目の前のバスタブにデイヴ・グロールと一緒に入るよう指示され、リンゴ・スターは怪訝な表情を浮かべた。「これは何かのジョークかい?」そう話しながらも、元ビートルは足を踏み入れた。ほどなくして、2人はリラックスした様子で話し始めた。フー・ファイターズの最近のツアーについて話すグロールに、スターはゴムのアヒルのおもちゃを手渡しつつ、両手でハートのシンボルを作らせることで、その温厚なキャラクターを強調させようとしている。
グロールとスターが親睦を深めるきっかけになったのは、2013年にスターが発表した初の写真集のリリースパーティーだった。フー・ファイターズの2014年作『ソニック・ハイウェイズ』の発表にあたって、グロールはバンドの写真撮影をスターに依頼している。今では2人はすっかり打ち解け、スターは彼らの写真を撮った時のことについて腹を割って話している。「あの時の写真、ほんとは気に入ってなかったんだろ?」スターはグロールにそう問いかける。「何だって?ちゃんとレコードで使われてただろ!」グロールはそう返す。「もっと褒めて欲しかったんだよなぁ」スターはそうこぼす。
グロールが初めて手に取った楽器はギターであり、彼にとっての教則本はビートルズのコードブックだった。彼が辿ってきた軌跡は、スターのそれと重なる部分が少なくない。
1時間に及んだ対談の間、2人は絶えず手でリズムを刻み続けていた。終了後、スターはこう話した。「ドラマーの性ってやつだよ、2人揃うとタチが悪い」
グロール:スキッフルについて教えてよ。
スター:スキッフルは1コードでできる音楽だよ。いくつかヒット曲を出したイギリスのロニー・ドネガンが有名だけど、元々はアメリカ南部の庶民的な音楽だったんだ。パーティーの参加費は1ドルで、ミュージシャンたちはその売り上げで酒を買ったり家賃を払ったりしてた。それがイギリスで知れ渡ったんだ、不思議だよね。
グロール:その音楽は特徴的なシャッフルビートを使ってたの?
スター:スウィングの影響は残ってたね。
グロール:ちゃんとドラムを習ったわけじゃないんだ?
スター:習ってないよ。お昼時に地下室で、工場の労働者たちを前に演奏してただけさ。あれには鍛えられたよ。「やめちまえ!」って言われるばかりで、褒められたことなんて一度もなかったからね。僕らのバンドはそんな風に始まって、メンバーは何度か入れ替わった。その後僕はロリー・ストーム&ザ・ハリケーンズっていう、筋金入りのロックバンドに加入した。
グロール:それは俺も経験したよ(笑)若かった頃の憧れのドラマーは誰?
スター:いつも名前を挙げてるのはコージー・コールだけど、リトル・リチャードも大好きだった。意外だってよく言われるんだけど、僕はドラムにばかり注目して音楽を聴いてるわけじゃないからね。曲全体で判断しなきゃ。(当時知ったあるドラマーは)ハイハットをフィルの一部に使ってて驚かされたよ。そんなのは聴いたことがなかったからね。
グロール:ドラムキットの中で、もしかしたらハイハットが一番表現力に富んでるんじゃないかな。オープンとクローズだけじゃなくて、ダイナミクスを生み出せるし。リンゴ・スターといえばハイハットの名手だけどさ。
スター:スラッシュ打法のことか! あれって誰が名付けたんだろう?
グロール:わかんない。プロシュート(極薄生ハム)を切ってるみたいだよね。
スター:当時はあれがイケてたんだよ。

Yana Yatsuk for Rolling Stone
グロール:ビートルズに入る前、ヴォーカルをしたことはあったの?
スター:あぁ、ロリーのバンドで歌ってたよ。「Watch Your Step」と「Alley Oop」で歌ってるのは僕さ。ドイツの人はみんな「Spielen Alley Oop」って歌うんだ。ちょうどその頃ドイツでドラッグが流行り始めてさ、よくやったよ。もちろん酒も浴びるほど飲んだけど、スピードをやった時は一晩中演奏したもんさ。
グロール:想像がつくよ。何セットくらいやったんだい?
