LOW IQ 01のインタビュー連載企画「イッチャンの青春時代」。1986年を振り返った前回に続き、第5回は「1987年編」。
イッチャンが過ごした1987年とは? 当時の世相とともに語り尽くします。

ー今回は1987年ということで、LOW IQ 01さん(以下、イチさん)が16、17歳頃ですね。当時のご自身のことや、世の中の様子など覚えていらっしゃいますか?

1987年ってちょっと時代が変わった感じがするんですよね。1986年まではTHE・昭和って感じで。もちろん昭和という年号は1989年まで続くんだけど、ちょっと昭和の変わり時かなって思う。自分の中でも、1987年ってちょっと落ち着いた年というか。やっぱり1986年が楽しすぎて、高校に行ってたら2年生だし落ち着いて過ごしてたと思うなあ。

ー遊んだりハジけたものが一旦クールダウンした感じですよね。1987年で覚えてることはありますか?

マイケル・ジャクソンが後楽園球場で初来日コンサートをやったんだよね。東京ドームがまだ無かったから、後楽園球場なんだよね。昭和は何かコンサートがあるとすぐ後楽園球場でだったし。やっぱりマイケルのイメージはバブルスだよね。
俺の中ではマイケル・ジャクソンよりもバブルスのイメージの方が強いですよ(笑)。

ーマイケルが空港に着いた時にも、一緒に出てきたりしてましたよね。ワイドショーでもそのセットで出てました。

一緒に空港歩いてる映像とかよく見たよね。確か翌年の1988年に「とんねるずのみなさんのおかげです。」がレギュラー番組化するんだけど、1987年は火曜日とかのスペシャル枠で特番で放送してて、その中でもよくバブルスのコントやってたのを覚えてる。あとは国鉄が民営化してJRになったよね。これも覚えてるなあ。俺元々アナーキーが好きなんだけど、アナーキーの人たちって国鉄の作業着着てたじゃん。だから国鉄っていう言葉にすごい思い入れあったのに、JRってなんだ? って思ったよ(笑)。広島の衣笠祥雄選手が連続試合出場2131で世界新記録樹立もこの年か。鉄人だよね。骨折しても休まず片手で打ったんだっけ? 意外と1987年の記憶が一番覚えてるかもしれない。


おニャン子クラブはどうですか?

1987年の大きなトピックは、おニャン子クラブの解散だと思うんだよね。おニャン子クラブって俺が中学生の時に出てきたから、メンバーが皆年上のイメージだったのよ。でもこの頃になると渡辺満里奈とか工藤静香とか入ってきて、同い年もしくはおニャン子クラブB組っていう年下の子が増えてくるわけ。「夕焼けニャンニャン」も終わったし。だからそこでもちょっと時代が変わったなというか。光GENJIのデビューもあったけど、諸星和己は俺と同い年なんだよね。だけど佐藤寛之、山本淳一とか見たときは子供が出てきたと思ったもん最初(笑)。友達の妹とかすごい騒いでたけど、俺は光GENJIのことを元祖スケートロックって呼んでたんだよね(笑)。とんねるずとかがテレビに出まくってお笑いも変わってきているって感じでしたね。

ーイチさんといえば、これまでも渋谷のことをよく語っていただいてきました。

西武百貨店渋谷店の隣にLOFT1号店が開業してね。渋谷も変わったんだよ。
なぜ変わったかと言うと、1986年に渋谷にライブハウス屋根裏がなくなって下北沢に移転になったのよね。そしたらちょっと渋谷が変わってきたというか。ファッションだとアメカジも流行ってきてね。1988年の作品だけど、陣内孝則さんとか浅野ゆう子さんが出演してる『君の瞳をタイホする!』っていうドラマがあって。多分撮影自体は1987年だと思うんだけど、その頃のLOFTとかPARCOの感じがフィーチャーされてたんだよね。なんて言うかなあ、ちょっとインテリっぽいし、バブルがすごいきてる時期でもあったんじゃないかな。

ーそうなると屋根裏があった頃の渋谷とバブルの入り口時期で、渋谷の色が変わっていく感じはありましたよね。

自分も17歳になる年だから、いろいろな感覚が入れ替わる時期だったんじゃないかな? 

