ピクサーの代表作、スタジオジブリ、AKIRA、インディペンデント系ストップモーションまで——。ローリングストーン誌が選ぶ、時代を超えて愛されるアニメーション作品のトップ40を紹介。


米国の漫画家・アニメーターのウィンザー・マッケイと18世紀末にフランスで発明されたファンタスマゴリー(幻灯機を用いた幽霊ショー)が生み出したスクリーン上を動き回る絵が大衆エンターテイメントとして定着してから1世紀以上の時が流れた。それ以来アニメーションは、蒸気船を操縦するネズミからストップモーションの狡猾なキツネ、さらには歌う7人の小人たち、超能力を持つ日本のティーン、アンダーグラウンドのヒップなネコ、熱唱するフランス人歌手トリオ、酔っ払いの古典的な好色漢や悪魔、人類を救うロボット、スーパーヒーローのファミリー、若い女性のエモーショナルな脳内、「トトロ」と呼ばれるキュートな謎の生物など、ありとあらゆるものを私たちに与えてくれた。これはものすごいことだ。かつてはお子様向けの娯楽と見られていた映像は、18歳以上の大人を対象とした実写映画と同じくらいクリエイティビティに富み、観客の感情を揺さぶることができる表現メディアへと花開いた(『アノマリサ』のような衝撃作は、実際の大人の役者を使った「大人のための映画」に匹敵する)。

今回は、ローリングストーン誌がピックアップした史上屈指のアニメーション映画40本——映画ファンのために手描きの線、コンピューターによるデジタル画像、操り人形の可能性を広げることに成功したものばかり——をランキング形式で紹介する。観る人に恐怖、感動、笑いを与え、みんなと一緒にアニメーションを観るのがどれほど楽しくエモーショナルであるかを思い出させてくれる作品である。


40位『ランゴ』(2011)

『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズ終了後、ジョニー・デップとゴア・ヴァービンスキー監督はふたたびタッグを組み、砂漠の真ん中に置き去りにされたペットのカメレオンが流れ着いた町で図らずも救世主になる、というイマジネーションあふれる新感覚西部劇アニメーション作品を世に送り出した。『ランゴ』には、クリント・イーストウッドが演じた有名な”名無しの男”やデップの出演作『ラスベガスをやっつけろ』(1998)の弁護士ドクター・ゴンゾーをはじめとするさまざまなキャラクターが登場する。だが一番の見所は、コーエン兄弟監督のコメディ作品をアニメ化したようなシュールなギャグと真面目くさったトーンだ。NM

39位『コララインとボタンの魔女』(2009)

ヘンリー・セリック監督の『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』(1993)には、観る人を不安に陥れる瞬間がある。だが、ニール・ゲイマンの児童文学作品を映像化したセリック監督の『コララインとボタンの魔女』は、不気味の一言に尽きる。自分に無関心な両親にいらだつ主人公コララインは、いつもよりずっと陽気なのになぜか空っぽの人間たちと入れ替わった別の世界に紛れ込んでしまう。
そこでは、目の代わりに黒いボタンが埋め込まれているのだ。アニメーション以外のメディアであれば直球のホラー作(SF作『ボディ・スナッチャー/恐怖の街』のようなものをイメージしていただきたい)であること間違いなしだが、セリック監督のストップモーションと抜け目ない3D技術のおかげで、目を手で覆ってその隙間からじゃないと怖くて観られない、なんて心配は無用だ。SA

38位『シャーロットのおくりもの』(1973)

子ブタのウィルバーとクモのシャーロットの友情を描いたE.B.ホワイトのベストセラー児童文学作品が作詞家・作曲家シャーマン兄弟(『メリー・ポピンズ』、『ジャングル・ブック』などのディズニー作品で有名)によってキャッチーな楽曲が散りばめられたミュージカル・アニメーションに変身した。カーニバル広場で踊り回るネズミのテンプルトンがゴミを漁りながら「カーニバルは、なんでもありの正真正銘のビュッフェなんだ!」と歌うメロディは、一度聴いたらなかなか耳から離れない。原作者のホワイトは同作が大嫌いだと繰り返し語っていたようだが、映画は原作の優しい雰囲気と哀愁を少なからず捉えている。思いがけない場所で起こるちょっとした魔法の物語である。
AW

37位『火垂るの墓』(1988)

日本アニメーション界を牽引するアニメーション制作スタジオのスタジオジブリといえば、数々の名作を生んだ同スタジオの伝説的な設立者のひとりである宮崎駿を思い浮かべる人は多いだろう。だが、宮崎のパートナーである故高畑勲もすばらしい映画監督であり、太平洋戦争末期に家族で暮らしていた町をアメリカ軍の爆撃によって失った10代の兄と幼い妹の生き残りをかけた日々を綴った心揺さぶる戦争ドラマ『火垂るの墓』は、傑作と呼ぶにふさわしい作品だ。同作の主な登場人物は子供だが、戦争と喪失をテーマとした奥深い成長物語には、絶望と怒りの感情が終始つきまとう。大人のためだけに作られたアニメーション作品の金字塔と言えるだろう。最新のピクサーもので号泣した人は、同作を観れば涙が枯れるまで大号泣すること間違いなしだ。TG

