日本の音楽の礎となったアーティストに毎月1組ずつスポットを当て、本人や当時の関係者から深く掘り下げた話を引き出していく。
こんばんは。FM COCOLO「J-POP LEGEND FORUM」案内人、田家秀樹です。今流れているのは松田聖子さんの「SWEET MEMORIES ~甘い記憶~」。1983年のシングルでした。でも、お聴きいただいてお分かりのように、ちょっと違います。英語の部分が日本語になっております。4月1日に配信で発売になりました40周年バージョンです。当時書かれていた日本語の歌詞がマスターテープと共に発見されたそうで、それを知った松田聖子さんが、是非歌い直したいということで再録音されました。今月の前テーマはこの曲です。
2020年5月の特集は、松田聖子。1980年4月1日にシングル『裸足の季節』でデビュー、今年で40周年です。それまでのアイドルの常識や概念を打ち破りました。そしてアイドルであることと歌い手、さらに人間的な成長を両立させたという意味でも、史上唯一の存在ではないでしょうか。チャートやセールス、記録も数々あります。そして音楽的なクオリティ。中でも1980年代の彼女の活躍は、いくら語っても語りきれないほどのテーマとストーリーに富んでいます。この番組はどちらかと言えばシンガー・ソング・ライターを取り上げることが多いんですが、この番組ならではの特集になれば。40年間、彼女は何を歌ってきたのか? 彼女の功績とは何なのか? 4週間に渡って語っていこうと思います。
今回はゲストはおりません。私1人でどこまで語れるのか、どんな発見が待っているのかと思いながら始めていきます。4週間ですからね。
デビュー曲がラテンだったんですね。作詞が三浦徳子さん、作曲が小田裕一郎さん。これは化粧品会社のCMソングとして流れました。その商品名がエクボだった。歌詞の中には「エクボの秘密」っていう言葉がありましたけど、これがそのキャッチコピー。もともとモデルとして聖子さんも出演する話だったらしいんですが、聖子さんにはエクボが無くてモデルの話が流れてしまった。これはファンならどなたでもご存知な話のようですね。アルバムは同年8月の『SQUALL』に入っておりました。このアルバムが、全編トロピカルなんですよ。
1980年7月1日発売の2枚目のシングル『青い珊瑚礁』。この曲の印象が強かった方もいらっしゃるでしょう。この突き抜けるような歌声を聴いて、いい声だなあと思った記憶がありますね。作詞は同じく三浦徳子さん、作曲が小田裕一郎さん。これもアルバム『SQUALL』に収録されていましたね。デビューした時に、いくつかのプランやヴィジョンが出来上がっていたんだなというのが、このアルバムを聴いての印象なんです。アルバム『SQUALL』も作詞、作曲共に同じ作家に依頼している。1970年代に色々な方々がいましたが、そういう依頼の仕方は、いわゆるアイドルという形でデビューした方の中には多くなかったですね。松田聖子さんは1980年12月に2枚目のアルバム『North Wind』をリリースするのですが、これも作詞は全て三浦さんが手掛けていらっしゃる。曲も平尾昌晃さんが1曲手掛けているだけで、他は全部小田裕一郎さんですね。1枚目の『SQUALL』はテーマがトロピカル、季節が夏なんですが、2作目のアルバム『North Wind』は冬ですよ。1枚目は夏、2枚目は冬でというプランニングが出来上がっていたんだなというアルバムの流れですね。
1980年10月発売、3枚目のシングル『風は秋色』。アルバムは2枚目の『North Wind』に入っておりました。そしてこの3枚目のシングルで、初めてチャート1位を記録するんですね。1980年代はシングル盤が大激戦の時代ですから、シングルで一位になるのはとても大変だった。この曲も作詞が三浦徳子さん、作曲が小田裕一郎さんですね。「風は秋色」というタイトルは、とても松本隆さんっぽいでしょ。風っていう松本さんの代名詞のような言葉が入っているんですが、これは三浦さんですね。
作詞が松本隆さん、作曲が財津和夫さんというシングルの最初の曲ですね。3枚目のアルバム『シルエット』の中に「白い貝のブローチ」という曲があって、それが松本隆さんが初めて聖子さんに書いた詞で、作曲も財津さんです。松田聖子さんのそれまでのアイドルとの最大の違いは、作家陣ですよ。ニュー・ミュージック系、中でもシンガー・ソングライターが起用されている。その先陣を切ったのが財津さんだった。4枚目のシングル『夏の扉』、5枚目のシングル『チェリーブラッサム』の曲が財津さんですね。その時は作詞が三浦さんだったんですが、この「白いパラソル」から松本さんに変わります。松本さんと聖子さんは、他のどんな女性アイドルと作詞家の関係とも違うものがあるんですが、この「白いパラソル」もその片鱗が見えますね。例えば、「あなたから誘って知らぬ顔はないわ」。相手の男性にあやふやな人ねって言っちゃう。もう一つは「風を切るディンギー」っていう小道具が出てくる。この曲を聴いた多くの女性がディンギーって何かしらと思ったという話がありますが、これは1人乗り用のヨットですね。大滝詠一さんの曲にも出てきますね。こういう主人公女性のキャラクターの描き方や小道具、情景のディテールが他の作詞家と全く違う。ここから始まりました。この後のシングルを紹介します。1981年10月発売、「風立ちぬ」。
