総支配人がこだわった、最初の一手

「界 霧島」が鹿児島県・霧島温泉の地に誕生したのは、2021年1月のことでした。コロナ禍という厳しい社会情勢の中、当時の総支配人の永田が向き合っていたのは、施設の象徴になるはずの「すすき野原」の成長が思わしくないという予期せぬ課題でした。

しかし、永田はこれを「逆手にとって魅力にしよう」と考えます。
野原の中に、霧島高原を特等席で見晴らすための櫓(やぐら)を組むことにしたのです。この櫓で、風に吹かれながら美味しいお酒を楽しんでいただこう――。その想いから、スタッフたちと共に作り上げたのが、鹿児島の名産、焼酎のセットでした。

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櫓までの道を整備するスタッフの様子

「今振り返ると、開業当初から焼酎のことばかり考えて、焼酎まみれの毎日でしたね」と永田は当時を振り返ります。

この時、地元の和菓子屋さんのラム酒香るアイス最中と焼酎を合わせた「だれやめセット」も誕生しました。「だれ」は疲れ、「やめ」は癒やす。一日の終わりに焼酎を酌み交わし、一日の疲れをリセットする。この温かい鹿児島の習慣を、体験として提供することを決めたのです。地元では当たり前だった「割って飲む」提案ではなく、あえてストレートで、濃厚なスイーツと共に楽しむ。この意外性のある組み合わせは、焼酎に馴染みのなかったお客様からも「焼酎って、こんなにおいしいの?」という驚きの声を引き出しました。これが、焼酎を通じた界 霧島ならではのおもてなしを形にしていく、最初の一手となりました。

「焼酎のことしか、考えていなかった。」―鹿児島の文化を伝えるべく、温泉旅館のスタッフが紡ぎ続ける「手業」の物語。


焼酎とスイーツを合わせた「だれやめセット」

150本のボトルに込められた、圧倒的な熱量

このきっかけを、さらに本格的な体験へと広げていったのが、スタッフの橋本啓吾でした。橋本の焼酎に対する探究心は、チーム内でも有名でした。
彼の周囲では「自宅には150本ものボトルが並び、夜な夜な飲み比べをしながら研究しているらしい」という話が持ち上がるほど。寝る直前まで温度や酒器を変え、その味の個性を自ら体験する。それが彼の日常でした。

「焼酎のことしか、考えていなかった。」―鹿児島の文化を伝えるべく、温泉旅館のスタッフが紡ぎ続ける「手業」の物語。


当時の橋本の自宅に並ぶ焼酎

そんな彼も、界 霧島に着任するまではビールや日本酒を愛する「醸造酒派」でした。しかし、鹿児島への出発前に立ち寄ったバーで勧められた、霧島市にある国分酒造の「フラミンゴオレンジ」が、彼の概念を変えました。

「蒸留酒なのに、私の知っている焼酎ではない。このギャップが、頭から離れなくなったんです」

永田は、この橋本のひたむきな姿勢が、界 霧島のおもてなしをより進化させていくと確信しました。

文化の背景を知るための「回り道」

橋本の熱意を認めつつも、永田は彼をすぐに焼酎の担当にはしませんでした。

「知識だけを詰め込むのではなく、まずは鹿児島の文化をより広い視点から捉えてほしいと考えたからです。焼酎という一点だけでなく、その背景にある風土を理解してこそ、お客様に伝わるおもてなしが生まれると感じていました」

そこで永田は、橋本をあえて発酵食担当に任命しました。鹿児島が誇る黒酢や本枯節などの発酵文化を学ぶことで、焼酎という存在を多角的に捉えてほしいという意図でした。橋本はチームのスタッフたちと醸造所を巡り、麹菌や風土と向き合う日々を過ごしました。しかし、この経験が視界を大きく広げます。
「黒酢も焼酎も、すべてはこの鹿児島の大地の恵みから生まれている。」この気づきが、後に誕生する体験プログラム「手業(てわざ)のひととき」の土台となりました。

「焼酎のことしか、考えていなかった。」―鹿児島の文化を伝えるべく、温泉旅館のスタッフが紡ぎ続ける「手業」の物語。


麹についての知識を深めるスタッフ

地道な対話から生まれた、蔵元との関係性

橋本が「焼酎の魅力を直接お客様に届けたい」と考えたのが、明治21年創業の中村酒造場を訪れた時でした。中村酒造場は、今も石蔵での手造りを貫く伝統ある蔵です。酒造りと向き合う環境を守るため、通常は一般の蔵見学を受け入れていません。

そんな現場を訪ねた橋本が目にしたのは、杜氏の中村慎弥さんをはじめとした蔵人たちが、黙々と手仕事に励む姿でした。機械化が進む現代において、手間を惜しまず進められる職人たちの手仕事。「この手仕事を、お客様にも肌で感じてほしい」。その思いを形にすべく動き出したのが、体験プログラム「手業(てわざ)のひととき」の構想でした。

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中村酒造場の蔵見学(右から2番目が橋本)

多忙を極める蔵元との提携は、当初は容易ではありませんでしたが、橋本が取った行動はシンプルでした。出社前の朝、蔵へ通って作業を共にし、休日は共にサウナへ行き、少しずつ関係性を築いていきました。

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杜氏の中村慎弥さん(右)と橋本(左)

「自分の熱量を伝えるには、これしか思いつきませんでした」

こうして、宿泊客が杜氏から直接酒造りを教わる「手業のひととき」が実現しました。

その後、界 霧島の焼酎体験はさらなる広がりを見せます。「蔵ごとの異なるこだわりや、奥深い個性をより多角的に知ってほしい」という思いから、橋本が焼酎に目覚めるきっかけとなった「フラミンゴオレンジ」を醸す国分酒造との連携もスタートしました。
伝統を守り抜く手仕事と、常識を覆す革新的な挑戦。霧島が誇る二つの異なる個性に触れられるこの試みは、今もお客様を焼酎の深い魅力へと誘い続けています。

「焼酎って、おいしい」その驚きを次の誰かへ

東京出身で、以前はほとんどお酒を飲まなかったスタッフの溝上壽人も、焼酎の魅力に引き込まれた一人です。橋本にすすめられ、初めて飲んだ中村酒造場の焼酎「なかむら」に、「焼酎って、こんなにおいしいんだ」と衝撃を受けた溝上は、入社半年後、自ら焼酎担当になることを希望しました。

「焼酎のことしか、考えていなかった。」―鹿児島の文化を伝えるべく、温泉旅館のスタッフが紡ぎ続ける「手業」の物語。


中村酒造場での仕込みの様子(右が溝上)

「元々お酒が好きだった橋本さんとは違って、ビギナーだったところから本当に概念が変わったので、それをお客様にも伝えたいと思いました」

その後溝上は、焼酎デビューを後押しするプログラム「焼酎ディスカバリー」の造成にかかわっています。ビギナーだった自分だからこそわかる「初めての驚き」を大切にしながら、鹿児島の焼酎文化を伝えられるよう、試行錯誤しています。

「焼酎のことしか、考えていなかった。」―鹿児島の文化を伝えるべく、温泉旅館のスタッフが紡ぎ続ける「手業」の物語。


地域に根付いてきた文化を、どうすれば旅の喜びへと変えられるか。丹精込めて作られた焼酎を、どうすれば一番よいかたちでお客様に届けられるか。温泉旅館のスタッフとして、日々サービスの現場で問い続けています。


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