36位『ファンタスティック・プラネット』(1973)

華やかでありながらも目を背けたくなるほど暴力的。
フランスのアニメーター、ルネ・ラルー監督の『ファンタスティック・プラネット』が放つサイケデリックな寓意は、博学なミュージシャン・音楽プロデューサーのフライング・ロータスから著名なヒップホッププロデューサーのマッドリブにいたるまで、あらゆる人に霊感を与えた。不気味なアートワークと切り絵を連想させる独特なアニメーションスタイルは、いまも好奇心いっぱいの観客の度肝を抜く。ピアニストのアラン・ゴラゲールが手がけた薄気味悪いスコアは、映画のサントラではあまり耳にすることがないような不思議な雰囲気を醸し出している。同作で描かれるのは、”ドラーグ族”という青い肌の巨大エイリアンが人間をペットにして無慈悲にこき使う世界だ。メッセージ性はかなり強い。今回ランクインを果たした唯一の理由は、同作の冒険的な美的感覚にある。
CB

35位『ニムの秘密』(1982)

1970年代末期、クリエイティビティを失い始めたディズニーに幻滅したドン・ブルースはディズニーを退社する。その後、農家のトラクターに壊されないようにと引っ越しを余儀なくされる母ネズミとその家族をめぐるファンタジー・アドベンチャー作品『ニムの秘密』で監督デビューを果たした。冒険の途中、母ネズミは、亡き夫——政府が秘密裏に行っていたネズミを使った実験に関わっていた——の死の真相を知る。ロバート・C・オブライエンの原作を題材とした同作は、動物実験の恐ろしさを浮き彫りにすると同時に勇敢で賢い母ネズミの手に汗握る冒険を描いている。過小評価されてはいるものの、80年代の多感な子供たちの試金石となった作品だ。TG

34位『カールじいさんの空飛ぶ家』(2009)

”Tearjerker(お涙頂戴もの)”という単語を辞書で調べてみてほしい。
ピクサーの『カールじいさんの空飛ぶ家』の4分強ほどの印象的な導入部分は、まさにその言葉の通りだ。少年と孤独な老人の思いがけない友情物語は、いくつになっても冒険に出られるという同作の主人公にぴったりの魔法のようなリアリズムを見せてくれる(無数の風船が結びつけられた家、しゃべる犬、古き良きツェッペリン・ファイトなどの楽しい要素も満載)。同作は、アカデミー賞作品賞にノミネートされただけでなく、あのカンヌ国際映画祭のオープニングを飾る初のアニメーション作品という栄誉まで授かった。カラフルなアニメーションと意外にも観客の心に響く深い感動を踏まえると、当然の評価だ。AW

33位『ハウルの動く城』(2004)

日本アニメーション界の巨匠、宮崎駿は英国のファンタジー作家、ダイアナ・ウィン・ジョーンズの原作から着想を得た反戦映画『ハウルの動く城』で西洋と東洋の繊細なニュアンスを巧みに融合した。同作には、皮肉屋の火の悪魔の力で動く可動式のスチームパンクスタイルの城といったスタジオジブリ作品のなかでももっとも斬新な仕掛けが登場する。その城には、見栄っ張りで威張り屋の魔法使いが暮らしているのだ。旧世界のヨーロッパを東洋のレンズを通して写すことで、視覚的にも見事なラブストーリーであるだけでなく、争いを続ける人類を激しく非難し、戦争による環境への被害を描いている。英語版の吹き替えを監修したのは、ピクサーのチーフ・クリエイティブ・オフィサーを務めるピート・ドクター。米国版は、ドクターは、ローレン・バコール、クリスチャン・ベール、エミリー・モティマー、ビリー・クリスタルといった超一流俳優を声優に起用した。JS

32位『ベルヴィル・ランデブー』(2003)

1920年代のジャズ・エイジとサイレント・コメディにインスパイアされたフランスのシルヴァン・ショメ監督は、アメリカ人マフィア、ツール・ド・フランスのサイクリスト、奇妙な三つ子姉妹の歌手トリオ”トリプレッツ”といったグロテスクなまでにデフォルメされたキャラクターを総動員して一風変わった昔ながらの犯罪劇を生み出した。『ベルヴィル・ランデブー』にはキャッチーなメロディと皮肉たっぷりのギャグが目白押しだが、なかでももっともユニークなのは、その場しのぎのトレッドミル、毎日のルーティン、歌といった動きのある要素を並べてそれらがどのように展開するかを見せてくれることだ。CB

