―ソロ20周年&ニューアルバム『TWENTY ONE』発売おめでとうございます!
ありがとうございます!
―20年というタイミングなので、今回は「20年間の秘話&トリビア20」というベタな企画をやりたいと思っています。その前に、短いインタビューを! まずはあらためてソロを始めるきっかけを教えてください。SUPER STUPID ってもはや伝説のバンドなんですがアルバムは2枚しか出していないんですよね。94年に結成してもう98年のアルバム『DONT FORGET OUR YOUTH』で止まってしまっているので。
そうなんだよね。全然ソロのほうが長い。思い入れもソロのほうがあるよね。SUPER STUPID(以下、SS)って一瞬だけだったから良かったと思うし。あとあの時代だから出来たバンドだと思うんだ。当時は皆活動のペースが遅かったんですよ。98年ぐらいから皆メジャーに行くようになったんだけど、それまでって、皆1stアルバムぐらいまではインディーで1万、2万枚はCDを売っていて、それで名前が出てきてライブハウスが埋まるようになってる感じだったから。アルバムを出すペースも皆遅かったし、変な話1stアルバムでスゲエ走れた(笑)。
―そもそもなぜSUPER STUPIDは止まることになったんですか?
まぁ元々個性が強すぎる3人で。見ている方向が各々に違うというか。良い意味でバラバラというか。「よし! 一丸になって俺らが!」っていうタイプのバンドじゃなかったから。各々が俺が俺がみたいなところがあったので。それはそれでいいのかなっていう感じでやってたバンドなんで。でも、止まる最初の理由はあって、ドラムの浩(佐藤 浩)が活動を停止して太鼓の修行に行きたいって、訳の分かんないこと言い出したから。
―じゃあ活動停止期間の有効活用がソロであって、そのままSUPER STUPIDが完全に止まるとはその時は思ってなかった?
まぁやる時が来たらやればいいのかなぐらいで。でも、曲がどんどん増えていって、曲が出来たらデモテープに録って周りに聴かせてたんですよ。よく行く飲み屋に仲間が集まってて、『俺、今度こういうのを作ろうかと思ってるんだけど、どう?』って聴かせたら『これイイッスね。SSと全然違うじゃないですか』って結構仲間の皆が面白がってくれて。それでその時点でもう楽しくなっちゃって、これはイケるぞって。さっきも言ったようにバンドの足並みがあんまり良くなかったんで、一人でやっちゃった方が早いかなっていうところもちょっとあって。ちょうどいいやって。
―そういう感じのソロのスタートだったんですね。
うん。どうしてもバンドよりもソロでやりたいっていうのではなかった。なるようにしましょうって。本当に軽い気持ちでした。
―浩さんがドラムの修行に行くって言ってなかったらSSは止まってなかったんですかね?
どうだろうな。もしかしたらソロとSSを並行して両方をやっていたかもしれないけど。
―それはタラレバですもんね。浩さんの修業の話がなかったらSUPER STUPIDはもう少し続いていたのかなぁ……。
まぁSSの場合、活動停止すればするほど仲悪くなっていくという(笑)。いろんな攻撃をくらうという(笑)。それは今では笑い話だし、全然いいんですよ。振り返ると、20年いろんなことがありましたねって、今はもう笑って話せるし。
―ええ。では、ソロになってからの20年の秘話・トリビアをお願い出来ればと。
はいー!
