シャキール・オニールは素っ裸だったが、誰も気に留めていない様子だった。1996-97シーズンにおける、ロサンゼルス・レイカーズのホームでのプレシーズンマッチ初戦は、1億2千万ドルという巨額のフリーエージェント契約費を取りつけたシャックの調子をチェックする絶好の機会だった。にも関わらず、ポツンと立った彼の視線の先にあったのは、大勢のレポーターたちに囲まれた18歳のルーキー、コービー・ブライアントの姿だった。
ブライアントにとって、それは思い描いた通りの光景であり(素っ裸のスター選手の存在は計算外だったに違いないが)、彼はその状況を楽しんでいた。わずか数年前には中学生だった彼は、高校卒業後はNBAでプレーすることが既に決まっていた。フィラデルフィアのLower Merion High Schoolの神童はそれ以降、Southeastern Pennsylvania High Schoolのウィルト・チェンバレンが保持していたあらゆるスコア記録を(500点以上の差をつけて)塗り替え、チームを州大会優勝に導くとともに、USA Todayの年間最優秀高校生プレーヤーに選出された。また彼は契約金350万ドルでレイカーズと3年契約を交わし、スニーカーのコマーシャルに登場し、『The Tonight Show』『Rosie ODonnell Show』等のトーク番組や、『Moesha』『Arliss』『Sister, Sister』等のシットコムにも出演した。それらはすべて、彼が大学を飛ばしてNBAでプレーし始める以前の話だ。
ロッカールームの端で、オニールは笑っていた。数分後、彼はブライアントのチームメイトたちが注目を一身に集める彼に嫉妬しているかと記者から問われていた。彼がショーボート(スタンドプレーヤーの意)というあだ名をつけたルーキーに目をやると、オニールは再び笑顔になった。
記者にそう話すと、彼は人の群れをかき分けて進みながら、「グレイテスト・ラヴ・オブ・オール」の替え歌を口ずさみ始めた(彼はプロのシンガーでもある)。「ショーボートはチームの未来/そのマザーファッカーにボールを集めろ」。ニヤリと笑ったオニールは、自身のロッカーに向かいながら一層大きな声で歌い始めた。「ショーボートはチームの未来…」幼い頃、コービー・ブライアントの関心ごとは他の子供たちとは違っていた。正確に言えば、彼の興味は2つだけだった。それは自分がどの程度、そしてどれくらい早く有名になるかということだった。ブライアントが虐待を受けた子供たちの支援センターを訪れたいと話した時(「僕が大人になる頃には、多くのNBA選手がそういう場所を訪れるようになっていると思ってた」彼はそう話す。「あの頃こう言ったんだ、機会があれば自分も力になりたいって」)、彼は既に自分が一般市民ではなく、United Wayのコマーシャルに出演するような一流アスリートになると確信していたのだろう。
ブライアントの人生の方程式には、常に名声という要素が含まれていた。父親のジョー・「ジェリー・ビーン」・ブライアント(フィラデルフィアのセブンティシクサーズを中心に、NBAで8シーズンに渡ってプレーした)がイタリアのプロバスケットボールリーグのスター選手だったため、彼は6歳から14歳までイタリアで過ごした。
ジョー・ブライアントの才能を受け継いでいたコービーが父親を凌ぐプレーヤーになるであろうことは、早い段階から予想されていた。成長が早かっただけでなく(中学2年の時点で187センチに達しており、現在は2メートルを超えている)、彼は電光石火のごとき俊敏さと驚くべき跳躍力を誇った。そのチャーミングさと父親譲りの派手なプレースタイルを自覚していたコービー・ブライアントは、その頃から自分にはコートの内外で注目を浴びるスーパースターとしての資質があると感じていた。それ以来、彼は自分の両面を磨き始めた。「バスケがすべてだった」彼はそう話す。「バスケが彼女だったんだ」
「俺の高校生活はのんびりしてて、映画を観たり、気が向いたら1on1をやったりしてた」ブライアントの親友の1人、Matt Matkovはそう話す。「でも俺がパーティーしてる時も、あいつはバスケをしてた。俺が朝起きる頃、あいつは既にバスケをやってた。授業が始まる前にね」