31位『フリッツ・ザ・キャット』(1972)

ロバート・クラム(アメリカの漫画家・イラストレーターで1960年代のアンダーグラウンド・コミックス運動の創始者のひとり)が生んだ、ハイになること、警官にケンカを売ること、胸の大きい女学生たちを言いくるめて集団セックスに興じることが大好きなヒップなネコのフリッツを、カルト的人気を誇るアニメーション作家ラルフ・バクシが映像化。『フリッツ・ザ・キャット』は、毒々しくも辛辣なアンダーグラウンド・コミックスという風刺として極めて強いメッセージ性を備えている(映画が気に入らなかったクラムは、新作映画を作れないようにと漫画のなかで早々にフリッツをアイスピックで殺してしまう)。初のX指定アニメーションとしての評価のせいでネコの擬人化を通じて描かれたニクソン時代のアメリカに対する反体制的な視点がかすんでしまっているのは事実だが、バクシの恐るべきアニメーションは、空虚な挑発とは程遠いものだ。大金持ち(劇中では太ったネコとして描かれている)からニヤケ顔の進歩主義者にいたるまで、あらゆる人間を標的にした真夜中のお供にふさわしい同作は、ニヒリズムとすべてをさらけ出す快楽主義が半分ずつ混ざった火炎瓶のような激しさを放っている。CB

30位『ペルセポリス』(2007)

パンクなティーンエイジャーの少女ならではの目線でイランにおけるイスラム原理主義政府の誕生を描いた、イラン出身・フランス在住の漫画家マルジャン・サトラピのグラフィック・ノベル『ペルセポリス』は、漫画史に名を残す偉業のひとつである。口紅をつけるだけで若い女性が逮捕される国で、普通の子供のように反抗したり、ヘマをやらかしたりするヒロインの成長に寄り添う同名の映画版も原作と同じくらいエネルギーに満ちあふれている(映画版はフランスのアニメーター、ヴァンサン・パロノーとの共同制作)。くっきりとしたアウトラインが印象的なモノクロのアートワークとストラピ自身の驚くべきヨーロッパへの移住体験によって同作は原作に引けを取らない、観る人を引き込む衝撃作に仕上がっている。NM

29位『Mr.インクレディブル』(2004)

クリストファー・ノーラン監督の『バットマン』シリーズによってスーパーヒーロー映画がダークなものに、マーベル・シネティック・ユニバースによって神話並みに複雑になる前から、ピクサーはマントをまとった斬新で遊び心あふれるヒーローを世に送り出し続けている。無数のスーパーヒーローものには一般市民の巻き添え被害がつきものだが、脚本家・映画監督のブラッド・バード(『アイアン・ジャイアント』で監督デビュー)は、”スーパーパワー”を持つヒーローたちが地に足のついた中産階級として普通の生活を送ろうとする姿を描き、次から次へと笑いを誘う。ようやく出番が訪れたインクレディブル・ファミリーを目の当たりにした時のワクワク感は、彼らが世界を救うからだけでなく、解放されてやっと本来の力を発揮できるからこそ感じられるのだ。力を合わせて極悪人と戦うファミリーは決して離れ離れにならないことも覚えておきたい。ST

28位『ウォレスとグルミット ペンギンに気をつけろ!』(1993)

心配性の発明家ウォレスと相棒の愛犬グルミットは、映画史屈指の最強お笑いコンビのひとつだ。『ウォレスとグルミット ペンギンに気をつけろ!』では、ウォレスとグルミットが——胴体を作るために忍耐強く色つきクレイをこねる職人の手とともに——自動ズボンこと”テクノズボン”で武装したサイコパスふうのペンギンを相手に壮大なバトルを繰り広げる(何それ? と思う人もどうか黙って続けさせてほしい)。ニック・パーク監督とアードマン・アニメーションズのクルーといえば、動物園の飼育動物たちが檻のなかでの生活をあけすけに語るクレイアニメの名作『快適な生活~ぼくらはみんないきている~』(2003年)でお馴染みだ。ウォレスとグルミットが暮らす心地良さそうな英国ふうコテージの壁紙などのディテールに注がれた労力にも注目してほしい。SA

27位『戦場でワルツを』(2008)

ドキュメンタリー的手法を得意とするイスラエルのアリ・フォルマン監督は、伝統的な実写映画づくりに慣れ親しんでいた。そんなフォルマン監督がアニメーション作品『戦場でワルツを』の題材に選んだのは、記憶の捉えがたい本質——とりわけ1982年にレバノン内戦で兵士として戦って以来、監督と友人たちが心にとどめ続けた記憶——を追求しようとした。劇中でのフォルマン監督と友人たちの会話を通じ、監督自身の記憶がゆっくりと明らかになるにつれて作品はますます陰鬱な雰囲気を増す。それは、同作が全編アニメーションによるものだからだ。通常のドキュメンタリーであれば、インタビューに答えている人の映像と再現映像を往復させる手法によって現在と過去の境界線が曖昧になる。その結果、同作は個人の体験、政治的抗議、優美さが織りなす幻覚的かつ不安に満ちた心の叫びを描いている。AW

