今年4月2日に発売された書籍『I LIKE YOU 忌野清志郎』(河出書房新社)。没後10年が経ち、忌野清志郎の音楽を知らない世代にもその魅力を伝えるべく刊行されたもので、様々な形で清志郎の作品、ライブに携わった人物が、それぞれの視点で時代ごとの清志郎の活動について証言している。
そこで今回、書籍にも語り手の1人として登場している高橋Rock Me Babyと書籍の編者・フリーライターの岡本貴之により「忌野清志郎とローリングストーンズ」をテーマに対談を行った。3回に亘ってお届けする対談の第1回では、RCサクセションに音楽に与えたローリングストーンズを語った。そして今回は、ストーンズをはじめとする洋楽から影響を受けた日本のバンドも多い中、清志郎が他のミュージシャンと違ったのはどんなところなのか? にフォーカスした。


岡本:清志郎さんの音楽には、ストーンズやビートルズのようなビートの効いたロックバンド以前に、PPM(ピーター・ポール&マリー)などのフォークグループからの影響もあると思いますが、そういったルーツにまつわる会話をご本人としたことってありますか?
高橋:よくしました。RCの20周年のときなんかは、PPMとか、ベンチャーズとかの話をしていましたね。清志郎さんが音楽を始めた当時は海外でフォークブームがあったので、エレキよりもフォークギターを使った方が売れるんじゃないかって思っていたみたいです。そうしたら、全然売れなかったって言ってました(笑)。だから、最初から「売れたい」という気持ちがあったんだと思います。

岡本:この書籍ではカットしてしまったんですけど、高橋さんは、RCが売れた理由は、清志郎さんが「僕の好きな先生」でヒットを飛ばして売れている経験があったからだっておっしゃっていましたよね。

高橋:今の時代はいろいろなやり方があると思うんですけど、当時はバンドも芸能人も同じサーキットを走っていたので、やり続けるためには、売れなきゃいけないという気持ちはあったと思いますし、そのエネルギーはすごかったと思います。

岡本:なるほど。

高橋:サカナクションの山口一郎さんの番組で清志郎さんの特集があり、プロデューサーの方からご連絡を頂いて、光栄にもご協力させて頂きました。
番組の中で山口さんは、「自分たちの世代のミュージシャンに一番欠けているのは、清志郎さんのような人間らしさ。痛いとか冷たいとかっていう感覚を、恥ずかしいとかみっともないところも全部出して歌えるということが、自分たちの世代は決定的に欠けている」と言っていたんです。飾っちゃったり、キレイにしちゃって、そういうものを出せないと。さらに「清志郎さんはそれを全部出して歌っている。それが、”このアーティストは信じられる”ということに繋がっている。何十年も続いていることは、人間らしさというものが伝わっているからだと思う」と。それと「音楽とカルチャーの取り入れ方が絶妙だ」ということもお話しされていました。普通、どっちかに偏ってしまうものだけど、絶妙に取り入れていると。この2点において、自分たちの世代は決定的に欠落しているとお話しされていました。とても感銘を受けました。

岡本:その、カルチャーの取り入れ方というのは、具体的に言うとどういうことですか。

高橋:音楽的な側面だけじゃなくて、演出的なものだったりとか、歌詞とか、存在そのものが、ポップスターでもあるんだけど、メッセンジャーでもあって。
文化人からも支持されて、アンダーグランドの人たちからも支持されるというスタンス。例えば、当時で言うとパンクスたちはみんなメジャーなロックバンドが嫌いと言ってましたけど、清志郎さんだけは別格でした。芸能界でも清志郎ファンが多くいます。

岡本:「元気が出るテレビ」とか「オレたちひょうきん族」とか、たくさんバラエティ番組にも出てましたもんね。

高橋:そうですよね。娯楽的要素を意図的に、絶妙に取り入れていた成果だと思います。でもそれだけではなく、街のおしゃれな若い子たちに人気のかっこいい洋服屋さんが支持していたり、大貫憲章さんの「ロンドンナイト」で曲がよくかかっていたり。そういうカルチャーも巻き込んでいたミュージシャンって、今も含めてなかなかいないと思います。

