国民的な演手・石川さゆりーー。このほど日本古来から歌い継がれてきた民謡を収録したアルバム『民~Tami~』をリリースした。
布袋寅泰矢野顕子等、豪華ゲストが参加した本作は、若い世代、日本を訪れた外国人へ向けて作ったと言う。石川本人が、ローリングストーン誌に本作の思いを語ってくれた。

石川が民謡集をリリースしてもそれほどの驚きはないが、17曲の民謡を歌ったアルバム『民~Tami~』には、布袋寅泰、矢野顕子らが参加しているという斬新な作品にもかかわらず、オーセンティックな民謡としての機能はしっかり果たしていて、聴く者をドキドキさせてくれる。ここ数年、ジャンルレスなコラボや企画を次々に繰り出している石川さゆりの表現者としての核心に迫った。

—日本を代表する民謡がセレクトされていますが、選曲の段階から携わったのでしょうか?

はい。選曲にとどまらず、スタッフと関わってくださったミュージシャンのみなさんと一緒に全部作り上げました。

—日本には有名無名、沢山の民謡がありますが、選曲の基準は?

たしかに民謡って数限りなくあって、その中から「どうしようか」って言いながら、プロデューサーの亀田(誠治)さんやスタッフさんと選びました。選曲の基準は、みんながまったく知らないのもつまらないので、みんなが知っている曲を中心に、あとは音楽的なバランスなど、いろいろ考慮しました。

—そして、曲ごとにアレンジャーも違い、アレンジの幅も多種多様ですね。すごくファンキーな曲もあれば、おごそかな曲もある。そのアレンジもご自身で行ったのですか?

作りたい曲のイメージをお伝えし、アレンジャーの方と一緒に作り上げていきましたね。

—更に、ゲストミュージシャンを迎えている曲もあります。
中でも「ソーラン節」の布袋さんとのコラボレーションは凄い仕上がりですね。

『民~Tami~』に参加してくださったミュージシャンは、知っていた方達ばっかりなんですけど、布袋さんだけは、元々は亀田さんの紹介でなんです。なので、去年紅白ご一緒していただきましたが、正直あまり存じてなくて…。

—でも、布袋さんがやっていたバンド・BOØWYはご存知だったのでは?

本当に申し訳ないんですが…今おっしゃっていた布袋さんの以前のバンドが活躍なさっていた頃って、自分も一番忙しく、余裕がない時でーー。30年くらい前?もうちょっと前かしら?

—BOØWYは88年4月がラストコンサートですので、30年ほど前ですね。

その頃って私こどもが生まれたばっかりで、子育ても忙しいし歌のお仕事も今より忙しくて。だって、今より音楽番組もありましたからね。今は音楽番組も随分減ってしまったし、私も子育ても終えたし、離婚もしましたし(笑)。

—離婚なさっていたんですか?全然知りませんでした・・・

平成が始まって最初に離婚した芸能人が私ですから。あら、何の話でしたっけ(笑)?

—布袋さんとの出会いの話です(笑)。

そうそう。だから、本当に失礼なんですけど、あんまり布袋さんのことを存じ上げなくて。
で、去年の日本ツアーの時に、亀田さんから「布袋さんのライブに僕行くんだけど、行ってみません?」って言われて、「行ってみたいな。聴いてみたいな」って一緒に連れて行ってもらったのが最初です。

―布袋さんのライブはいかがでしたか?

ライブを見てカッコいいな、素敵だなと思いながらも、ロックな派手な人、怖い感じの人を勝手に想像していたんですが、お会いしたら、お人柄も紳士だし、音楽に向かう姿勢もとっても真面目だし。それで「この方とだったらおもしろいコラボレーションができるかな」と、感じて、ご一緒していただきました。

石川さゆりが語る、若者や世界に伝えたい日本の音楽「民謡はロックと対峙しても揺るがない」


―ただ、日本を代表するロックギタリストと民謡とのコラボはハレーションを起こしてしまう可能性もあったのでは?

中途半端な歌謡曲とロックを組み合わせたらハレーションを起こすし、曲が布袋さんのギターに負けちゃうんと思うんですけど、民謡には、民謡っていう響きだけで「古臭い!」って言われがち、ものすごくアヴァンギャルドな部分やエネルギーがあるんですね。だから負けないんです。それは日本人の生活だから。そして、そこに立ち向かっていただくには、布袋さんに限らず参加したミュージシャンはエネルギーが必要とされたはずで、それがおもしろいなぁと感じていました。

―長い歳月の中で、人々の生活を積み重ねてきた民謡はロックと対峙しても揺るがないと?

