キャリアの浅いアーティストたちにとって、既存のファンベースの強化と新たなファン層の獲得を目的とするツアーは不可欠だが、今はそういった従来のマーケティング戦略を使うことができない。ロックダウンが2カ月に及ぶなかで、大小様々なアーティストが実施しているライブストリーミングは既に飽和状態だ。物理的なやりとりが困難となっている現在、アーティストやレーベルは競争率の激しいオンラインの世界で存在感を示す方法を模索している。
デジタル戦略の中には比較的ストレートなものもある。2020年の第1四半期だけで3億ダウンロードを達成したTikTokへの投資は、最近目覚しい成果を上げている。またアーティストによるパフォーマンスを自宅等からInstagram Liveで生配信する動きもあれば、より大々的なバーチャルパフォーマンス等も行われている。
「クリシェかもしれませんが、発明とは必要性の中から生まれてくるものです」。エピック・レコーズの上級副社長であり、マーケティング部門を統括するデヴィッド・ベルはそう話す。「3月初旬にオフィスをシャットダウンする前に、シルビア・ローヌ(エピックのCEO)は大きな方向転換を図り、こういったマーケティングに注力することを決めました。私たちがブレインストーミングから得たアイディアをアーティストたちが早急に実施すると、それらは見事成功を収めました。私たちは先手を打ったのです」
トラヴィス・スコットはデジタルマーケティングの勝者だ。彼とCactus Jackが組んで「フォートナイト」を舞台に実施したバーチャルコンサートは、記録的な成功を収めた(スコットはエピックと契約しているが、この企画は彼のチームが独自に実現させた)。
【動画】バトルロイヤルゲーム「フォートナイト」の中で開催されたトラヴィス・スコットのバーチャルコンサート
スコットの代理人は、パンデミックが同イベントの話題性を後押ししたとしている。1200万人のファンがゲームの世界で行われたそのコンサートを視聴し、新曲「The Scotts 」(featuring キッド・カディ)は全米チャートで初登場1位を記録した。同イベント後にはスコットの過去作の人気も再燃し、ローリングストーン誌のTop 200アルバムチャートにおいて、2018年作『アストロワールド』は29位から10位圏内へと再浮上した。過去のシングル曲「SICKO MODE」と「Highest in the Room」も、同ランキングのシングルチャートでTop 30入りを果たした。
普段は物理的マーケティングの円滑化を担っているエピックのツアーマーケティングチームは、現在はデジタル方面へと完全に舵を切っており、全アーティストのバーチャル空間での露出スケジュールを管理している。ベル曰く、同チームの稼働率はパンデミック前から変わっていないという。
「当初から私が言っているのは、これがマインドセットのシフトチェンジだということです」。ベルはそう話す。「私は自分に言い聞かせていました、時代は変わったのだと。当然私たちのすべきこと、そして日々のオペレーションも変わってきます。デジタル化の動きは加速しており、レコード会社のあらゆる部署は既にデジタル専門のチームを作っています。それは巨大な変化というよりも、唐突に突きつけられた課題というべきでしょう。
3つのセクションに分けられたデジタルマーケティングプラン
ベルによると、エピックではデジタルマーケティングプランを大きく3つのセクションに分けている。アーティストおよびレーベル主導のコンテンツ(自宅パフォーマンス等)、ラジオやプレス等のメディア露出、そしてスコットの「フォートナイト」でのコンサートのような緻密なプランを伴う企画の3つだ。
エピックはチャリティー目的のバーチャルツアー「Live From Home」にミーガン・トレイナーを参加させ、彼女は自宅の各部屋で披露したパフォーマンスを、複数のソーシャルメディア上で公開した。レーベルの3つのマーケティング部門が関与した、トレイナーのツアー生活を自宅でシミュレートしようとする同企画は22万5000ドル(約2400万円)を集め、全額が慈善団体Feeding Americに寄付された。「宣伝用に実際のツアーさながらのポスターを作成しました。ややキッチュですが、『現場』らしいムードを作ろうとしました」。ベルはそう話す。「寝室、庭、キッチン、リビング等、シチュエーションは毎回変わります。あれは単なる代替イベントではなく、ファンに楽しんでもらうことを重視したマーケティングの成果だったんです」
