ニューヨークのレインボールームのセンターステージにジョー・ウォルシュが登場したのは、霧に煙る秋のある夜だった。彼の手にギターはない。そして、彼は誰もが隠したがる問題を告白した。「俺はジョー、アルコール中毒だ」と。もちろん、これは会場の観客を和ませるための冗談だが、着席しているスーツ姿の男性客ときらびやかなドレスをまとった女性客に、依存症が対岸の火事でも、暗い過去の出来事でもないことを印象づける目的もあった。しかし、彼の冗談めいたスピーチとは裏腹に、この問題はアメリカ国内4500万以上の家庭を脅かす悪霊でもある。マディソン・スクエア・ガーデンをソールドアウトにするアーティストも例外ではない。
71歳になったイーグルスのギタリストは、このとき「アルコールから開放」されて25年を迎えていた。この夜、ウォルシュは依存症更生コミュニティにおける活動を認められて最高位のヒューマニタリアン賞を授与された。これはNPO団体Facing Addiction(依存症と向き合うの意)とNational Council on Alcoholism and Drug Dependence(NCADD:アルコール依存と薬物依存の評議会の意)が共同で授与した賞だ。ウォルシュの妻であるマージョリー・バックもこの受賞式で夫の背後に立ち、夫が冗談を述べている間もナプキンで喜びの涙を拭っていた。バック自身も素面になって27年が経つ。
この夜、派手な世界で生きる才能に溢れた人々の依存症の更生経験談が数多く語られ、彼らは依存という狡猾な怪物との戦いの大変さを認めた。そしてステージは、カントリーのシンガーソングライター、ヴィンス・ギル、ドゥービーブラザーズのマイケル・マクドナルド、ブッチ・ウォーカーが引率するオールスター・トリビュート・コンサートへとなだれ込んだ。彼らは「テイク・イット・トゥ・ザ・リミット」や「この人生に賭けて」などでおなじみのウォルシュのリフをプレイに入れ込みながら、ロックなライブを披露した。61歳のギルは途中でイーグルスと一緒に演奏するシュールな喜びについて語る一方で、自分の兄が若い頃にアルコール依存症に負ける姿を見たときの痛みについても語った。25年以上前の話だとギルは前置きしたが、「ロッキー・マウンテン・ウェイ」を演奏し始めて、ここでイーグルスのウォルシュと一緒に演奏することがギルの子供の頃からの夢の実現というだけでなく、長い間開いていた傷口の痛みを和らげる効果もあったことが見て取れたのである。
ウォルシュにとっての最後のリハビリとなった1995年のリハビリ施設入所後、彼は人生をやり直すためにギターをあきらめるしかなく、一生ギターを手放す可能性すらあった。彼自身も再びギターを弾けるとは思っていなかったのである。20年間という歳月の中で、ウォルシュは結婚し、最終的に音楽に復帰する道を見つけた。これには義理の兄弟であり、素面の同志でもあるリンゴ・スターの助けが大きかった。2012年、ウォルシュは素面になって初のソロ・アルバム『Analog Man(原題)』をリリースした。
楽屋で横に並ぶスターとウォルシュは奇妙な組み合わせに見えた。方や薄紫のサングラスをかけた弁舌さわやかなイギリス人ドラマー、もう一方は金属のように輝く白金色の髪のギターの神様だ。とはいえ、ウォルシュより9歳年上のこのリバプール人は、優しい叔父のようにせっかちに質問に答えながら、おとなしい義理の兄弟への質問の矛先を自分に向けようとしているようだった。ウォルシュは静かに座りながら、その言葉を聞いてあれこれ考えを巡らせている。しかし、ワインドアップを十分にしたピッチャーのように、ウォルシュが口を開くと、その言葉は驚くほど強力だった。
―ローリングストーン誌(以下省略):お二人はご自身のアルコールおよび薬物依存について、さっきじっくり話しましたが、長年ひた隠しにしてきた問題の更生を象徴する公人になった気持ちはどんなものでしたか?
スター:そうだな、俺の場合は自分から告白したわけじゃない。連中がアリーナの上でヘリコプターを飛ばして、秘密を見つけたって感じさ(笑)。
ウォルシュ:俺はいつも隠そうとしていた。カバンにはウォッカが入っていたが、誰にも知られていなかった。発覚したときは俺が本当にダメな男だって世界の半分に知れ渡ったよ。
―依存をやめたきっかけは何ですか?
