10月2日に亡くなったザ・マフスのキム・シャタックを追悼。ピクシーズやボウリング・フォー・スープらとのコラボ経験でも知られ、多くの「はみ出し者」を救ってきた彼女について、音楽ブログ「マフスのはてな」管理人/ライターの岡俊彦が振り返る。


私は20年以上に渡ってマフスのファンサイト~ファンブログを運営しているので、間違いなく私の半生はマフスと共にあった。そして、私の左肩には彼等のロゴのタトゥーが刻み込まれているので、間違いなくこれからも私の人生はマフスと共にある。

ザ・マフス(The Muffs)のフロントパーソンであるキム・シャタックが2019年10月2日(日本時間では10月3日)、2年間に渡るALS(筋萎縮性側索硬化症)との闘病の末に亡くなったと伝えられた。享年56。マフスの5年振りとなる新作『No Holiday』のリリースが10月18日に予定されている中での突然の訃報。シャタック家がALS持ちの家系であることは以前からインタビューなどで語られていたが、彼女自身がALSで闘病中であったことはこれまで伏せられていたため、私にとってもそれは大きな衝撃だった。2017年にはグランブラーズ名義でシングルを、2018年には再結成したパンドラスでEPを、さらに2019年7月には新ユニットのクーリーズでEP(本作の収益は全てALS基金への寄付となることが当初から発表されていた)をリリース。その翌月に発表されたレッド・クロスの新作『Beyond The Door』にもソングライターとして参加しており、てっきりマフスの新作へ向けて助走をつけていると思っていたのだが、実際には命を振り絞って創作活動を続けていただなんて。

ザ・マフスとしての最後のパフォーマンスとなった、2017年4月のアルゼンチン・ロサリオ公演

キム・シャタックは80年代に活躍したガレージ・ロック・バンド、パンドラスのベーシストとしてそのキャリアをスタートさせた。1990年に同バンドを脱退後、バンドメイトだったメラニー・ヴァメンと連れ立つ形で1991年にマフスを結成。キムはボーカリスト/ギタリスト/ソングライターとしての才能を開花させ、メラニーは1994年に脱退するものの、バンドは現在に至るまでに6枚のオリジナル・アルバムをリリースしてきた。

マフスはXやゴーゴーズといったLAパンクの系譜に連なるバンドである。
キムがステージ衣装としてレトロ風なワンピースを着用していたのは(ジェニファー・ジェイソン・リーが大ファンであることでもお馴染みの)Xのエクシーン・セルヴェンカに対するオマージュであるし、マフスの5thアルバム『Really Really Happy』はゴーゴーズのシャーロット・キャフィーとザット・ドッグのアンナ・ワロンカーが共同で設立したファイヴ・フット・トゥー・レコーズからのリリースであった。

追悼キム・シャタック ザ・マフスで歌い続けた「一人ぼっちだけど構わない」という強さ

1993年発表の1stアルバム『The Muffs』では、キム、ロニー・バーネット(Ba)、メラニー・ヴァメン、クリス・クラス(Dr)の4人体制だったザ・マフス。そこからクリスとメラニーの脱退を経て、2ndアルバム『Blonder And Blonder』(1995年)から元レッド・クロスのロイ・マクドナルド(Dr)が加入。不動のラインナップが完成した。

『Blonder And Blonder』のリードシングル「Sad Tomorrow」。「いつか私は死ぬだろうけど/誰が気にするっていうの」という歌詞もあって、この曲に多くのファンが追悼コメントを寄せている。

だが、2ndアルバム『Blonder And Blonder』リマスター盤のライナーノーツでドラマーのロイ・マクドナルドが「周囲からはパンク・ロックだと思われていたが、僕達は初期のキンクスやフーから多大な影響を受けていた」と書いているように、彼等の音楽的な核となっているのあくまでも60年代の音楽だ。そもそも、キム・シャタックという人はギターを弾く時に8ビートのストロークが均一にはならず、若干の「ハネ」が入って60s風のノリになるのが大きな特徴(ギタリストとしてはジョン・レノン、デイヴ・デイヴィス、ブライアン・セッツァー、スザンナ・ホフスの4名から特に大きな影響を受けているとのこと)。

だからこそ、彼女はチャック・ベリー風のボトム・リフを多用するわけだが(「Laying On A Bed Of Roses」を参照)、ロイがキース・ムーン直系の爆裂ドラミングでその「ハネ」に合わせたフィルを入れ込んでくることによって、バンド・アンサンブルに大きな化学反応が生まれたのだった。ロイがドラムを叩いているレッド・クロスの2012年作『Researching The Blues』とマフスの諸作を聴き比べてみると、そのグルーヴの違いは歴然。1994年に彼が加入したことによって、ようやくマフスのサウンドが完成形に至ったといっても過言ではない(多くのマフスのカバーが単調な「ポップ・パンク」風の仕上がりになってしまうのは、このグルーヴのニュアンスを汲み取れていないからだ)。