エピックはバーチャルツアーにおける補足的マーケティングのシミュレーションも試みている。特定のプラットフォーム上で数名のファンがトレイナーと対話できるという企画は、ラジオで行われたコンテストの勝者をツアーのバックステージに招待するという従来のコンセプトをアレンジしたものだ。「さらに一歩進んだ試みを実践したかったのです」。ベルはそう話す。
アルバムの発売を延期したレーベルは少なくない。レディー・ガガの新作『クロマティカ』(当初は初春の発売を予定していたが、5月末に延期)、自身の名を冠したアリシア・キーズの新譜『Alicia』(発売日は今のところ未定)等のビッグタイトルも、この混乱の中で発売の延期を余儀なくされた。しかし本誌の取材に応じたレーベルのいくつかは、リリースのサイクルに多少の変更はあったものの、オペレーションの大部分は安定しており、明確なタイムラインに沿って作品リリースのプランを立てることができているという。
RCAレコーズの取り組み
ソニー傘下のRCAレコーズのマーケティング部署を統括するキャロリン・ウィリアムズ曰く、Intagram Liveは同社にとって最も重要なデジタルマーケティングツールとなっている。しかし、膨大な量のコンテンツが出回るなかでファンにアピールするため、各レーベルは杓子定規でないユニークなアイデアを出さねばならない。「既に多くの人が、Instagram Liveでのパフォーマンス配信に飽き始めています」。彼女はそう話す。「コンテンツが氾濫するなかで、どういったものが注目を集めるのかを見極める必要があります」
パンデミック初期、RCAはストリーミング需要が期待されたほど伸びなかったことに対し、多くのマスメディアがその競合相手となっていることが理由だと悟った。「ニーズがむしろ低下していることを知った時は、『一体どういうことなの?』といった感じでした。やがて私たちがNetflixやAppleと競合していることを知り、最もニーズが高まっているのがニュースだということに気がつきました。ニュース番組と競合するなど、それまでは考えもしなかったことです」。彼女はそう話す。
ウィリアムズによると、Global Citizenの「Together At Home」コンサートや、iHeart RadioのLiving Room Concert for Americaといったメジャーな音楽番組にアーティストを出演させることが最も効果的だという。アリシア・キーズ等がパフォーマンスを披露した曲は、パンデミックという事態のなかで新たな意味を獲得したことで、結果的に人気が高まっている。
「iHeart Radioのイベント出演は私たちが最初に着手したもののひとつで、アリシア・キーズが披露したアコースティックバージョンの『アンダードッグ』は思いがけない反響を呼びました。リリースから数カ月が経過していましたが、当時の人々の心境とマッチしたのでしょう」。彼女はそう話す。「その時私たちは、世間の感情に寄り添ったコンテンツを提供しつつ、同時にメッセージも発信するという戦略を考えつきました。必勝法があるわけではなく、今も手探りをしている状況ではありますが、私たちはNetflixやHBO等のコンテンツと競合できるエリアを模索しています」
アーティストたちもまた、パンデミック下でのマーケティングへの順応を迫られており、苦手であってもソーシャルメディアでの露出が不可欠となっている。ワーナー・レコーズ所属のシンガーソングライター、ジョシュア・スピアーズは、時間をかけて準備してきたデビューEPの『Human Now』を、パンデミック真っ只中にリリースした。同社が抱える新人アーティストの1人である彼は、ニューヨークとロサンゼルスでリリースイベントを控えており、彼のエージェントはツアーの開催も視野に入れていたが、当面の間そういった伝統的なマーケティング手法はすべて使えなくなってしまった。
彼は現在、そういった状況下でファンにアピールする術を模索している。彼はInstagram Liveでバーチャルブッククラブを開催し始め、レーベルと共同で自身の手描きのアートを用いたリリックビデオを制作したという。「今はミュージシャンの仕事内容が変わってしまってる」。
