アルバム制作の舞台裏や収録曲については、先日公開した米ローリングストーン誌の最新カバーストーリーに詳しく記されているが、ここでは2018年の同誌が作成した「ブルース・スプリングスティーンの偉大な100曲」から上位40曲を紹介。
都会で生き抜く術をテーマにした初期の作品から、スタジアムを揺らす絶頂期の『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』(1984年)を経て、社会・政治色の濃い『ハイ・ホープス』(2014年)まで、音楽ライターだけでなく、アーケイド・ファイアのウィン・バトラー、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンのトム・モレロ、ジャクソン・ブラウンといったアーティスト、また俳優のエドワード・ノートンも参加している。
40位 「ヤングスタウン」/『ザ・ゴースト・オブ・トム・ジョード』(1995年)収録
レーガン大統領時代に悪化した経済状況に対するスプリングスティーンの回答。弱っていく父親の姿を見ている失業中の製鋼工をシビアに描いた。歌詞は、著作『Journey to Nowhere: The Saga of the New Underclass』の「横になって眠れずに考える。”俺が唯一できることがもう必要ない、と言われたらどうしよう。家に帰って家族に会わせる顔がない”」という一節にインスパイアされている。マーティン・リフキンのペダルスチールギターとスージー・ティレルの印象的なバイオリンが、スプリングスティーンの歌詞と強烈に絡み合う。
39位 「マイ・シティ・オブ・ルーインズ」/『ザ・ライジング』(2002年)収録
スプリングスティーンは、若き日を過ごしたアズベリー・パークで2000年12月に行った一連のクリスマスコンサートで、この曲を披露した。景色の美しいビーチタウンも、賑わっていた全盛期を過ぎて既に衰退していた。しかし9.11の犠牲者のためのテレビの長時間番組に出演したスプリングスティーンが、ゴスペル風の演出で(歌詞を一部変えて)歌った時、曲は新たな命を吹き込まれた。アルバム『ザ・ライジング』の素晴らしいラストを飾ることとなったこの曲は、ザ・バンドの楽曲「ザ・ウェイト」を彷彿させる。2012年、(クラレンス)クレモンズへのトリビュートとなった「レッキング・ボール」ツアーでは、毎晩この曲がまた特別なものになった。
38位→36位
38位 「おまえのために」/『アズベリー・パークからの挨拶』(1973年)収録
スプリングスティーンが得意とする、キャラクターが登場する初期のストーリーソング作品のひとつ。救急車の中で、語り手がガールフレンドと話している。彼女は自殺を図ったようだ。スプリングスティーンのガールフレンドだった、ダイアン・ロジトがモデルになっているという説もある。この曲を「事実を捻じ曲げて書いた」作品のひとつと称するスプリングスティーンは、「罪人を守るために登場人物の名前を変えた」と証言している。ステージ上では、「1971年のこと。当時付き合っていたガールフレンドとの関係がこじれていた。1週間ほど留守にして帰宅すると、彼女が俺の部屋の壁を真っ黒に塗りたくっていた。いや、正確に言うと真っ青に塗ったんだ」と曲を紹介した。
37位 「ノー・サレンダー」/『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』(1984年)収録
アルバム制作のセッションも終わりに近づいた頃にレコーディングした、挑戦的なアンセムだったが、当初スプリングスティーンはアルバムへの収録をためらっていた。歌詞が意図せずロマンティックに聞こえないかと懸念したのだ。
36位 「シャット・アウト・ザ・ライト」/アルバム未収録のB面曲(1984年)
「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」がアメリカンドリームを肯定した曲か或いは否定的な曲かを知りたければ、シングル盤を裏返して、感動的なB面曲をかけるだけでよい。「シャット・アウト・ザ・ライト」は、ベトナム戦争に従軍した退役軍人のロン・コーヴィックの著書『7月4日に生まれて(Born on the Fourth of July)』にインスパイアされた楽曲だ。ソフトなアコースティックギターの伴奏とスージー・ティレルのバイオリンに乗せて、スプリングスティーンがベトナム戦争後の酷い精神的な後遺症について歌う(彼は歌詞から2箇所を削除したが、そのうちのひとつは、主人公のドラッグ問題を示唆する内容だった)。『ボーン・イン・ザU.S.A.』のスタジアムツアー中に彼は、「この曲は、家を出たものの帰り方がわからなくなった人のことを歌っている」と紹介した。
35位→33位
35位 「タファー・ザン・ザ・レスト」/『トンネル・オブ・ラヴ』(1987年)収録
『トンネル・オブ・ラヴ』ツアー中のステージで毎晩演奏されるたびに、この繊細なバラード曲は、スプリングスティーンと後に妻となるパティ・スキャルファとの息の合ったデュエット曲へと生まれ変わった。
34位 「アダムとケイン」/『闇に吠える街』(1978年)収録
