プライベートジェットでのフライトを控えたカイリー・ジェンナーと会うことになっていたトラヴィス・スコットは、約束の時間に遅れそうで焦っていた。アクセルペダルを踏み込むと、愛車のランボルギーニSUVのスピードメーターは時速80マイルを指し、95をまわり、やがてヒューストン・ハイウェイの制限速度のちょうど倍である時速110マイルに達した。
当日は土砂降りで、渋滞につかまった前方のランドローバーは速度を落とし始めたが、左手でハンドルを握りつつ右手で携帯の地図アプリを操作しているスコットは、ブレーキをかけようとしない。200フィート先にあったランドローバーのリアバンパーは75フィート先に迫り、やがてその車間はわずか25フィートに達した。アクセルペダルからは足を離したものの、どういうわけか、スコットはブレーキを踏もうとしない。
感謝祭を目前に控えた日曜日、現在26歳のスコットは上機嫌だった。ヒューストンで生まれ育った彼が長年夢見ていた企画、アストロワールド・フェスティバルが大きな成功を収めたからだ。前日に開催された同イベントの舞台となったのは、彼が13歳の時に惜しまれつつ閉園した遊園地、アストロワールドの跡地だった。「アストロワールドが閉園した時、心にぽっかりと穴が空いたように感じた」。彼はそう話す。そのトリビュートの意味を込め、彼は観覧車とドロップタワー、そして回転ブランコをレンタルした。
会場に集まったキッズたちは絶叫し、手足をバタつかせ、モッシュピットで鼻血を流し、そして元々はスコットが自身の頭蓋骨の各部を投影する予定だったという「プラネタリウム」での幻惑的なプロジェクションを楽しんだ。バックステージでは、超タイトな黒のジャンプスーツに身を包んだジェンナーが、スコットとの間に生まれたばかりの娘、Stormiを抱きかかえて歩き回っていた。
レイ・シュリマーのスウェイ・リーは、ブラックライトに照らされたテント内に幼児ほどの大きさのシャンペンのボトルを持ち込んでいた。スコットのマネージャー曰く、当日ヒューストン・ロケッツとサクラメント・キングスの試合が行われていたトヨタセンターにいたジェームズ・ハーデン(ロケッツの所属選手)から連絡があり、彼がライブに間に合うようスコットの出演時間を遅らせられないかと打診されたという。その要望は聞き入れられなかったが、当日ロケッツは勝利を収め、試合終了後に駆け付けたハーデンは「シッコ・モード」を生で聴くことができて満足だったという。
ヒューストン市公認の「アストロワールド・デイ」
キャリア史上最大のヒットとなった「シッコ・モード」が、一般的なシングル曲とはかけ離れたものでありながら、何週間にもわたって第2位にとどまった(12月上旬には1位となった)ことは快挙といえる。同曲にはコーラスやフックがなく、あえて唐突にしているトランジションによって複数のビートが結び付けられている。冒頭のドレイクのヴァースは60秒が過ぎたところで突如カットされ、直後にそのビートは元の軌道に戻る。
同曲を収録した3rdアルバム『アストロワールド』はプラチナムを記録し、スコットはドレイク以降のヒップホップ界における最大のスターとなった。ノスタルジックで、絶望と快楽が調合されたような同作は、きらびやかな幻想をいずれ消えゆくと知りながら追いかけるスリルを描く。彼の音楽が若いリスナーたちに支持されているのは、その世界観が現在のアメリカに漂うムードと重なるからだろう(スコットが『エレンの部屋』に出演した際に、エレン・デジェネレスは彼を「若者たちの代弁者」と形容した)。

トラヴィス・スコットが表紙を飾ったローリングストーン誌1323号の表紙
パリ発の高級ブランドを身につけた愛犬(人の言葉を理解するという)について歌った21サヴェージ、幽玄なハーモニカソロを披露したスティーヴィー・ワンダー、スモーキーなギターを聴かせるテーム・インパラのケヴィン・パーカー等、同作には豪華ゲストが多数参加している。スコットのドラッギーで低音の効いた、デジタルに歪んだフロウが異なる才能を結びつけた本作は、リスナーをグレースケールの万華鏡を思わせるサイケデリックなトリップへと誘う。
トラヴィス・スコットことジャック・ウェブスターは現在、多くの時間をロサンゼルスで過ごしているが、『アストロワールド』は故郷へ寄せる思いが生んだアルバムだ。そして今日、彼の功績が正式な形で認められることになった。ヒューストン市の市長シルベスター・ターナーは、11月18日を”アストロワールド・デイ”として定めることを決定し、シティホールで開催されるその制定式にスコットを招待した。