ー色々な物の角度とか切り口でも変わり目になったかもしれない年なんですね。

そうだね。聴いてた音楽とかもずっとパンク一色だったんだけど、ここでスカとか聴くようになるわけよ。中学生の時もクラッシュとか聴いてたんだけど、どちらかというと『サンディニスタ』とか『ロンドン・コーリング』もこの頃に再確認するようになって。レゲエやスカみたいなのもちゃんと聴き始めたかな。
中学生の頃からスペシャルズとかマッドネスとか知ってたけど、中学生の頃はああいうスカをニューウェーブだと思ってたんだよ。俺の中ではミクスチャーの入り口でもあるのかな。それで、この時期にまたクラッシュから入ってレゲエとかスカを聴き出して。あとこの時にスラッシュ・メタルも流行ったのよ、メタリカとかね。そういうのも聴くようになったかな。日本でスラッシュ・メタルブームが来ると、神楽坂エクスプロージョンや目黒鹿鳴館でXとかもやってた。これも1987年のイメージかな。

ー日本でもスラッシュ・メタルというのがこの時期に広まったんですね。

俺も後楽園ホールに日本のスラッシュ・メタルが集まったイベントとか観に行ったもん。Doomとか出てた。

ーイチさんもその頃にはバンドをやってましたよね。どんなのをやってたんですか?

その頃はコピーをやってた時期じゃないかな。
俺は当時はOi-PUNKが好きだったのよ。だからなんとなくRUDE BOYとかのイメージなんだよね。MA-1着てブーツ履いてみたいな格好をこの頃にし始めたかな。1987年って音楽の入り口の幅が広がってきたと思う。

ーそういった意味でも、街もイチさんも音楽の歴史の中でもいろいろなものが入ってきた時期なんですね。当時のファッションとか髪型はいかがですか?

やっぱり世間一般的にはアメカジブームから来ているデニムのケミカルウォッシュだよね。女の子はワンレンだね。adidasブームっていうのも、アメカジとの関連もあると思うけど、俺はRun-D.M.C.だと思ってんのよね。ビースティ・ボーイズとかはもうちょっと前の時期なんだけど。あと俺の中で覚えてるのは、1987年に日本で第二次スケボーブームが来たのよ。ムラサキスポーツが後楽園の横で大会とか開催してたのをすごい覚えてるよ。髪型は、1985年くらいまで皆ツンツン頭だったけど、1987年くらいから皆髪を下ろし始めてバンダナを巻いたりキャップ被ったりしだしたかな。


ー先ほど、MA-1着てブーツ履いてみたいな格好をしていたってお話してましたが、それが今にも繋がるところでありますよね。

そうそう。俺ははっきり覚えてるんだけど、1987年かなあ、それまで黒いドクターマーチンの14ホール履いてたんだけど、うちの兄貴がロンドン行って。チェリーレッド買ってきてもらったもん。日本でも売ってたけど、当時は円高で向こうで値段が安くて7000円くらいで買ってきてもらった記憶があるのよね。だってさ、ドクターマーチンが高かったらイギリスの人も履けないじゃん(笑)。

ー新商品やヒット商品はいかがでしょう?

PCエンジンだね。兄貴がゲーム好きで家にあったけど、最初はすごい衝撃だったよ。なんだっけ、あのシューティングゲームの名前……。すげえやってたんだよね。

ー『R-TYPE』ですかね?

『R-TYPE』! すげえやった。横スクロールで画質もすげえよかった。毎回新作ゲーム機ってゲームセンターにどこまで近づくかっていうのが課題なものの、ピット数とかの問題でもすげえ綺麗だった。あとは携帯電話の出現もそうだけど、やっぱり昭和が変わってきたんですよ。平野ノラのネタの”しもしも”で出てくるあの大きいショルダータイプの携帯電話ね。

ー流行語はいかがでしょう? 何か覚えてますか?

”朝シャン”が流行ったのもこの頃だよね、通学・通勤前にシャンプーをするっていうのも時代の変化かな。昭和は夜にお風呂に入るもんだと思ってたし。よく覚えてんのはカウチポテト族っていう言葉があったよね。ちょうどこの頃からレンタルビデオ屋でビデオ借りる機会が増えたと思うんだよ。あとはゴクミ(後藤久美子)か。これ言ったことあるか分かんないけど、後藤久美子の兄貴とバンドやってたんだよね。後藤はドラムやってたんだけど、兄妹同じ顔してんの。

ーじゃあバンドの仲間の妹っていう風に見てたってことですか?