「作り話ではない」と、自分の父ダグラスとの確執について歌った数々の曲についてスプリングスティーンは明かす。ダグラスは内気な労働者階級の人間で、息子のブルースと同様、うつ病に苦しんでいた。「アダムとケイン」は、ヘヴィなグルーヴとスプリングスティーンの情熱的なギタープレイをフィーチャーした強烈な曲だ。「他人の過去の罪に対する報いを受ける運命にある」など、部分的にエリア・カザン監督の映画『エデンの東』(1955年)にインスパイアされた強烈な歌詞は、聖書に出てくるような父子の緊張感を思わせる。1998年にこの世を去ったダグラスは生前、息子の作品の中でどの曲が一番のお気に入りかと尋ねられ、「俺のことを歌った曲さ」と答えている。
33位 「夜の精」/『アズベリー・パークからの挨拶』(1973年)収録
デビューアルバムの制作にあたってコロムビア・レコード社長のクライヴ・デイヴィスは、もっとラジオ受けする楽曲が必要だとリクエストした。するとスプリングスティーンはすぐさま「光で目もくらみ」と、グリージーレイクへと逃れる少年たちを歌ったティーンエイジのおとぎ話の2曲を作った。『アズベリー・パークからの挨拶』の中でも、クレモンズのサクソフォンがほぼノンストップで流れる「夜の精」が、最もEストリート・バンド(当時はまだバンド名がなかった)のその後の方向性に近い。
32位→30位
32位 「ビコーズ・ザ・ナイト」/『ザ・プロミス』(2010年)収録
1977年、スプリングスティーンはこの壮大で情熱的な楽曲の初期のバージョンに取り組んでいた。同じスタジオでレコーディングしていたパティ・スミスは、プロデューサーのジミー・アイオヴィンを通じて、スプリングスティーンもいることを聞いていた。両者と同時に仕事をしていたアイオヴィンがスミスに曲のデモ・テープを渡すと、彼女は自分で歌詞を加え、自らのアルバム『イースター』に収録した。そして「ビコーズ・ザ・ナイト」は、彼女の最初で最大のヒットシングルとなった。「ブルースがメロディを書き、パティが歌詞を付けた。そして俺たち(スミスのバンド)が、大砲をぶっ放すようなビートを刻んだのさ」とスミスのバンドのギタリスト、レニー・ケイは言う。スプリングスティーンの素晴らしいスタジオバージョンは当初正式にはリリースされず、30年以上経ってからアルバム『ザ・プロミス』に収録された。
31位 「ニューヨーク・シティ・セレナーデ」/『青春の叫び』(1973年)収録
「自分自身のニューヨークでのロマンティックな思い出とファンタジー」とスプリングスティーンは、この曲と「57番通りの出来事」を表現した。スプリングスティーンのスタジオ・アルバムの中で最も長い10分間の作品は、「ニューヨーク・シティ・ソング」と「ヴァイブズ・マン」という初期の2作品を組み合わせて作られている。「ヴァイブズ・マン」のDVを示唆する箇所は、スプリングスティーン自身によって削除された。
30位 「雨のハイウェイ」/『ザ・リバー』(1980年)収録
タイトルと歌詞の一部は、カントリーシンガーのロイ・エイカフによる1940年代の自動車事故をテーマにした同名曲からインスピレーションを得ている。曲は、ひき逃げを目撃した男の目線で語られる。被害者の「ガールフレンドか若い妻」がこれから直面するであろう喪失感を思い、事故現場のシーンが頭から離れない。当初はカントリースタイルのアレンジでリハーサルを重ねたものの、最終的にはダニー・フェデリチの雰囲気のあるオルガンをフィーチャーした、よりスローで静かなバージョンに落ち着いた。「ある時点でハイウェイは閉鎖される。たどり着くまでにまだ数マイルある。死ぬべき運命を予感させる」と、スプリングスティーンはこの曲について語っている。
29位→27位
29位 「ブリリアント・ディスガイズ」/『トンネル・オブ・ラヴ』(1987年)収録
筆者がアルバム『トンネル・オブ・ラヴ』を買ったのは16歳の時だった。大ヒットアルバム『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』に続く本作について、特に批評家をはじめとする多くの人たちは全く期待していなかったと思う。しかし批評家の言うことには、いつでも騙されてきた。スプリングスティーンが離婚した時期のアルバムで、筆者は別れをテーマにしたレコードが好きだ。
2017年、筆者はアポロ・シアター、マディソン・スクエア・ガーデン、フィラデルフィア、ニュージャージーと、2週間かけてスプリングスティーンのコンサートへ出かけた。アポロでスプリングスティーンは、文字通り壁をよじ登った。彼は60歳を超えている! 筆者は彼よりもかなり年下だが、とても真似できない。その後筆者は、彼の作品をより深く研究しはじめた。
スプリングスティーンはトーク番組『レイト・ナイト・ウィズ・ジミー・ファロン』に出演したが、番組で最も魅力的なエピソードのひとつとなった。彼にエゴなど全く感じることはなく、思慮深い人間だった。筆者は、トイレに行くにも12人のボディーガードを引き連れて行くような有名人を見てきた。一方でスプリングスティーンは、私たちの楽屋へノックもせずに入ってきてギターを取り上げ、アルバム『ネブラスカ』について語り始めた。これがスプリングスティーンだ。楽曲「Eストリート・シャッフル」をプレイしながら「俺について来い」と言って、オーディエンスだけでなく、衣装やメイクの担当スタッフからプロデューサーまでスタッフ全員をフロアへ引っ張り出して踊らせた。彼にはサーカスの団長のような才能がある。素晴らしい。Text by Questlove(クエストラヴ)
28位 「ザ・ライジング」/『ザ・ライジング』(2002年)収録