スター:最初のうちは3セットだった。Bruno Koschmideはクラブを2つ持ってて、ロリーのバンドではKaiserkellerで、ビートルズではBambi Kinoでプレイした。でもBambi Kinoが閉店しちゃったから、その後はビートルズもKaiserkellerでやるようになった。
”「イエロー・サブマリン」の魅力は国境も世代も超えると思う。5歳になる子供と一緒に歌ってると、45歳っていう年齢差を感じなくなってくるんだ。” ー デイヴ・グロール
グロール:(ヴォーカルの経験について聞いたのは、)ドラマーがヴォーカルを務めるっていうアイディアを広めたのは、実はあなたのバンドだったんじゃないかと思ったからなんだ。間違ってるかもしれないけど。その前からそういうバンドっていた?
スター:いなかったね。僕はロリーのバンドで歌ってたから、ビートルズで歌うことにも抵抗はなかった。僕が初めてビートルズのメンバーとしてレコーディングした2曲は、カール・パーキンスの曲だったんだ。僕はああいう肩の力の抜けたロックが好きで、そのうちにカントリーとかも聴くようになった。そのうちに僕がヴォーカルの曲を録ったり、自分で曲を書くようにもなった。不思議なことに、僕はバンドが解散してからソングライターとして腕を上げたんだけどね。
グロール:うん、わかるよ。全員が優れたソングライターのバンドにいたんだからね。
スター:苦労したよ。(「オクトパス・ガーデン」を歌って)「こんなのどう?」ってね。ヒヤヒヤもんだよ(笑)
グロール:定番のジョークを思い出させるね。Q:あるドラマーが発した、バンドをクビになる原因となった一言とは?A:「曲を作ったんだ、ライブでやろうぜ」
スター:間違いないね。曲を作ってメンバーに聴かせると、全員腹を抱えて笑い出すってことがよくあったよ。自分では気づいてなかったんだけど、前に書いた曲とそっくりだったんだ。
グロール:俺たちも出た『エド・サリバン・ショー』の50周年記念特番(2014年)では、あなたがプレイした「イエロー・サブマリン」がダントツのハイライトだったと思うよ。
スター:ふふふ、そうかもね。
グロール:あの曲の魅力は国境も世代も超えると思う。5歳になる子供と一緒に歌ってると心が通い合うのがわかって、45歳っていう年齢差を感じなくなるんだ。
スター:当時幼かった僕の子供にも、あの曲はウケが良かったよ。2歳とか2歳半とかだったけど、「イエロー・サブマリン」って口ずさんでた。孫がみんな揃って、僕の前であの曲を歌ってくれたこともあるんだ。「僕らみんなイエロー・サブマリンの中で生きてる」ってね。おじいちゃんの偉大さはみんな知ってるからね、って言われてるみたいだったよ(笑)
グロール:変な質問かもしれないけど、全員が潜水艦のエンジンルームにいることになってるあの中間部のレコーディングで、どんなことが印象に残ってる?
スター:『アビー・ロード』のリマスター版のリリースの関係で、つい最近アビー・ロードに行ったんだ。中に階段があるんだけど、あそこが僕らの溜まり場だった。僕はそこにある大きな扉を開けて、その中から大声で叫んだ。ジョンは「キャプテン、どうしましょう?」なんて言ってたよ。僕らみんな、とにかく大声で叫びまくった。エコーっぽく聞こえるのはそのせいだよ。狙い通りだったね。
『アビー・ロード』のジャケ写のこと、前にも話したっけ?当初は「エベレストの頂上でジャケ写を撮ろう!」「ハワイの火山がいい!」「エジプトのピラミッドで決まりだ!」なんてふうに、何日もかけて議論してたんだ。でも結局「もういいや、そこの歩道で撮ろう」ってことで落ち着いたんだ(笑)誰も着飾ろうともしなかった。あれは全部、当日のメンバーの私服だったんだよ。それが良かったわけだけどね。
グロール:愛はビートルズにとって普遍のテーマだったと思う。初期なんかは…
スター:全部ラヴソングさ。
グロール:初期は女の子のことを歌ったラヴソングが多いけど…
スター:「抱きしめたい」(原題「I Want to Hold Your Hand」)とかね。
グロール:もっと普遍的でスピリチュアルな意味での愛について歌うようになったのは、どの時点だったんだろう?