ターナーの部下によると、市長は午後0時30分開始予定のセレモニーでスコットに会うために、貿易関連の会合で訪れていたニューデリーおよびムンバイから飛行機で戻って来たという。しかし午後0時35分の時点で、スコットが車で45分ほど離れた郊外の町にある自宅にいると知らされると、ターナー市長は露骨に顔をしかめた。それでもスコットが到着するやいなや、市長は笑顔で彼とハグを交わした。招待されていた子どもたちから写真攻めにあっていたスコットは、その一人ひとりに「大きくなったら、好きなことを全部形にするんだ」と語りかけていた。
スコットとジェンナーの出会い
スコットとジェンナーの交際は2017年4月から始まった。コーチェラでスコットに恋をしたジェンナーは、そのまま彼のツアーに同行し、彼もまた彼女に夢中になっていった。出会ってから数週間が経った5月上旬のある日、ジェンナーは彼の子どもをお腹に宿し、2018年2月に生まれた娘はStormiと名付けられた。「最初は男の子だったらいいなと思ってたんだ」。彼はそう話す。「だから女の子だって知った時、正直ちょっとがっかりした。でもしばらくして、そんなことはどうだっていいって気づいたんだ。Stormiが生まれた時、人生で味わったことのない喜びを感じたよ」
ジェンナーは今日、自身が運営する化粧品ブランドのプロモーションでヒューストンに来ていた。彼女は電話越しに、なるべく早くプライベートジェットで発ちたいと彼に伝えた。スコットの携帯電話が示した待ち合わせ場所までの所要時間は31分だったが、彼は「あと10分で着くよ」と言って電話を切った。
助手席に座っていた筆者が、ランボルギーニのエアバッグの感触はどんなだろうと想像した瞬間、スコットはハンドルを鋭く左に切り、車間5フィートのところで衝突を回避した。それが高級イタリア車の優れたエンジニアリング技術によるものなのか、スコットが吸い続けているハイブリッド大麻によって研ぎ澄まされた反射神経のおかげなのかは不明だ。いずれにせよ、我々は無事に待ち合わせ場所だったBest Buyの駐車場に到着し、運転手付きのエスカレードの中央でスコットを待っていたジェンナーと合流した。彼女はピンクのシルクのパンツスーツ姿だ(Stormiはベビーシッターに預けられていた)。
「ハーイ」。ジェンナーは笑顔で出迎えた。彼がエスカレードに乗り込むと、ボディガードがスモークばりのガラス越しにペペローニピザの箱を2つ手渡した。トラヴィス・スコットにとって、この1年はこれまでの人生で最も充実した1年であり、今日もまたその素晴らしい時間の一部だった。
ジェンナーと別れた後、彼は決して恵まれているとは言えなかった幼少期を過ごした場所を、筆者のために案内してくれるという。ランボルギーニのハンドルを握ったまま、彼は電話をかけた。「おばあちゃん、今家にいる? もうすぐ着くから」。
そこには他に2台の車が駐まっていた。給油ポンプのそばにあるサビが目立つビュイック・センチュリー、そして端に寄せられた日産セントラだ。ランボルギーニはただでさえ目立つが、スコットの愛車のドアには「Lamborgini」の筆記体ロゴを地面に煌々と映し出す小型プロジェクターが取り付けられている。マットブラックのメルセデスで常に我々の後ろにつけているスコットのボディガードは、片時も彼のそばを離れない。「よぉトラヴィス、写真を撮らせてくれよ。俺も曲を作ってるんだ。」室内用スリッパ姿で水たまりの上に立ったある若者はそう語りかけ、携帯のカメラを起動させた。

Photo by Dana Scruggs for Rolling Stone
お気に入りのマリファナたばこを切らしていたスコットは、スタンド内のショップに入った。「Backwoodsをくれ。
筆者の真後ろに座ったWhite Trash Tylerの隣にいるのはスコットの高校の同級生であり、フォートワースで足治療医として開業したばかりのネイトだ。「こいつを知らないやつはいなかったよ」。彼は高校時代のスコットについてそう話す。「フリースタイルを披露したり、おどけてみせたり、カフェテリアでランチをとってるやつらを片っ端からやりこめたりね。思ったことをはっきりと口にする、愉快なキャラさ」
生活苦だったスコット家の問題とは?
