきり覚えている。
たしか、応募作のプロフィールには「職業:結婚式場支配人」と書いてあった。
そのまま電話で10分ほど打ち合わせをし、来社いただくスケジュールを決めて、電話を切った。受賞作は、受賞が決まってから刊行までの期間が短く、その間に必要な改稿や校正作業を済まさなければならないので、かなり慌ただしくなる。
ブライダル業界7年目、いつもニコニコしていて冷静な支配人
柴田祐紀さんの職業はブライダル業、現在は「ノートルダム秋田」の支配人を務めている。
「お客様に喜ばれる、人を幸せにする仕事をしたいと思って生きてきました。最初に働いたのは自動車ディーラーの営業職だったのですが、新車の納入の瞬間など、お客様の笑顔に立ち会えてとてもうれしかったです。
2016年に今の会社に転職しました。全然違う業界への転職でしたが、人の幸せの瞬間に立ち会う究極がブライダル業界かなぁと思ったんですよね(笑)」
最初に就いた職種はブライダル・アドバイザー。自社の式場にお客さんを多く呼ぶための営業やPR活動が主な仕事だった。
「上手く魅力が伝わって、多くのお客様が来てくださるのはやりがいにつながります。お客様によっては、1年くらい前から打ち合わせをしている方もいらっしゃいますので、そのような長い時間を共有した方の、幸せの瞬間に立ち会えるのは何ものにも代えがたい感動ですし、感謝の言葉をいただくことはとてもうれしいです」
支配人に昇進してからは、すべてのお客さんの打ち合わせの進行スケジュールを把握し、関連業者との折衝なども受け持ち、全体のバランスをとる立場になった。ノートルダム秋田で一緒に働くチーフウエディングプランナーの佐々木美祝(ささきみのり)さんは、柴田さんを理想的な上司と評する。
「普段はいつもニコニコしていて、どんなときも冷静。一度も怒られたこともないし、怒っている姿を見たこともありません」
(支配人姿の柴田さん)
コロナ禍の中、髙村薫『太陽を曳く馬』に刺激を受けて一念発起
これまでにも3回の小説投稿歴があるという柴田さん。しかし、最後に投稿したのは7年前だった。
「私は妻子と仙台に住んでいましたが、転勤で青森県の八戸に単身赴任となりました。その頃、新型コロナウイルスの蔓延が始まり、県外ナンバーでの移動がはばかられるようになり、仙台や実家のある秋田にも帰るわけにはいかず、暇を持て余していたんです。そんなときに読んだ髙村薫さんの小説『太陽を曳く馬』に刺激をもらって、アパートの一室にこもり、しばらく書いていなかった小説の執筆に向き合うことになりました」
コロナ禍では本業のウエディングも大きなダメージを受けた。キャンセルや延期の連絡が次々に入る。
「半年くらい前から打ち合わせしてきた方々が、苦渋の決断で中止されるのを目の当たりにして、とても悲しくてつらかったです。一生に一度のイベントなので何かできることはないかと、フォトウエディングをご提案させてもらったり、WEBで参列するシステムをご案内したりしました。この時に生まれた新しい形のウエディングはその後も人気で、コロナを経てウエディング業界の形式は大きく変わったと思います」
(ノートルダム秋田の大聖堂)
(ノートルダム秋田のバンケットルーム)
ノートルダム秋田
運河の見えるロケーションと大きなガーデンが素敵な結婚式場。
完全貸し切り制が人気。
(https://space.fivestar-wedding.com/nd-akita/)
選んだテーマは「ノワール」、理数系ではない書き方に悪戦苦闘
コロナ禍の自粛期間中にひとり部屋にこもって書き上げた小説は、やくざや中国マフィアが跋扈(ばっこ)するノワール小説だった。お仕事柄、あまり相性がいいとは思えないが、不都合はなかったのだろうか?