スター:67年頃、『リボルバー』の頃からじゃないかな。僕たちみんな大人になりつつあったし、いろんな変化を経験してたからね。ドープも吸ってたし!いろんなことがクリアになって、スタジオでのスキルも身についてたから、自分たちのヴィジョンを形にしていったんだ。
グロール:優れたドラマーって、8小節聴けばそれが誰のドラムかわかると思うんだ。目指すべきゴールはそこだと俺は思う。そのカギは独学ってことじゃないかと思うんだよね。自分のやりやすいようにやることで、いろんな制限から解放される。俺たちもそうだけど、バンドをやってるやつなら誰でも、「そこでリンゴっぽいフィルを入れてくれ」って言ったことがあるはずだからね。
スター:君からそう言ってもらえるのは嬉しいね。理論武装しなかったっていうのは、確かに重要だったかもしれない。ドラムキットは必ず右利き用に組まれてたしね。僕は左利きだけど、気にせずそのまま使ってた。左利きとして一番やりやすい方法でやってたら、それが自分なりのスタイルになったんだ。フィルを入れる時に若干間が生まれるんだけど、それが個性になったわけさ。右手を使うのは何かを書くときだけなんだ。ゴルフも左手でやるしね。
グロール:(笑って)そういう変わり種のことを指すスラングがあってもいいのにな。
スター:「知ってるか、リンゴは左利きのゴルファーなんだぜ」「マジかよ!彼は何もかも諦めたかと思ってた」
(2016年の)グラミーのプレパーティーでは君に驚かされたよ。誰と一緒にやったんだっけ、ベックだったかな?
グロール:そうだよ。
スター:君のスタイルのことはよく知ってるつもりだからね。(息子の)ザックには(ドラミングにおいては)全部叩こうとする必要はないって言ってるんだ。君がやってるようにね。でもあの時、君のストレートなプレイを初めて聴いて驚いたよ。鮮やかだった!
グロール:ありがとう、リンゴ。嬉しいよ。
スター:こういうのを予想してたからね(手で性急なリズムを刻む)
グロール:ビートルズや初期のロックンロールを聴きながら独学でドラムを覚えた俺は、何よりもグルーヴに夢中になったんだ。パンクのエネルギーや高速プレイなんかも大好きだけど、俺にとって何より大切なのはフィーリングやスウィング感、そして曲のシンプルさなんだ。人の体はそういうものに反応するからね。
スター:同感だね。ドラマーの役割はアンサンブルを束ねることだ。僕はドラムを叩くとき、絶対にヴォーカルの邪魔をしないようにしてる。ヴォーカルが歌ってるときに、「Drum Boogie」(ジーン・クルーパによる1941年発表のジャズのスタンダード曲)みたいなのは必要ないからね。僕はソロもやらないし。そもそも好きじゃないからね。
グロール:前にもこういう話をしたことあったよね。確か練習方法について話してて…
スター:僕は練習なんかしたことないな(笑)
グロール:俺も!だって1人で演奏してもつまんないもんな。俺はバンドじゃないと楽しめないんだ。
スター:君となら一晩中演奏できるだろうけど、独りでやってるとすぐ飽きちゃうんだよね。「うーん、なんか違うな」ってなっちゃうんだ。コンサートをやると、よく7歳くらいの子供を連れたファンにこう言われるんだ。「この子はトミーっていうんです。あなたの大ファンで、今ドラムのレッスンを受けてるんです」みたいなさ。そういうとき、僕はいつもこう返してるんだ。「あんまりたくさんやらせちゃダメだよ」
グロール:(あなたの)本について話してよ。
スター:『Another Day in the Life』は、誰もが愛おしく思うものについて表現しているんだ。ツアー中、君はオフの日をどんな風に過ごしてる?
