パンデミックが本格化した3月、キース・リチャーズはミック・ジャガーに電話をかけ、あるアイディアについて語った。2005年以来となるストーンズのニューアルバムへの収録を想定し、少し前に完成させたファンキーな「Living in a Ghost Town」を今すぐリリースすること、それが彼の提案だった。「あの曲をリリースするなら今しかない、そう言ったんだ」キースはそう話す。ジャガーは同意し、すぐに歌詞を書き直し始めた。YouTubeで公開されたミュージックビデオの視聴回数は、現時点で1000万回を突破している。
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コネチカットの自宅で隔離生活を送っているキースは、曲作りに積極的に取り組み続けているという。「すっかり引きこもりさ。庭の植物の成長ぶりを眺めたりしてるよ」彼はそう話す。最近は1973年作『メインストリートのならず者』の次作であり、先日豪華ボックスセット仕様で再発された『山羊の頭のスープ』について振り返る機会が多いという。『メインストリートのならず者』のツアー終了から数カ月後、世界各地に離散していたメンバーたちはジャマイカのキングストンで再会し、過去のどの作品とも異なるダークなグルーヴに満ちた音楽を作った。当時の批評家たちからは評価されず、ほどなくしてバンドは同作からの楽曲の大半をライブのセットリストから外した。しかし、スタジオでのジャム音源からジミー・ペイジが参加した未発表曲「Scarlet」まで、ボーナストラック10曲を含む再発盤の監修に携わるうちに、キースは当時とは違う見方をするようになったという。
隔離生活、『山羊の頭のスープ』制作時の思い出、そして2022年に迎える60周年という節目への期待について、キースが語ってくれた。
制作中のストーンズ新曲について
ー自宅での隔離生活はいかがですか?
キース:多少なりとも出歩けるスペースがある分、自分は恵まれてると思ってるよ。「Living in a Ghost Town」を仕上げられたのも良かったね。今は(パンデミック前に録った)音源を、いつもとは違う方法で発表できないかって考えたりしてるところさ。
ー「Living in a Ghost Town」は当時のムードに見事にフィットしていました。
キース:そうだな、タイミングは完璧だった。曲自体は少し前からあったんだけど、いつ出すかってことまでは決めてなかった。でも3月にミックと電話で話した時に、俺から提案したんだ。あの曲を出すなら今だぜってね。
ーYouTubeであなたのリフの弾き方について解説している男性がいるのですが、「Living in a Ghost Town」を取り上げた動画で、彼は同曲のコード構成、特にブリッジの部分がこれまでのパターンとは大きく異なっていると語っています。バンドが今も進化を続けているのは素晴らしいことだと思います。
キース:あの曲を弾くのは楽しいよな。人気のない街をドライブしてた時に、ふと思いついたんだよ。あの曲を出すなら、街が本物のゴーストタウン化してる今しかないってね。
ー現在取り組んでいるという他の新曲群はどういったサウンドなのでしょうか?
キース:さぁね、音楽を言葉で説明するのは難しいからな。ペースは遅いけど、5~7曲はできるんじゃないかな。今の状況が続くようなら、いつもとは違う形で発表するべきかもって考えたりしてるよ。
隔離生活とステージへの想い
ーステージを恋しく思いますか?
キース:そうだね、本当は今頃ツアーに出てるはずだったしな。みんなそうだろうけど、何もかもが突然機能しなくなるなんて夢にも思わなかった。今はみんな、来年にはいろいろ動き出すだろうって考えてるんじゃないかな。そうじゃなきゃ、コンサートなんて一切開催できないんだからさ。
(2019年に行われた)前回のツアーはすごく楽しかったよ、最初から最後まで最高だった。それだけに、状況の深刻さがはっきりし始めた3月にはがっくりきた。
ーこの状況下でどういったことに期待していますか?
キース:皆と同じように、優れたワクチンが一刻も早く生まれることを願ってるよ。政権の交代も起きて欲しいね(笑)。俺に言えるのはそれだけさ。
ーあなた方のコンサートに足を運ぶと、「彼らはなぜ活動を続けるんだろう? 欲しいものは全部手に入れただろうに」といった声も耳にします。あなたにとって、ステージに立つことの意義とは?