26位『バンビ』(1942)

ディズニーの歴史を紐解くと、そこには忘れがたい——というよりは、悪評高いと言うべきかもしれない——シーンがいくつかある。ハンターに撃たれた母鹿が幼いバンビを残して死んでしまうシーンはそのひとつだ。だが『バンビ』には、命に対する美しくも詩的で前向きなメッセージが込められていること、そして死も必然であることを忘れてはいけない。命があるからこそ、緑あふれる自然界で家族や友人との絆を育めるのだ。母鹿の死によってバンビが無垢でいられる時代は終わったかもしれないが、同作は成長すること、知識を得ること、自らの4本の脚で立つことの大切さを教えてくれる。ST

25位『サウスパーク/無修正映画版』(1999)

厳密に言うと、『サウスパーク/無修正映画版』は今回のリストのなかで飛び抜けて下品でありながらも一番あか抜けた作品だ。原作者のトレイ・パーカーとマット・ストーンは、素朴なカットアウト・アニメーションをこよなく愛しているだけでなく——”無修正映画版”というサブタイトルは、彼らが生み出した下ネタのなかでももっとも単純明快なものかもしれない——2人は鋭い目を持った巧みな風刺作家であり、狙いは絶対外さない。魔王サタンとベッドをともにする元イラク大統領サダム・フセインの描写からパーカーとストーンがタッグを組んだブロードウェイ大ヒットミュージカル・コメディ『ブック・オブ・モルモン』を予告するような完璧なミュージカル作品の模倣まで見どころ満載だ。レジスタンス万歳! と叫びたくなる作品である(パンチとパイも忘れずに)。SA

24位『アクメッド王子の冒険』(1926)

公開から90年近い月日が経ったいまも、空想の世界が舞台のおとぎ話を描いたドイツの影絵作家・映画監督ロッテ・ライガニーの『アクメッド王子の冒険』は観る人をまたたくまに虜にする作品だ。映像は緻密な影絵によるものだが、その動きは流れるように滑らかである。もっともシンプルな道具が生み出した正真正銘の魔法なのだ。さらに、ライガニー監督と共同制作者たちが予め決められた計画なしに制作していたことを考えると、その偉大さにただただ驚かされる。そもそもルールというものがなかったおかげで、監督たちは3年にわたって思いのままに想像力を発揮し、実験を試み、世界初の長編アニメーションのひとつを完成させた。同作は、いまでもこのジャンルの最高傑作である。SA

23位『イエロー・サブマリン』(1968)

ビートルズの大冒険を描いた1960年代末期のサイケデリックな『イエロー・サブマリン』の「頭のスイッチを切って、流れに身を任せてゆったり漂っていこう」という雰囲気を醸し出せる映画はそう多くはない。同作の主人公であるジョン、ポール、リンゴ、ジョージに課せられたミッションは、楽しいこと嫌いのブルー・ミーニーズから海底の楽園ペパーランドを救出すること。たしかにFAB4のメンバーは声優として出演していないが、同作を手がけたジョージ・ダニング監督による幻覚のようなアニメーションとビートルズのなかでももっとも奇抜な楽曲が融合した結果、一度観たら一生忘れられないポップ・アートのジェットコースターが完成した。同作の成功は、長編アニメーションを得意とするディズニー以外にも多くの道があることをメインストリームに知らしめた。JS

22位『トイ・ストーリー』(1995)

ピクサーは、無敵のデビュー作『トイ・ストーリー』を携えて意気揚々とアニメーション界に躍り出た。パワフルなテーマ、ユーモアのセンス、独自のスタイルをはやくから備えていた同作は、やがては現代の正統派長編アニメーションのスタンダードと目されるようになる。子供時代の素朴でありながらもエモーショナルな表現を屈指することで当時は革新的と注目されたピクサーのチームは、キュートなおもちゃたちを生み出した。続編が増えるごとに『トイ・ストーリー』を見返すと、まるで古い友人に再会したような気分になる。ウッディ(トム・ハンクス)とバズ・ライトイヤー(ティム・アレン)は、最高に楽しいお笑いコンビだし、何回聴いてもランディ・ニューマンの主題歌「君はともだち」はグッとくる。CB

21位『レゴ®️ムービー』(2014)

