ー新曲「Contra La Pared」は、J.バルヴィンと共演したかなり”男っぽい”曲ですね?
う~ん、そうかな。でもヒットしそうなトラックだなって思った。J.バルヴィンと以前一緒にやった曲に似てたし、とにかくフック(サビ)をスペイン語にしたいなって思ったんだ。ラテン系のファン層はすごく俺をサポートしてくれてて、これまでもがっつりラブ&リスペクトを示してくれてきた。だから2000年代初期から「Punkie」や「Hold My Hand」のスペイン語カバーやったりもしたし、ウィシン&ヤンデルのウィシンとかエンリケ・イグレシアス、Gente de Zonaなんかともコラボしたことがある。J.バルヴィンとも、もう以前にコラボしたことあるんだけど、さっきも言った通り、このトラックはとにかく彼に似合う曲だなって思ったんだ。何にしたって、男っぽいメジャーな”野郎”が2人でやった曲だからね。だからそういう印象を受けたのかもな。
ージャマイカを代表するあなたと、コロンビアを代表するJ.バルヴィンという、カリブ海の2大スターの共演で話題となっていますが、彼とは以前から親交があったのですか?
J.バルヴィンと最初に出会ったのは、Farrukoのアルバムリリースでだった。Farrukoはプエルトリコ出身のレゲトンアーティストなんだけどさ、俺ら、それぞれFarrukoと仕事したことがあったから、彼が一緒にパフォーマンスしようって声かけてくれたんだよ。J.バルヴィンは俺のことを知ってたけど、俺はまだ彼のことを知らなかった。
ー彼のとっさの反応はどんな感じでしたか?
炎の絵文字、連発してきた! 「ファイヤー、ファイヤー、ファイヤー」って(笑)。
ーサウンド的には、今回どのようなコンセプトだったのでしょうか?
(プロデューサーの)タイニーと仕事がしたかったんだ。
ーこの曲のミュージック・ビデオはどこで撮影したのですか?
スゴいだろ? あれは米・ユタ州で撮影したんだ。ほぼJ.バルヴィンのアイデアだよ。ヤツはあそこによく行ってるらしくてね。彼が「あそこでやろうぜ」って提案してきた時の俺の反応は、「は? なんでだよ」って感じだったんだよね。「お前はコロンビア出身で、俺はジャマイカの出身なんだから、それを見せるのがいいんじゃないか?」って俺が言ったらさ、「見せるよ」って写真2枚送ってきたんだ。1枚目を見ただけで「おっ」ってすぐ反応したよ。
ー撮影中のエピソードはありますか?
SP:ああ! J.バルヴィンがウォーターポロ(水球)やるってことを知った! 俺もウォーターポロするから。最近またトレーニングを始めたところさ。
ーJ.バルヴィンはラテン、というか”レゲトン”を代表するアーティストですが、”レゲエ”を代表するあなたにとって”レゲエ”と”レゲトン”はどのような関係なのでしょうか?