バスケットボールの技術は言わずもがなだが、彼が試合で本格的に活躍し始める以前からL.A. Forumのファンのハートを掴むことができたのは、彼がコートの外で発するカリスマ性と威圧的でない存在感が大きな理由だろう。彼は明るいだけでなく、年齢に見合わない落ち着きとチャーミングさを持ち合わせている。彼は19歳にして既に、マイケル・ジョーダンやトム・クルーズが長年にわたる脚光の中で培ってきた親近感のようなものを醸し出している。
「コービーはそういうやつなんだ」Matkovはそう話す。「レポーターを前にすると、文法なんかをきっちり意識した話し方で、いかにも彼らが喜びそうなことを言うんだ。ファンを増やすために、そういう有名人モードのスイッチを入れるんだよ」
高校時代にブライアントが残したエピソードの中でも最も有名なのは、彼に手を焼いていた学校の経営陣にサインをせがませたプロムでのことだ。彼が連れてきたのは、ポップシンガーで『Moesha』の主役だったブランディーだった。2人は1996年にニューヨークで行われたEssence Awardsの会場で出会った。
「友人に彼女を誘ってもらって、彼女はお母さんに許可を求めたらしいよ」ブライアントはそう話す。「信じられないだろ?自分でも『マジかよ、ブランディーだぜ?』って感じだったからね」
プロムでの写真はPeople誌やJet Magazine等にも掲載された。ブライアントは17歳にして既に、国内のトップクラスのカレッジバスケ選手たちと同じくらい有名になっていた。卒業後はいくつかに絞った大学(デューク大学が最有力だった)かNBAに進むかで迷っていたが、ブライアントは同校の体育館で記者会見を開き、その場でプロになる意向を表明した。それと同時に、世間からの批判が始まった。
コービーの母親パム・ブライアントは、過去のあるエピソードを明かしている。コービーが運転免許を取った時、彼女は彼に父親のBMWを運転する際には、必ず免許と車両登録証明書を携帯するようにと念を押した。その理由は、若い黒人は理由もなく警察に呼び止められるからというものだった。
「それでどうなったと思う?」彼の母親は続ける。「2週間後に、彼は警察に呼び止められたの。年齢に見合わない車を運転しているからっていう理由でね。コービーが免許証を見せると、その警察官は彼にサインをねだったのよ」真摯に応じたコービーは、帰宅すると笑ってこう言ったという。「やっぱり備えあれば憂いなしだよ」
コービー・ブライアントはいくつかフリースローを決めると、筆者の姿を見つけてレイカーズの練習用コートから離れた。1997-98シーズンの中盤のある早い午後、筆者が最後に彼と話してから約1年が経っていた。その間に、状況は大きく変化していた。笑顔を浮かべた彼は筆者とハグを交わすと、昨シーズンに剃った頭を撫でた。
「この頭見てよ」ブライアントは笑ってそう話す。「毛が生えたんだ」
言うまでもなく、変化はそれだけではない。例えば身長は2.5センチ伸び、たくましい筋肉によって体重は4.5キロ増加した。しかし、もっと強調すべき変化は他にある。
最も特筆すべき変化は、彼がNBAのオールスターチームの1軍入りを果たしたということだ。彼が史上最年少で選出された背景には、マイケル・ジョーダンに代わるスーパースターを必要としているNBAの思惑があることは明らかだった。NBAのプレーオフで活躍する姿だけでなく、彼が新人王に選出されたティム・ダンカン、そしてヒップホップ界の女王ミッシー・エリオットと共にラップするスプライトのCMを見たことがある人は多いだろう。
今年のオールスターゲームは、ブライアントに対する世間の熱狂ぶりを物語っていた。レイカーズは過去15年間で初めて4人の選手(ブライアント、オニール、エディー・ジョーンズ、ニック・ヴァン・エクセル)を送り出したチームとなったが、ブライアントが主役であることは明らかだった。レイカーズでは先発していないことを考えれば、これは快挙と言えるだろう。試合のハイライトをテレビで観た人々は、試合にはブライアントとジョーダンしか出ていなかったと思ったに違いない。ニューヨーク滞在中、彼はNBCの『Meet The Press』への出演も果たした。