9.11の印象的なシーンの中でスプリングスティーンが最も感銘を受けたのが、消防士のひとりが建物の階段を登って行く姿だった。「煙に覆われた階段を上がっているのは自分かもしれない。あの世へ向かって進み続けているかもしれない」とスプリングスティーンは、2002年に語っている。救助隊員の目線で語られるアンセム的なこの楽曲は、プロデューサーのブレンダン・オブライエンの所有するアトランタのスタジオで、Eストリート・バンドと18年ぶりにレコーディングしたアルバムからの1stシングルだった。「曲に自分自身のイメージを重ね合わせることができる。”ザ・ライジング”からは、自分の崇高さと向き合う人間の姿を感じる」と、シンガーソングライターのメリッサ・エスリッジは言う。
27位 「ハイウェイ・パトロールマン」/『ネブラスカ』(1982年)収録
「安定した時と、時間が止まって全てが暗転する時との微妙な境目だ」と、スプリングスティーンはアルバム『ネブラスカ』の最も暗い楽曲について表現した。「ハイウェイ・パトロールマン」は、その強烈な色彩がどれほど鮮やかになり得るかを表している。「私の名前はジョー・ロバーツ。州の公務員だ」とスプリングスティーンは歌う。曲の冒頭では、警官のジョーが罪を犯した兄弟のフランクを車で追い、カナダとの国境まで追い詰めたものの結局は逃がしてしまう。静かなアコースティックのメロディに、ベトナム戦争や郊外の貧窮した生活が兄弟の物語に織り込まれている。オスカー級のドラマだ。「家族の中の葛藤がある」と、アーケイド・ファイアのウィン・バトラーは言う。「結婚式の古い写真を眺めているようだ」
26位→24位
26位 「トンネル・オブ・ラヴ」/『トンネル・オブ・ラヴ』(1987年)収録
「愛があふれる世界があり、同時に不安な世界もある。普通は不安感の方がより現実的で、愛の世界よりも切迫している」とスプリングスティーンは、『トンネル・オブ・ラヴ』を制作するにあたって感じたインスピレーションについて振り返った。アルバムは、ニュージャージー州ラムソンにある彼の自宅スタジオで、Eストリート・バンドの一部メンバーだけが参加してレコーディングされた。重苦しい雰囲気のタイトルが付けられた曲からは、恋愛関係に対する不安が感じ取れる(モデルで女優のジュリアンヌ・フィリップスとの結婚生活は1988年に終わりを迎えた)。落ち着いた曲調にマッチしたエンディングで聞こえる遊園地の音は、ニュージャージー州にある遊園地ポイント・プレザントのローラーコースターに乗った家族の声を録音したものだ。
25位 「盗んだ車」/『ザ・リバー』(1980年)収録
暗い雰囲気のピアノを中心としたこの曲は、『ザ・リバー』のレコーディングセッション中に何度か焼き直ししている。当初は、別の曲のタイトルとしても使用した「ハングリー・ハート」というフレーズが含まれていた。最終バージョンでは、結婚生活に終止符を打った主人公が、車で夜の闇へと走り出す(アルバム『トラックス』に収録された別バージョンでは、前向きな決断を示唆している)。スプリングスティーンは後に、「もしも家族や世間とのつながりがなくなってしまったら、自分が消えて亡くなってしまうような気分になる。かなり以前にそんな気分を味わったことがある。成長するにつれ、自分が透明人間になったように感じた。この曲はそんな考えに基づいている」と語った。
24位 「ストリーツ・オブ・フィラデルフィア」/映画『フィラデルフィア』サウンドトラック(1993年)収録
1993年、映画監督のジョナサン・デミが、エイズ危機をテーマにした自身の新作向けの楽曲制作をスプリングスティーンに依頼した。アルバムを2枚リリースした直後のまったりとした雰囲気を切り替えるため、スプリングスティーンは他のミュージシャンは呼ばずにドラムマシンだけを持って自宅スタジオに入った。その結果完成した心にしみるバラードは、世界中のチャートを駆け上がった。真っ向からオーディエンスに挑み、グラミー賞やゴールデングローブ賞のみならず、アカデミー賞まで手にすることとなる。「エイズウに侵されてやつれた人間の視点で曲を作るため、スプリングスティーンは、それまでキャリアを賭けて続けてきた力強さを捨て去る必要があった」とジャクソン・ブラウンは言う。「とても勇気のいる決断だ」
23位→21位
23位 「ランド・オブ・ホープ・アンド・ドリームズ」/『レッキング・ボール』(2012年)収録
1999年にEストリート・バンドを再結成したスプリングスティーンは、ただ昔を懐かしむだけのコンサートはしないと心に誓い、再結成後の初コンサートをこの新曲で締めくくった。聖人と罪人、売春婦と博打打ちを乗せた列車を歌うゴスペル調の曲だ。その後14年間、ほとんど全てのコンサートのハイライトとして欠かせない楽曲となったこの曲が初めて正式にリリースされたのが、2012年のアルバム『レッキング・ボール』だ。「全く新しいEストリート・バンドを示すのにふさわしい曲だった」とヴァン・ザントは言う。「この間の夜はこの曲で始めたら、スタジアムは大盛り上がりさ」
22位 「ダンシン・イン・ザ・ダーク」/『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』(1984年)収録
