AIは文章の要約やデータ整理、プログラムの修正などを、人間よりも速く正確にこなす。一方で、ひろゆき氏は「AIは天才には勝てない」と語る。
AIが得意なのは「1を100にすること」であり、「0から1」を生み出す飛躍は人間に残された領域だからだ。では、凡人にとってAIは味方なのか、それとも仕事を奪う脅威なのか。
※本記事は、ひろゆき著『人生の正体 生きること、死ぬこと』(徳間書店)より抜粋、編集したものです。

ひろゆきが考える「AI時代に生き残る人、消える人」。データ整...の画像はこちら >>

AIは天才には勝てない

 AIは「1」を「100」にするのは得意だ。文章を要約したり、プログラムのバグを見つけたり、似たような絵を量産するのは、人間よりはるかに速い。でも「0」から「1」を生み出すのは苦手だ。

 この違いを説明するのに、シュリニヴァーサ・ラマヌジャン(1887~1920=インド)の話を思い出さずにはいられない。

 20世紀初頭、ラマヌジャンという天才数学者がいた。専門教育をほとんど受けていないのに、独学で数論や無限級数など、後世の数学者が何十年もかけて検証するレベルの公式を、次々と「発見」したのだ。

 ただし、問題があった。ラマヌジャンはその証明をすべて飛ばしてしまうのだ。

 答えにはたどり着いているのに、「なんでそうなるの?」と問われると説明できない。本人もよく、こう言っていたとされている。


 I see the result, but I do not know how to get there.(結論は見えるが、そこに至る道はわからない)

 このラマヌジャンが残した逸話は、ある意味、とても人間らしい成果の出し方なのではないか。

 AIは常に高いレベルの精度を誇る。一方、人間は間違いだらけだけど、ときどき大きな仕事を成し遂げる。しかも、本人もあずかり知らないうちに、誰も到達できないほどの世紀の大発見をしてしまうのだ。

 こういう奇跡を目の当たりにすると、人間の底力はAIなんて目じゃない、と思ってしまう。

AIは凡人を助け、凡人を蝕む

 一方で、AIは逆だ。AIは手順の整理はお手のもので、わかりやすく丁寧に説明できる。でも、ラマヌジャンのように「どこから来たかわからない結論」をポンと落とすのは苦手だ。

 だから、AI時代に残る人間の価値は、平均的な答えに近づくことではない。大きな飛躍ができるかどうかだ。

 でもここで勘違いしてはいけない。

 ラマヌジャン級の天才はそういない。そういないから天才なのだ。
人間の99・9%は凡人である。もちろん僕もそうだ。

 外国語のメールを丁寧に直したい、複利計算を出したい、法律の条文を平易な日本語に言い換えたいーーこの手の作業は、かつては専門知識のある人の専売特許であり、向き合うのにそうとうな手間が必要だった。

 でもいまはAIに聞けばだいたい解決する。「答えがある問題」に限っては、AIは誰にでも使える有能な補助ツールになった。

 AIは「天才の代わり」にはならないが、「凡人が手に負えない場面」を確実に減らしてくれるわけだ。

 ただし、そこには難しさもある。

 精度の高い成果を求められる時代になったということは、「これさえできれば食べていける」という仕事のハードルが、どんどん底上げされていくことでもある。

 AIが代替できる仕事(文章の要約、定型メールの作成、データの整理など)は、コストの論理でいずれ人間から切り離されていく。凡人にとっての「普通の仕事」が、AIに飲み込まれていく。

 つまり「AIが凡人を楽にしてくれる」と「AIが凡人の仕事を奪う」は、同時進行の現象と言える。

 底上げと淘汰が、表裏一体で進んでいく。
それがAIのいちばん厄介で、いちばんおもしろいところだろう。

ひろゆきが考える「AI時代に生き残る人、消える人」。データ整理はAIで十分だけど“譲ってはいけない”大事なところ
『人生の正体 生きること、死ぬこと』(徳間書店)

騙される人はいまも昔も変わらない

 結局、AIはどうあつかえばいいのか?

 ハルシネーション(幻覚)を見過ごすリスクについて問題視している人もいる。ハルシネーションとは、AIが事実に基づかないフェイク情報を、あたかも真実であるかのようにもっともらしく出力する「誤情報生成現象」のことだ。

 でも僕は、騙される人が一定数いるのは、昔から変わらないと思っている。

 ちょっと前ならその犯人はテレビだった。もっと前なら本だった。さらに前なら宗教や占い師だった。いま、その延長線上にAIがいるにすぎない。

 騙されやすい人は何にでも騙されるのであり、世界の構造はあまり変わっていない。「AIはヤバい」「AIは危険だ」というのは一時の流行語のようなものである。

 危険なのはAIそのものではない。「AIが言ったから」という理由で思考停止に陥ることだ。誤った方向に導かれても疑問を呈さなくなることだ。


 占いの怖いところは「当たる/当たらない」よりも、「占いで言われたから別れた」「占いで言われたから会社を辞めた」といった決断が外部に奪われてしまう瞬間だろう。

 AIも同じで、「統計的にはこうです」というそれっぽい答えを、人生の岐路に立たされた人が鵜呑みにする恐れがある。そういう人が一定数いるかぎり、AIに騙される事件はなくならない。

僕がAIを使うケース

 だからこそ、AIとの付き合い方のコツは単純だ。

 答えがあるものに使う。そして、答えがないものはAIに求めない、という線引きだ。

「答えがあるもの」とは、たとえば計算や文章の要約、決まったルールの手続き、過去のデータの検索といったことだ。そうしたタスクにおいてAIはとても便利である。

 逆に「答えがないもの」、つまりあなたの人生の最適解とか、誰かの本音とか、未来に起きる出来事とか、そういうものはAIに聞くだけ無駄だ。

 回答があったとしても、それは「ネットの平均値」か「それっぽい物語」にすぎない。物語として読むぶんにはおもしろいかもしれない。でも人生の岐路に立たされたとき、どちらの道に進むべきかの手がかりにはなりえないのだ。


 僕はAIをあまり使わない。

 すでに答えを知っているものを探すときに利用する程度だ。「あの統計データの出典は何だっけ?」というような場面である。

 AIは面倒な検索のショートカットとして使える。僕にとってはそれ以上でも以下でもない。単なる家庭用便利グッズの1つだ。

 占い師に自分の人生を丸投げしないのと同じで、AIにも大事なところはゆだねるべきではないだろう。AIは使いどころさえ間違えなければ、人生を快適にしてくれる。<文/ひろゆき>

【ひろゆき】
西村博之(にしむらひろゆき)1976年、神奈川県生まれ。東京都・赤羽に移り住み、中央大学に進学後、在学中に米国・アーカンソー州に留学。1999年に開設した「2ちゃんねる」、2005年に就任した「ニコニコ動画」の元管理人。現在は英語圏最大の掲示板サイト「4chan」の管理人を務め、フランスに在住。
たまに日本にいる。週刊SPA!で10年以上連載を担当。新刊『賢い人が自然とやっている ズルい言いまわし』
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