日本代表が「バーレーンに最後に負けた試合」スタメンはこの11人
日本代表が「バーレーンに最後に負けた試合」スタメンはこの11人

31日に行われるAFCアジアカップ2023のラウンド16で日本代表が対戦するバーレーン。ここしばらくはアジアでもなかなか力を発揮できていなかったが、今大会ではグループEを首位で突破した。

なお、日本代表がバーレーンを相手に戦って最後に敗れたのが2009年の1月に行われたアジアカップ予選。敵地リファで前半24分にサルマン・イサのゴールを許し、そのまま0-1で敗北した。

今回はその時に岡田武史監督がスタメン起用した日本代表の11名を振り返ってみよう。

川島永嗣

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今年ジュビロ磐田に加入してJリーグに復帰した川島永嗣。40歳の大台に乗った彼が日本代表に初招集されたのは2007年であったが、川口能活楢崎正剛、都築龍太らが健在だったためにあまり出番が回ってこなかった。

しかしこの2009年には7試合に出場するなど徐々にポジションを掴み、2010年ワールドカップでは守護神として日本代表のゴールマウスを守った。

寺田周平

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今年から福島ユナイテッドFCの監督を務めることになった寺田周平。日本代表にデビューしたのが2008年5月のパラグアイ戦で、その時の年齢は32歳と339日という史上4番目の年長記録であった。

彼が日本代表でプレーしたのは2008年から2009年にかけての6試合で、残念ながらこの敗れたバーレーン戦が最後となった。

中澤佑二

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2008年のバーレーン戦の敗北も経験した中澤佑二。川口能活がレギュラーから降格したためにキャプテンマークを任され、この試合でもアームバンドを巻いていた。

なかなかパートナーが定まらなかったが、2008年から2009年にかけて田中マルクス闘莉王が台頭し、その結果2010年ワールドカップでは鉄壁のディフェンスラインが完成した。

長友佑都

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FC東京で本格的にプロデビューした2008年から日本代表に選出。岡田武史監督にすぐさま出番を与えられ、5月24日のコートジボワール戦でデビューし、勝利に貢献した。

このバーレーン戦は彼にとって日本代表で8試合目のプレー。その後2022年まで14年にわたって招集され、142cap4ゴールを記録している。

内田篤人

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現在は『DAZN』や各テレビなどで引っ張りだこになっている内田篤人。2006年に清水東高校から鹿島アントラーズに加入し、高卒でスタメンを奪取。Jリーグでも屈指の右サイドバックとして名を馳せ、2008年の1月に行われたキリンチャレンジカップで日本代表にデビューした。

岡田武史監督の下でレギュラーを確保し、2008年は14試合、2009年は13試合に出場するなど日本代表の中心選手として重要な役割を果たした。一方2010年のワールドカップでは戦術の変更もあってポジションを失い、出場機会を獲得できず。

稲本潤一

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中盤の一角で起用されたのは、この時期あまり日本代表での印象がない稲本潤一だった。2006年のワールドカップ以降あまり出場機会は多くなかったものの、2009年はバーレーン戦を含めて4試合でプレー。9月のガーナ戦ではゴールも決めている。

2010年ワールドカップでの戦いを終えてからは代表のユニフォームこそ着ていないものの、川崎フロンターレや北海道コンサドーレ札幌などで長くプレー。44歳の今も南葛SCで選手兼コーチとして現役を続けている。

中村憲剛

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中澤佑二とともに、この1年前のバーレーン戦にも先発出場した中村憲剛。2008年9月6日に行われたホームでのバーレーン戦ではゴールを決めて3-2の勝利に大きく貢献したが、ふたたびこの試合ではしてやられてしまった。

日本代表ではこの2009年と2010年で中心的な存在となり、岡田武史監督の下で数多くの試合に起用されていた。現在は解説者の他日本サッカー協会のロールモデルコーチとして活動。

本田圭佑

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この当時はまだVVVフェンローに所属していた本田圭佑。これ以前にも招集はされていたが、2008年は1試合しかプレーせず。

そのデビュー試合が奇しくも6月22日のバーレーン戦だった。

この試合では57番という珍しい背番号を付けてプレーし、63分に香川真司と途中交代している。

玉田圭司

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ジーコジャパン時代に活躍した印象が強い玉田圭司であるが、実は2008年から2010年の間にも主力として多くの試合にプレーしている。奇しくもこの1年前に0-1で敗れたバーレーン戦が1年8ヶ月ぶりのA代表復帰だった。

そして岡田武史監督の下でコンスタントに出場。ただ、2010年ワールドカップは守備的な戦術への変更もあって途中出場の2試合のみとなった。

田中達也

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アテネ五輪世代の快速ドリブラーとして知られた田中達也。浦和レッズアルビレックス新潟で長く活躍し、多くの怪我に悩まされながらも鋭い突破で多くのファンを魅了した。

日本代表では16試合で3ゴールという記録を持っており、2005年から2009年にかけて招集された。スタメンの機会はそれほど多くなかったが、この試合では82分に巻誠一郎と交代するまでプレーしている、

岡崎慎司

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第二次岡田ジャパンを象徴する選手の一人である岡崎慎司。2008年9月に日本代表へと初招集され、圧倒的な運動量とプレッシング、そして重要なところでゴールを取る勝負強さでインパクトを残した。

このバーレーン戦ではゴールを決めていないものの、2009年は日本代表に16試合出場してなんと15ゴール。岡崎慎司なくしてワールドカップ出場はなかったといっても過言ではなかった。