そういった明るいイメージとは裏腹に、スコットの家庭は様々な問題を抱えていたという。2005年頃に父親がミュージシャンになるべく仕事を辞めて以来、AT&Tストアで携帯電話のセールスを担当していた母親(現在も勤めている)が一家の大黒柱となった。「親父は仕事を一方的に辞めちまったんだ、引退するって言ってさ。それ以来、生活は苦しくなった」。スコットは淡々とそう話す。
「貧しい暮らしをしてた。母さんは足を曲げることができなくてね。俺が物心ついて以来、母さんはずっと松葉杖を使ってる。症状を緩和するための薬をもらってたけど、そのせいで身体の他の部分を悪くしたんだ。心臓発作を起こしたこともある。若い頃自転車に乗ったまま、誤って側溝に落っこちたらしいんだ。そんな状態でありながら、母さんは俺たち兄妹や父さんを養ってくれて、俺のやりたいようにやらせてくれた。たくましい女性さ。何があっても挫けない強さを、俺は母さんから学んだんだ」
定職に就こうとしない父親が原因で、家庭内の空気が張りつめていた時期もあった。「いつもギスギスしてた」。スコットは苛立った様子でそう話す。「当時俺たちはよく揉めてた。俺は部屋で曲を作ってて、親父は地下室にこもってた。『うるさいぞ! 今レコーディング中なんだ!』『うるせぇのはそっちだ! 俺はビートを作ってんだよ!』みたいな感じでさ」(現在は2人の関係は良好であり、スコットはこう話している「俺の尊大さはポップ・デュークス譲りさ」)

子どもの頃のトラヴィス・スコットとドラマーでもある彼の父親
スコットが音楽に真剣になったのは高校生の頃だった。現在OGチェスの名でラップをしているジェイソン・エリックと組んだいくつかのグループで、スコットはラップとプロデュースの両方を担当した。現在の彼のスタイルに比べると、当時の音楽性はよりアッパーだった。スコットはテキサス大学サンアントニオ校に通っていたが、母親からもらったお金の大半は機材か、あるいはニューヨークとロサンゼルス行きの飛行機代に費やされていた。両都市では知人の家で寝泊りしながら、業界関係者とのコネクションを作ろうと奔走していたという。
彼はカニエ・ウェストの複数のアルバムでエンジニアとしてクレジットされているAnthony Kilhofferに目をつけ、彼の連絡先を突き止めてメールを送った。彼の曲を何曲か聴いたKilhofferは、ハリウッドのアメーバ・レコードの向かいにあるCoffee Beanでスコットと会い、それ以降2人は時折連絡を取り合うようになった。その後もビートメイキングを続けていたスコットは数年後、ついに巡ってきた大きなチャンスをものにすべくニューヨークに飛んだ。
Kilhofferから紹介されたカニエ・ウェストはスコットの手腕を高く評価し、G.O.O.D. Musicのショーケース的なアルバム『クルーエル・サマー』への参加を打診した。同時期にカニエとのプロダクション契約を結んだスコットは、その後彼の評判を耳にしたT.I.とも同様の契約を交わしている。ほどなくしてスコットは、ウェストの『イーザス』、そしてジェイ・Zの『マグナ・カルタ…ホーリー・グレイル』にプロダクション面で参加する。2015年に発表した自身のデビュー作『ロデオ』はポップチャートで第3位を記録し、現在ではプラチナディスクに認定されている。
自閉症の兄について
Sealieが住む質素な1階建ての家の前に着くと、コーンロウにカーキ色の服という出で立ちで手にシャワーポールを持った若者が、通りの向かいの芝生の上に駐車された複数の車の間を縫って歩み寄ってきた。彼の名はDeshon、スコットの従兄弟だ。「こいつは正真正銘のギャングスタだ」。そう話すスコットは、すぐ近くの家を指して笑ってみせる。「こいつらはかなりのワルで、あらゆる悪事に手を染めてた。あの家を拠点にしてクラックを売りさばいたりな。俺ん家の芝刈り機を盗んでったこともあった。あの家から出てくるやつは、どいつもこいつもまるでゾンビだった。このエリアはかなりヤバかったんだよ」
