アスリートが輝きを放つ瞬間、私たちは感動と興奮を覚え、時に涙を流す。その姿を永遠に残すため、カメラマンはファインダー越しにその一瞬を待つ。
9年前のあの日に見た姿。それは、優しさであり、強さだった。その生き様に見たものは、プロ意識の塊だった。サッカーをはじめ数多くのスポーツシーンを追い続けてきたカメラマン、高須力氏に、2011年3月12日の内田篤人を振り返ってもらった――。
(文・写真=高須力)
当たり前のことに気付かせてくれた、あの日の内田篤人
2011年3月12日。僕はシャルケのホームスタジアム、フェルティンス・アレーナにいた。この頃、恒例となっていた3月の欧州サッカー行脚の途中だったのだ。前日の朝、ドイツ在住のライター氏に「日本、ヤバいです!」とたたき起こされて知った東日本大震災。インターネットで見た映像にただぼうぜんとするしかなく、日本に残してきた家族に何もすることができない無力さに打ちひしがれていた。
そんな中で取材した試合がシャルケ対フランクフルトの一戦だった。
正直な話、試合の展開はほとんど覚えていない。
僕はこの姿を撮り逃している。僕がいた場所が悪かったのもあるけれど、走れば間に合うタイミングだった。いつもなら走っていたと思う。しかし、この時は取材はしていたけれど、どこか上の空で集中できていない自分がいた。どうしても走る気になれなかったのだ。そんなことは後にも先にもこの時だけだ。
しかし、ピッチを引き上げる彼の胸に記された言葉を見てハッとした。
そこには「がんばろう!」ではなく「共に生きよう!」と記されていた。彼の優しさが詰まった言葉の選び方だと思った。そして、さっき走らなかった自分を猛烈に後悔した。
僕はそれを届ける責任がある立場だ。そのためにその場にいたはずなのに、その責任を放棄してしまった。ハッキリ言ってカメラマン失格だ。そんな当たり前のことを、僕は彼のメッセージで気付かされたのだ。そして、撮らねばならない瞬間を撮り逃したカメラマンにできることは「猛烈に写真を撮りたいっ」という熱視線を送ることだけだった。僕の熱視線に気が付いたのかは定かではない。
「え、撮ってなかったの? しょうがないなぁ」
そんなふうに思っているように見えるのは僕だけだろうか。
<了>
PROFILE
高須力(たかす・つとむ)
1978年生まれ、東京出身。2002年より写真を始める。