ウォルシュ:アルコール依存症だった人々との仲間意識と分かち合いのおかげで素面になった。そうやって俺は素面になった。その2~3年後には、他のアルコール依存症患者に自分の体験談を話し、彼らを助けようとしていた。アルコール依存症患者を助けられるのは、自分もかつて依存症になり、それを克服した体験者だけなんだよ。
―では依存症からの更生者として活動する決意をしたのはいつですか?
ウォルシュ:自分は依存を克服したあとに素晴らしい人生があると、他の人々に示すことができると気づいた。だから、公にしても大丈夫だと思った。だってもう知れ渡っていたから。依存症を克服したあとの人生を俺が示すことで一人でも救えたら嬉しい。まだ生きている意味の一つがこれだと思うね。
―リンゴ、素面になる前は、アーティストとしての人生が終わるという恐れはありましたか?
スター:最初は恐れていた。酔っ払っていない状態でどうしていいのか全くわからなかったからね。
―リハビリ後に最初のオールスターバンドを結成しましたよね。あれは1989年?
スター:ああ、そうだ。でもあれは奇妙だった。ロサンゼルスにいる俺の弁護士から電話があって、ツアーに戻って欲しい人たちがいるって。それまでソロで一度もツアーしたことがなかったのに。でも俺はバンドを組んだ。彼(とウォルシュを指差し)も参加した。実際、あれはオーケストラのようなものだったね。
ウォルシュ:彼はみんなが来るとは思っていなかった。
スター:ああ、みんなが来るとは思ってなかった。俺が知っていたのは、ドラマー3人で、その一人が自分。でもね、実はあのバンドのメンバーの大半が素面じゃなかった。でも、何とか全員でバンドの体をなすようにした。俺個人としては、それが一番大事だったね。最初の1年2年で怒りを克服することができ、今では人生になっている。今ではこれが普通の生活だし、楽しみもたくさんある。
ウォルシュ:そして、今ではあのときのメンバー(リヴォン・ヘルム、クラレンス・クレモンズ、ビリー・プレストン、リック・ダンコ)のほとんどが死んじまった。
スター:ああ。死人オールスターバンドだな。
―オピオイド危機についてはどう思いますか?
ウォルシュ:あれはな、アメリカ国民は実情をちゃんと認識していないと思う。

―特に、多くの若手ミュージシャンに過剰摂取が見られます。常にツアーを続けるというプレッシャー、常に最前線にい続けないといけないというプレッシャーが、そういう薬物の過剰摂取に関係していると思いますか?
スター:そうだな、俺の場合は、プレッシャーは常に存在するものだった。そこで酒を飲み、そのあとでコカインなどの薬物へと進んでいたよ。
―ベテランミュージシャンの場合はどうでしょうか? 鎮痛剤を使っても、自分のキャパシティ以上の無理なスケジュールをこなそうとする人もいるかもしれません。
ウォルシュ:ああ、それは調査してみるべきことだな、うん。問題は、肉体に何らかのケガを負うと、その苦痛を和らげる鎮痛剤を処方してもらえるってこと。精神的な苦痛の場合は、酒で紛らわすことができる。苦痛を感じなくなるまで酒を飲めばいいだけ、そうだろう? つまり、どんな物質を使ったとしても、苦痛が治まったあとで、その物質がないと苦痛が消えないと信じ込むことが問題で、そうなるとその物質と折り合いをつけなければいけなくなるってこと。みんな、これに気づいていないんだよ。
スター:でもいいニュースは、最近の新人は素面の連中が多いってことだ。そうなった原因の一つは、ミュージシャンにはクレージーになる権利があるという風潮がなくなったことだよ。それに、薬物の過剰摂取が原因で多くの素晴らしいミュージシャンの才能が消えたことも大きい。俺たち(とウォルシュと自分を指す)がまだ生きている理由は俺にもわからない。そういうものだとしか言いようがない。でも音楽は新たな時代に入ったと思うし、昔に比べて少しクリーンになっている。前の世代に対する若手の反抗がクリーンで居続けることみたいだな。今どきの連中がアナログ盤に戻っているのと同じだ(笑)。
―今この時点で、親しいミュージシャンが依存症で苦しんでいたり、確信はないけどそう見えたりした場合、密かに助言を与えますか?