プロデューサーのジョン・ランドーが『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』向けに用意された楽曲を聴いた時、何かが欠けていると感じた。「シングル用の曲が見当たらないというので、”ダンシン・イン・ザ・ダーク”を書いたんだ。思い通りのポップな曲に仕上がった。もしかしたら少し行き過ぎたかもしれない」とスプリングスティーンは言う。キラキラとしたサウンドのシンセサイザーを中心とした曲調の裏には、自暴自棄になった主人公のストーリーが隠れているが、いずれにしろ完全に新しいファンを掴むことに成功した(特に、当時20歳だったコートニー・コックスをステージに上げてダンスするMVが受けた)。そしてスプリングスティーンのキャリアの中で最も成功したシングル曲になっている。「やり過ぎだと思うほど手が加えられた曲だ」とヴァン・ザントは言う。「初めて聴いた時は、気に入らなかった。ずっと後になってから好きになれたよ」
21位 「アイム・オン・ファイア」/『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』(1984年)
私が初めてブルース(スプリングスティーン)と出会ったのは、彼の1stアルバムがまだ世に出る前で、私の1stアルバムがちょうどリリースされた頃だった。彼の初期の楽曲を聴いたのは、ラジオからではなかった。私の妻が「ぜひ聴いて」と言って聞かされたのが最初だ。確か「57番通りの出来事」だったと思う。彼は大ヒットして名前が世に知られる前に、2枚のアルバムを出していた。彼はアーティストとして多くの転換点と覚醒があった。そしてこれまでにもたくさんの驚きを与えてくれている。
「アイム・オン・ファイア」は、彼の楽曲の中でも最も親しみやすい曲のひとつだと言える。決して高飛車な態度でなく、深い欲求に根ざした曲だ。ドラムは(スネアを)クロススティックで叩いている。「俺は燃えているぜ」と歌いながらも、いつもの筋骨隆々の力強いプレイは跡形もない。パフォーマンスには独特なパワーを感じる。彼の内に秘めたパワーだ。肉体的なパワー全開でプレイする人間が、こんなにも抑制された音楽を奏でるとは驚きだ。素晴らしい。
「(同じアルバムに収録された)”マイ・ホームタウン”も同様だ。もとを辿れば”アトランティック・シティ”から始まっている。世の中にはいろいろな人間がいて、自分の故郷はいつまで経っても自分と共にある、ということを理解させてくれる」
「涙のサンダーロード」や「明日なき暴走」は対照的で、もっと成長して部外者でいることが許されず、誰とも関わらなければならない。そして自分の車の中にいる時だけが救いだなどと考える。そこで彼の空想上の勇敢さが全力を発揮する。「アイム・オン・ファイア」は、シンプルに美しく描かれた絵画のようだ。彼には、少ない言葉で多くを伝える才能がある。
ブルースが俳優をやってみようと思わないことが不思議だ。しかし今彼がしていることは、それ以上だと言える。実際に誰かになりきって演じている。彼は一連の作品を通じて、演じ続けているのだ。Text by Jackson Browne(ジャクソン・ブラウン)
20位→17位
20位 「凍てついた十番街」/『明日なき暴走』(1975年)収録
スプリングスティーン本人ですら、「凍てついた十番街」とは何かを説明できない。「いまだにわからないんだ。でもそこが重要だ」とスプリングスティーンは、クスクス笑いながら答えた。2005年のことだ。タイトルとは関係なく、この曲はEストリート・バンドの成り立ちを描いている。バンド名が付けられたのは、この時点からわずか1年前のことだった。しかしスプリングスティーンは、「スクーターとビッグマン」が街を真っ二つにするという伝説を作り上げていた。この曲のおかげでメンバーも増えた。この曲のレコーディング中に、旧友のヴァン・ザントがスタジオに立ち寄り、ホーンのアレンジを手伝った。スプリングスティーンは彼の仕事を気に入り、Eストリート・バンドは新たなギタリストを迎えることとなる。
19位 「ザ・プロミス」/『ザ・プロミス』(2010年)収録
スプリングスティーンは、アルバム『闇に吠える街』向けの楽曲の制作とレコーディングに2年をかけた。作った曲のほとんどはボツになったが、彼の中には常に忘れられずに存在していた。歌詞を一部変更し、漠然とした裏切り行為によって友人だった2人の関係がこじれるというストーリーに仕立て、アルバム『ザ・プロミス』に収録した。かつてマネージャーだったマイク・アペルとの裁判沙汰にインスパイアされた作った曲だったが、「あまりにも個人的な内容過ぎる」ということで、最終的に採用を見送られた。しかしライブ・アルバムに同曲が収録されると、ファンのお気に入りの一曲となった。「歌詞にはいろいろなことが詰まっている」とヴァン・ザントは言う。「ブルースは、誰が約束(プロミス)を破ったかについては、はぐらかしている。誰でも自分の都合で約束を破る可能性がある、という教訓だ。しかし破るべきではなかったとわかった時は、歩み寄るべきだ」
18位 「ステイト・トルーパー」/『ネブラスカ』(1982年)収録
スプリングスティーンの自宅スタジオでシングル用にレコーディングされた楽曲。極端に暗いトーンの「ステイト・トルーパー」は、雨の夜にニュージャージー・ターンパイクを猛スピードで飛ばす妄想癖のある犯罪者が主人公だ。この曲は、ニューヨークのシンセパンクのデュオ、スーサイドが1977年にリリースした「フランキー・ティアドロップ」の影響を色濃く受けている。アコースティックギターによる低音の同じコードが繰り返される中で、主人公が徐々に自分を見失い、最後には発狂して曲はフェードアウトする。「曲と言えるかどうかわからないが、何か妙なものができた」とスプリングスティーンはジョン・ランドー宛てのメモに書いている。