その一方で、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンのコートを駆け回る彼のプレーは、彼に苛立っている選手たちがいる理由を示していた。活躍を重ねることでキャリアを築き上げてきた他の選手たちに、彼はパスを回そうとしなかった。試合の途中でカール・マローンは彼に注意しようとしたが、ブライアントは聞く耳を持たなかった。試合後、マローンは怒りをあらわにした。ブライアントがジョーダンとの1on1にこだわり過ぎ、東海岸と西海岸の選抜チームの優劣を決定するという試合の大義を忘れてしまっていたとして、ベテラン選手たちは不満を示していた。
「NBAとNBCのやり方は、彼に悪い影響を与えてしまった」レイカーズのコーチDel Harrisはそう話す。「彼は以前はチームワークを重んじていた。でもあれ以来、彼はもっと自己中心的なプレーをするようになった」
それはパフォーマンスの悪化につながっていた。オールスター開催前、ブライアントのシュート成功率は45パーセントを誇り、1試合の平均得点は18に達そうとしていた。しかしオールスター開催後は、シュート成功率は34パーセント、平均得点は14に下がった。彼は自身のプレースタイルを省みる様子は見せていない。「少しトーンダウンして、チームのコンセプトに寄せる必要はあると思う」彼はそつなくそう答えている。「でも僕は攻撃的な選手なんだ。それを失わないことも、同じくらい大切だと思う」
自身のスターダムについて、ブライアンは自分なりの考えを伝えようとしている。「僕はいつかリーグにおける最高の選手の1人になりたいと思ってた」彼はそう話す。「でも、今すぐそういう存在になることを求められるとは思ってなかった。誰もが僕を、次のマイケル・ジョーダンとして見ている。そういうスポットライトからひっそりと逃れるつもりだったけど、どうやら他の道を選ばないといけないみたいだ」
1年という歳月の間に、物事は大きく変化する。筆者が最後にブライアントに会った時、彼は様々な思いがジェットコースターのように上下したシーズンを経て、契約更改の交渉に臨んでいた。彼はリーグのスラムダンクコンテストで優勝し、ルーキーのオールスター大会で史上最高得点(31点)を記録した。その一方でレイカーズの試合では、彼はジャージを脱ぐことになるかどうかもわからないままベンチで控えていることが多かった。そして今、彼の名前はもはやチームの看板となっている。「皆ことを急ぎすぎだし、プレッシャーを与えすぎている」Harrisはそう話す。「彼はいろんなものを引き寄せすぎている。あの若さにして既に、彼は複合企業のような存在になってしまっている」
”KOBE BRYANT, Tiger Woods. … Tiger Woods, Kobe Bryant.”
「コービー・ブライアントとタイガー・ウッズ…タイガー・ウッズとコービー・ブライアント」
2人の対面は、大企業のマーケティング戦略から生まれた企画というよりも、単なる18歳と21歳の若者同士の出会いといった雰囲気だった。ウッズはNikeのアンバサダー、ブライアントはAdidasの「kid with a dream」というスローガンの顔という役目を担っていた。両者の対面が実現したのは、昨シーズン半ばのことだ。ウッズはコービーに挨拶しようと、バンクーバー・グリズリーズを破った直後だったレイカーズのロッカールームを訪れた。
「18歳か」ブライアントと握手を交わしながら、ウッズはそう口にした。「ようやく自分よりも若いアスリートに出会えて嬉しいよ」
2人は各ブランドの商品の広告塔だった。有名アスリートをCMに起用し、キャッチコピーとともにその商品を売った後、彼らが身につけたアクセサリーも売るというのが最近のマーケティングの定石だった。プロのチームと契約するよりも前に、ブライアントはアディダスと契約を交わしていた。「まだ選手として評価されてなかったのにね」彼はそう語っている。「僕は自分にハッパをかけるつもりで、あの話を受けることにしたんだ」
「バスケ以外の道でも、コービーは成功していたと思う」ジョー・ブライアントはそう話している。「彼が優れているのは運動能力だけじゃない。その人柄や、優れた自己管理能力も彼の魅力だ。だから彼が成功するのは目に見えていたよ、その2つの長所を別々に生かそうとしていたしね。でもバスケ選手としてのインパクトに彼の人柄という魅力が加われば、まさに鬼に金棒だ。マイケル・ジョーダン級のメガスターだって夢じゃない」