岡本:糸井重里さんや吉本隆明さんといった言葉の人からも支持されていました。

高橋:一方で、当時の『平凡』や『明星』の表紙になったりもしたんですよ。

岡本:アイドル雑誌ですよね。

高橋:画期的ですよね。
その当時ですでに30歳過ぎてますからね(笑)。テレビ番組にもたくさん出ていました。『夜のヒットスタジオ』に出演したときに、井上順さんが「日本のローリング・ストーンズと呼ばれているんです」と紹介したんです。『トップテン』に坂本龍一さんと一緒に「い・け・な・いルージュマジック」で出たときは、司会の徳光和夫さんが「今日は娘に初めて尊敬されました。サインをもらってきてくれと言われました」と司会をしながら喜んでました。そういう感じだったんですよね。

岡本:お茶の間にも登場する人で、アンダーグランドな世界でも評価される人はなかなかいない気がします。

高橋:いないですよね。あと、当時の最先端のシーンの方々からも評価も高く、いとうせいこうさんがアルバムを作るときにゲストで清志郎さんを呼んだりとか、原宿「ピテカントロプス・エレクトス」みたいなニューウェーブのクラブでも、清志郎さんの曲だけはかかっていたりしていました。そういうところが、山口さんがおっしゃっているように、カルチャーの取り入れ方が絶妙だったということを証明しています。

岡本:そういえば、清志郎さんがトーク番組「Ryus Bar 気ままにいい夜」に出たときに、番組開始前の煽りで「次は僕が喋りまくりますよ~!」みたいに言ってたのに、番組が始まったら全く喋らなくてハラハラしました。あのときって、高橋さんは宣伝担当で関わっていたんですか。
ローリングストーンズから影響を受けた日本のバンドと比較する忌野清志郎の特異性


高橋:僕は宣伝担当者として収録にいました。僕はあの時期、毎日いっしょにいたので、そんなに喋らなかった印象はなかったです。「ビートルズとストーンズとどっちが好きですか?」という問いに、清志郎さんは「ビートルズ」って答えました。そこでストーンズという答えがくると思って、その後の広がりを期待していたのですが(笑)。

岡本:ははははは(笑)。

高橋:それで、「ああ、そうですか……」で終わっちゃったという。

岡本:もう1つ覚えていることで、「海外で活動するつもりはないんですか」みたいなことを訊かれて、「ないです。日本語でしか物を考えていないから」と言っていたと思うんですよ。矢沢さんみたいに、キャロルを解散してソロになってから海外へ目を向ける人もいるわけじゃないですか? 清志郎さんは海外レコーディングは度々していますけど、海外で本格的に活動してみようというつもりは全くなかったんでしょうか。

高橋:そういうことは、どうでもよかったんじゃないですかね。海外も日本も同じに考えていたと思います。そういう意味だと、今の若いアーティストたちと同じかもしれないですね。
海外のアーティストだからいい、とか、海外進出は凄いとか、全然思っていなくて、自分たちの音楽をやることだけにしか興味がなかったのだと思います。日本語をリズムに乗せたフロンティアのアーティストの方々は、自分のスタイルを変えないで、世界中のどこでも活動していくという考えだったと思います。アティテュードや作品に影響を受けることがあっても、海外だから英語で歌うとか海外のサウンドに近づけるとか、そういうことはどうでもいいことだったのだと思います。

岡本:オーティス・レディングのバックを務めたブッカー・T&ザ・MGsと作品を作ったりもしましたが。

高橋:それ以前に、『RAZOR SHARP』でイギリスに行ったときに、向こうの人たちから得たものがいっぱいあったみたいなんです。全然グルーヴも違うし、考え方とか。音はもちろんアティテュードですよね。はじめてのソロアルバムを作って、以降の活動にも反映させた。ブッカー・T&ザ・MGsは奇跡のような巡りあわせで、RCが無期限活動休止となった直後に、彼らとやることができる機会に恵まれました。

岡本:あれは、ブルース・ブラザーズ・バンドの来日公演がきっかけだったんですよね。

高橋:そうです。やっぱり、一番好きなサウンドなのでやってみたい気持ちがあったんだと思います。
でも、MGsとやった作品以外で、ソウル・サウンドに傾倒したものがあるかといったら、そんなにはないんですよ。だいたい、ロック・サウンド寄りなんです。

岡本:『Memphis』と『夢助』は他の作品と違いますもんね

高橋:他の作品でもソウル・サウンドっぽさはあるんですけど、ちゃんとロック・サウンドになっているんですよ。だから、相当ストーンズは意識していたと思います。ソウル、ブルース、フォーク、カントリーの要素もあったとは思いますけど、中心はまぎれもなくロックでした。