スター:言うとしてもちょっとだけだな。
ウォルシュ:相手に受け止める準備ができていないと、こちらから手助けできないという事実が本当にもどかしい。指摘することはできる。相手はその言葉を聞くかもしれないし、怒り出すかもしれない。彼らがその話をしたいと言ってきたときには、彼らの話し相手になることもできるし、例をあげて素面の素晴らしさを説くこともできる。でも、俺は町をドライブしながら、わざわざ困っている人を探して、彼らに助言するなんてことはしないね。
―最初に素面になったとき、音楽を疎ましく感じたことはありますか?
ウォルシュ:俺は恐怖ですくんだよ。素面で人前に出て失態を晒すことが恐ろしくて仕方なかった。
スター:俺たちは素面でどうするのか知らなかったんだよ。
ウォルシュ:最初の10回ぐらいは本当に辛かったね。
―本当に演奏できるか確認するために一人でプレイしてみたときはどうでしたか?
ウォルシュ: 1年くらい曲作りをしなかった。というか、できなかった。落ち着いて曲作りを始めようとすると、イライラしてきて、頭の中で「こういうときに必要なのは……」という悪魔の囁きが聞こえる。
スター:その通り。
ウォルシュ:でも、それに従うことは許されない。
―だから作れなかったと?
ウォルシュ:素面でいることが大前提だった。そこで思ったのが、この先もう曲は作れないかもしれない、それでも仕方ないな、だった。ライブで演奏するのも同じだったよ。俺自身は違和感を感じて嫌だったが、他のミュージシャンたちが徐々に「ジョー、以前のお前も上手かったけど、今のお前のプレイの深いところに前とは違うものを感じる」と言うようになった。
―彼らはどんなことを言ったのですか?
ウォルシュ:俺の姿を見て彼らも素面になりたいと言った。実際にそう言って素面になったやつが何人かいる。とはいえ、俺は自分のやり方で生きていた。自分のことだけ考えていたし、違和感も感じていた。でもある日、できると気づいたんだよ。これができるって。それに気づいたあとは、素面で演奏するのに影響を与える物質を摂取するなんて、想像すらできなくなっている。考えることすらしない。

―リンゴ、最初に素面で演奏したときはどんな感じでしたか?
スター:演奏も大丈夫で、ステージに立つのも、人前に出るのも問題なかった。でも、そのあとで俺の全身が叫んだんだよ、「クレージーになろうぜ」って。ライブ後はいつだって酒だった。ライブをやって、そのあと酒でクレージーになるってパターンでね。
ウォルシュ:酒はご褒美だったのさ。
スター:そういうときは、ドラムに座ったままで身じろぎしなかった。バーバラも、他の連中も俺に話しかけることすら躊躇したくらいだった。とにかくそうやって耐えるしかなかった。体中、筋骨も血管も脳みそも「羽目を外そうぜ」って、俺をそそのかすわけだ。でも耐えたよ。そうやってケリをつけた。素面になりたいなら、素面になれる。眼の前に素面があるんだから、近づいて手に入れればいいだけだ。
―ジョー、ニュージーランドで得た閃きについて教えてください。何度も再発を繰り返して、丘の上での閃きがあるまで為す術がなかったと言っていましたが。
ウォルシュ:あれはホークスベイというマオリ族の古代の首都だった場所で、先住民が住んでいる。ニュージーランドで彼ら先住民と友だちになり、今では荒れ果てたかつての首都の要塞に招待された。ここは今でも神聖な場所で、その丘の頂きに俺は立った。海を見て、農園を見た。ニュージーランドは美しい国だ。そのとき、意識が透明になる瞬間が訪れ、死ぬことだって、やめることだってできると閃いたたんだ。
―それが起きたときの年齢は?
ウォルシュ:45歳くらいだ。
―それまでに同じような体験をしたことはあったのですか?
ウォルシュ:その前にも何度かあって、「これに関して何かしなきゃ」とか閃くことがあった。でも、その頃は昼時には酔っ払っていたから。でもこのときは、神様が「なあ、私を試してみたらどうだ?」と言っているように思えたんだ。
―そして、文字通り山を歩いて下って、リハビリ施設に戻ることを決め、それを実行したわけですね。
ウォルシュ:その通り。アメリカに帰国し、リハビリ施設の手配も自分でした。でも怖かったね。恐怖でおののいたくらいに。
―どうしてですか?