1981年10月発売、7枚目のシングル『風立ちぬ』。作詞が松本隆さんで、作曲が大滝詠一さんですね。大滝さんの曲が初めてアイドルで歌われたという曲です。聖子さんを発掘した若松さんに直接、若松さんのビジョンってなんだったんですか? っていう話を聞いた時に、答えは明快でしたね。「音楽性と文学性」だとおっしゃっていました。聖子さんは特に音楽に詳しいわけでもないし、洋楽が好きだったりするわけでもない。でも、どんな曲でも歌いこなせる歌唱力があるということは確証を持てた。いわゆる歌謡曲では、異種配合的なマジックは生まれないだろう、ニュー・ミュージック系の、彼の言葉を借りれば、小難しい作家を起用したほうが聖子が活きるんではないかってハッキリおっしゃっていましたね。それが財津さんの起用であり、作詞で言えば松本隆さんであった。文学性ということで言いますと、若松さんの愛読書が堀辰雄さんの『風立ちぬ』だった。初期のシングル曲のタイトルは若松さんが決めたとおっしゃっていました。「風立ちぬ」も「風は秋色」もそうですね。
1981年10月発売の4枚目のアルバム『風立ちぬ』から「一千一秒物語」です。さっき申し上げた若松ディレクターが意図した「音楽性と文学性」。音楽性を支えたのが大滝詠一さんですね。この曲も作曲が大滝詠一です。松本さんが大滝さんに依頼したわけですが、1981年10月は大滝詠一さんがアルバム『ア・ロング・バケーション』が発売されてから約半年後ですね。大滝さんの怒涛の復活の後です。大滝さんは自身のCDシリーズ「ソングブック」に書いていましたが、松田聖子さんに曲を提供した時には、自分のメロディがアイドルにどこまで通用するのか試したかったと。アルバム『風立ちぬ』のA面が大滝詠一さんで、B面は財津和夫さん、杉真理さん、鈴木茂さんで書いているんですが、A面の5曲は大滝さんのアルバム『ア・ロング・バケーション』とシンメトリーになっている。そして、この「一千一秒物語」というタイトルは稲垣足穂さんという作家の出世作なんですよ。音楽性と文学性がこの一曲だけでも両方あるという曲です。松田聖子さんデビュー、その後の曲には色々なストーリーがある。その要素を歌いこなしたのが松田聖子さんだった。1982年1月に発売になった8枚目のシングル『赤いスイートピー』をお聴きください。
1982年1月発売の8枚目のシングル『赤いスイートピー』。作曲は呉田軽穂、ユーミンですね。この曲は本当にいいですね、大好きですよ。ユーミンが女性アイドルに曲を書いたのは1976年の三木聖子さんに書いた『まちぶせ』以来でしょう。呉田軽穂としては初めてですね。この曲のタイトルも若松さんが決めたということでした。松本隆さんが聖子さんに書いた曲の代表作。松本さんの作風がよく現れていますね。「春色の汽車」、「雨に降られるベンチ」という情景描写、「線路脇のつぼみ」というディテールの表現の上手さ。そして半年経っても手も握らない気弱な男の子が相手という設定。これは松本さんに直接お聴きしたんですけど、1980年代の初めは”荒れる高校”という時代。週刊誌などでも女子高生の初体験の低年齢化というのが頻りと語られていた。松本さんは「そんなことないんじゃないか?」と思って書いた。「そういう風潮への反発、メディアに対しての僕のアンチテーゼだよ」と仰っていました。皆が皆そうじゃないんじゃないか、こういう気の弱い男の子がいて、そういう男の子を好きな女の子も絶体いるんだという、確信犯的に書いたストーリーだった。それももちろん興味深いんですが、今回改めて思ったのが、あなたの生き方が好きよっていう部分、ここだ! と思ったんですね。つまり、”生き方が好き”というラブソングを歌ったアイドルがいただろうか。松田聖子さんは当時の女の子の”生き方”を歌ったアイドルだった。これは改めて発見した気分であります。この曲の入ったアルバムからもう1曲お聴きいただきます。「レモネードの夏」。
1982年5月発売の5枚目のアルバム『パイナップル』から「レモネードの夏」。「今は私も二十歳 自由に生きることを覚えながら 一人で生きてる」って歌っているんです。これも作曲はユーミンですね。生き方ですよ。さっきお聴きいただいた「風立ちぬ」の中にも、「一人で生きていけそうね」っていう歌詞があります。そして、その2曲とも舞台は避暑地、高原のコテージですね。「風立ちぬ」で”1人で生きていけそうね”と歌った主人公が、1年後にあなたに会いに来たという設定ですよ。”未練じゃなくてさよならを言うために来た”という再訪。「風立ちぬ」も失恋の曲です。そこからどう生きていくか。「レモネードの夏」は1年経ってその場所にもう1回行って、私は、今はもう1人で生きていると相手に言いに行くストーリーが素晴らしいじゃないですか。1970年代のアイドルはどんなことを歌ったのかという一つの例として、山口百恵さんに「女の子の一番大切なものをあなたにあげるわ」という歌があったでしょう。聖子さんはそんなことを言わない。1人で生きていく意志のある主体性のある女の子。それが彼女の歌、特に松本さんの書いた歌では一貫していますね。この「レモネードの夏」は、シングル盤のB面でした。そのシングルのA面がこちらです。
