日本代表、“宿敵”オーストラリア戦で英雄となった6名
日本代表、“宿敵”オーストラリア戦で英雄となった6名

2026年ワールドカップ・アジア最終予選でオーストラリア代表と同組となった日本代表。

日本とオーストラリアは、オーストラリアがAFC(アジアサッカー連盟)に加盟した2006年以来ライバルとしてしのぎを削り、数々の名勝負を繰り広げてきた。

ここでは、過去のオーストラリア戦で英雄となった日本代表の選手たちをご紹介しよう。

三笘薫

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試合:
2022年ワールドカップ(カタール)・アジア最終予選 2-0〇(2021年3月24日)

前回の最終予選でオーストラリアを下し、7大会連続ワールドカップ出場を決めた日本代表。主役となったのが2得点を決めた三笘薫だった。

84分に投入された三笘はその4分後、MF守田英正との連携で右サイドを突破したDF山根視来の折り返しに飛び込んで先制ゴール。

新旧フロンターレの3人で均衡を破ると、後半アディショナルタイムにも左サイドから圧巻の個人技で相手選手3人を交わし、右足でゴールネットを揺らした。

これが代表2試合目の出場で当時はまだ控えだった三笘。しかしこのゴールをきっかけに急成長し、ワールドカップ本大会でも活躍することとなった。

高原直泰

日本代表、“宿敵”オーストラリア戦で英雄となった6名
日本代表、“宿敵”オーストラリア戦で英雄となった6名

試合:
2007年アジアカップ準々決勝 1-1 PK4-3〇(2007年7月21日)

2006年ワールドカップでオーストラリアに逆転負けを喫した日本にとって、文字通り“絶対に負けられない戦い”だったのがこの試合。

69分にセットプレーから先制を許してしまったが、72分、エースの高原直泰が相手DFを背負いながら振り向きざまに同点ゴールを突き刺した。

大会前のシーズン、ドイツ・ブンデスリーガで11得点を決めていた高原。所属するフランクフルトが難色が示すなか大会屈指のFWとして参戦し、宿敵相手の同点ゴールで国民を歓喜させた。

日本はこの後PK戦を制してリベンジに成功している。ただ準決勝でサウジアラビアに敗れてしまい、2000年、2004年に続く大会3連覇を逃すこととなった。

本田圭佑

日本代表、“宿敵”オーストラリア戦で英雄となった6名
日本代表、“宿敵”オーストラリア戦で英雄となった6名

試合:
2014年ワールドカップ(ブラジル)・アジア最終予選 1-1△(2013年6月4日)

ここ一番で必ず結果を残してきた本田圭佑は、オーストラリア戦でももちろんやってくれた。

引き分け以上で5大会連続ワールドカップ出場が決まるこの試合。日本は82分に失点を許す厳しい展開となったが、後半アディショナルタイムにPKを獲得し、本田がキッカーを務めた。

この日の埼玉スタジアム2002には6万2172人の大観衆が詰めかけ、PKの場面では緊張感も最高潮に。だが本田はこれを意にも介さず、最も難しいとされるど真ん中の上部にシュートを叩き込んだ。

とんねるずの石橋貴明さんはこの試合を観戦していたそうで、先日スポーツブルの番組で対談した際に「本田圭佑はふかさない!」とその決定力と強靭なメンタリティを称えていた。

李忠成

日本代表、“宿敵”オーストラリア戦で英雄となった6名
日本代表、“宿敵”オーストラリア戦で英雄となった6名

日付:2011年1月29日

試合:
2011年アジアカップ(カタール)決勝 1-0〇

韓国籍から帰化して日本代表入りした李忠成は、オーストラリア相手の一撃で日本の英雄となった。

カタールで行われた2011年アジアカップ決勝のオーストラリア戦。0-0という緊迫した展開のなか延長前半8分に投入された当時25歳のストライカーは、同後半4分に大仕事をやってのけた。

長友佑都が左サイドからクロスを供給。ファーサイドでフリーとなっていた李がこれを左足のジャンピングボレーで合わせると、シュートはものの見事にゴールへと突き刺さった。

「自分にはチャンスが必ず来ると信じていたし、『ヒーローになる』と思い続けていました」ーー李の決勝ゴールにより、日本は2大会ぶり4度目のアジア王者に輝いている。

浅野拓磨

日本代表、“宿敵”オーストラリア戦で英雄となった6名
日本代表、“宿敵”オーストラリア戦で英雄となった6名

試合:
2018年ワールドカップ(ロシア)・アジア最終予選 2-0〇(2017年8月31日)
2022年ワールドカップ(カタール)・アジア最終予選 2-1〇(2021年10月12日)

今回コンディション不良で招集外となったが、強い相手にこそ噛みつく日本のジャガーはオーストラリア相手にも真価を発揮してきた。

勝てばワールドカップ出場が決まるロシア大会の最終予選。浅野は41分に先制点を決め、2-0で勝利した日本は6大会連続での本大会出場を決めた。

前回・最終予選のホーム戦では、1-1で迎えた78分から交代出場。86分に放ったシュートから決勝点となるオウンゴールが生まれ、浅野が勝利の立役者となった。

当時の日本代表は不調でこの試合の結果次第では森保監督の解任も囁かれていた。浅野の一撃が広島時代からの恩師を救ったのである。

中田英寿

試合:
2001年コンフェデレーションズカップ(日本)準決勝 1-0〇(2001年6月7日)

猛烈な雷雨の中で行われた2001年コンフェデレーションズカップ準決勝。中田英寿が決めた決勝ゴールは語り草だろう。

当時ローマに所属した中田は大会期間中にセリエA優勝がかかる試合を控えていた。しかし条件付きで日本代表に合流し、この一戦にも強行出場することに。

0-0で迎えた43分、ゴール正面で得たフリーキック。中田が壁の下を狙い強烈なキックを放つと、シュートは相手選手の足に当たりゴールネットの天井部分に突き刺さった。

ピッチ状態を考慮した頭脳プレーにより、日本はA代表の世界大会で初の決勝進出。中田もすぐにイタリアへ戻り、日本人選手初となるスクデット獲得を成し遂げている。

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