その1:ソロの音源に最初の反応してくれたのはTOSHI-LOW
SSの活動が止まって、仲間のいる飲み屋にソロ用の音源を持って行ったんだけど、その音源に最初に反応してくれたのがTOSHI-LOWなんだよ。他にもBACK DROP BOMBのタカ(Takayoshi Shirakawa)とかが反応してくれたけど、TOSHI-LOWが一番最初に熱く反応してくれたかな。
その2:ソロ最初のライブはBRAHMANと
ライブに関しても最初に手を挙げてくれたのがTOSHI-LOWだったんですよ。当時ってレコ発のライブで対バンに呼んだらレコ発返しをするみたいな風習があって。SS が98年に『Dont forget our youth』というアルバムを出した時に、うちらのレコ発に出てくれたのが、まだ若手だったBRAHMANとWRENCH。その時に何か面白いことやろうよってことで、各々の曲を一曲ずつカバーしたの。そのライブでBRAHMANはSSの「WHATS BORDERLESS?」という曲をカバーしてくれて。それで今度はBRAHMANが1stアルバム『A MAN OF THE WORLD』を98年に出す時に、「じゃあ今度レコ発出てください」って言ってくれたんだけど、もうSUPER STUPIDはないわけで。「じゃあLOW IQ 01ソロでバンドで出てくださいよ」って。「えー!」って言って。
その3:最初のソロバンド名義「MASTER LOW」はTOSHI-LOWが名付け親
そのBRAHMANに呼ばれて出たソロ初ライブの時に、TOSHI-LOWが「バンド名どうします?」って言ってきたの。でもその時、バンド名が無くて。で、その時のアルバムのタイトルが『MASTER LOW』だったんで、「対バンMASTER LOWって書いておきました」って。え?そうなの?って(笑)。ただ、アルバム名をそのままバンド名にしちゃったから、その後結構ややこしいことが起こっちゃった。SUPER STUPIDを知らなくてMASTER LOWを見た人が、「MASTER LOWさんですよね?」って言ってくるわけ。まあ間違ってはないから「はい」って。しかも、「MASTER LOWのLOW IQ 01だよね?」みたいな感じにもなってだいぶ混沌とした謎の感じでした(笑)。その混沌のネーミングを9年間ずっとやっていたという(笑)。で、メジャーにいくタイミングでLOW IQ 01&MASTER LOWに変更しました。
その4:エイベックスからメジャーデビューした理由は……
インディー時代は、ディスクユニオンにいたんだけど、ソロも勢いが出てきて、ディスクユニオンの人から「うちは、どインディーなんで、市川くんもうちょっとメジャーに行ったほうがいいですよ。
その5:自身のレーベル「MASTER OF MUSIC」の立ち上げは5分で決まった!?
エイベックスにはすごくお世話になったけど、何年かいるうちに「この会社でお願いごとばかりするんじゃなくて、これは自分で動いたほうが早いな。人任せも良くないな」って思うようになって。元々インディー畑にいてDIY精神があったので、古巣ディスクユニオンに連絡して、「ディスクユニオンで出そうと思ってるんですけど」って言ったら「はい、分かりました。でも、どうでしょう、戻るんじゃなくて一つレーベルを作りませんか」と。時間にして5分で決まりましたね。早っ(笑)。
その6:活動停止で活動開始!?
MASTER LOWの初期ってスキャフルキングのメンバーが母体なんです。しばらく経ってからスキャフルキングは長い活動停止期間に入って、今思えばそういうタイミングだったのかなって、そこはタイミング的にお互いすごく良かったような気がする。さっきの音源の話と一緒で、バンドのメンバーも自然と近くにいる仲間に「じゃあやってみない?」って感じから始まってて。「じゃあ、やることないんでやります」みたいな感じだったかな。これもサラッと。MASTER LOWの裏にはスキャフルキングあり、みたいな。
その7:LOW IQ 01 & THE RHYTHM MAKERのギタリスト、フルカワユタカは映像で発見した
フルカワユタカがどうやってLOW IQ 01 & THE RHYTHM MAKERのギターになったか? 2015年の『尽未来祭』でSSが復活&解散したんだけど、『尽未来祭』でSSの演奏が始まる時、舞台の袖に、同期のBACK DROP BOMB、スキャフルキングとか皆が観に来てて。でも、あとで映像を観たら、フルカワユタカがうちらの同期の中に一人だけポツンと立ってたの。で、スキャフルの田上に「フルカワユタカがずっと映ってたんだけど、フルカワってSS好きなの?」って聞いたら、「あいつSS大好きですよ」「え? そうなの?」って話になって。で、半ば活動停止してたフルカワユタカに「やらない?」って言ったら、最初はビクビクしてたけど、今や彼は本当になくてはならない存在です。それ以外のメンバーも似たような感じのエピソードがあって。何かいろんなことが持ちつ持たれつなんだよね。俺のミュージシャン生活、偶然・タイミングの人生。だってメンバーのオーディションしたことないんで。すぐ決まる。仕事が早い(笑)。