グロール:ホテルの部屋で曲を書いてるよ、マジな話。
スター:なるほどね。僕は部屋でスプーンの写真を撮ったりして、それをアルバムに収めてるんだ。あるいはバルコニーにやってきたワシの写真を撮ったりね。あと食べ残した食事の写真なんかも。気になったものは何でも撮るんだ。
グロール:俺ら2人とも、何かに打ち込んでないといられないタイプなんだろうね。
スター:性ってやつだね。
”ニルヴァーナを否定する人はいない。彼(カート・コバーン)は感情の塊のような人物だった。僕はそういう人に惹かれるんだ、自分がそうだからね。勇気を持った人なら、彼の音楽に魂を揺さぶられたはずだよ。彼は勇敢だったから” ー リンゴ・スター
グロール:性か、まさにその通りだ。俺は子供の頃、裏庭で木の枝を集めては、ミニカーを走らせるコースを自作してたんだ。ある日俺は持ってたカセットデッキを使って、マルチトラックレコーディングをする方法を考えついた。カセットにギターのパートを録って、それを再生しながら別のテープデッキを走らせて、フライパンやら何やらを叩いてビートを録ってた。俺はずっとそんな感じで、とにかく何かやってないと気が済まなかったんだよね。
多分、俺たちは似た者同士なんじゃないかな。俺は家具の卸売店で働いてたんだ。自分がミュージシャンとして成功するなんて、当時は思ってもみなかった。俺はいろんなバンドでやってて、ツアーから帰ってくるたびに、また雇ってくれってその店に頼み込んでた。それで十分満足だったんだ。だからニルヴァーナの人気が出たときはこう思った。「俺もしかして…」
スター:「…もうあの仕事に戻らなくてもいいのかも!」ってことか。でもバンドはリスキーだからね。最初のレコードが売れても、それっきりになる可能性だってある。
グロール:その通り!
スター:僕らだって「ラヴ・ミー・ドゥ」が最初で最後のヒットであってもおかしくなかった。インタビューで「僕らの人気は4年くらいしか続かないだろう」なんて発言したこともあったからね。
グロール:ギャラの小切手を初めて受け取ったとき、親父がこう言ったんだ。「お前、これがずっと続くと思ってないよな?これが最後になるかもしれないってことを、絶対に忘れるなよ」ってさ。夢を見させまいとしてたんだろうな。おかげですげぇビビったよ。
ー リンゴ、あなたはニルヴァーナを聴いてどう思いましたか?
