
Jリーグの開幕が今月末に近づき、それぞれのクラブがそれに向けて急速に準備を進めている。
今回は、セレッソ大阪にこれまで所属してきたなかで「最強の外国人選手」を5名ピックアップしてみた。
マルキーニョス
‘94〜’96シーズンセレッソに在籍した #マルキーニョス 選手からFacebookでメッセージが届きました!
ありがとうございます
『サポーターの皆さん!
明日の大阪ダービーではぜひセレッソの勝利を期待しています。
コロナ禍ですが皆さんが健康でありますように。
みんなでこの困難を乗りこえましょう!』 pic.twitter.com/wDFeAXsdiQ
セレッソ大阪オフィシャル (@crz_official) May 1, 2021
生年月日:1966年5月9日
在籍年:1994~1996
1990年にはブラジル代表のメンバーとしてメキシコとの親善試合に出場した経験を持っているアタッカー。1994年に当時JFLを戦っていたセレッソ大阪に加入し、ゴールを量産してJリーグへの昇格に大きく貢献した。
さらにJリーグを初めて戦った1995年にもシーズン16ゴールを記録するなどクラブの黎明期で強烈なインパクトを残した。現社長の森島寛晃とのコンビネーションも抜群であった。
ジルマール
‘95〜’97シーズンセレッソに在籍した #ジルマール 選手からメッセージが届きました!
「私も数々の対戦をした偉大なる"大阪ダービー"。
遠い地よりサポーターの1人としファンの皆さんと一緒に応援しています。ピッチ内でも力を一つにし、みんなで早くこのコロナ禍を乗りこえられることを願っています」 https://t.co/Omd7aCENqk pic.twitter.com/CnP9hBO1zf
セレッソ大阪オフィシャル (@crz_official) May 2, 2021
生年月日:1959年1月13日
在籍年:1995~1997
出場機会こそなかったものの、1994年のワールドカップにブラジル代表のメンバーとして参加した名ゴールキーパー。1995年にフラメンゴからセレッソ大阪に加入し、初年度から守護神として目覚ましい活躍を見せた。
1997年に現役引退するまでセレッソ大阪でプレーし、Jリーグで80試合に出場したあとでスパイクを脱いだ。その後は代理人として選手をマネージメントしたり、ブラジル代表でジェネラルコーディネーターを務めたりと裏方に徹している。
ファン・ソンホン
生年月日:1968年7月14日
在籍年:1998~1999
セレッソ大阪で得点王に輝いた唯一の外国人ストライカー。韓国の大学を卒業してからドイツに渡った経験を持つストライカーは、浦項スティーラーズから1998年途中に加入した。
1年半の所属であったが、リーグ戦では36試合に出場して30ゴール。1999年は25試合で24ゴールを決め、Jリーグのトップスコアラーとなった。2000年からは柏レイソルでもプレーした。
キム・ジンヒョン
生年月日:1987年7月6日
在籍年:2009~

現在も所属している韓国代表GKキム・ジンヒョン。大学から練習生を経てセレッソ大阪に加入し、それから15年にわたって所属し続けてきたレジェンドである。
森島寛晃の記録を更新するクラブ史上最多出場数、外国籍選手としてのJ1最多出場数&100完封&単一クラブ最長在籍記録、歴代5位となる198試合連続出場、4回のJリーグ優秀選手賞などその数字はまさに圧倒的なもの。
ディエゴ・フォルラン

生年月日:1979年5月19日
在籍年:2014~2015
マンチェスター・ユナイテッドやビジャレアル、アトレティコ・マドリーなどでもプレーしたウルグアイ代表の名ストライカー。2014年にブラジルのインテルナシオナウからセレッソ大阪に加入し、鳴り物入りで迎えられた。
1年目でクラブはJ2に降格してしまい、2年目は途中で契約満了のため退団。ただそのプロとしての姿勢や行動は数多くの選手に大きな影響を与えたという。
正直に言えばピッチ上での印象がそれほど強くないため、バルデスやシンプリシオ、ソウザらと迷ったがそれでも彼が日本に来たときの盛り上がりはかなり大きなものだった。