2025年7月27日、台湾メディアの琅琅悦読は、「鬼滅の刃」の登場キャラクターの羽織や和服の柄にはどのような意味が込められているのか考察した記事を掲載した。
記事はまず、「竈門炭治郎(かまどたんじろう)の羽織の柄は黒と緑の市松模様である。
その上で、「市松は当時の人気スターであり、彼が『心中万年草』(別名『高野山心中』)という演目で粂之助(くめのすけ)役として格子柄の袴を着用したことから『市松模様』と呼ばれるようになり、今日に至るまで定着している。市松模様は上下左右に無限に連続できるため、子孫繁栄や商売繁盛の縁起の良い柄としても知られている」とし、「炭治郎の妹・禰豆子(ねずこ)の帯も市松模様であり、竈門家は多くの和服にこの柄を用いる習慣があるようだ」と考察した。
また、「竈門兄妹を追う鬼舞辻無惨(きぶつじむざん)は、上弦の陸・堕姫(だき)に対し、『禰豆子は麻の葉模様の着物に市松柄の帯の娘だ』と伝えた。禰豆子は幼少期から麻の葉模様の着物を着ていたとみられ、兄への思いやりからか、あるいは本心なのかは定かではないが、炭治郎が『また着物を直しているのか。買わないとダメだな、新しいのを』と言った際、禰豆子は『いいよいいよ大丈夫。この着物気に入ってるの』と断っていた」と紹介した。
そして、「麻の葉模様は、正六角形を中心に放射状に広がる星型の文様で、一定の規則に従って連続して配置される柄である。麻は成長が非常に早く、短期間で1メートルから3メートルにまで成長する。また日本には『麻の中の蓬(あさのなかのよもぎ)』ということわざがあり、『善良な人と交われば、自然に感化を受けて良くなる』という意味がある。このように、麻の葉模様は子どもの健やかな成長を願う象徴として、日本では古くから新生児の衣服にこの柄を用いる伝統がある」と説明した。
記事は続いて、我妻善逸(あがつまぜんいつ)の羽織の柄について、「育手である鳴柱・桑島慈悟郎(くわじまじごろう)と同じ柄で色違いである。三角形の柄は一見バラバラに見えるが、よく見るとすべて同じ方向を向いており、鱗文様に似ている。鱗文様は龍の鱗に由来し、子孫繁栄や厄除けの意味を持つ。善逸の師匠である慈悟郎は雷の呼吸の使い手であり、善逸自身も雷に打たれて金髪となった。彼らの雷との関係性から、羽織の柄は龍の鱗を象徴していると考えられる」と論じた。
水柱・富岡義勇(とみおかぎゆう)の羽織については「2種類の布を半分ずつ縫い合わせた片身替り(かたみがわり)と呼ばれる和服である。かつて布は貴重品であり、衣服が破れても簡単には捨てず、複数の古着の中から比較的状態の良い部分を選んでつなぎ合わせ、染め直して一着の衣服に仕立て直したり、破れた服を別の衣類に作り替えたりしていた。桃山時代以降、商人の台頭により華やかな桃山文化が花開いた。節約技術だった片身替りはファッション要素となり、能の衣装や陶器の文様にも用いられた。このように庶民の工夫が上流階級に取り入れられ、広まった過程は興味深い」と述べた。
そして、「義勇の羽織の左半分の柄は特に特徴的で、多くの立方体が重なり合ったような模様である。これは作者のオリジナル柄とされるが、亀甲紋の一種・重ね亀甲の変形と見ることもできる。
このほか、「蛇柱・伊黒小芭内(いぐろおばない)の羽織は黒と白の太いしま模様の好感が持てるデザインである。日本でもしま模様は広く親しまれており、しまの太さや色を変えて多様な柄が生み出された。日本語では縦しまを『ストライプ』、横しまを『ボーダー』と呼ぶが、英語では縦・横・斜めのどれもが『ストライプ』である。さらに『ボーダー』は本来『縁』や『境界』を意味する言葉であり、横しまの意味としては誤解を生む。キリスト教圏ではしま模様は不吉とされ、罪人や社会的に低い立場の人々の象徴と見なされていた」と言及した。
そして、「この点から、小芭内が幼少期に座敷牢に幽閉されていた過去が思い起こされる。