まあ本人には会ったことないけどね。最初に兄貴と知り合ったのは1986年で、当時のゴクミは子役くらいはやっていたと思うけど、国民的美少女としてバッっと出てきた時に「お前の妹って後藤久美子なのか!」みたいな話になったね。

ー続いてヒット曲です。

(当時のヒットチャートを見ながら)これを見てると、昭和のアイドルがもう変わってきてない? 中森明菜さんとか松田聖子さんももうアイドルっていう括りから外れて、実力派歌手っていう感じになってきたよね。たぶん『DESIRE -情熱-』でガツンと売れて、ちょっと落ち着き始めた頃かな。瀬川瑛子の『命くれない』って42.3万枚も売れたんだ。あとやっぱ1987年って光GENJIの年だよ。チャートには少年隊もいるけど、光GENJIがグーっと伸びてきた時期だよ。俺ずっと「ガラスの十代」がデビュー曲かと思ってたのよ、でも「STAR LIGHT」がデビュー曲だったんだね。

ー続いて映画の方にも行きましょう。邦画だとどうでしょう?

『ハチ公物語』って5本の指に入るくらいの大好きな映画なんだよ。とにかく泣いちゃう(笑)。動物映画で一番好き。レンタルビデオで観たんじゃないかなあ。仲代達矢さんが飼い主の先生で毎日駅まで送って行ってたんだけど、ある日迎えに行ったら渋谷駅で飼い主が降りてこないわけよ。それで葬式で霊柩車が去っていく時に、ハチが首輪をちぎって走って車を追っかけるところで大泣きですよ。犬飼ってる友達に「これ絶対見てくれ」って勧めて見てもらって、感想聞いたら「うーん」って言われて「お前は薄情だ」って言った(笑)。あと映画といえば、この年にすごいのが一つあるんですよ。『ビー・バップ・ハイスクール 高校与太郎行進曲』。俺はこれがビー・バップの中でいちばんの名作だと思ってる。

ー前回も『ビー・バップ・ハイスクール』シリーズの話をされてましたよね。

この頃は1988年まで毎年映画やってたんだよね。『ビー・バップ・ハイスクール 高校与太郎行進曲』って、漫画とちょっと話が違って、リョウちゃんっていうやつが相手役で出てくるんだけど、漫画だと中学生役なのよ。でも映画だと無期停学組っていうすげえ悪で、他の地元の城東高校とかで退学くらってる風太郎組なの。相手が城東高校とか戸塚水産高校っていう感じじゃなくて、対チンピラみたいな感じ。リョウちゃんのゲーセンでの台詞で「俺はワルじゃねえ、極悪だ」っていうのが最高にカッコ良くてね。すごい覚えてる。俺の中でビー・バップ最強作と呼ばれてる(笑)。リョウちゃん最高です。『男はつらいよ』も、俺観たことなかったのよ。子供の頃はどっちかと言うと嫌だったのよね。でもコロナ禍の中で観るようになった(笑)。

ー年齢も関係あるかもしれないですね。

そうそう! 俺もそっち側になってきてんの(笑)。年齢的に、車寅次郎側なんだよね。今BSで毎週寅さんシリーズやってんの。それが楽しみでさ(笑)。なるほど、これは日本人が好きになるわけだなっていうのを今知れました。

ー洋画の方はどうでしょうね。洋画のいちばん良い時代な気がしますね。

これはもう間違いなく一位は『トップガン』だよね。トム・クルーズは『カクテル』とかも出てたけど、ドッグ・タグとか軍モノの革ジャンの流行りもここからなんだよね。トム・クルーズが映画の中でアメリカのものを着てるっていうことで、皆マネしてたよね。なんかあったじゃん、A7とかG9みたいなギターのコードみたいな名前の革ジャン。

ーありましたね。下にはデニムを履いて。

そうそう。定番は革ジャンを着て、ケミカルウォッシュで白と白のK-SWISSですよ。この年『アンタッチャブル』はケビン・コスナーですよね。ロバート・デ・ニーロも出てたから、俺いつも『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』と混ざっちゃうんだけど、これは禁酒法の時代の話だよね。ロバート・デ・ニーロの役作りも凄くて、髪の毛抜いたんだよね。この人は役作りのために歯を抜いたりとかもするじゃん。あと覚えてんのが『オーバー・ザ・トップ』。