絶対に揺るがない。そのエネルギーのぶつかり合いと、それでも揺るがない民謡の強さが良かったんじゃないかなぁって思っています。それと、去年の紅白歌合戦の「天城越え」の時そうですけど、十分に楽しんでいただける音楽スペースが布袋さんにちゃんとあったのも「ソーラン節」がハレーションを起こさなかった理由ですね。

しかも、ハレーションをおこなさないどころか、布袋印がちゃんと足跡残していただけと思うんです。
私は布袋さんのにわかな音楽ファンですけれど、素敵だなと思うものは時間をかけても、瞬間でも同じだと思う。「これが布袋さんの素敵なところなのかな」って私も感じたものはこのアルバムの中にしっかりと自分の杭として打っていってくださった。そのことに感謝しています。

―『民~Tami~』では布袋さんだけではなく、民謡界のプレイヤー以外の現代のプレイヤー、和楽以外の現代楽器による演奏が多くを占めています。立川談志師匠は”古典に現代の風を”と言っていて、古典芸能に成り下がって落語を蘇生させました。同じような目論見がさゆりさんにもあったのでは?

今っておじいちゃんやおばあちゃんの話を聞くことってないじゃない?だから、日本にはこんな素敵なしきたりがあったとか、こんなに過酷な労働があったとか、でもそれがあったからこんな喜びもあったんだとか、そういうことをきちんとこどもに伝える人が居ないんですよ。そうなった時に、民謡という素敵な日本人の文化というのが身近にあって、それは、市井の人々が、労働中、祭り、お嫁に行く時の歌がいっぱいあって、それをこのまま消してしまうは良くないなって思ったんです。でもそう言いながらも、ファッションにしても私は今日も洋服だし、生活様式も、通信方法にしたってすべてが昔とは変わってきてるわけですよね。なのに、民謡は昔のまんま♪チョチョンがチョン♪といっていたままでは、自分たちの生活の中に取り入れられないんです。だから今のリズム、空気感、そういうものがきちんとセンスとしてブレンドしながら、でも中にある芯、日本人の暮らし、生きた証はそのままにしておく。そういう芯の部分を、私が〝いまびと〟って言っている今の人、これから生きていく人たちに伝えたいの。

—なるほど。


あと海外の人にも民謡という日本の生活・風土から生まれた音楽を伝えたかった。海外に行くと、ニューヨークの人たちなんて特にそうなんだけど、道を歩いてると「お前どっから来たんだ?」って話しかけてくる。そのときに「僕は〇〇から来てね」ってみんな自分の国の自慢話を嬉しそうにするんですよ。でも日本人ってなかなかそれがなくて。それと、私、海外に行くと必ず「この国の音楽はどれなんだろう?」って、その時一番ヒットしている音楽と、元々その国に根付いている音楽のCDを2枚3枚買ってくるようにしてるの。でも、今、外国の人がこれだけ大勢日本に来ていて「日本の音楽って何?」と思った時に、AKBもいいし、ジャニーズもいいんだけれども、「そうじゃない日本ってどこにあるの?」って聞かれた時に「これだよ」って薦められるものをきちんと伝えきれてない気がしていたの。

それをきちんと音にして伝えたかったの。47年、歌ってきて、そして今も一線で歌わせていただいてる石川は、みなさんに対しての感謝をこうやって音楽にして〝いまびと〟と日本に来た人たちに向けて、「これが日本の音楽ですよ」って作っておくことが、新曲を作ることと同じくらい大切なことかなと思ってやりました。

―外国の人も意識したとなると、歌詞の意味が伝わらないだけに、歌う時に民謡独特の擬態・擬声音を意識したりしたんでしょうか?

逆にそこは意識してないですね。歌の中で歌われている日本人の暮らしをもう一度整理して、のど自慢とかこぶし自慢じゃなく、みんなの暮らしの声として歌いました。本来こうやって歌っていたんだろうな、こういう意味なんだろうなっていうのをきちんと届けたいと思った。だから、歌の純度を上げていったの。
その方が言葉を超えて海外の人にも何かが伝わるじゃないかなぁって。そうやって歌の中で謡われている生活や、人々の気持ちを極めたので新たな発見もあったのよ。

―例えば、どんな発見ですか?

「真室川音頭」ってこんな色っぽい歌だったんだとかね(笑)。なので、「真室川音頭」は色っぽさを出しています。そういうような作り方であって、海外の人に向けての技法的な工夫は特にないですね。ただ、民謡のことを知ならい人が聴いて「この民謡はどんな歌なの?」ってなった時のために「これはこういう歌なんですよ」っていう説明はあった方が親切かと思い、それぞれの曲の内容が歌詞の下に書いてあります。ところで、『民~Tami~』の中に気に入った曲はありました?