17位 「57番通りの出来事」/『青春の叫び』(1973年)収録
「”57番通りの出来事”は、俺がその後何度も経験する”救いを求める”ことがテーマになっている。それから20年以上、経験なカトリックの少年のような気持ちでこの曲を演奏している」とスプリングスティーンは語った。蒸し暑い夏の貧困地域をテーマにした曲で、元々のタイトルは「プエルトリカン・ジェーン」だった。登場するスパニッシュ・ジョニーとジェーンは「汗まみれのシーツにくるまって」寝ている。そしてジョニーは「今夜ひと稼ぎするために」ベッドを抜け出す。広い都会の物語を描いた楽曲「ジャングルランド」のテストランのような感じだ、とクレモンズは後に語っている。「イントロのバイオリンとピアノを聞いていると、『ジャングルランド』が思い浮かぶんだ」
16位→14位
16位 「暗闇へ突走れ」/『闇に吠える街』(1978年)収録
Eストリート・バンドの輝きが目覚ましいアルバム『闇に吠える街』からの1stシングル曲で、英雄的なロッカーは何度も推敲を重ねた。スプリングスティーンの著書『Songs』には、9ページに渡る手書きの原稿が掲載されている。彼曰く「暗闇へ突走れ」は、元々「歌詞がほとんどないコーラス」だった。曲のインスピレーションとなったのは、彼がニューヨークで利用した時に閉口したタクシーのドライバーだという。「彼は、人はいつでも何かを誰かに証明しなければならない、ということを喋り続けていた」とスプリングスティーンは、1978年に行ったコンサートでオーディエンスに向かって語っている。「彼は、”家に帰る時は妻に証明”し、”仕事を始める時はボスに証明”しなくてはならない、と言っていた」
15位 「7月4日のアズベリー・パーク」/『青春の叫び』(1973年)収録
海岸に押し寄せる波のようなダニー・フェデリチによるアコーディオンと、透明感のあるスプリングスティーンによるリードギターは、まるでザ・ビーチ・ボーイズの「サーファー・ガール」の精神を引き継いだ子孫のようだ。スプリングスティーンの最も感動的な楽曲のひとつと言える。彼自身はかつてこの曲を、彼が音楽のキャリアをスタートさせたアズベリー・パークへの「ラブレターと別れの曲」と呼んだ。「水上のカーニバルライフ」のイメージからは、その後の作品にも見られる豊かなストーリー仕立てと背景描写の才能が伺える。曲中に登場する70年代のアズベリーは、間違いなくロマンティックに描かれている。「誰もボードウォークの下などに潜り込んだことはなかった」とEストリート・バンドのドラマーだったヴィニ・”マッド・ドッグ”・ロペスは証言する。「ボードウォークの下はネズミのすみかさ!」
14位 「ネブラスカ」/『ネブラスカ』(1982年)収録
スプリングスティーンは、1982年にリリースした飾り気のないアコースティック・アルバム『ネブラスカ』を「友人やコミュニティや政府や仕事から遠ざけられたらどうなるか、という米国民の孤立感を歌っている」と評している。印象的なタイトル曲を無表情に淡々と歌うことで、彼はチャールズ・スタークウェザーの心に入り込む。スタークウェザーは、ガールフレンドと共にワイオミングとネブラスカで11人を殺害した50年代の連続殺人犯だ。この曲は、テレンス・マリック監督の映画『地獄の逃避行』にインスパイアされて書いた。スプリングスティーンのアコースティックギターとハーモニカだけのシンプルな曲が、生々しく表現された歌詞にフィットする。「それまでとは違って最小限で作ってみたかった」とスプリングスティーンは言う。
13位→11位
13位 「ジャングルランド」/『明日なき暴走』(1975年)収録
スプリングスティーンはかつて『明日なき暴走』のグランドフィナーレを「精神的な戦場」と表現した。彼自身はこの曲のストーリーについて語ったのだが、曲の作りについても同じことが言える。1974年半ばに楽曲「明日なき暴走」と同時期にレコーディングしていたが、セッションの途中で行き詰まり、スプリングスティーンはスタジオを変えた。スパニッシュ風のイントロはカットされ、何度も録り直してはボツにしたという。よく知られているのは、スプリングスティーンがクラレンス・クレモンズの盛り上がるサックス・パートの一音ずつに何度も注文を付け、完璧だと思うまで16時間も続けたというエピソードだ。「俺たちにできたのは、ただ耐えること。マリファナを吸い続けて気を静めていた」と、クレモンズは後に当時のセッションを振り返っている。しかし結果として、ならず者の上手く行かない恋愛を描いた9分間に及ぶ長編の傑作ができあがった。曲はスキ・ラハヴの緻密なバイオリンとロイ・ビタンのジャジーなピアノで始まり、ミニチュア版のロックオペラへと展開していく。ハイライトは、クレモンズによる長く壮大なサックス・ソロだ。このソロはスプリングスティーンが、いくつかのテイクをつなぎ合わせて編集した。クレモンズ自身も完成したソロ・パートの出来栄えには大満足で、スプリングスティーンとの共作の中でも最高傑作だと思っている。「私には、あのソロから愛が聞こえる」とサックスマンは、自叙伝で振り返っている。
12位 「ザ・ゴースト・オブ・トム・ジョード」/『ザ・ゴースト・オブ・トム・ジョード』(1995年)収録