ウォルシュ:素面がどんな状態か知らなかったから。素面になったら、毎日ネクタイをして、会社に行って働くものだと思っていたが、それは俺には当てはまらない。昔から上手くできていることを続けることだってできる。でも新たにやり方を覚えなければならない。素面になると、毎日一つずつ生活の仕方を覚えるものなんだよ。そして、素面のままで普通に生活できるくらい慣れると、安心して生きることができるってわけだ。
―リンゴ、以前ビートルズについて聞かれて「世界が俺たちに意味をもたせてくれた」と答えていました。これは世間から「レジェンド」と一括りにされることのある種の客観性を仄めかしている感じもするのですが
スター:俺の場合、あのバンドに加入していて、あのメンバーがいたということがラッキーだった。うん、2ヶ月くらいで誰かがいなくなる可能性だってあった。俺がやめるとか、ジョージがやめるとか、ジョンがやめるとか。飲酒とは関係ないけど、これまで一番悲しかった瞬間の一つが、エルヴィスに会いに行ったときだったよ。彼の周りには12人のスタッフがいて、彼の指示通りに動いていた。そのとき、エルヴィスが「サッカーをしよう」とか何とか言った。そしたら、全員が走って外に出て、彼とサッカーを始めたんだ。ソロアーティストって本当にハードだよ。
ウォルシュ:ああ、孤独なものさ。
スター:俺にはそういう経験が一度もないと思う。いいバンドといつも一緒に活動していたし、今でも自分のバンドがあるし、おかげで友だちも周りにいてくれる。これって本当に大事なことだと思うよ。
ウォルシュ:成功と信頼性を混同しちゃいけないってこと。俺のような人間がステージに立って2時間半演奏すると、かなりカッコよく見える。俺たちはカッコいい、だろ? でも、世間はステージを降りた俺たちもカッコいいと勝手に思い込む。でも普段の俺たちはカッコよくなんかない。みんなと同じように問題を抱えた人間だよ。普段の生活はステージでの姿みたいに誇張されたものとは全く違う。だからロックスターになることが問題解決の手段だと思うのは間違っているよ。ロックスターになることは問題の始まりに過ぎないのだから。
スター:このテーマで語るのはかなり大変だ。だって他の連中と同じくらいやったのに、俺たちはまだ生きている。俺たちは素面だし、この世を去る日がいつかは誰も教えてくれない。トム(・ペティ)がいなくなって、俺がここにいる理由が理解できないし、これは答えのない問いなんだ。でも、最近一緒に活動しているバンドは全部、絶対とは言えないけどかなりの部分で素面がいいという考え方が浸透しているよ。
ジョー・ウォルシュのスピーチの全文は以下の通り。
みんな、元気かい? 俺はジョー、アルコール中毒だ。それ以外にも好きなものがけっこうある。ありがとう。誰も来ないと思っていたよ。みんな、ここに来てくれてありがとう。リンゴとバーバラもこの賞のプレゼンターを務めてくれてありがとう。あのシェア・スタジアムで、バック姉妹と俺の距離が1.2メートルくらいしか離れていなかったことを後で知った。まったく、あの頃の俺はビートルズに会いたかったけど、今ではその一人が俺の義理の兄弟だ。みんな、願い事をするときはよく考えてね。どんな人の願いも叶うから。
たくさんの知人がいる……みんな、ありがとう、ありがとう、みんな。愛している。みんながここに来てくれて恐縮しているよ。
俺が生まれたのは1947年。50年代初頭、知らず知らずのうちに、俺は注意力散漫、強迫神経症、若干のアスペルガー的症状を抱えていた。それがどんなものなのか、当時は一切気づいていなかった。当時の医学ではそういった症状を判断することができなかった。だから「難しい子ども」と呼ばれるだけで、俺も難しい子どもだった。一つのことを完了することができず、すぐにキレていた。やろうといろいろ考えていたことを3つくらいまで終えると、違うアイデアが浮かんでしまう。するとそれが最優先になる。そんなことの繰り返しだった。俺は算数ができなかったし、学期末レポートを完成させるのも無理だった。理科のレポートの締め切り前日に、両親に理科のレポートを書かないとダメだと伝えるような子どもだった。他の子供とそんなふうに違っていた。そのせいで、俺は怯えていた。本気で怯えていた。だって、自分が馬鹿に思えたし、孤独だったし、誰も理解してくれなかったのだから。自分のどこかが正常じゃないことはわかっていた。でも、問題ないことも知っていた。そんなふうに、怯えながら俺は成長した。