1982年4月発売、9枚目のシングル『渚のバルコニー』。この曲のカップリングが「レモネードの夏」でした。両方とも呉田軽穂さんですね。さっき山口百恵さんの話がちょっと出ましたけど、女の子の主体性というか意志がハッキリ出るようになったのが、1970年代と1980年代の違いじゃないでしょうか。百恵さんも主体性のある女性ではありましたけど、百恵さんの主体性に発揮の仕方と、聖子さんの歌の中の主体性の持ち方がかなり違う。来週もこの話になると思います。このアルバムの中に「ピンクのスクーター」っていう曲があるんですが、これもまた面白い曲なんです。「わざと冷たくして気を引くの? それがいつもの手と知りながら走る」。相手の男の子がわざと冷たくして自分の気を引こうとするんですね。主人公の私はそれを見透かしている。分かっていながらそれにのったようなフリをして、スクーターを走らせるっていう恋の駆け引きの心理ストーリー。その辺が1970年代の女性の歌詞とは決定的に違うと思いましたね。
それともう一つ違いがある。「渚のバルコニー」は渚、「風立ちぬ」は高原でしょ。そして次のアルバムくらいからスキー場が登場してくる。舞台が高原とかスキー場、南の島、ユーミンがアルバム『SURF&SNOW』で描いたリゾートというのが、聖子さんの歌の大きな舞台になってくる。『SURF&SNOW』が発売されたのが1980年12月です。1970年代では手が届きそうもなかったリゾートという場所が、歌の背景になってくる。それを最大限に活かした、最大限に自分のものにした、自分のバックグラウンドのように歌ったのが松田聖子さんだった。彼女の声がそれに実によく似合っていたと言うのが1980年代の松田聖子さんの最大の特徴であり、彼女の存在感であり、ヒットの理由なのではないか? という感想を抱きました。もう1曲、そういった曲を聴いていただきます。1982年7月発売の10枚目のシングル『小麦色のマーメイド』。
1982年7月に発売の10枚目のシングル『小麦色のマーメイド』。リゾートホテルのプールサイドですよ。映画みたいでしょう。今この曲を聴きながらふと思ったんですが、若大将シリーズでお馴染み加山雄三さん。こういうホテルのプールサイドとか高原とか渚というのが似合った日本の俳優、アーティストは加山雄三さんだなと思ったら、松田聖子さんは1980年代の女性版若大将かなと思いましたね。だからどうということじゃないですけど(笑)。この曲もですね、「嫌い あなたが大好きなの 嘘よ 本気よ」という女の子の恋愛心理の裏表、好きと嫌いの使い分けというのが松本さんらしいですね。
「J-POP LEGEND FORUM」松田聖子40周年Part1。今年がデビュー40周年の松田聖子の軌跡を辿る1ヶ月。「裸足の季節」から「小麦色のマーメイド」をお送りしました。今流れているのは、この番組の後テーマ曲、竹内まりやさんの「静かな伝説(レジェンド)」です。さっきの若大将と松田聖子というのは、曲を聴きながらふっと閃いたんですけど、そういうことだったのかと自分で納得しちゃってますね。若大将、加山雄三さんがなぜ今でも色褪せないのか。1960年代にあんなにリッチで夢のある青春を見せてくれた人が他にいなかった。1980年代の女性では松田聖子さんでしょう。松田聖子さんが永遠なのは、加山雄三さんの永遠さというのに近いものがあるんではないかと、今日、さっき思いました。この番組やっていてよかったな(笑)。松本隆さんの特集は以前に本人が登場して5週間お送りしたことがあるんですが、聖子さんの40年を語る時にはやっぱり1980年代の比率が増えますね。これはもうしょうがないと思っていただけると嬉しいです。4週目には、この竹内まりやさんが提供した曲もご紹介することになると思います。ともあれ、松本隆と松田聖子、この二人は史上最強コンビです。若大将は男性だから、聖子さんは何になるんでしょうか?

<INFORMATION>
田家秀樹
1946年、千葉県船橋市生まれ。中央大法学部政治学科卒。1969年、タウン誌のはしりとなった「新宿プレイマップ」創刊編集者を皮切りに、「セイ!ヤング」などの放送作家、若者雑誌編集長を経て音楽評論家、ノンフィクション作家、放送作家、音楽番組パーソリナリテイとして活躍中。
https://takehideki.jimdo.com
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