キース:さぁね、習慣みたいなもんだからな。ステージは俺たちの居場所なんだよ。その一方で、(ストーンズのメンバーは)最初に降りるのが誰かって皆考えてるはずさ。クビになるか脱落するか、そのどっちかしかない。この世界はそういうもんさ。
ーステージ上で感じるアドレナリンや音楽への愛は、何物にも代えがたいのでしょうね。
キース:そうだな、来年にはみんなで集まれたらいいなって思ってるよ。もちろんマスクなしでな。着用の必要がなくなってることを祈るよ。今は寝る時でさえ着けてるけどな!
ーマスクは頻繁に着用していますか?
キース:外出するときはいつも着けてるよ。滅多に出ないけどさ。ごくたまにドライブに出かけて、カフェに寄るぐらいだよ。その時はバッチリ顔を覆ってる、そうすべきだからね。見た目なんてどうでもいいさ。時々これが現実だとは思えなくなるよ、まるで『不思議の国のアリス』の世界だもんな。
『羊の頭のスープ』とジャマイカの記憶
ー『羊の頭のスープ』についてお話を聞かせてください。
キース:長いこと聞いてなかった作品を聴き返すと、いつも変な気分になるんだよな。あれはすごく面白いレコードだと思うよ。ジャマイカで1973年にレコーディングしたんだけど、あの年のことははっきり覚えてる。なぜかというと、ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズが『キャッチ・ア・ファイアー』をリリースした年だからさ。(ジミー・クリフ主演のレゲエ映画)『ハーダー・ゼイ・カム』のサントラが出た年でもある。ジャマイカで過ごした時のことは忘れられないよ。他のどの街とも違う、独特の雰囲気が漂ってた。それが最高に心地よかったんだ。
ー『ハーダー・ゼイ・カム』のサントラは、レゲエが世に広まる大きなきっかけになりました。入門書としても素晴らしい内容ですよね。
キース:間違いないね、レゲエのことを知りたい人にはもってこいだ。

ジャマイカのキングストンで行われた『山羊の頭のスープ』の制作中、インタビューに応じるキース・リチャーズ。1973年12月9日撮影。(Photo by Koh Hasebe/Shinko Music/Getty Images)
ージャマイカでレコーディングするという案自体はどこから? あなた方を受け入れる国が他になかったという説もありますが、それは事実ですか?
キース:基本的にはね。実際、当時ジャマイカは俺たちが入国できる数少ない国のひとつだった。『メインストリートのならず者』を作ってた頃、俺たちの周囲は何かと騒がしかった。だからみんなでイングランドを離れて、俺の家(フランスにある邸宅「Nellcôte」)の地下室に住みながらレコーディングを続けた。あの頃、俺たちは朝から晩まで一緒にいたんだよ。でも数年後に『山羊の頭のスープ』を作り始めた頃には、状況が大きく変わってた。ミックはビアンカと結婚してたし、チャーリーはフランスに住んでた。俺たちは流浪者同然で、みんな別々の街で暮らしてた。ミックと俺はそれぞれ、1人で曲を書く術を学ばないといけなかった。それまではホテルの隣りの部屋にいたり、お互いすぐ近所に住んでたからな。互いに離れて暮らしながら曲を書いたのは、あれが初めてだった。
ーそれはソングライティングにどう影響しましたか?
キース:客観的に見るのは難しいけど、俺はいい仕事をしたと思ってるよ。「ダンシング・ウィズ・ミスターD」は今聴いてもファンキーだし、「ハートブレイカー」もいい。あのセッションにはビリー・プレストンの他に、ニッキー・ホプキンスとイアン・スチュアートも参加してた。最近聴き返した時に初めて、俺はあのレコードの明確なファンクのカラーに気づいたんだよ。
ー「全てが音楽」から「ハートブレイカー」まで、サウンドの面でも音楽性の面でも、実にバラエティに富んでいますよね。
キース:そうだね。1973年当時は俺たちもよくファンクを聴いてたし、そういうカラーが自然に出たんだと思う。ミュージシャンは誰でも、好きな音楽に影響されるもんだからね。ジェームス・ブラウンが出てきて以来、チャーリー・ワッツはずっとファンクのリズムに夢中だったし。だからそういう影響がサウンドに現れたのは、ごく自然なことだったんだよ。
名曲「悲しみのアンジー」を振り返る
ーあなたは先立ってスイスに行き、ミックと一緒に曲を書いています。「悲しみのアンジー」はその時に生まれたそうですね。
キース:あの曲が浮かんだ時のことはよく覚えてるよ。スイスにある施設のトイレにいたんだ。当時ミックは地球の裏側に住んでたから、ジャマイカに行く数週間前にスイスで会って、断片的なアイディアを形にしておくことにしたんだよ。「シルヴァー・トレイン」と「スターファッカー」はミックが持ち込んだ曲で、俺はそれ以外の曲の大半を書いてる途中だった。キャッチボールみたいな感じで曲を形にしていったのは、あれが初めてだった。「これはいいと思うんだけど、ブリッジの部分が決まってないんだ」「ああ、それならちょうどいいのがあるぜ」みたいなさ。
ー当時から「悲しみのアンジー」は特別な曲だと感じていましたか?