岡本:イベントなどで一人で弾き語りをすることも多かったと思いますけど、そういうときもフォーク的ではなくてロックだったと。

高橋:必ず盛り上がりが、ストーンズ的なロックの盛り上がりなんですよ。歌を聴かせるんですけど、最初と最後はロック的な盛り上がりになる。清志郎さんのライブって、もちろん歌を聴くというのはあるんですけど、だいたいみんな盛り上がりに来ている。バンドでも弾き語りでも、ロックの盛り上がりなんです。

岡本:ソロで弾き語りだけのワンマン・ライヴってないですよね。唯一、1人でやっている『ONE MAN SHOW』では、ドラムを叩きながら歌ったりしていますし。やっぱり、もともとバンドサウンドが一番という考え方だったのでしょうか。
ローリングストーンズから影響を受けた日本のバンドと比較する忌野清志郎の特異性


高橋:ウクレレにディストーションをかけて弾いたりしていましたからね。以前、清志郎さんが僕に「ローランド・カークっていうミュージシャンがいるんだけど(東芝EMIから)出てるからサンプルCDもらってきてよ」って言われて、ジャズの担当者のところにもらいに行ったら、「さすが清志郎さん、ローランド・カークのCDを欲しいなんて言ってくれたのは清志郎さんだけだよ」って言われて。それで、逆にコメントをもらってきてくれと頼まれたんです。それでどんなミュージシャンなのか知らなかったので映像を見せてもらったら、サックスを5本ぐらい加えて全部吹くんですよ。ローランド・カークの作品に『溢れ出る涙』(The Inflated Tear)という作品があって、RCの「あふれる熱い涙」のタイトルはここからの引用だと思います。もちろん、音楽が好きなんでしょうけど、少なからずあの吹き方にも惹かれていたと思います。

そういうアバンギャルドなアーティストも好きだったと思います。79年~80年頃のインタビューで、好きなバンドはジェームス・チャンス・アンド・ザ・コントーションズって答えてるんです。ノー・ウェイヴ。フリクションのレックさんたちが当時海外でノー・ウェイヴの真ん中にいて、日本に帰ってきてからS-KENさんのコミュニティの中で紹介した。あんまり日本のオーバーグランドに出てきてなかった。そんなときに清志郎さんがジェームス・チャンスっていうから、何者かなってレコード屋に行くんですけど、もちろん置いてなくて、新宿のマニアックなレコード屋に行って買った。それを聴いて「キモちE」の真ん中でグチャグチャになるところとか、「ぼくはタオル」のアバンギャルドさとか、全部そういうところからの影響だってわかりました。

岡本:へえ~! それは知らなかったです。

高橋:だから、ピアノとギターだけの弾き語りだけで聴かせるというのは、自身の遺伝子が許さなかったんじゃないですかね(笑)。

岡本:もちろん、ギターの弾き語りだけでも十分魅力的ですけども。

高橋:アコギの弾き語りだったとしても、最後はディストーションをかけてソロを弾いたりしてました。伴奏もないのにソロを弾くという。それまでのライブの流れをぶち壊すというか(笑)。そういうライブだから、終わった後の感想が「良い曲ですね、詞が良いですね」みたいにはならないんです(笑)。清志郎最高! だけが残る。理想的なロックのライブで、世界最高のエンターティナーだと思います。

◾️関連記事
第1回「RCサクセションの音楽性から読み取るローリング・ストーンズの影響」
第3回「忌野清志郎がレコーディング作品を通して現代に残したものとは?」


<書籍情報>
ローリングストーンズから影響を受けた日本のバンドと比較する忌野清志郎の特異性


『I LIKE YOU 忌野清志郎』岡本貴之 編有賀幹夫 / 太田和彦 / zAk / 佐野敏也 / 角田光代 / 近藤雅信 / 高橋靖子 / 高橋 Rock Me Baby / 蔦岡晃 / 手塚るみ子 / のん / 日笠雅水 / 宗像和男 / 森川欣信 / 百世 / 山本キヨシ / 渡辺大知 (五十音順)
発売元:河出書房新社現在発売中224ページ ソフトカバー並製本体定価:1400円http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309290188/
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