秘密に満ちた子供の遊び道具の世界を表現できるのは『トイ・ストーリー』シリーズだけじゃない。それを証明したクリス・ミラーとフィル・ロードの両監督による楽しくもおどけた組み立てブロック玩具を題材にした映画『レゴ®️ムービー』は、超自然な甘い声とおばかさんキャラ特有のユーモアを巧みに操るクリス・プラットをスターに押し上げた。テレビドラマ『パークス・アンド・レクリエーション』の出演者のひとりであるプラットは、同作で平凡なレゴの主人公エメットの声優を担当している。ある日エメットは、悪役のロード・ビジネス(ウィル・フェレル)から世界を救うために選ばれたヒーローであることを知る。エメットの冒険はまったくの紋切り型であることは事実だが、同作はそれを完璧に理解し、爆笑必須のパロディーに仕上げている。社名にもなっている製品をテーマにした長編広告を作るのは簡単だ。だが、その製品と同じくらい楽しく、絶え間なくイマジネーションを掻き立ててくれる映画を作るのはかなり大変だ。TG

20位『ピノキオ』(1940)

「星に願いを」を歌うコオロギのジミニー・クリケット、主人公ピノキオを飲み込む巨大クジラのモンストロ、トラウマになるほど恐ろしくもシュールなプレジャー・アイランドでのシーン……ディズニーの初期名作『ピノキオ』には、映画史に刻まれた数々の要素がある。だが、イタリアの作家カルロ・コッローディのおとぎ話を題材としたディズニーの同作は、主に人間であることの意味を探求している。同作のなかでももっとも印象的なのは、木から人間へと変身した時のピノキオの表情だ。文句なしに想像力にあふれた美しい感動作である。CB

19位『AKIRA』(1988)

いまの状況を踏まえると、私たちは2019年が終わる頃にはディストピアが待ち受ける最悪のシナリオを歩んでいると言えるだろう。だからこそ、原作者で映画版『AKIRA』の監督を務めた大友克洋のサイバーパンクアニメーションの最高傑作は予言として私たちの心に響くのかもしれない。超能力を持つ暴走族がはびこる世界の終わりの後のような東京というショッキングで悪夢的でありながらもスタイリッシュな世界観はカルト的人気を獲得し、世界中のビジュアルアーティスト世代にインスピレーションを与えた(カニエ・ウェストも同作のファン)。日本のオタクとクールの象徴であり、徹底して考え抜かれたハイテク技術は何度も見返す価値がある。CB

18位『ウェイキング・ライフ』(2001)

米テキサス州オースティンの風変わりな若者を描いた大ブレイク作『スラッカー』から約10年後、リチャード・レンクレイター監督はロトスコープ(モデルの動きをカメラで撮影し、それをなぞってアニメーションにする手法)の名手ボブ・サビストンとタッグを組んでめくるめく哲学的内省、フランスの劇作家サミュエル・ベケットふうの描写、おどけた挿話が織りなす新たなアニメーション作品『ウェイキング・ライフ』を生み出した。制作中は既存の映像をトレースするという手法を使い、チラチラと光る映像は錯乱あるいはタイトルに暗示されている夢と現実の冒険を連想させる。学術レベルの深さとそこここに散りばめられた消化しやすいコメディを行ったり来たりする同作は、挑発的な状態へと誘ったのちに観る人を圧倒する。ST

17位『アノマリサ』(2015)

『エターナル・サンシャイン』でお馴染みの脚本家チャーリー・カウフマンは、しばしば登場人物を空想の世界に置く。そう考えると、ストップモーション作品『アノマリサ』の誕生は必然だったのかもしれない。カウフマンとデューク・ジョンソンが共同で手がけたロマンチックコメディでは、モチベーションを専門とする英国人講演家(デヴィッド・シューリス)が講演のために訪れたシンシナティでリサ(ジェニファー・ジェイソン・リー)という、一見どこにでもいそうな普通の女性と出会う。カウフマン特有の辛辣なウィットとささやかな不安には、人とのつながりだけでなく生きる意味へのリアルな渇望も含まれている。ラブストーリーであると同時に性格描写でもあり、現代人が抱える不安を浮き彫りにする同作は、お腹を抱えて大笑いしたくなるほど可笑しい。でなければ、胸が押し潰されそうなくらい悲しい作品だ。TG

16位『リトル・マーメイド』(1989)

荒野をさまよい続けて数10年、ディズニーはデンマークの童話作家ハンス・クリスチャン・アンデルセンのおとぎ話『人魚姫』のブロードウェイばりの映像化によってアニメーション新時代へと躍り出た。ディズニーの『リトル・マーメイド』は、人間であることのすばらしさを描いたカラフルなミュージカル・ファンタジー作品である。クオリティの高い制作と完璧な曲づくりという高いハードルを定めたのもまさに同作だ。『リトル・マーメイド』なしに『ライオン・キング』も『アナと雪の女王』も存在しなかった。同作の中でも、アラン・メンケンとハワード・アッシュマンが手がけた「アンダー・ザ・シー」や「パート・オブ・ユア・ワールド」といった楽曲のおかげでディズニーは文化史に永遠に名を刻む存在となった。ST