誰もがそうであるように、彼も今後はよりデジタルな露出を増やそうとしている。しかし競争率が高まる中で、彼はコンテンツの中身と提示の仕方を慎重に吟味している。「練られたものであれ思いつきであれ、手法が従来とは違うだけで、ファンにアピールするという目的は同じだ。僕はできる限り、それを誠実な方法でやりたいと思ってる」。スピアーズはそう話す。「取って付けたようなYouTubeブロガーやTikTokerに転身するつもりはないよ。クリエイティブなやり方でオーディエンスにアピールすることが求められているなかで、ただクリック数を稼ごうとしている下心丸出しのクリエイターなんて、ユーザーたちから簡単に見破られてしまうだろうからね」
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インディーレーベルの「方向転換」
インディーレーベルもまた、大々的な方向転換を実施している。ミシシッピ・フレッド・マクダウェルやR.L.バーンサイド等のレジェンドから、ブラック・キーズやサッカー・マミー等のコンテンポラリーなアクトまでを擁する有力インディーレーベルのファット・ポッサムは、これまでになく大胆にデジタル方面へと舵を切った。
ファット・ポッサムは自社のプレス工場を所有しており、フィジカル版のセールスに大いに注力してきたが、小売業界の著しい鈍化によって路線変更を強いられた。インディペンデントのレコード店とのやりとりを担当するチームは現在、YouTubeやTikTokでの広告管理を主な業務としている。「現在の状況をきっかけとして、私たちはデジタル面の強化に乗り出しました」。
同レーベルでマーケティングと流通を担当しているパトリック・アディソンはこう話す。「その大半は流行に便乗するタイプのものですが、それ以上に多くのコンテンツがYouTubeにアップされているなかで、学ぶべきことは膨大にあります」
現在ファット・ポッサムと契約しているアーティストたちの新作リリースに伴うプランも、土壇場での変更が強いられている。インディーバンドのThe Districtsは、新作『You Know Im Not Going Anywhere』のリリースツアーの真っ最中だったが、ブルックリンのWarsaw公演直前にロックダウンが実施されたことで、ツアーは完全に中断されてしまった。また同レーベルは、El-Pのアルバム『Fantastic Damage』の再発も控えていた。
最近では、ロサンゼルスの伝説的パンクバンド・Xの最新作『Alphabetland』のリリースプランの変更を余儀なくされた。しかしファット・ポッサムは、大半のケースのように発売を遅らせるのではなく、むしろ前倒しするという思い切った行動に出た。バンドにとってデジタル時代における初のメジャーリリースとなった同作は、当初はBandcamp限定で販売された。
「彼らはBandcampという選択肢を考えたことはなかったでしょうね」。Xの過去のリリース戦略について、ジョンソンはそう語る。「XはレコードやCDの時代に名声を築いたバンドであり、デジタルが中心になってからは新譜をリリースしていません。そういった背景を踏まえ、当初はフィジカル版のセールスに注力するつもりでした。しかし状況が一変したことで、選択肢は2つだけになりました。発売を1年遅らせるか、あるいは今すぐにリリースするか。その2択だったんです」
迷うことなくファット・ポッサムは後者を選択した。水曜にそれを正式に決定し、木曜にマスタリングを済ませ、翌週の水曜日に同作をリリースした。その戦略は見事に功を奏したと、ジョンソンは胸を張る。Bandcampで予想を上回る反響を呼んだ同作は、今後他のプラットフォームでも公開される予定だ。
「他の何でもなく、彼らのレコードにとってベストの選択肢をとったことが、結果的に吉と出たんです」。Johnsonはそう話す。「現在の状況を考えれば、従来のやり方では向こう2年くらい何もリリースできなくなってしまう。必要に応じて、私たちは方向転換をするだけの柔軟さを持ち合わせています。最近は『方向転換』という言葉をよく使うようになりました」