レゲエは数多く様々な影響を受けてカタチになった音楽なんだ。俺らの島のモットーは、「たくさんの人種から成る一つの国民」っていうぐらい、小さな島でもたくさんの人がいて、世界のいろんな所から大きな影響を受けてきた。だから、それが音楽にも表れてる。レゲエにはいくつか種類があって、まず一つ目はメント。これは、俺の耳にはソカにちょっと似て聴こえる。それがロックステディに発展して、それがレゲエへと発展していったんだ。そして、レゲエは世界で最も有名なジャマイカの音楽として知られるようになる。
で、レゲエがそうやって大ヒットすると、ジャマイカでは他のコトをやるようになった。それがダンスホールさ。この音楽が聞ける場所にちなんでこう呼ばれるようになったんだ。レゲエとダンスホールはすごく親しい関連性があるわけさ。俺は、”レゲエが親父、ダンスホールが息子”だって思ってる。レゲトンはもう一人の息子かな。アフロビートやソカもだね、最近は。15年ぐらい前のアフロビートを聴いてみると、今のサウンドとは全く違う。俺らがダンスホールとしてやってきたことが、年々と影響してるんだろうな、って俺は考えてる。トリニダードのカーニバル音楽であるソカも、この15年ぐらいで、すごく俺らみたいなサウンドになってきた。以前と比べると、歌う代わりにもっとラップを入れるようになってるし。
ただ、俺らの貢献がちゃんと認められてないって一面もある。例えば、俺がいきなりカントリー&ウェスタンをやることにしたら、俺だったら「これは俺の新作アルバムだ」なんて表現はしない。「これは俺なりのカントリー&ウェスタン・アルバムだ」って言うさ。すでにしっかり確立されたジャンルだから、ウィリー・ネルソンやドリー・パートンみたいな人たちに対してのリスペクトを忘れるわけにはいかないからね。でもポップ・アーティストが、同じようにダンスホールやレゲドンと接してるかというとさ……。だから、当然の敬意ってのが得られてないことが多い。誰のせいだ、なんては思ってない。これは単に俺らがすごい人気になった結果だと思ってる。でも、だからこそ、歴史の話をしたくなる。ボブ・マーリーが国民的ヒーローとされている、ジャマイカ育ちの俺から見た歴史をさ。彼は、俺らのために高速道路を築いてくれた人だしね。
ーあなたは、今もジャマイカに住んでいるんですか?
ああ。俺はジャマイカ生まれだしさ。両親は国代表の水泳選手で、俺も5才の時から人に水泳教えるぐらいだったんだ。14~24才ぐらいまでは、俺も水泳とウォーターポロでジャマイカ代表やってたんだ。そういう面で、俺は愛国心あるしさ。今やもうそばにいない人や、俺のことを嫌ってる人間、大したアーティストじゃねえなって思ってる人だっているけど、そういう人たちがいてこそ、今の俺があると思うんだよ。だから、そんな自分の国の歴史に携わっていたいと思うんだ。悪い面もたくさんあるけど、美しく素晴らしい面も本当にたくさんある。俺は、自分という土台を使って、ジャマイカのそういう素晴らしい部分を世の中に発信したい。それが自分にとっての義務だと思ってるんだ。

ー一時、メインストリームでは少し下火になっていた感もある”レゲエ”という音楽も、先ほどの”レゲトン”等と共に復活した感がありますが、あなたはどう感じていますか?
そうだね。俺とは違うジャンルの人にはそう思えるかもしれないけど、俺とかは、12~13才の頃、本格的にやり出す前からダンスホールに魂を注ぎ込んで生きてきた人間だからね。世界的には盛り上がってなかったかもしれないけど、俺は今と同じぐらいのめり込んでたよ。だから、それはその人の興味によってじゃないかな。
カリブ海のフランス系の島にはズークっていう音楽があるんだけど、俺の耳には時々入ってきては、また静かになって、って感じなんだな。でも、あそこに住む人たちや、ズークが好きな人にとっては、いつだって魅力的なんだろうしさ。メジャー・レイザーやらジャスティン・ビーバーやら、ドレイクやリアーナがやってるんで、またここ数年また盛り上がってきた印象なんだろうね。あとエド・シーランなんかも影響を感じさせる。さっきも話題に出たけど、アフロビートも。うん、だからまた盛り上がってきてるってことか。
ー今年1月にリリースした「Shot & Wine」は割とストレートなレゲエ・チューンで、ステフロン・ドンと再び共演したナンバーでしたが、レゲエをベースに様々なタイプの曲に挑戦してきたあなたが、今目指しているのはどんな音楽でしょうか?