15位『チキンラン』(2000)

『ウォレスとグルミット』のニック・パーク監督とアードマン・アニメーションズの創業者のひとりであるピーター・ロードは、チーズが大好物の発明家と愛犬の冒険を一時中断し、アードマン・アニメーションズ初の長編アニメーションを制作した。ストップモーション作品『チキンラン』は、養鶏場で命を狙われた抜け目ない雌鳥と彼女たちを救おうとするお調子者の雄鶏(声はメル・ギブソン)のストーリーだ。映画『大脱走』へのオマージュであると同時に資本主義の勝利がもたらした惨状を物語る同作は、無鉄砲なドタバタ喜劇と肝っ玉の座ったヒロイン、さらにはキュートで風変わりなニワトリたちのおかげで何かとセリフを引用したくなる機知に富んだ作品に仕上がっている。AW

14位『蒸気船ウィリー』(1928)

ディズニーのコーポレート・ロゴになる前、当時大人気を博した短編アニメーション作品でいつもトラブルを起こすいたずら小僧といえば、ミッキーマウスだった。そのなかでも、いまでももっとも有名なデビュー作が『蒸気船ウィリー』である。注目するべき点は、ミッキー&ミニーのデビュー作であるのはもとより、同作はウォルト・ディズニーが手がけた映像と音がシンクロした初の作品であることだ。同作が公開されて80年が経ったいまも、大きな河の上でキャラクターたちが繰り広げるどんちゃん騒ぎの効果音と映像が見事にシンクロしているのを観ると、当時のスタジオ・テクニシャンの手腕がいかに優れていたかがわかる。そうした効果音のおかげで、いたずらネズミのドタバタ喜劇のような冒険が際立っている。ミッキーが大企業に取り込まれ、手懐けられる数年前の話だ。NM

13位『となりのトトロ』(1988)

魔法の生き物と超自然現象を強い母性愛と結びつけた宮崎駿の優しさあふれるファンタジー作品『となりのトトロ』。幼い子供から大人までもが楽しめる同作は、多くの人にとってスタジオジブリを代表する作品である。宮崎作品のなかでももっとも人気のキャラクターである森の謎の生物と自然のなかに慰めと喜びを見出す幼い姉妹(母親は病気のため入院中)のストーリーは、感傷的ではないのに静かに胸を打つ。不思議な現象が日常の一部としてすんなり受け入れられた幼少時代の描写は秀逸だ——もちろん、いつでも望めばネコバスが迎えに来てくれるはず。ST

12位『インサイド・ヘッド』(2015)

『インサイド・ヘッド』は、ハリウッドのどんなブランドよりもピクサーが強いことを証明している。というのも、ディズニー/ピクサーは悲しみの意味をテーマとした映画を作るのに1億7500万ドル(およそ187億円)を注ぎ込んだのだ。同作は、主人公の少女の頭のなかの司令部で暮らすヨロコビ、イカリ、ムカムカ、ビビリ、カナシミという5つの感情たちのストーリーだ。こう説明すると、ホームコメディドラマ『Hermans Head(原題)』のデジタルアニメーション版のよう聞こえるかもしれない。少女が人生の辛い局面と闘う一方、同作は成長とそれに伴うほろ苦い感情を描き、涙なしには観られない作品へとシフトしていく。

11位『Whats Opera, Doc?(原題)』(1957)

ごく普通の小学生がオペラに熱中することはないだろう。だが、『Whats Opera, Doc?(原題)』の劇中で流れるワーグナーの「ワルキューレの騎行」を聴いているとなんだか楽しくなってくる。嫌いなブロッコリーを無理やり食べさせられているような、文化的に受け付けないものを押し付けられる印象もない。同作では、バッグス・バニーと宿敵エルマー・ファッドが繰り広げるアニメーション史上もっともワイルドな追っかけっことルーニー・テューンズ名物の女装がドイツ・ロマン派歌劇の巨匠の白昼夢を通じて描かれている。ルーニー・テューンズ絶頂期に誕生したいまも人気の多くの作品同様、同作には完璧なオチが待っている。同作を見る限り、ワーグナーはとんだトラブルメーカーだったに違いない! CB

10位『明日の世界』(2015)

