中国のSNS・小紅書(RED)に11日、10年ぶりの日本旅行の感想を17枚の写真と共につづった中国人男性の手記が掲載された。以下はその概要。
2015年の初めに東京を訪れ、その文明的で秩序ある様子に驚いた。(同年)8月には大阪を訪れ、社会の精緻を感じた。その後は、名古屋、岐阜、沖縄、神戸を巡った。そして今年、再び岡山と東京を訪れた。10年の時を経て比較すると、感慨もひとしおである。
日本の街は依然としてちり一つないほど清潔で、白い靴下で100歩歩いても、靴下の底は新品のように白い。バスは分単位で正確に来る。まるで都市全体が精密な時計のようである。スーパーでは果物一つひとつが完璧で、くしゃくしゃにした紙でごまかしたり、ラベルで傷んだ部分を隠したりすることはない。「誠実」という言葉は、口にせずとも人々の心に自然と宿っているのだ。
最も感銘を受けたのは「無言の信頼」である。婦人は手提げバッグを置いたまま物を買いに行き、子どもは親を心配させることなく一人で電車に乗って学校に行く。
日本がこれほどの国となったのは、一朝一夕の成果ではない。彼らは教育を重んじ、規則を守り、信用を大切にするからこそ、今日の社会があるのだ。私は経済の発展は表面的なものであり、文明レベルこそがその根本であると思っている。社会の進歩とは、高層ビルがいくつあるかではなく、人々が時間を守り、信用を守るかにかかっている。GDPの成長がどれだけ速いかではなく、人と人の間に基本的な信頼と尊重が存在するかにかかっているのだ。
日本の小さな飲食店では、(従業員の)高齢者が箸を一膳一膳丁寧に拭いている。街角では、子どもが自らごみを分別して捨てている様子が見られる。電車の中では、人々が静かに本を読む。
日本を発つ日に東京国立博物館を訪れた。小学生たちが整然と列を作り、押さず、揉めず、騒がず、乱れもなく、先生が大声で叱る必要もなく、合図一つで子どもたちは即座に理解して従っていた。この光景は私の心に深く刻まれ、長く落ち着きを取り戻せなかった。愛国心は誰にでもある。しかし、本当の愛国とは、目を閉じて耳を塞ぐことではなく、目を開いて世界を見つめ、他者の長所を取り入れて自分の短所を補うことである。
いつの日か、私たちの国が経済的に発展するだけでなく、社会もこのように文明的で調和の取れたものになってほしいと願う。いつの日か、私たちもあの「無言の信頼」を築き、同じく優れたものが社会の基本となる日が来てほしいと願う。10年は一瞬だ。この目で見たもの、感じたこと(をつづったの)は決して海外に媚びたいのではなく、心からそうなってほしいと願うから。