俺はアルバムベースで考えるタイプのアーティストなんだ。アルバムって、そのアーティストのそれまでの2年間と、次の2年間を定義付けるものだと思うんだよね。デカいアルバムの場合はそれ以上かもしれない。俺はそういう考え方をしてる。でも、「Baby Shark」みたいな曲がチャート入りしてるのなんかを見てると、「いや、アルバムばっかりガンガン押しても意味がないか」って思うわけさ。世界中でみんながシングルばっかり色々リリースしてるのにも気づいてる。ダンスミュージックだろうと何だろうと。プロデューサーもラジオでかかるような曲やってるし、他のアーティストもそうさ。だから俺もクリエイティブ面での競争としてそこに参加するかは自分次第だし、ツールだってスマートに活用しなきゃいけない。
だから今はシングルに集中してるんだけど、シングルは毎回同じサウンドであってはいけないと思ってる。だからいろんな方向性で色々やってる。今も結構な数の人と仕事してるけど、みんなフレーバーは違うよ。思いっきりダンスホールなのもあれば、ポップ・フレーバーなのもあるし、R&Bフレーバーのもあるし、今回だったらラテン風だし。今目指してるのは、とにかくみんなの耳に届く曲を作ることさ。本気で。「Baby Shark」みたいな曲と、まさかビルボードチャートで競い合うことになるとは、きっと誰も思ってなかっただろ。これも、最近はみんないろんなモノに気を取られて、すべて手元でアクセスしてるんだ、ってことなんだなって思う。
ー昨年リリースしたEP『Mad Love:The Prequel』ではデュア・リパ、エリー・ゴールディング、ミーゴス、ジャネイ・アイコ、デヴィッド・ゲッタ等、バラエティに富むアーティストとコラボレーションしていますが、あなたがコラボ相手を決めるのには、どんな点を重視していますか?
まずはサウンドから始まるんだ。それまで作品も知らなかったアーティストやグループを紹介されることもあるけど、曲を聴いて気に入れば「よし、やろう」ってなる。断ったケースもたくさんある。理由はだいたい、特にトラックに惹かれなかったとか、似たような曲をもうやったことがあったから、とか。コラボするかしないかの決断には他にも様々な条件が出てくるけど、まず大事なのはトラック。それと、自分でやってていい曲ができるかどうか。「Mad Love」も、5回作り直したんだ。デヴィッド・ゲッタが「ん~、もう1回やってみよう」って言ってさ。俺もそれは気にならない。音楽に関しては、俺が常に最終決断権を握ってる必要はないからね。もちろん自分の好きなこと、やりたいよ。でも同時に、他の人にも自分のやってる音楽を楽しんでもらいたいと思ってるわけだからさ。やり方がわからないとか、自分が慣れてない雰囲気の作品だったら、プロデューサーでも、他のアーティストでも、人に教わればいいって思ってる。俺、コラボは本当に好きなんだ。ファンを繋げてくれるし、いろんな人を繋げてくれるし、アーティストとしての自分の考え方を成長させてくれると思うから。
ーコラボのオファーが来ることはしょっちゅうだと思いますが、今でも自分から他のアーティストにアプローチすることもあるのですか?
当然さ! 例えば、「No Lie」のフックを書いた時、最初に歌ってくれたのはエミリーって女の子だった。「この曲で彼女以上のことできるシンガーはいないだろ!」って思ったんだけど、誰かがデュア・リパの曲を聴かせてくれて、「彼女も素晴らしい声してるな!」って感動してたら、マネージャーが「じゃあこの曲やってもらったら?」って言ってくれてさ。「うん、いいね」って実現したわけさ。あと、「Mad Love」では本当はシャキーラを狙ってたんだよな。でもなんか規制があって、リリックは提供してくれたんだけど、実際に歌うことはできないってことになってさ。だから「じゃあ周りの仲間に誰かいるかな」って考えて、「あ、ベッキー・Gで行ってみよう」ってことになったんだ。彼女は、周りのプロデューサーから、彼女が小さい時から薦められていて、俺もその成長を見てきたんでね。「じゃあ、まあやってみようか」ってコラボすることになったわけさ。俺はこれまでにも、ほとんど無名のアーティストを取り上げたこともあるからね。別に、有名であることは条件じゃないんだ。やっぱりサウンドだよ。
ーあなたが「Gimmie The Light」や「Get Busy」で世界的ブレイクを果たした2003年から、早くも15年以上が経過しましたが、あなたの音楽への取り組み方や音楽へのアプローチで、変わった点、変わらない点は何でしょうか?