17分だけでいいので、時間をください。私たちの未来のクローンが私たちに接触して人類の行く末を語る、という魅惑的でありながらも恐ろしいパラレルワールドを描くのに新進気鋭の短編アニメーション監督のドン・ハーツフェルトが必要としたのは、17分という短い時間だった(人類は進化によって欲望の渇きを癒すことができると思っている人は考え直してほしい)。主人公エミリーの声を担当したのは、ハーツフェルト監督の4歳の姪っ子のウィノナ・メイ。エミリーは200年後の自身のクローンと名乗る女性の意味を理解するには幼すぎる。だが、『明日の世界』は、人生につきもののちょっとした不思議に適応したヒロインの少女と同じくらい美しくも無垢である一方、答えようのない質問を投げかける。同作は宇宙のように広大でありながらも、メイの可愛らしいクスクス笑いが象徴するささやかな喜びに満ちあふれているのだ。TG

9位『ストリート・オブ・クロコダイル』(1986)

いまではほとんどのアニメーションがデジタル化されたが、スティーブンとティモシー・クエイ監督のようなストップモーションの先見者は、いまも手というアナログな方法を使い続けている。ポーランドのシュルレアリスト作家のブルーノ・シュルツとストップモーションの精神を受け継いだヤン・シュヴァンクマイエルからインスピレーションを得た2人は、1986年公開の短編アニメーション作品『ストリート・オブ・クロコダイル』であごのとがったパペットの男(作品を通じて男の体は朽ちていくようだ)とともに踊るネジや血だらけの臓物を詰め込まれた古びた機械を描いた。同作の舞台は、1世紀前あるいは1世紀後の世界だろうか? いずれにしても、決して目覚めることができない鮮明な夢のようなタイムレスな雰囲気が漂っている。SA

8位『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』(1993)

ハロウィン・タウンの人気者”カボチャ王”ことジャック・スケリントンが嫌いな人なんているはずがない。『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』では、紳士的なジャックが自分たちが暮らす恐ろしいハロウィン・タウンにクリスマスの祝祭を取り入れようと大奮闘してドタバタ喜劇を繰り広げる。制作スタジオは子供には怖すぎると危惧していたようだが、同プロジェクトのプロデューサーで守護聖人でもあるティム・バートンは、ホラー映画というコンセプトを居場所探しのせつない物語に変える名手だ。バートンは、ヘンリー・セリック監督に手を貸すことで同作が描くストップモーションの空想の世界を恐ろしいゴシックと親しみあるキュートが融合する世界へと変身させた。キャラクターが風変わりであればあるほど目が離せなくなってしまう。AW

7位『アイアン・ジャイアント』(1999)

ブラッド・バードといえば、ピクサーの2大稼ぎ頭(『Mr.インクレディブル』と『レミーのおいしいレストラン』)の監督だが、同業者たちでさえ、バード監督にとって一番パーソナルな作品は、宇宙から来た巨大ロボットと少年の友情を描いたテッド・ヒューズの絵本を題材とするエキサイティングで感動的な『アイアン・ジャイアント』と答えるだろう。当時は興行収入的には期待外れだったものの、シンプルなSFをヒロイズムに関する感動的なメッセージに変えた同作は、徐々にカルト的な人気を獲得していった。同作は、かつてのスーパーマンアニメーションの見た目にオマージュを捧げる一方、「鉄の巨人」というエイリアンが危害を加えるためではなく、助けるために自らの力を活用する姿を描いている。NM

6位『ウォーリー』(2008)

ピクサー・アニメーション・スタジオ創立当初、同スタジオの主要チームメンバーは一堂に会してアイデアをブレインストーミングしていた。そこで、地球に置き去りにされたロボットの主人公という意外な案が浮かび上がった(「いままで知っているキャラクターのなかでも一番悲しいと思いました」とアンドリュー・スタントン監督はのちに振り返った。「でも最高のアイデアだと思ったんです」)。こうして同スタジオ屈指の野心的なプロジェクトが動き出した。というのも、頼れるキュートなロボットのウォーリーと最新型ロボットのイヴの出会いを描いた『ウォーリー』の第1部は、ほとんど無音なのだ。続いて宇宙への旅が映し出され、そこで観客は技術に頼りすぎた人類の行く末を知る。環境保護を推奨し、過剰な消費に反対する同作は不釣り合いで不器用な2人が織りなす感動的なラブストーリー以外の何物でもない。目をうるませずに「It Only Takes a Moment」を聴き通せる人がいれば、教えてほしい。TG

5位『Duck Amuck(原題)』(1953)