Deshonを交えて腰を落ち着けたSealieの家のリビングには、金属製のフレームに収められた家族写真が飾られており、テーブル上にはプラスチック製の白いミシンが置かれていた。「行きたかったんだけどね」。昨日開催されたフェスについて、彼女はそう話した。「ばあちゃんは嘘ばっかりつくからなぁ」。スコットは反論してみせる。「たまにはギャングみたいにいこうよ!」。その呼びかけに、彼女は笑顔でこう答えた「ギャングみたいにって、どんなかしら?」
トラヴィスの叔父Lawalia Floodが招き入れてくれた彼の寝室は、壁一面が機材で埋め尽くされ、別の壁にはR&BトリオH-Townの1993年作『Fever For Da Flavor』のプラチナ認定ディスクが飾られていた。100万枚以上を売り上げた同作で、Floodはその手腕を発揮している。スコットは生まれてから約8年間、両親と兄のMarcusと共にこの家で暮らしていたという(また彼には10代の弟妹が2人いる)。彼の家系には音楽家が多く、Sealieの夫はジャズのミュージシャンであり、スコットの父親はドラマーだった。また彼のステージネームは、ベーシストだった別の叔父トラヴィスにちなんでいる。
少し前、スコットは富裕層が多く住むヒューストン郊外に家を購入し、両親にプレゼントした。彼はSealieにも同じことをするつもりだったが、彼女はこの家を出るつもりはないという。また自閉症をわずらう兄Marcusは、フルタイムのアシスタントと共に暮らしている。スコットがメディアの前でMarcusについて語ることはほとんどないが、初期の曲「アナログ」では彼に対する思いを率直に綴っている。
<夜遅く、世話役がいない状況で、兄が不調を訴える / その瞳を覗き込んだら、まるで彼の魂に触れたように感じた / 彼が何を感じているのか、俺は決して理解できないだろう>
スコットはこう話す。「彼は歩けるし、シャワーだって一人で浴びられる。けど、思っていることを言葉で他人に伝えることはできないんだ」。スコットの同級生のネイトはこう続ける。「心ここに在らずっていうか、何か他のことに夢中になってるみたいなんだ」。さらにスコットが付け加える。「でも彼は絵が上手い。以前はパワーレンジャーズをよく描いてて、ディティールへのこだわりに驚かされたよ。クレヨンでさ、トレースなんかまったくないんだ。彼が好きなのは絵を描くことと映画、それにビヨンセだ。毎年クリスマスには、俺はビヨンセのCDを彼にプレゼントしてた。彼女が作品を出さなかった年は、古いやつを買い直すんだ」

Photo by Dana Scruggs for Rolling Stone
彼はしばらくの間沈黙し、再び口を開いた。「時々、兄貴はかんしゃくを起こすんだよ。真夜中に大声で騒ぎ出して、寝てる俺に飛びかかってくることもある。俺はなんとかなだめようとするんだけど、わかってもらえなくてさ。でも、兄貴だからな」。そう話す彼はいつになく感傷的になっている様子だった。彼はライブでファンを頻繁にステージに上げるが、そのアイデアは兄とのやりとりから思いついたという。「大好きなアーティストのライブでステージに上げてもらったら、兄貴は死ぬほど喜ぶと思う。だから俺はファンに同じことをするんだ。俺はいつもMarcusのことを考えてるんだよ」
「引きこもりの黒人が多い状況を変えたい」