『トンネル・オブ・ラヴ』『ヒューマン・タッチ』『ラッキー・タウン』とかなり個人的な内容をテーマにした3枚のアルバムをリリースした後で、「ストリーツ・オブ・フィラデルフィア」を作る機会を与えられた。それをきっかけにスプリングスティーンは、自身曰く「社会的テーマを含んだ」最高傑作の何曲かが自分の経験したこともない領域へと達した感覚を、思い起こすことができたという。「自分自身の中にその場所を再発見した感じだ」と彼は言う。スプリングスティーンは以前から、ジョン・フォード監督の映画『怒りの葡萄』がお気に入りだった。「タイトルの”トム・ジョード”は、この作品の主人公だ。作品と自分とを再びつなぎ合わせて、ひとつの作品に仕上げたかった」という。またこの曲を作るにあたって、米国共和党員による社会的セーフティーネットへの攻撃も彼の念頭にあった。そしてあるライブでスプリングスティーンは、この曲を「ギングリッチ・モブ(共和党ニュート・ギングリッチ議員の支持者)」に捧げた。当初は普通のロックソングとして作るつもりだったが、結局は静かなアコースティックのアレンジでリリースした。2年後、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンが、意外なモダンロック・バージョンのカバーでこの曲をヒットさせた。スプリングスティーンと、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンのギタリスト、トム・モレロとのステージは圧巻だった。
11位 「ロザリータ」/『青春の叫び』(1973年)収録
この曲は、その後何十年も続く本物のアンセムとなり、ありとあらゆるコンサート会場を大興奮に包むこととなった。ヴァン・モリソン・スタイルのリズムとメロディは、スプリングスティーンが1972年にアコースティックギターでプレイしたソウルフォーク曲「ヘンリー・ボーイ」でも聞かれる。1973年前半に「ロザリーナ」をレコーディングする頃にスプリングスティーンは言うまでもなく、曲の歌詞のようにロッカーとして頭角を現していた。”親父にこれが最後のチャンスだと言ってやれ/お前の娘にいい目を見させてやれるんだ/ロージー、レコード会社が俺に大金を積んでくれたんだぜ”と彼は歌う。スプリングスティーンは後に、「俺の書いた曲は俺自身の生き様なんだ。全ては本物の話さ。ビッグ・ボールズ・ビリーとかウィーク・ニード・ウィリーとかいう登場人物なんかも全員が実在する」と語っている(この曲は、かつてのガールフレンドだったダイアン・ロジトをモデルにしているとも言われているが、彼自身は曲に登場する「ロージー」の素性を明かしていない)。この曲には、ロージーの父親が娘を彼から遠ざけようとする恋愛のジレンマが描かれている。しかし唯一、スプリングスティーンが後に「これは自分で書いた中で最も使える歌詞だと思った」というのが、”いつか二人で振り返った時に、全てが笑い話になるだろう”というフレーズだ。
10位→8位
10位 「プロミスト・ランド」/『闇に吠える街』(1978年)収録
明らかにニュージャージーのイメージではない。曲に登場する竜巻や”ユタの砂漠を走るガラガラヘビの高速道路”などは、『闇に吠える街』の制作中にスプリングスティーンが車で出かけた長旅にインスパイアされたものだ。一方でシンプルかつストレートな曲調は、アルバム『明日なき暴走』で聞かせた壮大なウォール・オブ・サウンドの反動だと言える。「あの大音量からスケールダウンしたいんだ、と彼が言っていたのを覚えている」と、プロデューサーのジョン・ランドーは後に語った。スプリングスティーンは、幾重にも作り込まれた『明日なき暴走』からの脱却を図ろうとしていたのだ。ビタンによるシンプルだが広がりを感じるピアノと、ワインバーグのドライブの効いたビートが、大きなコミュニティの中から脱して独立したいという欲求と共に感じる孤独とフラストレーションをイメージさせる歌詞にマッチする。「俺たちの、フォークをベースとしたロックの原点だ」とスプリングスティーンは表現する。「ブルーズとフォーク、そしてフォークソングの構成への回帰だ。メロディックにしようとは考えなかった。そうなるとポップの世界へと入り込んでしまうからね。ある意味で、ウディ・ガスリーやカントリーからザ・アニマルズまで、幅広いロック=フォーク音楽を目指したのさ。」
9位 「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」/『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』(1984年)収録
楽曲「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」も、表面上は穏やかな復員軍人の嘆きを描写したシングルB面の「シャット・アウト・ザ・ライト」も、第三の未完成曲「ベトナム」がオリジナルになっている。「ベトナム」は2つの曲に分割され、片方には映画監督のポール・シュレイダーが送ってきた台本のタイトル「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」をそのまま付けた。この曲は当初、アルバム『ネブラスカ』のセッション用のデモとして、ソロのアコースティック・バージョンがカセットに録音された。しかしその時は、あまりパッとしない曲だった。「『ネブラスカ』のデモ・テープの中でも、よくない部類の作品だった」とプロデューサーのジョン・ランドーは言う。しかし、スプリングスティーンがEストリート・バンドとのセッションでこの曲を再び取り上げると、素晴らしい生命が吹き込まれた。「ほとんど即興でプレイした」とスプリングスティーンは振り返る。「バンドにはほとんど何も説明しなかった。”ロイ、リフはこうだ”といった感じで始めた。するとロイはあのサウンドをチョイスして、シンセサイザーでリフを弾き出した。皆で2回やったが、2度目のテイクがレコードに採用された。だからあの緊張感が出ているのさ。俺は、なかでもマックス・ワインバーグが際立っていたと思う。何のアレンジも加えていない。”俺が止まってもドラムは叩き続けてくれ”と伝えていた。だから、曲のラストはああなったんだ」