キース:あの曲の扱いをどう決めたかは、あんまり覚えてないんだ。当時のシングル市場にマッチして、ヒットを記録したことには満足してたよ。それまでとは異なる、バンドの別の一面を示せたと思う。(1964年に)「リトル・レッド・ルースター」を出した時のことを思い出したよ。あれも当時は新鮮だったからね。さっきも言ったように、「悲しみのアンジー」がシングルカットされた経緯は覚えてないんだけどさ。
ーあの曲のアイディアが浮かんだ時のことを覚えていますか?
キース:単に退屈してたんだろうよ。少し前に、娘のアンジーが生まれたばかりだったんだ。変な話なんだけど、当時はそんな名前にするつもりじゃなかったんだよ。彼女はカトリック系の病院で生まれたんだけど、アンジーっていうのはカトリック教会の修道女たちがつけた名前だったんだ。このリストの中から名前を選べって言われたアニータは、当初は彼女をダンデライオンって呼んだりしてた。でもどういうわけか、俺はアンジーっていう名前が忘れられなかった。彼女は結局、成長してからその名前を自分で選んだんだよ。
ーディランは最近、「悲しみのアンジー」はお気に入りのストーンズの曲のひとつだと語っていました。
キース:そうなのか? 知らなかったな。ボブに幸あれだ。彼の新作は最高だよな。『ラフ&ロウディ・ウェイズ』、最近はあればっかり聴いてるよ。
ーあのアルバム、特に「グッバイ・ジミー・リード」を聴いて、あなたのことが浮かびました。
キース:まぁな。マジでリスペクトさ。
ストーンズ結成60周年への想い
ー『山羊の頭のスープ』に話を戻します。「ハートブレイカー」はサウンドが素晴らしく、特にギターの存在感が抜群です。
キース:あのリフは気に入ってるよ。思い浮かんだ時から手応えを感じてた。漠然としたイメージはそれ以前からあったんだけど、ビリー・プレストンとチャーリーとのセッション中に、それが具体的になった。曲の大半はもともと断片的で、スタジオに入って初めて形になったんだよ。中には1時間くらいで書いたものもある。
ー「夢からさめて」を書いた時のことは覚えていますか?
キース:それは曲が物語ってるだろ(笑)。
ージミー・ペイジが参加した「Scarlet」はいかがですか?
キース:うーん、あんまり覚えてないな。ジミーが参加したセッションは他にもあるからね。確信はないけど、レッド・ツェッペリンがセッションを終えたところに俺たちが到着して、その勢いで録ったのが「Scarlet」だったんじゃないかな。ジミーの他にリック・グレックもいたような気がする。彼らの後に俺たちがそのスタジオを使ったんだけど、多分ジミーたちはそのまま居座ってたんだよ(笑)。
ーあなたは過去に、70年代のストーンズの作品にはあまりに多くの人間が携わっていて、それがサウンドに悪影響を与えたと発言しています。その考えは今も変わっていませんか?
キース:言ったかもな。たぶん気に入らない曲がいくつかあったんだろう。でも、今はそんな風には思ってないよ。特にこのアルバムはゲストの数も少ないし、彼らは正真正銘のワールドクラスのプレーヤーだからね。
ーミックはドキュメンタリー制作に取り組んでいるそうですが、ストーンズとしてそういったものを発表する予定はありますか?
キース:どうだろうね。パンデミック前に何か作ってたのは確かだよ。今は蚊帳の外だからな、知らないことばかりでもうパニックさ!
ーストーンズは2022年に60周年という節目を迎えます。盛大に祝う予定はありますか?
キース:そうであることを祈るよ。願わくば、大勢の人々と一緒に祝いたいね。今みたいな状況じゃ、希望を持つことが大事だからさ。
ーあなた方が再びステージに立つときは、特別な瞬間になるでしょうね。
キース:実現するといいな。今はそれが何よりも楽しみだよ。
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From Rolling Stone US.

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