The 1975のシンガー、マシュー・ヒーリーは滞在するニューヨークのホテルのスイートルームでビニール袋を手に取り、この1時間で3本目のマリファナ・ジョイントに火をつけると、開け放した窓の外にその手を放り出した。「俺は人が酒を飲むのと同じで当然のようにハッパを吸う」と、ヒーリーは川の向こうに見えるジャージーの空を眺めながら、軽いマンチェスター訛りで話す。この26歳のシンガーは、爪を噛むことや携帯をチェックすること、煙草のチェーンスモーカーであること、自慰行為にふけることなどの他の衝動行為についてもぺらぺら話す。「じっとしていることができないんだ」と彼は述べる。「前は自分の仲間のことが大好きだと思っていたけれど、そうじゃなかった。ただドラッグをするのが好きなだけだった」。
ヒーリーが自身のバンドThe 1975のために書く曲は、絶望や人間関係の破綻、ヘロインへの一時的な興味といった類の問題をまとめた日記であり、そういったすべてをシンセサイザーや80年代のポップ・ファンクのグルーヴ、そして強烈なサビへと落とし込んでいる。
「正直言って、俺の精神はそれほど安定していない」と彼は話の途中で語る。「The 1975の世界を出て思い切って遠くに行こうとは思わない。ここでは俺を非難する人はいないし、安全だからね。アルバムを作れば、正直者だと褒められる。
ヒーリーは、The 1975をマムフォード&サンズ以来の英国大型新人バンドにさせるであろう、バンドのニュー・アルバム『君が寝てる姿が好きなんだ。なぜなら君はとても美しいのにそれに全く気がついていないから。』でさらに自由な発想力を爆発させている。このアルバムは初登場1位を獲得するにふさわしく、バンドは初の米国アリーナ・ツアーを今春実施する予定だ。ヒーリーの祖母の死について率直に歌うバラード『ナナ』から4分半にわたるインスト曲『プリーズ・ビー・ネイキッド』などと、アルバムの雰囲気はバラエティに富んでいる。ヒーリー自身に似て、このアルバムもまとまりがなく、疲れさせ、懺悔のようでもあり、無秩序なものだが、楽しさがたっぷりと詰まっている。「自分が見つけた素敵なものを拾い集めるのが好きなんだ」と、少し統合失調症的なバンドのサウンドについて彼は語る。「1分間でものすごい量のことを言及する能力を持って育った。毎週、学校に対して異なる感情を抱いていたよ。
「彼の興味はほんの一瞬しか続かない」とドラマーのジョージ・ダニエルはヒーリーについて説明する。「例えば、彼がビデオカメラとプロジェクターを持って来て、「見て、俺は映画を作っているんだ」と言って、皆「ああ、わかった」と答える。2週間後、彼はカメラの充電器を無くして、そのことを忘れてしまう。でも自分の仕事に集中している時はそんな性格のおかげですごい力を発揮する。オンの時もオフの時も中途半端にならないんだ」。
The 1975がエモ・バンドとして結成されたのは、2000年代前半のエモ・ジャンル全盛期である。
ヒーリー、ダニエル、ギタリストのアダム・ハンそしてベーシストのロス・マクドナルドは、イングランドのチェシャーにあるヒーリーの両親が所有する小屋で放課後の時間を過ごしていた。ヒーリーの両親は英国のホームコメディ番組のスターであるティム・ヒーリーとデニース・ウェルチだ(エレクトリック・ライト・オーケストラのリーダー、ジェフ・リンは家族ぐるみの友人のひとり)。バンドはウィルムスロー高校(後にワン・ダイレクションのハリー・スタイルズも同校へ通っていた)を卒業した後も行動を共にし、マネージャーのジェイミー・オボーンがアルバム・リリースの資金を自力で調達するまでは、ドライヴ・ライク・アイ・ドゥやザ・スローダウンなどとバンド名を変えながら、何年もレーベルにアプローチをかけていた。
The 1975は、2012年からの2年間で4枚のEPをリリースし、その過程で自分たちのサウンドを徹底的に見直した。そして、へヴィなギターやスクリーモのヴォーカルの代わりに、明るいキーボードの音色やマイケル・ジャクソン風のファルセットを採用することになった。
ヒーリーは自身の個性である奇抜さをビデオやステージで誇張し始めた。彼の言葉で言うところの「性的な理性を失った映画『シザーハンズ』のキャラ」という上半身裸でマイクを握る放蕩者に変身した。「脆さと攻撃的な自信のようなものが混ざっている。なよなよした感じもある」と彼は述べる。「自分のお尻や下腹部を回すのは完全に映画『ロッキー・ホラー・ショー』のイメージだよ」。ヒーリーは昔から挑発的な言葉遣いに長けていた。「学校での喧嘩ではよく性的な話を使ったよ。

The 1975は1年間で200回近くのショーを行い、バンドをツアー巡業に招いてくれたリアーナ(バンドはスケジュールが合わなかったため辞退せざるを得なかった)やヒーリーに作曲の依頼をしたワン・ダイレクションなどのファンを獲得した。テイラー・スウィフトもバンドのTシャツを着始め、彼女が何度かショーを見に来た後は、ゴシップ・サイトにスウィフトとヒーリーが交際しているという憶測まで出た。「本当に何もなかった」と彼は言う。「このことで、まだあまり覚悟ができていない世界を見せられた。起こるべき、起こるだろう出来事のひとつは、何よりもまず、自分のアルバムのことで話題にされることなんだ。誰かとデートした男としてではなくて」。