8位 「闇に吠える街」/『闇に吠える街』(1978年)収録
もしも『明日なき暴走』の収録曲が恋愛の逃避行ばかりなら、次のアルバムは足を地につける場所探しということになるだろう。アルバム『闇に吠える街』のエンディングのタイトル曲では、妻もお金も人生への希望も失いつつも、「今夜俺は丘の上に立つ。俺は止まることができないから」とスプリングスティーンは、Eストリート・バンドが得意とするアレンジに乗せて繰り返しつぶやく。スプリングスティーンは曲の主人公について、「自分を取り戻すために全てを捨て去らねばならない状況に追い込まれた」と説明する。スティーヴ・ヴァン・ザントは、この曲がアルバム全体を象徴していると言う。「勇気があるようにも見えるが、実は妄想や衝動だったりする」とヴァン・ザントは指摘する。「この曲はアルバム全体を見事に総括している。”ハッピーエンドである必要はない”のさ。映画のような展開だが、規模は小さい。カメラがズームインする。インディペンデント映画のようなものだ」
7位→5位
7位 「アトランティック・シティ」/『ネブラスカ』(1982年)収録
『ネブラスカ』から、筆者はブルース・スプリングスティーンにはまった。シンプルでダイレクトな楽曲は、聴いていて心地よかった。そしてストーリーにもとても興味を惹かれた。楽曲「ネブラスカ」は、歌詞の最初の部分を聴いただけで、その世界に引き込まれる。
2004年の我々アーケイド・ファイアのアルバム『フューネラル』は、いつでも聴いていたいという類のレコードではない。ある意味で『明日なき暴走』のように、聴くにはある程度の覚悟が必要だ。一方で『ネブラスカ』は、バックグラウンド・ミュージックにしてもいいし、じっくり聴き込んでもいい。常に集中して耳を傾けている必要がない。バンドが大音量でガツンとやってくる訳でもない。こっそり忍び寄ってくる感じだ。
特に「アトランティック・シティ」は傑作だ。ポップな曲調がストーリーを際立たせている。いつの間にか曲に合わせて口ずさんでしまう。そこがポイントなのだ。さらに、「ベイビー、ストッキングを履いたほうがいい。夜は冷えるから」など、普通のポップソングでは決して言わない。こういった細かい点にも注目すべき点がある。しかしここが傑作たる所以だ。
ロックンロールや作り出すサウンドには、ある程度の制約がある。しかしストーリーは無限だ。このアルバムはストーリーが中心で、音楽がそれを際立たせている。
Text by Win Butler of Arcade Fire(ウィン・バトラー/アーケイド・ファイア)
6位 「裏通り」/『明日なき暴走』(1975年)収録
ローリングストーン誌による『明日なき暴走』のアルバム・レビューでグレイル・マーカスは、「裏通り」のイントロで聴けるロイ・ビタンによる滝のように流れるピアノがとても美しい、と評している。「ロックンロール版の叙事詩『イーリアス』の前奏曲と言える」とマーカスは表現した。この曲に関しては、スプリングスティーンが70年代初めに付き合っていたダイアン・ロジトをモデルにしたとか、親しい男性との別れの話(曲の捉え方によっては同性愛的な雰囲気も感じられる)など、多くの解釈がなされている。スプリングスティーンは、”テリー、一緒に見た映画を覚えているかい/映画に出てくるヒーローのようになりたくて歩き方を真似たな”という物悲しいイメージと、60年代半ばのボブ・ディラン(特に「ブロンド・オン・ブロンド」スタイルのオルガン)を彷彿とさせる音楽とを対比させている。この曲には、個人的な深い意味も込められている。長年アシスタントを務めたテリー・マゴヴァーンが亡くなった2007年には、スプリングスティーンはこの曲をよくプレイした。また2008年にオルガニストのダニー・フェデリチがこの世を去ってから初めてのコンサートで、Eストリート・バンドがオルガン抜きでこの曲を披露した。「『裏通り』に合わせて皆がウィスキーのグラスを掲げ、一緒に歌った」と、ベスト・コーストのベサニー・コセンティーノは言う。「本当に皆が一体になった」
5位 「ザ・リバー」/『ザ・リバー』(1980年)収録
スプリングスティーンの楽曲に登場する悲劇キャラクターの多くは、フィクションだ。しかし「ザ・リバー」に出てくるティーンエイジのカップルは、自らの体験に基づいている。彼の妹のジニーは18歳で妊娠し、直後にお腹の子どもの父親であるミッキー・シェイヴと結婚した。ミッキーは家族を養うため、建設現場で働いた。「70年代後半の彼らは、とても厳しい生活を送っていた。今の多くの人々と同じだ」とスプリングスティーンは、2009年に行った『ザ・リバー』の全曲コンサートで語った。彼は妹夫婦の経験を、感動的な労働者階級の嘆きのスローバラードに仕上げた。エンディングのハーモニカのパートは、まるで葬送歌のように聞こえる。「ザ・リバー」は、ニューヨークのパワー・ステーション・スタジオでEストリート・バンドと共にレコーディングした直後、1979年9月に行われた『ノー・ニュークス』コンサートで初披露された。彼の妹も会場にいたが、まさか自分のことを歌った曲だとは知らなかったという。「歌詞の内容は詳細に至るまで事実よ」とジニーは、スプリングスティーンの自叙伝の著者ピーター・エイムズ・カーリンに証言している。「私の全てが曝け出されたから、初めはあの曲が嫌いだった。でも今はお気に入りの1曲よ」と語った。ジニーとミッキーは今も幸せな結婚生活を続けている。