スコットがマリファナを吸いたがったため、我々は外に出た。駐車スペースに置いてあった黒い鉄製の椅子に腰掛けたDeshonは、近所で最近起きたことについて話し始めた。「あそこの家の双子、片方が死んだんだ……あの家の子はゲイになったらしくて、その相手があそこに住んでる……ムショにいるHarold、12月に出てくるってよ」。外は小雨に変わっていたが、通りに人気は無かった。天気がいい時はもう少し活気があるのかと尋ねると、スコットは首を横に振った。「最近の子どもはiPadとかに夢中で、外で遊んだりしないんだよ。アストロワールド・フェスティバルは、そういう状況を変えたいっていう思いから生まれたんだ。今は引きこもりの黒人が多すぎるからな。Stormiには一切TVを見せないようにしてる。あれはマジで有害だから」
もうすぐ84歳になるSealieの家の前には、彼女が大切にしているという小さな花壇がある。以前は裏庭でより多くの花を育てていたが、2017年にアメリカを襲ったストーム”Harvey”によって、花壇は台無しになってしまったという。Deshonはスコットのランボルギーニを前にして、昨日のアストロワールド・フェスティバルはどうだったかと尋ねた。郵便局に勤める彼は早朝4時に出勤しなければならないため、フェスへの参加は諦めたのだという。残念でしたねと筆者が伝えると、彼は肩をすくめてこういった。「文句はないよ。金のためだから仕方ねぇさ」。出発前に、スコットはSealieと気持ちのこもったハグを交わした。「感謝祭には帰ってくるのかい?」というSealieの問いに、彼はこう答えた。「何とかするつもりだよ」。当日、彼はロサンゼルスでカーダシアン家と過ごし、その後テキサスに戻ってくる予定だという。「ところでさ」。彼はこう続けた。「俺の専属シェフの作るスパゲッティが、おばあちゃんの味と全く一緒なんだ。もしかしてさ、ソースに砂糖入れてる?」
Sealieは笑顔を浮かべ、首を横に振ってこう言った。「ただのケチャップよ」
再びスコットの愛車に乗り込んだ我々は、彼が昔通っていたSoutheast Community Churchに向かっていた。マリファナをネイトに手渡し、彼はこう言った。「持っといてくれ。教会で吸うわけにはいかないからな」。信心深いところは、スコットとカイリー・ジェンナーに共通する点のひとつだ。「俺たちは神を信じてるんだ」。そう話す彼は、彼女の妊娠が発覚した時の思いについてこう語る。「神様からの贈り物だって思ったよ。お互いが忙しくなるたびに、子どもが欲しいなって話してたから」
彼は2人が固い絆で結ばれていて、関係が急速に発展したことは何も問題ないと強調する。「お互い若いし、最初のうちは軽い気持ちで付き合ってたんだ。最初の1週間なんかは、それが恋なのかどうかもあやふやだった。でもその次の週になっても気持ちは冷めなかったし、2人でいると話題が尽きなかった。そうするうちに確信に変わっていったんだ、彼女こそが運命の人だってね」。彼はこう付け加える。「近いうちに結婚するつもりさ。今はプロポーズについて考えてる、とびっきりのやつをね」

左からトラヴィス・スコット、カイル・ジェンナー。(Photo by Ronald Martinez/Getty Images)
スコットは世間が彼女のことを誤解していると話す。「彼女がどれだけリアルでクールか、世間はまるでわかってない。みんな彼女のイメージを勝手にこしらえて、いい加減なことばかり言ってる。見当違いもいいとこさ」。出会ったばかりの頃は、お互いの好きな映画と監督の話題に花を咲かせたという。「彼女はティム・バートンやウェス・アンダーソンのファンなんだ。センスいいだろ」。しかし彼が最も惹かれたのは、彼女の「緩さ」だったという。「俺は気楽に歩き回るのが好きなんだ。彼女は有名人だから運転手に送り迎えさせたり、ボディガードを15人くらいつけてるように思われてるけど、俺たち普通に2人で出歩いてるんだよ」