音楽への取り組み方は、ほとんど同じだよ。スタジオに入ると燃えるし、新しいリディムを聞くのは好きだし。昔より作業が早くなったかな、と思う。今週3、4曲作ったら、次の週にはそれを何度もリピートで聴いて、「お、これ良いな!」なんて納得してたりする。自分でやったとは思えないこともあるんだよな。トランス状態っていうか、ディープな状態になるんだ、スタジオにいると。目の前にあるパズルを、ガンガン合わせて傑作ができるまで作業してる感じ。で、自分で一つ一つパーツ組み合わせて作った傑作の全体像を目の当たりにする。そうやってスタジオに入って音楽を作る作業は、俺がこの業界にいて最もやりがいを感じるコトの一つだよ。
ーストリーミングの普及で音楽の聴かれ方もだいぶ変わったと思いますが、今の時代、アーティストがブレイクするのに必要なことは何だと思いますか?
それは難しいね。昔はさ、ジャマイカのダンスホール界ではとにかくラジオでかけてもらうのが大事だったんだ。そうすることで、自分の曲をいろんな人に何度も聴いてもらえたわけだからね。だからそれが目的で、DJと知り合って、友達になって、頼まれ事してあげたりして、自分の音楽をかけてもらうように仕掛けてた。自分がいない時でも、人が自分の音楽を聴いてくれるようにね。あれも大変だったよ。だって、他のアーティストとの競争もあるし、たくさんの人と密に連絡取ってないとならないからね。でもインターネットが登場して、今度はみんなMySpaceやFacebookなんかで自分の音楽を押し出すようになった。これは確かに素晴らしいけど、MySpaceだけでも1500万くらいのバンドがいるわけだから、埋もれちゃうこともある。TwitterやInstagramの登場で、今度は音楽だけじゃなくて自分の「らしさ」やら、どんな風に人と交流してるかってのもアピールできるようになった。でも、これも役には立つけど、やっぱり山ほど人が溢れてるから、簡単に埋もれちまう。だから、俺みたいに、DJと知り合おう、メジャー契約できるように、たくさんの人に聴いてもらおうって努力してた方がラクだったのか、今の若いヤツらのやり方の方が全然ラクなのかは決めがたいよね。でも、こんな風に何か新しいツールが登場したら、まず試してみて、どうしたら自分にとって上手く活用できるかやってみるべきだと思う。
ー最近のアーティストで注目している人は誰ですか?