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―矢野顕子さんがピアノを弾いている「津軽じょんがら節」は静かな曲ですが圧巻でした。

あれは本当の一発セッションだったのよ。

―そうだったんですね。どうりで緊張感に溢れた凛とした演奏で、最高でした。

そういうのってやっぱり伝わるんですよね。「津軽じょんがら節」は、矢野さんがピアノを弾き、上妻宏光さんが津軽三味線を弾いてくださっているんですけど、途中で手を入れてない。
3人でスタジオに入り、そこで3人で行ったことのありのままの記録なのです。

―矢野さんのピアノパートは楽譜にしたものを弾いてるのですか?

一応楽譜を書いてはいらしてました。でも、それを弾いているっていうんじゃないですね。だって、せーので3人がスタジオに入り、演奏を始めたので。どういう風に津軽三味線が出てくるのか、矢野さんもわからない。最初にポンって矢野さんのピアノの音が出て、またそれに津軽三味線が反応するわけなので。で、それに私がどっか入って行く。決まりがないんですよ。「どこから入ってもいいですよ」って言われて「出よう」と思ったところで私は出るし(笑)。

―同じテイクは二度と録れないですね。

はい。二度と録れないですね。

―そういうレコーディング方法は今までにもやってきたのですか?

実は私は結構同録をやるタイプの歌い手なのです。アルバム『民~Tami~』の中で言えば『島原の子守唄』なんて、かなりストリングスが入っているのに、指揮者もなしです。アレンジャーの菅野よう子さんがピアノを弾いてるんですけど、私のヴォーカルブースの隣に菅野さんのブースがあり、その奥にストリングスのブースがあり、ガラス張りのブースなので、私も演奏するみんなを見ながら歌ったんです。指揮者はない、ドンカマでもない。これも一発録りですね。このアルバムにはそういうのが随所にある。演奏者の息使いに反応して歌ってる部分が多いから、カラオケで歌ってくれって言われても絶対に私歌えない(笑)。ヴォーカルだけを抜いて、そのオケで歌ってくださいって言われても、ちょっと無理かな。

―かなりリスキーなレコーディングをしたんですね。

そうですね。でも聴いてくださってそれを感じていただけたのであればすごく嬉しいです。

―『津軽じょんがら節』の力強い静寂は、ジャンルや国境を超えて伝わる何かを確実に持っていると思います。

音楽としての純度がすごく立ってますよね。そこにどう向かっていこうかっていうのが非常に楽しかったですね。
―高い純度の歌・演奏のおかけで、このアルバムを通して古の人たちと交信ができた感じがします。この『民~Tami~』におけるさゆりさんは、ヴォーカリストというより、古の人々を媒介してくれるシャーマン的な存在だと感じました。歌を通じて、昔の人たちが考えていたことや、歌に織り込まれた無名な人たちの気持ちや、仕事をしてる時の様がわかった気がしました。

それは嬉しい感想だなぁ。本当にそういう民謡のアルバムを作りたかったんです。のど自慢じゃない「いつもよりこぶしが回っております!息が伸びております!」みたいなのじゃない(笑)。民謡ってともするとのど自慢な感じがあるけど、そうじゃない、もっと日本人の生きた証と暮らしなので。

―でも、どうしたらそういうことを歌で表現出来るんですか?言葉で表現するのも難しいのに。

なんでしょうね。絶対言えるのはテクニックじゃないです。と、言ってもみなさんにお求めいただくわけですから必要なことだと思いますけども。でも、テクニックだけじゃなく、ちゃんと血圧が上がったり下がったりする(笑)、そういうものを作りたかったんですね。

―血圧が上がったり下がったりというのは、具体的にいうと?

歌っていて自分でもわからないんだけど、音楽聴いてたり、うれしいこと、せつないことあった時にキューンってなることってないですか?なんかそういう歌を作りたかった。それが本当の歌なんじゃないのっていう気がするんですよね。

―さゆりさんはいつから本当の歌を歌えるようになれたと思いますか?

今も完全に本当の歌を歌えているか、自信はないです。でもそんな思いで歌っています。

―少なくとも『民~Tami~』には本当の歌が詰まっている、そう感じました。

嬉しい。歌の持っている力、それに純粋に向かい合ってくださった大勢のみなさん、音楽を真剣に愛する人たちが集まって、そこに歌というものを同居させていただいた。だから生意気な言い方をすると、へぼい音楽には歌をのせられないんですよ。だいぶ、言葉が悪いですけど(笑)。聴こえてくるものにしか反応はできない。っていうのが正直なところですね。だから、いい歌が歌えたんだとしたら、それを出してもらえるいい音があったってことかな。

―『民~Tami~』に収録されている全17曲の民謡を通し、古の人たちと音楽を通して交信し、さゆりさんの中に残ったものは何でしょうか?