スター:素晴らしいと思った。彼(カート・コバーン)は感情の塊のような人物だ。僕はそういう人に惹かれるんだ、自分がそうだからね。ニルヴァーナを否定する人はいないだろう。彼がああいう運命を辿ったのは悲しいことだけど、勇気を持った人なら彼の音楽に魂を揺さぶられたはずだよ。彼は勇敢だったからね。
彼の生涯のことをよく知っているわけじゃないけど、僕自身この世界で多くの友人を早くに亡くした。その度に思うんだよ、そんなに苦しい思いをしていたのならどうして話してくれなかったんだろうってね。天才は27歳までに死ぬっていうあれを、僕はたくさん目にしてきた。あの数字は一体何なんだろうね、まるで呪いだ。神様の思し召しなのかもしれないけどさ。
ジョンがこの世を去ったとき、僕はバハマにいた。ロスに住んでた継子から電話があって、「ジョンに何かあったらしい」って言われたんだ。それからしばらくしてまた電話があって、こう聞かされた。「ジョンが死んだ」ってね。その瞬間、目の前が真っ白になった。それでも、犯人に対する憎しみだけははっきりと覚えてた。とにかくニューヨークに向かおうと、僕は飛行機をチャーターした。何をすべきなのかわからなかったけど、僕らは彼らの家に行った。何かできることがあれば言って欲しいと伝えると、ヨーコはこう言ったんだ。「じゃあショーンと遊んであげて。気を紛らわせてあげたいから」ってね。言われた通りにしながら、僕はこう考えてた。「これから一体どうなるんだろう」
今年になってプロデューサーのジャック・ダグラスに聴かせてもらうまで、僕はジョンのあの曲(1980年に残されたレノンのデモ集『Bermuda Tapes』に収録されていた「グロー・オールド・ウィズ・ミー」)を聴いたことがなかったんだ。曲を聴いて、ジョンは今も僕の心の中で生きてるんだって思ったよ。それで僕は、あれを自分のアルバムに収録することにしたんだ。昔ジョンからあるCDをもらった時、何で僕にくれるのかって聞いたら、彼はこう言ったんだ。「だってリチャード・スターキー(スターの本名)にぴったりだからさ」
グロール:でもそれを聴いたことはなかったんだね。
スター:聴けば聴くほど、僕のことを思い浮かべてくれているのが伝わってくるんだ。(ジョンのふりをして)「リンゴ、これは君にぴったりだよ」って言ってくれてるみたいでさ。40年前に、彼が僕のことを思いながらテープを作ってくれてたなんて、考えただけで胸が詰まるよ(少し涙ぐむ)。問題がまるでなかったわけじゃないけど、僕ら4人はいい友達同士だった。僕は最高にイカした仲間に恵まれてたんだ。それだけに、悲しみは底知れなかった。ロスに戻ってからも、何も手につかなかった。
ジョージが亡くなったときもそうだった(涙をぬぐい、声を震わせる)。僕はすぐ泣いちゃうんだ、いい歳なのにさ。死を迎える直前、彼は苦しそうにベッドに横たわってた。でも娘が手術を受けることになってたから、僕はボストンに行かなくちゃいけなかった。「じゃあ、そろそろ行くよ」って声をかけると、彼はこう答えた。「僕も一緒に行こうか?」って。死の淵にいながら他人のことをそんな風に気遣える人なんて、一体どれくらいいるんだろうね。
ー アルバムに収録された「グロー・オールド・ウィズ・ミー」には、ポール・マッカートニーが参加していますね。
スター:うん、僕が頼んだんだ。ポールは僕のアルバム5~6枚に参加してくれてる。お互いのタイミングが合うときに、スタジオに来てもらうんだ。彼は文句なしに素晴らしいプレーヤーだし、あの曲により感情的な深みをもたらしてくれると思ったんだ。当初ジャック・ダグラスはオーケストラを使おうとしてたんだけど、僕はカルテットで十分だって主張した。ジョンが書いた曲を僕とポールが演奏し、さらにジャックがいかにもジョージ・ハリスン的なギターリフを弾いてるんだから面白いよね。
ー デイヴ、あなたはカートの死後に彼の曲を何度か演奏していますが、それが彼の死を乗り越えることにつながったと思いますか?