キムのソングライティングはキンクスやフーに加えて初期ビートルズ的なニュアンスを加えた流麗&簡潔なもので(曲終わりに6thコードを多用)、その才能はボブ・ディランからも高く評価されていた。


ボブ・ディラン以外にもマフスを評価する著名ミュージシャンを幾つか紹介しておくと、まずはグリーン・デイのビリー・ジョー・アームストロング。彼等のメジャーデビュー作『Dookie』(1994年)はマフスの1stアルバムから特大の影響を受けて作られており、だからこそどちらのアルバムもプロデューサーがロブ・キャヴァロなのである。スピッツ草野マサムネもラジオ番組で「メロディはキャッチーなんだけど、サウンドは攻撃的で、自分のバンドのレコーディングの時も参考にしていた」と語っていた。意外なところではマーティ・フリードマンが「From Your Girl」をオールタイム・フェイバリット・ソングの1つとして挙げており、ミュージシャン以外ではスピードワゴンの小沢一敬が一番好きな女性ボーカルのバンドとしてマフスを挙げていたのも印象深い。

とはいえ、著名人からの評価/トリビュートの中でもマフスのファンにとって特に大きな意味を持つのはオーストラリアのパワー・ポップ・バンド、ウェリントンズがマフスの楽曲タイトルを随所で引用しながらキム・シャタックへの敬意を表明した名曲「Song For Kim」だろう(PVはさらにマフスの「Sad Tomorrow」へのオマージュ!)。日本のファンからすると、ナードマグネットがこの曲の文脈を踏まえた上で「Song For Zac & Kate」と改題してウェリントンズのフロントパーソン2人に捧げる歌として日本語カバーしたことで、さらに特別な意味を持つ楽曲になった点も特筆しておきたい。

キム・シャタックの書く歌詞は諦観に満ちていて明るくはないものの、ユーモアがあり、曲調はカラッとしていて決して湿っぽくならないのも彼女のソングライティングの大きな特徴である。そして、トレードマークにもなっている烈なシャウトで全てのネガティヴィティを吹き飛ばす! 「Outer Space」はそんな彼女のシンガー・ソングライターとしての魅力が端的に示された代表曲の1つだ。「今の私はミジメだけど/私と一緒にどこかに行かない?/この変な顔と一緒に」という歌い出しからしてインパクト大。「一人ぼっちだけど構わない」というキムの凛とした強さが伺えるフレーズが中盤で歌い込まれているのも重要なポイントだ。

さて、「Outer Space」も収録されている3rdアルバム『Happy Birthday To Me』(1997年)以降はロブ・キャヴァロの手を離れ、キム・シャタックによるセルフ・プロデュースでアルバムを重ねていくことになる(ちなみに『Happy Birthday To Me』はオリジナル盤だと「Produced by The Muffs」というクレジットだったが、2017年にリマスターされて再発された際には「Produced by Kim Shattuck」という表記も追加されている)。ここからがマフスの円熟期だ。
特にキムが再結成ピクシーズに一時的にベーシストとして参加するなどの話題もあってから2014年に発表された6thアルバム『Whoop Dee Doo』は、マフスの全ての要素がバランス良く出揃った集大成的な1枚で、つまらないノスタルジーを抜きに楽しめるところも含めて入門盤として強く推薦したい。

『Whoop Dee Doo』発表後は4度目となる来日ツアーなどを行い、その後もライヴ活動を続けていたのだが、2017年夏にキムが「左手に力が入らない」ということで医者に行くと、ALSと診断される。病状は急激に進行し、2018年1月にはもう歩くことも喋ることもできなくなっていたとのこと。

結果的にキムの遺作となってしまった新作『No Holiday』は、キムが体を動かせなくなり声が出せなくなっても、ギリギリの段階まで録音作業が続けられた。パンドラスでのバンドメイトであったカレン・バセットの協力を仰ぎながら、キムは目とタブレットを使って指示を出して自宅スタジオでオーバーダビングを行なっていたらしい。メンバーのロイとロニーも「キムはALSで闘病中の身を押して、編集からアートワークに至るまで、全てに目を行き届けながら僕達の最後のアルバムをプロデュースしてくれました」とのコメントを残している。つまり、『No Holiday』というアルバム・タイトルは病魔に蝕まれていく中で作業を続けていたキムの「休んでる暇なんてない!」という心の叫びだったのだろう。

さあ、そんな渾身の力と想いが注がれたアルバムが世に放たれるまであと少し! 2014年の来日ツアー最終公演となった新代田FEVERでのライヴ終了後に楽屋で「(『Really Really Happy』から『Whoop Dee Doo』まで10年もかかったので)次のアルバムはもっと早く出してくださいよ!」とキムに言ったら、笑顔で「もちろん!」と答えてくれたこと、今でもはっきりと覚えてますよ!
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