やや前かがみで一歩踏み出すというのは、ステージでのジェニー・ベスのデフォルトな立ち姿。しかし、これまではひたすらブラックの印象が強かった彼女は、初のソロ名義のアルバム『TO LOVE IS TO LIVE』のジャケットに、全身ホワイトのヌードの彫像を用いた。白い大理石でできた勝利女神の像『サモトラケのニケ』を、約2000年ほどアップデートしたかのような。そしてシネマティックなイントロダクションに続いて、”私は常に裸でいる”とピッチを変えた声で語り始める。以後11曲にわたって、バンドの枠組みから解放されてまさしく裸の自分を提示するジェニーの歌に耳を傾けていると、サヴェージズは恐らく戻ってはこないだろうという予感が強まってくる。彼女にとってあの時代は過去のもので、もうバンドを必要としていないのだなと。終盤の「Heroine」に至って、他者に理想を求めるのではなく自らヒロインになることを引き受ける強い決意を突きつけられる頃には、その予感は確信に変わった。
思えばサヴェージズが6年間の活動を休止したのは、2017年夏のこと。現代インディロック界のグレーテスト・フロントパーソンのひとりとしてこの4人組を率いたジェニーは、2ndアルバム『Adore Life』(2016年)を制作していた頃にはすでに、ストイックでピュアなバンドのヴィジョンに窮屈さを感じ、独自の音楽作りを検討していたという。そんな折に、敬愛するふたりのアーティストに背中を押されるような出来事があった。ひとつは、時間は無尽蔵にあるわけではないと痛感させられた、2016年1月のデヴィッド・ボウイの急死。続いて同年夏には、PJハーヴェイのたっての希望で彼女のライヴの前座に起用され、たった10日間でセットを構成するに十分な数の曲を書き上げた。
ジェニー・ベスが歌う「Space Oddity」(2015年の映像)
35年前にフランス西部の町ポワチエで、カミーユ・ベルトミエとして生まれたジェニーは、10代の終わりにジョニー(=ニコラ・コンジェ)と出会い、以来公私にわたるパートナーとして行動を共にしてきた。2006年には一緒にロンドンに移り住み、ジョン&ジェンとして2枚のアルバムを発表。その後2011年にサヴェージズが誕生してからはジョニーは彼女たちのプロデューサーを務めたのだが、ジェニーがソロ活動を本格化するにあたってふたりはフランスに帰国。パリを拠点に、ロンドンでの体験を踏まえて次の章をスタートした。つまり、二人三脚の長い旅の途上にあるというパースペクティヴで、本作を捉えるのが正しいのだろう。
そんな『TO LOVE IS TO LIVE』ではジョニーがプロダクションと共作で全面的に関わり、ほかにプロデューサーとしてクレジットされているのは、フラッド及び、トレント・レズナーのコラボレーターであるアティカス・ロス。「私が最初にコンタクトをとったプロデューサーがアティカスだった」とジェニーは言う。
「彼は音に奥行きをもたらしてくれた。まるで建築家のように仕事をするのよ。サウンドの層を作り込んで、一種のボリュームを構築して。
●【写真】ジェニー・ベス(全5点)
そう、バンド編成をとっていないことから、サヴェージズの作品との音色の違いは歴然としている。ギターは不在、代わりにストリングス、全編を通して聴こえるピアノのプレゼンス。サヴェージズでは1st『Silence Yourself』(2013年)収録の「Marshal Dear」でしかピアノを弾いていなかったはずだが、PJの前座を務めた際もピアノの弾き語りでパフォーマンスを行なったそうで、幼い頃からレッスンを受けていた彼女にとってはある種の原点回帰と解釈できる。ビートはほぼ全て打ち込みで、スタイルとしてはインダストリアル・ロックを基調とし、フィールド・レコーディングされたと思われるサンプルの数々がリアルな世界の匂いを随所に織り込み、時折ジャズ的な揺らぎを交えながら、アグレッシヴに、アンビエントに、ふたつの極の間をダイナミックに移行しながらアルバムは進行する。そこからはボウイの『★』の影響が如実に読み取れるほか、ケンドリック・ラマーの『To Pimp A Butterfly』、ビヨンセの『Beyoncé』、ロウの『Double Negative』と、意外な作品をジェニーはインスピレーションに挙げている。彼女曰く4枚に共通するのは「ジャンルをミックスしていること」だ。
