3月初頭、トニ・グロービスとブランドン・バーニーのカップルは、今後数カ月間は忙しくなることを覚悟していた。2人は、ピアニストのマイク・ガーソン、ベーシストのカーマイン・ロハス、ギタリストのジェリー・レオナルドを筆頭に、デヴィッド・ボウイのライブバンドの主要な元メンバーたちがボウイの名曲やマニアックな楽曲を演奏するために一堂に会したツアー、A Bowie Celebration: The David Bowie Alumni Tourにツアークルーとして携わっていたのだ。グロービスの担当は照明、衣装、ステージエフェクト。バーニーは、ステージマネージャーとギターテクニシャンを兼任していた。
春にツアーがひと段落したあとも、グロービスとバーニーは——ある時は各自で、またある時は一緒に——米ロックバンドの3ドアーズ・ダウンと英ロックバンドのジェスロ・タルの元ギタリストのマーティン・バリーがバンドの名曲を再演するツアーなど、長距離移動をともなう仕事のおかげで何カ月も忙しい日々を送るはずだった。ここから5カ月で2人が見込んでいた稼ぎは4万5000ドル(およそ481万円)以上。だが、新型コロナウイルスの爆発的な感染拡大によってライブ業界が中断を強いられると、2人は大きな不安の渦に呑み込まれていった。
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グロービス(37)とバーニー(42)は、米オクラホマ州で毎年開催される音楽フェス、ロックラホマで2016年に出会った。当時、バーニーは3ドアーズ・ダウンと仕事をしており、グロービスはフェス会場でバンドの機材等の搬出入作業を手伝っていた。現在、カップルはノースカロライナ州ローリーで借家住まいをしている。
新型コロナウイルスのニュースを知ったのは、ボウイのツアーリハーサルのためにロサンゼルスに行ってほしい、と電話で依頼された時のことでした。いままで3~4回はツアーを行なっていましたが、ここまで大規模なライブはあの時が初めてだったんです。背景幕や照明機材を積んだトレーラーバスが2台ありましたね。
3月11日には、私たちクルーはポートランド(オレゴン州)にいました。ツアーの6公演目です。ツアーの真っ只中だったので、日々の最新ニュースが入ってくるような状況ではありませんでした。公演後に機材類を車に搬入していた時、公演場所だった建物が閉鎖されたんです。チケット売り場のシャッターまで下ろしていました。私のボスは「おい、いったい何事だ?」と言っていました。
次のシアトル公演が中止になったという知らせが耳に入ってきました。それでも、私たちはシアトル行きを決行しました。
その後、朝食をとりにいく途中でマネージメント側から電話で「ツアーは中止だ」と言われました。私たちは急いでホテルに戻り、そのあとは帰るためのフライトを手配するのに必死でしたね。誰もが荷造りの終わった機材を解いていました。私物を取り出して、ロサンゼルスであれ、オクラホマであれ、ナッシュビルであれ、それぞれの場所に戻るために。

トニ・グロービスとブランドン・バーニー、2020年3月(Courtesy of Toni Globis)
空港にいるあいだ、次に予定していたジェスロ・タルのツアーも延期になったことを知りました。それだけでなく、いつもなら毎年働きに行く数々の音楽フェスまでキャンセルになりました。普段の仕事先の地元のライブ会場も休業。私は、1日で6つの仕事を失ったんです。
フライトの都合で帰宅するのに3日かかりました。6週間は留守にする予定だったので、腐らせてしまわないようにと当時は家に食べ物をまったく蓄えていませんでした。ドライフードなどは少しありましたが、冷蔵庫のなかを空にした2週間後に帰宅するはめになるなんて、想像さえしていませんでした。
いつもなら、年間プランを立てられます。「このツアーが3週間続いて、そのあとは地元のライブハウスで9公演あって、次にアイツらと6週間のツアーがあるから、いくつかのフェスはこなせるかな」という具合に。でも、現時点では不可能です。それでも、たいていの場合は臨時収入を稼ぐことくらいはできます。イベントが行われている場所のアリーナ会場でトラックの荷揚げ作業をするとか。でも、いまはどこにも仕事がないんです。「とりあえずは、7月を目標にしている」のように、地元のライブハウス経営者は口を揃えて「とりあえず」と言います。それなのに、正式にこの日に営業再開しますという人は誰もいません。
現時点では、7月まで無職です。
私たちは、正真正銘のフリーランスです。労働組合には加入していません。ツアークルーのほとんどは非組合労働者です。とりわけロックの場合はそうですね。組合労働者は、たいていの場合はブロードウェイや『キャッツ』といったミュージカルのツアープロダクションで働いている人たちです。
とにかく働きたいです。「スーパーのレジで働けばいいじゃない」と言う人もいるでしょうけど、どこも人を雇っていません。ウェイトレスという仕事を批判するつもりはないのですが、私にはそんな選択肢さえありません。選択肢として考えられるのは、運送、搬入、スーパー、あとはザ・ホーム・デポ(訳注:米住宅リフォーム・建設資材・サービスの小売チェーン)かしら。生活のためには、どこでも働くつもりです。普段の仕事は荷物の積み降ろしですから、ザ・ホーム・デポで働くことになんの問題もありません。でも、こうした仕事をするにはバイリンガルでなければいけないのです。残念ながら、私はそうではありません。職安でも「仕事を見つけないといけません」と言われるのですが、「どこで? どこも営業してないし、人なんて雇ってないじゃない」と言わざるを得ません。
バーニーは、週に300ドル(およそ3万2000円)程度の失業手当をもらっています。私は、いまだに失業手当さえもらえていません。
いくつかの銀行口座にわずかな貯金はあります。このような事態になってしまう前にいくつか仕事があったので、閑散期用の蓄えのおかげでかろうじて生活できています。でも、次の閑散期を乗り越えられるほどの余裕はありません。蓄えを切り崩していますが、補填することはできていませんから。だから、ライフスタイルを少し変えることにしました。バーニーと私は、いつもは週に一度は外出していました。行き先は、ビーチとかダウンタウンの美術館です。いずれにしてもいまは行けませんが、行けたとしても現在の財政状況では無理ですね。
この状況を乗り越えるためにできる限りのことをしている、と自分に言い聞かせています。ツアークルーとして、私はライブのためにいままで多くのことを犠牲にしてきました。葬儀、誕生日、結婚式といったさまざまなことを。いまから7月にかけては、家と車の支払いと生きていくための食費をどうやって搾り出すかを考えなければいけません。バーニーと私の両方が失業手当をもらえるようにならないと、欲しい家を買う資格さえないんです。というのも、収入があることを証明しなければいけませんから。家の掃除とか、いろいろやる時間はあります。いまは、ひたすら裁縫をしているんです。でも、不安で仕方ありません。