10代後半でミュージシャンになることに決めた。数人の前でギターを弾こうとしたが、できなかった。それで本当に怖くなった。弾けなくて、呼吸亢進になり、身体が震えだし、泣き出した。プレイできなかったから、しばらくギターと距離を置いた。でも、この状態を克服するか、一生ギターを弾かないかのどちらかしかないともわかっていた。しばらくして、ビールを2杯飲むとギターが弾けることに気づいた。問題なく弾くことができた。恐怖も消えるし、気分も良いし、自信もでる。「これだ」と俺は思い、人前でギターが弾けるようになった。そう、これが問題の種を蒔いたわけだ。俺の中でアルコールは勝者となった。「良いものを見つけたぞ、これでミュージシャンになれる、これでいける」と思い、アルコールを飲み続けた。
カレッジではコカインとその他の薬物と出会った。酒と薬物でハイになりながらアルバムを作った。これが良い出来だった。同じやり方でもう1枚アルバムを作った。前よりも売れた。そこで「やっぱり、これだよ。少しぐらいじゃ隠せるし、それでこの結果だしな」と思った。その後、作ったアルバムが売れない時期がやってきた。そのとき「ああ、まだ飲みが足りないな」と思った。
それが俺だった。そんな状態を何年も続けた。何年も続けて、それが殊の外うまく行った。
摂取する薬物はどんなものでも、少しずつ、でも確実に、それがないと何もできないと思い込ませる。前と同じ結果を得るために、量を増やしていくしかなかった。「もっと手に入れるにはどうしたらいいんだろう? みんなに金を借りているのに」と思いながら、自分にとっての崇高な神的存在がウォッカとコカインになった。進み続け、状況はもっと悪くなった。もっと悪くなったから、音楽をやめ、曲作りもやめた。他の人などどうでもよくなっていた。もう後には引き返せない状況に自分を追い込み、そんな俺と仕事をしたい人など一人もいなくなった。怒りと不機嫌でいっぱいになり、孤独で、人と違っていて、孤立していた。良いことが起きれば自分の功績にした。悪いことが起きれば他人が悪いと思った。そんなふうに、俺は不健全な憎しみの塊と化していた。
それが俺の成れの果てで、アルコホーリクス・アノニマス(以下、AA)に参加した理由だ。自分の人生が良くなったとは言えないが、それ以上悪化しなくなった。それで十分だったし、それで納得している。AAに参加し続けて、男性グループの中で知り合った数人は古顔だった。彼らは俺のせいで大金を失ったが、徐々に自分がユニークな個人でも、比類ない人間でもないと教えてくれた。アル中患者ってだけだと。生まれて初めて自分の居場所を見つけたと感じた。自分では対処できない問題が起きると、AAの誰かがすでに経験済みで、その解決策を知っていた。俺の一番恐ろしい秘密、一番恥ずかしくて恐ろしい過去、秘密、ダーティーな黒歴史、俺が経験してきたヤバいことを、俺より先に他の誰かが経験していたわけだ。
徐々に、時間をかけて、本を読み、段階を踏んで更生するようになった。段階を踏みながら更生しているうちに、その本が呼ぶところの魂の深いところでの目覚めを感じた。不健全な憎しみの塊になっていた俺は本当の俺じゃないという気付きで、本当の自分は誰にも理解されなかった怯えた少年だった、それが自分だと実感したのだ。自分は怯えた少年だと。そしたら、自分の力が戻ってきた。35年間もアルコールに操作されていた心から本来の力を取り戻した。そうして、今の俺がいる。神様の存在、神様と再びつながったこと、更生プログラム、他の人々、更生した人々、それが秘訣だ。
素面になってから25年経つ。みんなに言いたいことは、それがどんなことかを普通の人に伝えるのは無理だってことだ。普通の人たちには、前日や前夜の記憶を失ったまま朝目覚める感覚を理解するのは無理だってこと。そして、普通の人たちには手伝えないということ。連邦議会の連中だって無理だし、俺たちのような人間の更生を手伝えるのは、俺たちのような人間だ。俺たちには同じ経験があるから。過去もその先も知っているし、素面になる方法も知っている。自分が生きているのが不思議でならない。もう死んでいてもいい人間なのに。こんなに長生きする予定ではなかった。だから何をしていいやら、わからないんだよ。サルでもわかる70代の過ごし方って本はないかね?
ここにいる人たちが俺を素面にしてくれたから、俺に助けを求める人がいたから、俺に道を示してくれた人がいたから、顔をだすことにした。世界の人たちが俺のダメっぷりをもう知っているし、だったら公表して、発言して、他のアル中患者を救おうと思う。それが自分のすべきことだから。
ありがとう。