わりきれない日本人。深いな(笑)。それと、どうしても、譜面に書ききれないんですよ。なので、「いっせーのーせっ!で私が出たら出てください」とか「この音が聴こえてきたら私出ますね」とか「聴いて反応して、止めたり出したりしてくれますか?」そういう約束事しか作れないんです。「何拍のばしてください」とかそんな指示が出来ないから譜面に書けない。だから間合いとか空気を読むしかない、これは日本人特有なんだろうなって思いましたね。そういえば「空気読めや!」って日本人の言葉ですよね(笑)。それを音楽で感じましたね。

―それが静かな曲で顕著に出ている気がしました。日本的な情緒みたいなものが。

やはり”間”の文化ですからね、日本は。

―大雑把に言えば、ロックは音を重ねて完成に近づいていきますが、『津軽じょんがら節』での矢野さんとのセッションなどが典型で、引き算の美学で間を作って、その間でも何かが表現できるんですよね。

そうだと思いますね。それは海外に行った時に感じますね、間の文化・引き算の美学は日本独特の表現、美学のひとつだなぁって。

―こうした日本の古典を扱った活動は今後の活動には影響していきますか?

これも私のひとつです。なので、これで変わるということはない。これも私。〝これで〟じゃなく、〝これも〟面白く展開していきたいです。

―楽しそうだなぁ。そのバイタリティーは一体どこから来るのですか?

だって生きてるんだよ、私たち。生きてるっていうことは変化することなのよ。良くも悪くも。

―まさにローリングストーンですね(笑)。

そう。良くも悪くも(笑)。だからいろいろなことをやって楽しんだり、傷ついたりしなかったら、生きてたってつまんないじゃん。あとは自分の知らないことがいっぱいありすぎるから、「ほー!ほー!」って思ったことには「で?で?」って行きたくなっちゃう(笑)。

―でも新しいことやるのって楽しいですけど面倒臭くないですか?

面倒臭いし、苦しいです。だって、若い時みたいに脳みそも柔らかくないから。でも反応はしちゃうんです。もう、性(さが)。「なんでこんなことになってるんだろう?」ってバタバタしてると「言い出したのはさゆりさんですよね」ってみんなに言われて「そうだね」って言いながら苦しみながらやってる。でも、面白いんですよ。

―ところで、民謡という無形なものだけではなく、日本には民藝という有形な庶民の藝術もありますが、音楽と比べて飛距離が出ないのが勿体ないなって思います。

土着は土着のまま、そこで埋もれていくことを美学としてるところがあり、それはそれで素晴らしい。でも最小公約数じゃなくて、それをもっと広げていかないと音楽っていけないと思うんですね。最大とまでは言わないけども、いいものはいいってみんなに伝えていきたいって思っています。

―音楽ほどいっぺんに人とコミュニケーション出来るツールはないですからね。

亀田(誠治)さんが今度日比谷で音楽祭するんですけど、それに私も参加させていただくんです。そこでもまた面白い出会いがあったらいいなって思っていて。それくらい音楽って自由だし、異ジャンルの人たちも勝手に飛び超えて混ざっちゃうんですよね。で、なんか面白いことが起きたら素敵なことだなって。それができるのが音楽じゃないかなって、私は思っています。もちろん、腹の足しにもならないものが音楽なんだけど、人を繋いでいく不思議な力もあるし。一人でも大勢でも寄り添うものが音楽だし。だから、なんか人間臭くやっていきたいですね。すごくデカイことと、とっても地味なことと両方やってみたいの。『民~Tami~』、とにかく聴いてほしいですね。

石川さゆり
熊本県出身 1月30日生まれ。1973年シングル「かくれんぼ」でデビュー。1977年「津軽海峡・冬景色」でレコード大賞歌唱賞を受賞したほか、数々の賞を受賞。「NHK紅白歌合戦」へも同年に初出場を果たす。以後「能登半島」「天城越え」「風の盆恋歌」「ウイスキーが、お好きでしょ」など、ヒット曲多数。自身のリサイタルを中心に、歌と芝居を融合させた「歌芝居」を確立。各方面から賞賛を受け、「歌芝居?飢餓海峡」では、第62回文化庁芸術祭大賞を受賞。その後も、ジャンルという垣根の無い音楽制作に取り組み発表した「X-Cross-」は、第56回日本レコード大賞優秀アルバム賞を受賞。45周年を迎えた2017年、第68回芸術選奨 文部科学大臣賞を受賞。6月に開催される「日比谷音楽祭」に出演予定だ。
石川さゆりが語る、若者や世界に伝えたい日本の音楽「民謡はロックと対峙しても揺るがない」

アルバム「民-Tami-」
3月20日発売
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