彼はプライバシーを重視しているという。「俺はカメラが嫌いだし、いかにもって感じの業界人も好きじゃない。この世界の住人になるってことは、プライバシーを放棄することにもなりかねない。勝手に書かれた記事をあちこちで目にするけど、彼女はいたって普通だよ。彼女が何を大切にしているかを俺は知ってるし、それは世間のイメージとはまるでかけ離れてる。彼女は世界一クールな女性さ」
いずれ義兄となるカニエに忠告
一児の親であることについて、彼はこう話す。「俺たちはStormiと過ごす時間を、何よりも優先しているつもりだよ。土曜日は丸一日彼女と過ごす。誰の誘いにも乗らない。俺がツアーに出るときは、彼女も一緒に連れていく。彼女のパスポートはすぐにスタンプだらけになるだろうな」。彼女が今お気に入りの曲は「サメの家族」、そしてスコットの「スターゲイジング」だという。「あと彼女はサーモスタットが好きみたいだ。クルクル回るNestのやつさ。不思議だよな」
かつて師と崇め、もうすぐ義兄となる予定のカニエ・ウェストがトランプ大統領の支持を表明した時、彼はどう感じていたのだろうか? 「さぁ、どうだろうな」とスコットはあからさまに苦笑しながらそう話す。これがデリケートなトピックであることを承知しているのだろう。
「こう言ってやったよ。『ブラザー、しっかりしてくれよ。あんたは黒人の子どもたちのロールモデルなんだ。あんたの昔の曲が発してたメッセージに感銘を受けたやつらは、そんなカニエ・ウエストを見たくないはずだ』ってな。あれはやっぱり……わかるだろ、イェはやると決めたらとことんやるんだ。あの赤い帽子、あるいはあのアホのことを気に入ったのかもな。イェは今、いろんな困難に直面してる。彼は俺のブラザーだ、悪く言うつもりなんかない。誰だって、多かれ少なかれ問題を抱えてるもんさ。彼がドープなミュージシャンだってことには変わりないけどな。とにかくその件で彼と話したことは事実で、俺はこう伝えたんだ。『あんたのことを尊敬してるキッズたちを失望させないでくれよ』って」
Sealieの家を出た後、スコットの一家はより裕福な郊外の街、ミズーリシティに移り住んだ。我々を乗せたランボルギーニは、スコットの当時の友人の1人が住んでいた大きな家に向かっていた。「あのトラック、まだ使ってんのかよ」、スコットはそう声を上げる。「ガレージのドアが開いてるな」。彼がそう言って車を停めると、50代と思しき白人の夫婦(ミスター&ミセス Aと呼ぶことにする)がそこから現れ、小雨が降る中スコットとハグを交わした。
案内された室内には2台のアームチェアがあり、その向かいにあるフラットスクリーンのテレビではイーグルス対セインツ戦を放送中だった。Stormiの写真が見たいというミセスAの要望に応える形で、スコットは携帯でジェンナーのInstagramのページを開いていた。今朝彼女が投稿したばかりのビデオでは、ジェンナーがStormiに自身のコスメティックブランドの名前を喋らせようとしていた。その試みはうまくいかなかったようだが、Stormiはカメラにむかって「ダァ、ダァ」と繰り返していた。スコットはその様子をミセスAに見せながら、「今の聞いた?」と誇らしげに話していた。

Photo by Dana Scruggs for Rolling Stone
スコットと彼らの息子が高校生だった頃、2人はそこでマリファナを吸わせてもらっていたという。わざとらしく口を両手で覆いながら、ミセスAはこうおどけてみせる。「なかなかの上物があるから、欲しかったらあげるわよ」
スコットはニヤリと笑い、こう答えた。「はは、今日は遠慮しとくよ。そっちは事足りてるんだ」
ヒューストンに構えた豪邸の内部