ポップ音楽界に対するヒーリーの不信感がバンドのニュー・アルバムの主要なテーマとなっている。退廃的なファンク・シングル『ラヴ・ミー』はハリウッドの偽の友情を非難した曲だ。「この曲は「仲良しグループ」的なこと全部、憧れの強い社会のヒエラルキーの上流階級について歌っている」と彼は述べる。
ヒーリーは自由な性格のせいでトラブルに見舞われたことがある。2014年、彼はISISとイスラム教の教義を一括りに考えているとしてTwitter上で非難を浴びた。ひとりのファンから批判を受けけると、彼は「ハリー・スタイルズ・ファンのアカウントから「教育を受ける」のは不愉快だ」と反撃した。2015年の夏、ロサンゼルスの人気スポット、ザ・ナイス・ガイでヒーリーが酔った姿を見て、ジャスティン・ビーバーがヒーリーとは誰なのか、そして誰が彼をここに入れたのかと率直に知りたがった。「俺は「くだばれ、ジャスティン・ビーバー、このクソ野郎」みたいなことを言った」とヒーリーは振り返る。最終的に彼は外に出てファンの一行とマリファナ用キセルを吸い、ゴシップ・サイトTMZで取り上げられた。「本当にバカだった。普段は絶対にこんな状況にはならないよ」と彼は言う。
ヒーリーはホテルのバーでデザートを食べながら、チャートに載るヒット曲を見渡し、彼らがどんなに浅はかなのか指摘するなど、今日のポップスターに対して辛辣な言葉で語る。「俺たちは自分たちのしていることを本当に大切にしているから、多くの人を不快に思っている。
2014年12月、ボストンのハウス・オブ・ブルースのステージでヒーリーは精神崩壊に陥った。彼は公演中泣き続けたのだ。すぐさまイギリスのメディアに報じられ、ひとりのファンがヒーリー愛していると叫んだ。「お前には俺を愛する資格がない。お前は俺のことを知らない。俺は君を愛しているが、俺を愛することはない」とヒーリーは怒鳴った。彼は今、この事件を「酒の飲みすぎとドラッグの多量摂取、そしてより有名になろうとしたこと」のせいであると説明する。「この時は若干、下降のスパイラルに陥っていた」と彼は補足する。「何ていうか「クソ食らえ。このキャラクターがほしいなら、お前にくれてやる。俺が叫びたいと思えば、叫べばいい」っていう感じ。本当の気ままさとはどんなものなのか見てみたかったのかな。本物の悲劇みたいに。実際に結構クールだった。俺はそれを楽しんだのだと思う」。最近は行儀よく振舞うよう努めていると主張するヒーリーは、コカインをこうバカにする。「神経衰弱を起こすのに手っ取り早い方法だけれど、酒を3杯飲むとすぐに……」。そしてコカインを鼻で吸う仕草を見せる。「結局これからも身近な存在だろうね」。
3週間後の2月26日金曜日、ニューヨークのロウアー・イースト・サイドのひどく寒い昼下がり、バンドのポップアップ・ショップが開かれるオーチャード・ストリート周辺に行列が延びている。ニュー・アルバムのアートワークで飾り付けられたこの店舗で、一日中バンドによるミート&グリートが実施されるのだ。ファンは前日の夜から並び始め、当日は1000人以上が訪れた。店の中では、ドラマーのダニエルがファンからプレゼントされたマリファナのビンのひとつを持ち、匂いを嗅いでいる。「今日は皆がこれをくれるんだよ」と彼は笑顔で言う。

集まった客のほとんどが女性だが、バンドは電話番号をこっそり渡したりはしなかった。「大半が15歳くらいだからね」とマクドナルドが冗談を言う。The 1975がファンのグループと会っている間も、オボーンはアルバム『君が寝てる姿が好きなんだ。』の初動売上げ枚数の最新情報をバンドに報告する。彼はバンドが37ヶ国で1位を獲得したという嬉しいニュースを伝え、アルバムの収録曲がヨルダンのチャートでトップ11位を独占していることにも言及する。「ヨルダン? すごいね」とダニエルが言い、「どこにある国なのか説明できないけど。アラブの国だよね?」とヒーリーが言い加える。
10分ごとに別のグループのファンが列のままやって来ては、来られなかった友達のためにサインや写真、ビデオ撮影をお願いする。涙が出るような話もたくさんある。最近離婚したばかりのある父親は、娘との結びつきを助けてくれたヒーリーに感謝の言葉を述べる。ヒーリーは以前、バンドの音楽のおかげで3度にわたるがんとの闘いを乗り越えることができたと話す少女にも出会った。「すごく力強いよ。たいていの場合は何を言うべきかよくわからない」。
ヒーリーはこういった多くのファンの名前を聞いて、一緒に写真を撮った人や撮れなかった人について記録をつけ、各割り当て時間が終わるとそれぞれのグループを送り出す。「皆を追い出すんだ。とんでもない子たちだよ」と、彼は呆れた表情でこう漏らす。午後4時ぴったりに、バンドは金切り声を上げるファンから猛スピードで逃げ切り待機するSUV車に乗って走り去り、涙を流す少女たちの下を後にする。彼らは2月28日にもロンドンで同様のイベントを実施する予定だが、ヒーリーは文句を言ったりはしない。これはまさに彼が望んできたことだからだ。「俺たちは自分たちの可能性を発揮する以外に特に目的はないからね」と彼は述べる。「俺は最新アルバムでもっとビッグなことを求めていた。もっとビッグで優れた存在になるためにあらゆる手段を取りたいと思った。だからこういうことも覚悟しているんだ」。
※米ローリングストーン誌1257号(2016年3月9日発売)より