「そもそも受賞するなんて思わずに書き始めたので(笑)。ブライダル業界の人間がウエディングを舞台にした話を書くのは普通だし、つまらないかなと。
でも、あくまでフィクションですから! 登場人物がいろいろ不適切なセリフを言うシーンもありますが、私が話しているわけではないので、ご容赦いただければ……」
そうして生まれた作品は、選考委員全員から「キャラクター造形の上手さ」を高く評価され、満場一致で受賞となった。
「私はキャラクターから先に考えるタイプなので、そこを評価していただいたのはうれしかったですね。この『60%』では、主役となる柴崎のキャラクターのイメージがまず浮かんで、その後、粕谷や高峰といった周辺のキャラクターができていきました。
その後は、彼らを使ってどんなシーンが見たいか? ビジュアルを意識して、かっこいいシーンや印象に残るシーンをいくつも考えていきました。あとはそれらのシーンをどのようにつなげていったらいいか、書きながら試行錯誤して進めていきました。でもその過程でキャラクターやプロットもどんどん変わっていって、100ページ戻って書き直したりと、まったくもって理数系ではない書き方でしたね(苦笑)」
キャラクターやビジュアルをとにかく優先させる姿勢は、大好きな映画鑑賞からの影響が強いという。まずは、印象に残るシーンを考えるのがクセになっているようだ。
「物語の舞台を仙台にしたのは、私がいちばん知っている街だったからです。高校卒業後に秋田から出てきて一人暮らしを始めてから、妻と出会い結婚もして、自宅も構えてちょうど30年。途中、転勤で八戸に行ったり、地元の秋田に戻ったり……東北をあちこち渡り歩いていますが(笑)」
受賞後は、選考委員からの選評やアドバイスを踏まえて、約1カ月で改稿作業を終えた。問題点として指摘されたポイントを的確に修正していくセンスも非凡で、原稿のグレードは何段階もアップした。
「生まれて初めて自分の書いた小説に意見やアドバイスをいただいたことが、想像以上にうれしかったんです。『たしかに!』とか『なるほど』と思うことも多かったですし、『そんな風に感じるのか?』って、自分では思いもよらない指摘に感心してしまったり。だから、加筆修正する作業は楽しかったですね」
そうして最終形となった『60%』は2月22日に発売となった。
(制作途中のゲラ)
グランドピアノの配置の仕方に、ビジュアルセンスが見える
柴田さんが作家デビューを果たしたことは、社内のほぼ全員が知るオープンなニュースだ。前述のチーフウエディングプランナーの佐々木さんが教えてくれた。
「異動や退職などで送別会があると贈り物を渡す慣例があるのですが、柴田さんはいつもその人におすすめの本をプレゼントしていた印象が強くて……。だから本好きなのは知っていましたが、まさか小説を書いているなんて思いもしませんでした。昨年、賞の最終候補に残ったというときに初めて聞いたんです。凄いなと思いはしましたが、一般の私たちとは違う独特の感性や世界観をお持ちの方なので、それほど驚きはしませんでした」
独特の感性、世界観――それらを示すエピソードを教えてくれた。
「式場のテーブルのレイアウトでも、柴田さんのセンスはちょっと違うんです。式場にはグランドピアノがありますが、一般的には導線を邪魔しない端っこに配置するのが普通です。でも、あるとき柴田さんは会場のど真ん中にピアノを配置したことがありました。結果その式は、ピアノがビジュアル的に印象的なアクセントとなり、お客様にもたいへん喜ばれたんです」
ここでも柴田さんのビジュアル優先主義が垣間見える。
いよいよ『60%』が刊行され、職場や家族といった身の回りの人たちが手にするようになるが、柴田さんはどんな気持ちだろう。
「だんだん恥ずかしくなってきました。妻も同僚も新鮮な気持ちで読みたいからと、あらすじも聞きたくないと言って、情報をシャットアウトしています。知り合いがまっさらな状態で、この作品を読んだらどう思うのか? 自分の恥部を見せるようで緊張しますね」
(チーフウエディングプランナーの佐々木美祝さんと)
今後の目標は? 「ぜひ、『60%』の続編を書いてみたい」
今後、柴田さんには雑誌「ジャーロ」に掲載する短編、そして受賞後第一作となる長編の執筆にとりかかっていただくことになる。その意気込みを聞いてみた。
「いろいろ書いてみたいことが頭の中にたくさんあって、どうまとめようか思案している段階です。たぶん、次の長編はまったく別のものになると思いますが、『60%』の続編もぜひ書いてみたいと思っています。実は、もうスマホのメモ帳にはアイデアの部分でかなりの輪郭ができあがっていて、本書の評判がよければぜひ書かせてほしいと思っています。今度は仙台を飛び出して、『60%』のメンバーたちを日本だけじゃなく海外でも大暴れさせたいので、ぜひ応援よろしくお願いいたします」
【書誌情報】
書名:60%
著者:柴田祐紀
判型:四六判ハードカバー
発売日:2023年2月22日(水)
定価:本体1,870円(税込)
発売元:光文社
【問い合わせ先】
光文社文芸編集部 永島大 03-5395-8254