再び勢いを増した雨の中、スコットのランボルギーニはヒューストンの北東側の郊外にある現在の自宅へと向かっていた。彼は数年前に、9600平方フィートを誇るその豪邸を約200万ドルで購入したと言われている。途中でジェンナーからFaceTimeコールがあり、画面にはプライベートジェット機内でカメラを興味深そうに見つめるStormiが映っていた。「ご機嫌だな。ヘイ、ベイビー!」。スコットはそう語りかける。「カリフォルニアに帰っちゃうのかい? わかってる、本当はテキサスにいたいんだろ?」。Stormiがはしゃぐ姿をしばらくの間見せた後、ジェンナーは「じゃあね」と言って電話を切った。「あの表情を見たかい?」。スコットはうれしそうにそう話す。
彼の自宅に到着した我々は、玄関で靴を脱いだ。白の大理石の床は土足厳禁だ。スコットは筆者を、2階のベッドルームに案内してくれた。室内には『マッド・マックス』や『ゼイリヴ』等、古い名作SFのポスターが一面に貼られていた。「俺は映画が大好きなんだ」スコットはそう話す。寝室に入ると彼はしゃがみ、ドアの隣にある缶ジュースの自販機のコンセントを差し込んだ。無造作なままにしてあるベッドの上には、マルチカラーのウォーホルのモチーフをあしらったスケートボードが幾つも飾られている。
バスルームのシンクの脇には数千ドルはあると思われる20ドル札の束があり、テーブルの上にはそれを上回る額の100ドル札が平積みされていた。ルイ・ヴィトンのモノグラムのキャリーケースの中には、光を反射している高級腕時計が見える。中でもとりわけ目を引くのは、ダイヤルに地球のイラストがあしらわれ、ベネズエラのカラカスやモロッコのリアドなど各大都市の現在時刻がわかる、パテック・フィリップのワールドタイムだ。その数フィート先には、ターミネーター2とザ・シンプソンズのアーケードゲームが置かれている。筆者が懐かしいと口にすると、スコットはこう話した。「子どもの頃、これ以上に欲しいものなんてなかったからな」
ここにあるのは、彼の中の子ども心をくすぐるものばかりだ。しかし彼は父親になったことで、2年前にはまるで関心がなかったことを気にかけるようになったと話す。政治や温暖化現象はそのひとつであり、後者については特に危機感を覚えているという。「マジでさ、この問題を解決するために、今の俺たちに何ができるのかを真剣に考えるべきだと思う。父親になると、それまで気にも留めなかったことに関心が出てくるんだよ」
彼が考えているのは、遠い未来のことばかりではない。彼は現在ツアー中だが、曲作りは継続しているという。「俺はいつだって曲を書いてる」。彼はそう話す。『アストロワールド』に続く次回作では、プロモーションの一環として舞台を企画することを検討しているという。アストロワールド・フェスティバルを毎年恒例のイベントにすることも計画のひとつだ。さらに彼はハーバード大学の大学院で建築について学び、自宅を彼の思い通りに改築することを考えているという。天井まで届く本棚はその一例だ。
「見てな」。そう言って彼が本棚を手前に引くと、彼が寝床にしている小部屋が現れた。床一面に敷かれたカーペット、ライマメの形をしたソファやオットマン、そして写真フレームなど、そこに置いてある家具の大半は人工芝で覆われている。「グリーンハウスって呼んでるんだ」。スコットはげらげら笑いながらそう話す。その直後、彼は筆者を残して部屋を出ていった。ミーゴスのオフセットに電話をかけ、コラボレーションについて話し合うことになっているのだという。外を見ると、雨はいつの間にかやんでいた。現在ヒューストンは午後7時、リアドは午前4時、アストロワールドの時計は何時を示しているのだろうか。筆者を外へと連れ出し、スコットはグリーンハウスの扉を閉めた。