ーシルヴェスター・スタローンですね。

そうそう。スタローンがとうとうボクシングじゃなくて、腕相撲になってしまったんだよね(笑)。

ーこれよく学校で皆で腕相撲やってましたね。

あと『プロジェクトA2』ね。これで覚えてるのが、俺学校行ってなかったから、地元の友達がうちにサボりにくるわけよ。そのとき『プロジェクトA2』をレンタルビデオで借りてきて見た記憶がある。でもやっぱり一作目『プロジェクトA』の面白さを抜くことはできないよね。それこそ『酔拳2』も出たけど、『酔拳』には勝てないわけよ。『プロジェクトA2』もガッカリとは言わないけど、前作が凄すぎたからさ。これでもうジャッキー離れしちゃったかな。

ードラマだとどうでしょう。イチさんが語れそうなやつばかりですね(笑)。

来ました。映画の話でも言ったけど、シリーズ物の第1作ってやっぱり強いじゃないですか。実際ここもそうで、『男女7人秋物語』もやっぱり『男女7人夏物語』の方が良かったんだよね。ちょっと秋だと寂しくなるんだよね、メンツも変わっちゃうし。

ーちょっとジトっとした雰囲気になりますよね。

そうそう。奥田瑛二もいなくなって、内容もちょっとドロっとするんだよね、岩崎宏美とか手塚理美も出てきてね。秋の方がちょっと深いんだよね。覚えているのが、柳葉敏郎の演じてる健ちゃんってやつがいて、劇中でマイケル・ジャクソンの取材するって言ってたのに帰ってきてた桃子(大竹しのぶ)がそいつと付き合ってるんだよね。俺よく健ちゃんのモノマネしてたもん、「俺は桃子を行かせない」って(笑)。柳葉敏郎の真似してた。

ー『ママはアイドル!』はどうでしょう。

俺の中で『ママはアイドル!』の中山美穂は全盛期じゃないかと思うのよ。それこそ後藤久美子も、三田村邦彦の娘役で出てた。永瀬正敏、後藤久美子、あとその下の弟もいてその子のモノマネしてた。「ママー!」って(笑)。後藤久美子の役名が晶って言うんだけど、その下の子の真似してよく呼んでた。このドラマは挿入歌もすごく良かったよね。コンサートとかの歌唱シーンで流れたりするやつ。

ー『パパはニュースキャスター』もありますね。

これ最高でしょ(笑)。本田美奈子の「Oneway Generation」だよね。これね、子役が大塚ちか子、鈴木美奈子、西尾麻里。田村正和が鏡竜太郎って役名なんだけど、よくSCAFULL KINGの田上に鏡竜太郎ですってモノマネするのよ。田上の前で真似すると、「懐かしい、子供の頃よく言われましたよ」って(笑)。この時も浅野温子がすごい良いのよね。

ー浅野温子さんは以前、『あぶない刑事』で最強説もありましたよね。

そうそう。そうなんだけど、ちょっとこの時はいい役なんだよね。TV局での相方のニュースキャスターなんだよね。田村正和がドラマでは女たらしで色々なところに子供作ってて、娘皆のロケットの首飾りに田村正和の写真が入ってるっていう(笑)。田村さんの作品で言うと、ドラマ『うちの子にかぎって...』も面白いんだけど、これも面白いんだよ。鏡竜太郎が娘に冷たいんだもん(笑)。本当にそういうイメージがあるね。

ー総括すると、1987年はイチさんにとってどんな年でしたか?

1987年はちょっと落ち着いた年というか。俺じゃなくて時代が変わりだした年っていう感じかな。テクノロジーとかも発達して近代的になってきたイメージかな。携帯電話とかもあったけど、CDなんかももっと前に出てたけど、やっと普及しだしたのもこれくらいの時期なんだよね。コンポとかもちょうどこの時期からレコードの代わりにCDプレイヤーがついてきたと思う。あと物のサイズがどんどん小っちゃくなっていった気もする。あとはバブルだし、トレンディの幕開けって感じかな。1980年代だとトレンドもトレンディって言い方するんだね(笑)。そんな感じかな。

<配信情報>

LOW IQ 01の青春時代「時代が変わりだした1987年」


LOW IQ 01の青春時代「時代が変わりだした1987年」


LOW IQ 01 & THE RHYTHM MAKERS
生配信ライブ「60分1本勝負」

2020年8月8日(土)
19:00配信開始
60分のライブ終演後には、メンバーの乾杯トークも配信予定

チケット価格:2000円
チケットURL:https://eplus.jp/lowiq01/st/
チケット販売期間:2020年8月14日(金)21:00まで
アーカイブ配信期間:2020年8月14日(金)23:59まで

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