アナーキーなどんちゃん騒ぎという様相を呈した脱構築主義的傑作(あるいは、脱構築主義の様相を呈したアナーキーなどんちゃん騒ぎ)の『Duck Amuck(原題)』。チャック・ジョーンズ監督による画期的な短編アニメーション作品は、役者と観客のあいだの見えない”第4の壁”を壊して粉々にした挙句、その下で踊れるようにと紙吹雪のように舞い上げた。子供の頃に観ると、ダフィー・ダックと(ほとんどの場合スクリーンに登場しない)アニメーターとの確執は底抜けに可笑しく、まるで秘密を打ち明けられているような気分になる。だが、大人になってから見返すとそこには微かな恐ろしさがある。ダフィー・ダックの世界はセル画でできているかもしれないが、それは彼にとってはリアルなもので、実は彼自身が閉じ込められているのだ。ラストで画面が引きになると、お茶目なバッグス・バニーがドローイングボードに向かって作業している。いたずら好きのアニメーターの正体は彼だったのだ。でも、さらにカメラを回し続けた場合はどうなるだろう? 絵筆を持ったジョーンズ監督あるいは画面に見入る私たちが写って、その次は……? 短気なアヒルが主役のアニメーションが突如として運命の残酷なまでの無関心さを見せつけてくる。苦い教訓に感謝。SA

4位『白雪姫』(1937)

歌うプリンセス、邪悪なクイーン、ハンサムなヒーロー、頼れる仲間たちが繰り広げるストーリーは、ケンタッキーフライドチキンにとっての「ハーブ&スパイスの秘伝のブレンド」のようにディズニー独自のフォーミュラとして定着している。だが1930年代当時、ウォルト・ディズニーはおとぎ話を題材とした長編アニメーション『白雪姫』に社運を賭けていた。そして同作はアニメーションの未来を変えた。世界中での大ヒットにより、80分にわたって観客がアニメーションに魅了されること、制作スタジオが過去10年かけて特殊カメラや新しいアニメーション技術に注ぎ込んできた金額が同作の技術的偉業達成に必要であったことが証明された。タイムレスで美しい映画のおかげですべてのリスクは清算されたのだ。『白雪姫』は、いま観てもすばらしい。誰かが光を当てるたびに命を吹き返す古い絵画のようだ。NM

3位『ファンタジア』(1940)

芸術面でもクリエイティブさにおいてもディズニーの最高傑作と言える『ファンタジア』。クラシック音楽に合わせて制作された8編の物語は、オーケストラのサウンドと画像を実に見事に融合させている。オープニングを飾るバッハの楽曲を彩る無形の色彩は赤ん坊を喜ばせる一方、フィナーレの「はげ山の一夜」は大の大人に悪夢を見せるほど恐ろしい。それに、「魔法使いの弟子」はミッキーマウスの魅力が詰まった最高のショーケースであることに誰も異論はないはずだ。同作は、芸術による芸術のための祝祭であり、”クラシック名曲ベスト101”的なCDをはるかに凌ぐ楽しくもシュールな作品である。どうやら、同作を通じてディズニーのアニメーター軍団は、「アニメーションは芸術になれるか?」という議論を始める前から結論を出してしまったようだ。彼らの偉業を観れば、その答えは明白だ。CB

2位『千と千尋の神隠し』(2001)

次から次へと名作アニメーションを世に送り出すスタジオジブリだが、『千と千尋の神隠し』は殿堂入りにふさわしい傑作だ。ファンタジーであると同時に冒険、夢、暗喩でもある宮崎駿の名作は、不思議な魔法によって両親をブタに変えられてしまったせいで幽霊や神々が訪れる巨大な湯屋で働くことになった10歳の少女が主人公だ。宙に浮かぶカエル、ドロドロのオクサレ様、何かをしゃべる頭だけの物体(カオナシ)、水面を走る列車など、同作のいたるところに宮崎監督の潜在意識から引きずり出された何らかの不思議あるいは恐ろしい幻覚が登場する。子供から大人になろうとする少女が常に変わり続ける世界で生きることの大変さを学んでゆく、スリリングで感動的な作品である。NM

1位『ファンタスティック Mr.FOX』(2009)

「ずっと昔から『父さんギツネバンザイ』が大好きだった」と2009年にウェス・アンダーソン監督は、最高傑作『ファンタスティック Mr. Fox』の着想源となった英国人作家ロアルド・ダールの原作について回想した。「初めて手に入れた僕だけの本だった。タイトルのページに名前入りのシールを貼っていたよ」。映画版には、そのようなアンダーソン監督の愛情と手作りのディテールがあふれており、将来に対する不安でいっぱいのフォックス家とその当主が生活のために足を洗ったはずの盗みにふたたび手を染める、というストーリーを見事に表現している。考え抜かれたデザインとドライなウィットがトレードマークのアンダーソン監督の作品だが、ストップモーションスタイルの同作は、監督の精神に優美な繊細さを加えている。さらに、声優陣(ジョージ・クルーニーやメリル・ストリープなど)は、カワイイとはかけ離れた大人びた演技を披露。カルト的人気作でありながらも、目の肥えた家族にふさわしい休暇の娯楽映画だ。同作が描き出す極めてユニークな飼育小屋を見ているうちに、懐かしい記憶がよみがえるに違いない。TG