その8:永ちゃんとラーメン
横山健が矢沢永吉さんの大ファンで、永ちゃんと対談したりしてて。で、ケニー(横山健)から、永ちゃんのトリビュート・アルバムに誘われて俺も永ちゃんファンだから二つ返事で参加させてもらったの。音源だけで終わる企画ものだと思ってたら、トリビュートのライブがあって、そこにシークレットで矢沢さんが来て3曲やるっていうわけ。で、そのシークレットバンドでベースを弾いてみないか?と。横山健と奥田民生さんがギターで、僕がベースで、スカパラ(東京スカパラダイスオーケストラ)がホーンで。でも本番のこと、あんまり覚えてないんですよ。夢みたいで。そのライブの後の中打ちではベースに矢沢さんにサインしてもらったし。中打ちの後、鍵盤で参加してくれた堀江博久と一緒に飲みに行ってたら、ギターで参加してた古市コータローくんから電話があって「いっちゃん、やばいよ!」と。コータローくんは矢沢さんマニアで、ナカウチの後、最後の締めに矢沢さんの行きつけのラーメン屋に行ってラーメン食べてたら、矢沢さんが入ってきたと。で、電話が来て「いっちゃん、今から来い!」って。俺もタクシー飛ばして行って「今日出させてもらいましたLOW IQ 01です」 って話をさせてもらいました。「君は矢沢の曲、何好き?」って聞かれて「”WITHOUT YOU”が好きですね」っていう話をしましたね。
その9:永ちゃんの前で古市コータロー氏が……
ラーメン屋の後、矢沢さんがクラブに行くってことで、そこも一緒に行きました。で、ラーメン屋さんから移動する時、矢沢さんがタクシー止めてくれて、俺とコータローくんですごく緊張して後ろの席に乗ってました。で、永ちゃんマニアのコータローくんが調子に乗り過ぎちゃって「あの時のアレってどうだったんですか?」みたいなことを矢沢さんに聞いたのよ。そしたら矢沢さんが「僕もあんまり覚えてないな。君よくそんなこと覚えてるね」って言ったら、コータローくんがテンションマックスに上がって「僕、矢沢より矢沢知ってますよ」って(笑)。
その10:永ちゃんのステージに立つ
その縁で矢沢さんの事務所の人がコータローくんと一緒に僕のライブを観にきてくれて。で、矢沢永吉さんの味の素スタジオのライブの客入れの時にMASTER LOWでライブをやらせてもらったんですよ。矢沢さんはオープニングアクトって使わないんだけど、やらせてもらった。で、俺リハーサルの時、矢沢さんの白いマイクで写真撮りましたよ! 2000年初頭だったからもう18年ぐらい前だなぁ。
―激レアな20周年秘話&トリビア10連発ありがとうございます!そして、20周年の今年、ニューアルバム『TWENTY ONE』をリリース。制作にあたり20周年は意識しましたか?
そうですね。20周年だからここで一発出しとかないとなって思ってたので。
―『TWENTY ONE』はスーパーメロディメイカーのいっちゃんの才能が大爆発なアルバムですが、あらためて歌詞もすごくよくて。苦悩をしながらも音楽を続けていること、何があっても足を止めない熱さ……そのことが歌詞でメッセージされてますが、でも普段のいっちゃんって笑い先行じゃないですか。つまり、音楽を続けること、足を止めないこと自体がメッセージなんだって気がつきました。
そうね、僕はやっぱり現場主義ですよね。現場に立っているっていうこと自体がメッセージだし、まだそこにいれてるっていう幸せはありますね。で、そんな現場主義、ライブ主義のアルバムです、『TWENTY ONE』は。

Courtesy of LOW IQ 01
―では、そのアルバム『TWENTYONE』を巡る秘話&トリビア10連発をお願いします!
はいー!
その11:アルバムタイトル最初の案は『TWENTY』だった!?
毎年12月13日にMASTER OF MUSICっていうライブイベントをやっていて、僕の歌詞を英訳してくれる人がそのライブを観にきてくれて。去年のイベントの時、ちょうどこのアルバムのジャケットを考えていた時だったんだけど、その英訳の人がライブを観て「次のアルバムタイトルはtwentyだよ」って。「twentyはちょっとストレートすぎない?」って言って。「TWENTY ONE」って俺が言ったのね。「20周年だけど21って。もう1年先を見ていこう」ってことで、TWENTY ONEにしたんですよ。
その12:ジャケットデザインも5分で決まった!?
ジャケットのデザイナーさんに音源を聴いてもらって、「これ聴いてどう思う?」ってそれだけで、最初に出てきたモチーフがお札だったんですよ。そのお札っていうのは、make moneyの感じじゃないのよ。僕の名前の01が1ドル札の1だったんですよ、モチーフが。そこでピンときたのが、ファンカデリックの『アメリカ・イーツ・イッツ・ヤング』のジャケットの1ドル札の感じ。それでピンときて、僕の01を見事にお札としてアルバムデザインに入れることが出来た。そこに僕のイメージのハットを加えたんです。これも5分で決まりました。その路線で行きましょうって。ジャケットも早いなぁ(笑)。
その13:「GO」の歌詞にGOは出てこない!
