1969年1月と4月の手紙は、どちらも同年3月にポール・マッカートニーと結婚することになるリンダ・イーストマンの父リーと兄ジョン・イーストマンに宛てられたものだ。
2枚の手紙を出品しているのは、著名人のサインや手紙などを扱うオークションディーラーの米モーメンツ・イン・タイムだ。1969年1月の手紙の価格が22万5000ドル(およそ2千400万円)なのに対し、1969年4月の手紙の希望価格は32万5000ドル(およそ3千600万円)である。
ビートルズのメンバー4人だけでなく、アップル・コアのトップ、ニール・アスピノールも1969年1月の手紙に直筆で署名し、ジョン・イーストマンに対して「提案されたすべての契約に対し、我々の代理人として交渉する権限を有することを認め、これを保持するものとする」と伝えている。
しかしその3カ月後、ジョン・レノン、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スターは直筆で署名した手紙をリー・イーストマンに送り、職務上の関係を断ち切った。ビートルズの3人がローリング・ストーンズのマネージャー、アラン・クレインと手を組む一方、マッカートニーは義父と義理の兄のもとに残ったのだ。
「本通知は、貴殿がザ・ビートルズ、またはザ・ビートルズが所有、あるいは統括するすべての企業において弁護士または法定代理人を務める権限を有さないことを通告するものである」と1969年4月の手紙は記した。「我々も認める通り、ポール・マッカートニー個人の代理人である貴殿に対し、この点においてのみ我々の代理人が可能な限り協力するよう指示する」
1969年4月の手紙は、ビートルズ瓦解との時期的な近さゆえに「別れの手紙」と命名され、2005年にオークション大手クリスティーズで競売にかけられた。2005年のオークションでは、1969年4月の手紙はおよそ6万3000ドルにあたる4万8000ポンド(およそ690万円)という金額で個人のコレクターが落札した。
1969年4月の手紙