アフロビートだと、近々Davidoとコラボすることになってる。連絡取り合うようになったら、いいヤツだし、音楽も好きなんで、うまく実現できるといいなって思ってる。あと、ドミニカ共和国出身のMozart La Paraと最近コラボしたんだ。「Lento」って曲なんだけど、これは近々リリース予定だよ。何でも聴くようにはしてる。中にはホットなアーティストもいるし、たまにクレイジーなのにも出くわす。インディーズのアーティストとかさ。XXXテンタシオンにもしばらく注目してたんだけどね。あんなことになっちゃうなんて、悲しかったよ。さっきインターネットのおかげでアーティストが発見できるって話したけど、彼なんかは俺にとってまさにそのケースだったんだ。他には……Ray BLK。シンガーって呼ぶべきなのか、R&Bアーティストって呼ぶべきなのか、ちょっとわかんないけど、まあシンガーソングライターなのかな。イギリス出身、ナイジェリア生まれの魅力的なアーティストだよ。彼女とも最近仕事したんだけど、早くみんなに聴いてもらいたいなと思ってる。
ジャマイカでは、プロデュース業もやってて、若手の世話もしてるんだ。Gang Gangってリディム作ってて、これには俺と、スプラガ・ベンツとKonshensと、あと他にもいろんな人が参加した全11曲のプロジェクト。まあそれがジャマイカでの俺らのやり方だからね。一つのリディムでたくさんの曲作っちゃう、っていう。で、若手アーティストは、Sotto Bless、Dan Java、あとRas Ajaiが入ってる。彼らには期待してるよ。あと、ジャマイカにMasickaって若手がいるんだけど、彼もかなりイケてると思う。あと、Squashだな。
ーGang Gang、すごい楽しみですね。
うん、素晴らしいプロジェクトだと思うよ。一つのリディムで11曲違う曲作ったんだからさ、パーティーでDJが思いっきり楽しめると思うし、バッドマン・チューンもあれば、人生について真面目に歌ってる曲もある。ジャグリング(次から次へと曲を繋いで客を盛り上がらせるDJスタイル)って呼ばれるやり方なんだけど、俺は好きなんだよね。俺のカルチャーにおいては大事な要素だったんだ。最近はシングル・リリースが当たり前になってきてて、あんまり行われないけど、ジャグリングはダンスホールにおける教会みたいなもんでさ、俺にとっては。一つのビートでいろんな教えやバイブスが説かれる。とにかく気分がアガるんだ。
ー次の新曲リリースの予定はありますか? どんな曲になるのでしょうか?
うん、あるよ。ただ、どれをシングルにするかで悩んでるんだ。この1年でかなりたくさんの曲作ったから、中にはプロデューサーが仕上げやってる曲もあるし、まだコーラス部分のシンガーやゲストのヴァースを調整してるのもあるし。今回のこの曲ぐらい自信ある作品が、今いくつかあるんだよ。アルバムに向けての作業も進めているけど、まだみんなの中で、俺のアルバムへの受け入れ体制がまだできてないと思う。だからシングルでアタックしてるわけさ。

ー最後の来日は2015年でしたが、近々に来日の予定はありますか?
うん、日本に行くたび、日本の文化に本当に感動するんだ。みんなのお互いへのリスペクトは最高だよ! 住んでるわけじゃないから、日々の生活がどんなものかとは言えないけど、日本で目に入ってくる様子は、みんな本当にお互いに思いやりがあって、本当に素晴らしいことだと思う。あと俺は食が大好きだから、日本の食事が大好きさ。新鮮で。
ー今まで日本アーティストともいくつかコラボレーションしましたが、日本のアーティストはどんな印象ですか?
日本のアーティストは柔軟性に長けてると思うね。ジャマイカに来て、俺らのスタイルでクラブ盛り上げちゃう日本のアーティストもいるしさ!オーディエンスを、本気で盛り上げちゃうんだ。アーティストにサウンド・システムも。Mighty Crownとかスゴいぜ。彼らは俺らのジャンルにおいては大きな影響力持ってる。サウンドクラッシュとかも優勝しちゃうんだからな。しかもクレイジーなことにさ、生粋のジャマイカ人みたいなサウンド聴かせてくれる。2人揃って横浜出身の日本人の野郎がさ(笑)。だからそういう多様性だね。ラッパーのZeebraとかもさ、使ってるビートとか、何言ってるかわからなくても、彼のスタイルはイケてるなって思うよ。ダンスホール・アーティストからサウンド・システム、ラッパーにポップ・アーティスト……俺もポップ・アーティストとコラボしたことあるけど、そんな感じで、日本のアーティストっていうと、とにかく多様性があるなって思ってる。

ショーン・ポール & J.バルヴィン
「コントラ・ラ・パレド」
デジタル配信中
https://umj.lnk.to/SeanPaul-JBalvin
ショーン・ポール オフィシャルサイト
https://www.universal-music.co.jp/sean-paul/