「私が最も恐れていたのは、退屈してしまうことだった。次に何が待ち受けているのか予想がつかないアルバムにしたかった。ハイとロウがあって、闇があって、光の瞬間と美の瞬間を、バイオレンスと対比させている、私にとってはこれらが人生を象徴している。こういったものを並置すると、途端にテンションが生まれて、そこに美があるのよ」。
中でも逸早く公開された「Im The Man」は、アグレッシヴな極みに該当する曲。
「作詞面の出発点は、自分を苛む様々な葛藤を言葉にすることだった。サヴェージズの最後のツアーを終えた時、私は自分がすごく不完全な人間であるように感じていたの。悪い人間で、怒りっぽくて。ちゃんと向き合って克服するべきことがあるような気がしていた。私の場合、解決策のひとつは精神科医のカウンセリングを受けることであり、もうひとつの方法はアートだった。言葉にするということね。

「Innocence」も音楽的には「Im The Man」に連なる。ロンドンなのかパリなのか、東京にも当てはまるのだろうが、都市生活者たちの人間関係の希薄さ、他者への思いやりの欠落を題材に選んだ。「Human」ではどうやら、人間性を変容させるデジタル・コミュニケーションの影響力を論じているようだ。こうした曲で社会全体に視線を投げかけて現代を考察する一方、ジェニーは冒頭で触れたように、漆黒のヴェールをはぎ取るようにして自身の実像を見せていく――タフさや奔放さだけでなく、脆さや優しさも。
「私は最初から自分をさらけ出したいと思っていたの。
例えば、バイセクシュアルである彼女が女性との関係を歌う「Flower」では無力感を、アイドルズのジョー・タルボット(筆者が思うにジェニーに匹敵する偉大なフロントパーソンだ)をフィーチャーした「How Could You」では激しい嫉妬心を描いて、愛が自分の内から引き出す感情を無防備に表現。また、ジェニーが渡英したそもそもの理由は、カトリックの抑圧的な価値観や罪悪意識から逃れるためでもあったわけだが、”罪”に言及する「Innocence」や「Well Sin Together」では、そんな自身のバックグラウンドに改めて目を向けている。後者にある、”愛することとは生きること、生きることとは罪を犯すこと”というアルバム・タイトルを含んだフレーズは、まさにジェニーの信条を端的に表すもの。「立ち上がって、汗をかいて、能動的に生きることを選んだなら、過ちを犯さずに生きることは不可能なのよ」と彼女は指摘しており、バンド時代は良くも悪くも一元的/一面的な存在だったのだとしたら、曲ごとに異なる表情を見せるこのアルバムでの彼女は多元的/多面的。コンパクトながら、濃密極まりない作品を作り上げている。
バックグラウンドと言えば、同じくソロ・デビューが控えるThe xxのロミー・マドリー・クロフトと共作した美しいピアノ・バラードはずばり、「French Countryside(フランスの片田舎)」と命名されている。望郷の念を重ねたこのラヴソングのノスタルジックな佇まいは、サヴェージズの世界からは限りなく離れた場所にあり、本作最大の音楽的サプライズかもしれない。ピアノを弾いていることも然りで、20代を通じて名前を変えてまで遠ざけていたフランスに戻って己を俯瞰する『TO LOVE IS TO LIVE』は、ジェニー・ベス名義ではあるものの、初めてカミーユ・ベルトミエという女性を知った気持ちにさせるんじゃないだろうか。
最後に、そのフランスという文脈にも言及しておきたい。というのも、フランス人の女性シンガー・ソングライターたちがこれほど英語圏のインディロック界で存在感を誇った時期は、過去になかったと思うのだ。クリスティーヌ・アンド・ザ・クイーンズ、久々の新作を送り出したソーコ、ロロ・ズーアイ、ジェインといった具合に。そこにジェニーが加わったことで、何か面白いことが起きていると、ここでもひとつ確信が持てた。

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