曲のタイトルってサビのフレーズから取ることって多いじゃないですか? でもなるべくそうじゃなくて、その歌の意味をタイトルにしてるんですよ。例えば、「GO」という曲の歌詞にはGOって一言も入ってない。だけど、行っちゃえ!みたいな感じなので、「GO」というタイトルにしてるんです。
その14:アルバム唯一の日本語詞の「sagashi」はTOSHI-LOWへのアンサーソング
前作に収録さている「青い鳥』」という曲は歌詞をTOSHI-LOWに書いてもらったんだけど、この「sagashi」はその歌詞がすごくヒントになったというか、俺からの「青い鳥」へのアンサーソングなんですよ。で、「青い鳥」が日本語詞だったので、日本語でストレートに歌うのがいいなぁって。それで「sagashi」も日本語詞にして俺も素直に日本語で歌えばいいんだって。あれ!? またTOSHI-LOWが出てきた。俺の音楽人生、TOSHI-LOW(笑)? TOSHI-LOWありき(笑)? 本当そうなっちゃうんじゃない? 最終的には(笑)。
その15:レコーディングも早い!?
レコーディングは基本的に、3テイク以上やらないようにしてるんですよ。それが売りなので。だから早いんですよ、僕のレコーディング。『TWENTY ONE』のレコーディングも全部で2週間ぐらい。全12曲を2週間は早いほうだと思うな。
その16:作詞は意外にも携帯で書く!?
歌詞は実体験が多いです。で、言葉はノートに走り書きして残しておくんだけど、面白いんですよ、僕のノート。歴代のノートあるんだけど、全部平仮名で、汚ったなくて、自分で書いていながら読めない(笑)。でも、今はスマホのメモ機能に書くようになって、このアルバムの歌詞はスマホです。スマホの何がいいって漢字が出るから。「感じ」じゃないよ、「漢字」のほうね(笑)。
その17:アルバムで唯一苦労した曲は……。
『TWENTY ONE』の収録曲、大体すんなりいったんだけど、「Gone」だけが実はちょっとだけ手こずったなぁ。「Gone」の当初のデモを聴くと、バージョンが違うんですよ。途中のサビが違う。実は「Gone」は前作に入れようかなと思ったぐらい前に出来ていたんだけど、サビが弱いと思って練り直した。で、出来上がったのが今の「Gone」。だから「Gone」は他の曲と比べて苦労したなぁ。
その18:アルバムでも使われている今回のメインビジュアルはiPhoneで撮影!?
アルバムの歌詞カードの最後に掲載されているカラーの俺の写真、今回の『TWENTY ONE』のメインビジュアルなんだけど、これ、プライベートで撮った写真なんですよ。台湾でライブ行った時に、台湾の観光地でiPhoneで撮ってます。すごく雰囲気出てるんですけど、実はiPhone撮影です。
その19:お札の中のLOW IQ01 は自撮り
ジャケットに使われている1ドル札、よく見ると、ちゃんとLOW IQ 01ドル札になってます。お札の人物、僕なんです。ただ……デザイナーさんから「1ドルです」ってジャケットのイメージをもらった時、アー写をまだ撮ってなかったので、僕が台湾に行った時のさっき言った写真を仮でお札の肖像に入れてたんですよ。でも、着てる服も含めて札っぽくないなと思って。リンカーンみたいな昔のアメリカの偉人っぽい感じでいこうと思って、家にある洋服で偉人っぽいのに着替えて、家で自撮りして、デザイナーさんに送って「これでいきましょう」って。つまり、20年経ってもDIYなんですよ。そして、仲間が一丸となっていろいろ作り上げてくれてるっていう感じなんです。
その20:××××
ライブに来てくれたら20番目の秘話・トリビア、教えます。たぶん(笑)! ツアー始まるので、4649!
<INFORMATION>

『TWENTY ONE』
LOW IQ 01
MASTER OF MUSIC
発売中
LOW IQ 01 20th Anniversary ”LOW IQ 01 TWENTY ONE LIVE TOUR 2019”
2019年5月17日(金)千葉県 千葉LOOK
2019年5月25日(土)埼玉県 西川口Hearts
2019年5月26日(日)茨城県 mito LIGHT HOUSE
2019年6月1日(土)群馬県 Club JAMMERS
2019年6月2日(日)新潟県 GOLDEN PIGS RED STAGE
2019年6月8日(土)大阪府 Music Club JANUS
2019年6月9日(日)愛知県 名古屋CLUB QUATTRO
2019年6月23日(日)東京都 LIQUIDROOM
2019年11月30日(土)東京都 新木場コースト
http://www.lowiq01.jp/