グロール:彼の死を悼むことに、正解も間違いもないと思ったんだ。感情に振り回されるくせに、感覚は麻痺してしまってた。楽しかったことを思い出した次の瞬間、とても辛い出来事が蘇ってきたりした。あれからしばらくの間、俺は音楽から遠ざかってた。ラジオも一切聴かなかった。でも気づいたんだ、音楽は唯一心の傷を癒してくれるものなんだって。音楽を通じて、この悲しみと向き合おうと思った。それで俺は自分で曲を書き始めたんだ。
自分がよく知る人物が等身大以上の存在として世間から認識されるようになるのって、すごく複雑な気分なんだよ。インタビューの場で、そういう極めて個人的なことについて尋ねられることもね。身近な存在の死について、誰も進んで赤の他人に話そうとなんてしないはずだからさ。
スター:その通りだね。
グロール:「弟さんが死んでどう思いましたか?」とか「ご家族を亡くしてどんな気分ですか?」なんて、会ったばかりの人に尋ねることじゃない。しばらくはそういうのが辛かったけど、いつまでも立ち止まっているわけにはいかない。そしてそういう時に背中を押してくれたのは、やっぱり音楽だったんだ。それ以前にも何度か、俺は音楽をやることによって救われてた。
過去26年間で、ニルヴァーナの曲を演ったのはほんの数回だよ。俺は自分なりに一線引いてるつもりなんだ、残念だけどね。ロックの殿堂入りを果たした時と、2年ぐらい前にやったショーで演奏したくらいじゃないかな。ニルヴァーナの曲を演ると、すごく不思議な気分になるんだ。古い友達と再会したっていうのに何かが足りない、そういう感じさ。何年か前、俺とパットとクリス・ノヴォセリックっていうバンドの元メンバーに、ポール(・マッカートニー)を迎えて曲を録った時もそうだった。俺ら3人が一緒にやるのはすごく久々だったけど、まるで何のブランクもなかったかのようにスムーズだった。ダウンビートっぽいのをいくつかやったんだけど、クリスと俺が音を合わせただけでニルヴァーナのサウンドになった。絶対に俺たちにしか出せない音だよ。最初の20分間、俺はクリスとパットと一緒に音を出しながら、まるで夢を見てるような気分だった。でもある瞬間にハッとしたんだよ。「待てよ、ポールも一緒なんだった」ってね。
ー ポール・マッカートニーとスタジオ入りしてみていかがでしたか?
スター:彼は最高のベーシストさ。素晴らしく独創的で、誰よりもメロディックなベースを弾くんだ。
グロール:俺は彼と何度かジャムったけど、ビートルズとしての彼のイメージが強すぎるせいか、みんな彼のミュージシャンとしてのスキルに圧倒されてたね。特にベースを持たせたら、彼の右に出る人はいないよ。彼はマジで最高のプレーヤーさ。まぁ「ヘイ・ブルドッグ」のベースラインを聴くだけで、そんなことは明らかなんだけどさ。
スター:あれってどうやって思いついたんだろうね。
グロール:さぁね、彼は宇宙人なのかもしれないな。
ー あなた方はどちらも、超キャッチーなドラムパターンを生み出す達人です。フックを考えるのと同じ感覚なんでしょうか?
スター:(「カム・トゥゲザー」のビートを手で刻みながら)あれってどう思いついたのか、覚えてないんだよね。メンバーから聞かれてもそう答えてたけど、うまくハマったんだよね。ジョンもすごく気に入ってくれてたよ。
グロール:エアドラムは重要だと思う。そうすることで、ドラムの叩き方なんかまったく知らない一般人の感覚が何となく掴めるんだ。好きな曲を何気なく口ずさむのと似てるね。
名前は伏せておくけど、取材である人物からこう言われたことがあるんだ。「でもドラミングはソングライティングとは無関係でしょう」ってね。「何だと?ふざけんじゃねぇ!」て言い返してやったよ。俺は誰かから教わったわけじゃないけど、(「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」の冒頭のパターンを叩くふりをしながら)これがあの曲のイントロだってことは誰でも知ってるはずさ。ドラミングはソングライティングと同じくらい重要なんだ。テクニックを見せつけるだけじゃなくて、他の楽器と同じようにメロディックで音楽的になれる。「カム・トゥゲザー」のパターンを手で刻むだけで、それがあの曲だって分かるんだからさ。