練習を終えたコービー・ブライアントは、セットアップのジャージに着替えると、愛車の黒のBMW740iに乗り込んだ。彼が向かう先はビーチだが、ブライアントの目的は付き人を従えてのんびりすることではない。海に到着すると、彼は車をGolds Gymの駐車場に停めた。彼は帰宅前に、いつもここでもう一通りワークアウトをこなす。ビーチとそのジムは、彼が毎日のように訪れるほとんど唯一の場所だ。
ブライアントはパシフィック・パリセーズ(すぐ近所では映画『ベイウォッチ』の撮影が進行中だ)に、6ベッドルーム+6バスルームの一軒家を借りている。彼はそこで両親と、Santa Monica City Collegeに通う20歳の姉Shayaと一緒に暮らしている。彼のもう一人の姉で現在22歳のShariaは今年、フィラデルフィアにあるTemple Universityを卒業した。彼女の専攻科目は国際ビジネスであり、在学中はバレーボール部に所属していた。
「俺の両親は離婚してたから、俺はよく(ブライアント家に)入り浸ってた」Matkovはそう話す。「コービーの父さんは俺にとっても父親みたいな存在で、すごく幸せな時間を過ごさせてもらった。彼らはみんな嫌がるんだけど、俺はあの一家のことをよく『ゆかいなブレディー家』に例えてた」
一部の人々はその破格の10代の若者が挫折することを望んでいるが、ブライアントの今の生活は実のところ、これまでに送ってきた人生の延長に過ぎない。彼を育んだのは周囲の環境であり、そのシンプルな環境には常に名声とリングがあった。「遠征中、翌日に試合があるのに遊びに出かけるのが僕には理解できない」ブライアントはそう話す。「プロとしての自覚が足りないと思うね」
レイカーズの遠征期間中、チームメイトたちがレストランやナイトクラブに出かける時も、ブライアントはホテルの部屋にとどまっていることが多い。ロサンゼルスの自宅にいる時は、寝室からよく友人に電話をかけるという。「夜中の3時とかに電話をかけてきて、一晩中一緒にライムを書いたりしてるんだ」高校時代からの友人であるAnthony Bannisterはそう話す。
ブライアントはBannisterが率いるラップグループ、Cheizawのメンバーだ。Bannister(彼はブライアントとの電話で、毎回最後に一緒にお祈りをしている)は同グループについて、「啓発的な内容をライムする、スピリチュアルなラップが基本」としている。コービーのヒップホップネームは、Kobe One Kenobe the Eighthだ。「スター・ウォーズ(のオビ・ワン)にちなんでるんだよ」Bannisterはそう話す。「だってやつはスターだからさ」
ブライアントのバスケの選手としてのスーパースターダムを押し広げるべき時が来たら、同グループは去年フィラデルフィアでレコーディングした曲をシングルとしてリリースする予定だという。その曲で、ブライアントは次のようにライムしている。「俺はオフェンスラインを突破する/お前のライムをコケにする/お前のマインドの視界を封じる/お前の金をかっぱらう/深呼吸して取り掛かる/試合は唐突に終わる/虚しいフィールドゴールのアドバイスなんてノーサンクス/文脈はジレットの5枚刃よりも複雑でシャープ/マイクのルーレットをシャッフル/お前の部屋番号を確かめる/俺は人差し指を慣らす /息をつき読みあげる/Cheizawの死刑宣告」
「やつは狂人さ」Bannisterはそう話す。「やつのリリックのセンスには脱帽させられる。スキルも半端ない。ナズかと思うくらいさ」
昨シーズンの終わりに、取材現場のショッピングモールで彼と初めてまともに言葉を交わした時、筆者はすぐに好感を抱いた。その前に会った時のコービー・ブライアントはチャーミングだったが、見えない壁のようなものでどこかを距離を置いていると感じた。ちょうどお昼時だったため、ブライアントはお気に入りのスポット、つまりフードコートに直行した。カリフォルニアのあらゆるファーストフード店が揃ったそこで、若き億万長者は何を食べるか迷っていた。忘れてしまいがちだが彼はまだ10代であり、ショッピングモールに出かけることはいい気分転換になるという。最近ではアーサー・アッシュ、マイケル・ジョンソン、イベンダー・ホリフィールド、ジェリー・ライス等の自伝を読んだという彼は、以前にシベリアンハスキーの子犬を購入したペットショップの前で立ち止まった。
「もう一匹飼うかもしれない」彼はそう話した。「でも本当に飼いたいのはトラなんだ」
筆者は耳を疑った。トラだって?
「そう、虎!」目を輝かせながらブライアントはそう話した。「タイソンは3匹飼ってるんだ」
その頃、ブライアントとマイク・タイソンは親友同士だった。「彼とは何でも話すよ」ブライアントは楽しそうにそう話していた。「彼と話すと、君も驚くと思うよ」。しかしその1年後、ブライアントの彼に対する考えは変わっていた。タイソンとはまだ親しくしているかと尋ねると、ブライアントはややためらいながらこう言った。「最近はあまり話してないんだ。彼が成し遂げたことと、あのアグレッシブさはリスペクトしているけどね」
ブライアントはまだ19歳だが、彼がわずか1年の間に精神的に大きく成長したことは明らかだ。それは彼の身振りや言動にも現れている。彼はナイスガイというイメージ(実際に文句なしのナイスガイなのだが)を脱ぎ捨て、ごく普通の人間らしい一面を見せることをためらわない。
フィラデルフィア警察との一悶着について話が及ぶと、ブライアントの表情は険しくなった。昨シーズンの頃は決して見せなかったような顔だ。高校時代に続き、彼は先日理由もなく車を停止させられたという。「腹が立ったよ」ブライアントはそう話す。「マジでムカついた。でも口論したって何の得もないから。おとなしくしているのが利口さ。ただ言われる通りにしたよ、見えない殺意を向けながらね」
コービー・ブライアントは最近、将来の展望について友人たちに話すことが多くなった。15年くらいプレーして、その後はイタリアで暮らすことを考えているという。そこでは現在のような注目を浴びずに済むからだろう。「今はいろんな人が近づいてくるんだ」ブライアントはそう話す。「でも誰と付き合うか、誰に気を許すかを、僕は慎重に決めてるんだ」
「あいつはいつも女に囲まれてるよ。何しろやつはコービー・ブライアントだからね」Bannisterはそう話す。「まるで興味なしだけどね。だから俺がいつも追い払ってやってる。あいつは俺のことを『真実の人』って呼ぶんだ」
そのことを話すと、ブライアントは笑った。「随分前のことだけどね」彼はそう話す。「今は僕の姉がその役目を果たしてくれてる。僕が望む望まないに拘らずね」。ブライアントは再び笑った。「僕だって人間だから、楽しむことはあるよ。でも自分を安売りすることはしたくない。僕には達成したいことがたくさんあるからね」
マスタープラン、というわけだ。
昔からのルールに忠実に、ブライアントは日中はひたすらバスケに励み、夜はバスケ以外のことに惑わされないよう努めている。「シャックとはよく話すよ」彼はそう話す。「『いつか俺たちでここを仕切ろう』ってね」
しかし、すべて計画通りというわけではない。ブライアントは現在、レイカーズの6番手に甘んじている。主な理由はやはりデータだ。Harrisは1分間のプレーで、各選手がどれだけ頻繁にシュートを放っているかを記録している。ナンバーワンはオニール、2位はマイケル・ジョーダン、そして3位がブライアントだ。どのように計算しても、オニールとブライアントを一緒に長くコートにおいておくことはできない。ブライアントがパスを回さない限り。
「彼と私の考えが一致していないのは事実だ。私は彼にもっとボールを回させようとしているが、彼は自分1人で戦おうとしている」Harrisはそう話す。
問題はやはり、ブライアントが1人でも戦えてしまうということだ。彼は時々(あるいは頻繁に)、かつて誰も見たことがないようなプレーをやってのける。その一方で、いかにもセミプロのNCAAでの経験ゼロでNBAに入った子供として映ることもある。「世間がどう思っていようとも、私は決してコービーを押さえつけようとしているわけではない」Harrisはそう話す。「今のチームにとって、彼はスタメンには適していない。彼はマイケル・ジョーダンを目指す前に、コービー・ブライアントという才能を開花させなくてはならないんだ。その道のりはまだまだ長い」
しかしその考えは、彼を崇める14歳のNBAファンには理解されないだろう。ロサンゼルスのあらゆるスポーツ用品店において、ブライアントと同じ背番号8のレイカーズのジャージの売り上げは、オニールを含む全選手の中でトップだ。準備が整っていようといまいと、NBAはコービー・ブライアントを21世紀のスターに選んだのだ。
ショッピングモールで彼と過ごした日のことが思い出される。別れ際になって、ブライアントはシナモンプレッツェルの売店の前で立ち止まり、筆者にも食べてみるよう勧めた。プレッツェルを片手にエスカレーターに乗った彼は、「これマジで美味くない?やめられないんだよね」と、キャンディショップを訪れた子供のように無邪気に話す。その直後、彼は人懐っこそうな笑顔を浮かべ、その大きな手を広げてハグをすると、億単位の金を稼ぐ一流アスリートに相応しいBMWに乗り込んだと思いきや、エンジンを吹かせてあっという間に去っていった。目を離したすきにいなくなる子供のように。