4位→2位
4位 「レーシング・イン・ザ・ストリート」/『闇に吠える街』(1978年)収録
アルバム『闇に吠える街』のA面は、スプリングスティーンの作品の中で最も静かで美しい曲で締めくくられる。ロッカーの集まったフルバンドでレコーディングされたものの、アルバムにはシンプルなピアノ・バラードが収められた。小さな街の負け組の男が、改造してパワーアップした車に乗り、横には疲れた目をしたガールフレンドが座っている。この曲を初披露した1978年のライヴでスプリングスティーンは、この曲はアズベリー・パーク郊外の何でもない道路にヒントを得て書いたと語った。歌詞には、マーサ&ザ・ヴァンデラスのヒット曲「ダンシング・イン・ザ・ストリート」のタイトルが繰り返し出てくる。さらに、69年製シボレーのエンジンヘッドの種類まで推奨している。しかしどこか哀しいインストゥルメンタルのコーダが流れ始めると、先にはハッピーエンドが待っている訳ではないことがわかる(”今夜は彼女と二人で海へドライブしよう/そして俺たちの罪を洗い流そう”とスプリングスティーンは歌う)。「意味は言外に込められている」とトム・モレロは言う。「二人が不確かな未来へ向かってドライブしていくのに合わせて、永遠に続く無力感を感じるんだ」
3位 「涙のサンダーロード」/『明日なき暴走』(1975年)収録
「涙のサンダーロード」ができるまでは、『明日なき暴走』のオープニングは同名のタイトル曲にしよう、とスプリングスティーンは決めていた。「”涙のサンダーロード”は、イントロからして正にオープニングにふさわしい曲だ。シチュエーションが明確で、メロディは新しい一日や朝や、何か開放的なものをイメージさせる」と彼は言う。スプリングスティーンはこの曲を、自宅のリビングルームのピアノで作った。それをキーボーディストのロイ・ビタンがエレガントに仕上げた。「俺が持ち込んだ原曲とロイのキーボードで、実にユニークなサウンドが生まれた。今の人が聞いたらきっと『この曲はEストリート・バンドみたいだ』と言うに違いない」とスプリングスティーンは言う。他の初期の作品と同様、「君は怯えて、もうあの頃のように若くはないと考えているのだろう」というように、歌詞は彼の経験に基づく視点から書かれていることを示唆している。「アルバムの曲は、ベトナム戦争直後に書かれている。当時どのように感じたかを、皆忘れている」とスプリングスティーンは指摘する。「我々は皆自分が誰なのか、我々はどこへ向かっているのか、この国は何をしようとしているのか、といった大きな恐怖と将来に対する不安を抱えていた。そういったものをこのアルバムに込めたん」
2位 「バッドランド」/『闇に吠える街』(1978年)収録
「まずタイトルが頭に浮かんでから、このタイトルにふさわしい曲を探した」とスプリングスティーンは証言する。「『バッドランズ』というタイトルは素晴らしい。しかし台無しになる可能性もある。俺はタイトルにふさわしい曲ができるまで何度も何度も作り直した」という。曲のリフは、アニマルズ版の「悲しき願い」をヒントにした。そして当時売れていたパンクのヒット曲の勢いも取り入れて、ピート・タウンゼント風の「ステージで祈りを捧げる」ロック・アンセムに仕上がった。”信じれば救われると思っている/信じ、願い、祈る/いつか報われるだろう/このバッドランドで”と歌う。「コーラスの下のパートは彼が歌い続けているが、高音のコーラスパートも彼自身が歌っている」とジャクソン・ブラウンは言う。「クールでスリリングだ。最小限の言葉で伝わる。彼はひとつの人格を作り上げている。まるで辞典のようだ」
ブルース・スプリングスティーンの名曲40選、1位に輝いたのは?
1位 「明日なき暴走」/『明日なき暴走』(1975年)収録
ブルース・スプリングスティーンは24歳の時、「明日なき暴走」を書き始めた。まずタイトルを決め、サーフギター風のリフはデュアン・エディの「ビコーズ・ゼイアー・ヤング」やザ・トルネイドースの「テルスター」にヒントを得て、あとは運任せという感じだった。「俺には大きな野望があった」とスプリングスティーンは言う。当時の彼は、まだ大ヒットもなくレコード会社との契約も失いかねない新人アーティストだった。「これまでにない最高のロックのアルバムを作りたいと願っていた。素晴らしいサウンドで皆の心を捉えて放さず、ヒットさせたい。音楽だけでなく、自分自身の人生や存在そのものにも注目して欲しい」とスプリングスティーンは思っていた。彼が曲作りを始めたのは、1974年の初めだった。ニュージャージー州のロングブランチから数ブロックの場所に借りていたコテージのベッドが、彼の仕事場だった。そしてハドソン・バレーの小さなスタジオで形にし、約半年かけてオーバーダビングした。中には使いものにならない曲もあった。アコースティックギターにエレクトリックギター、エレクトリックピアノとアコースティックピアノ、グロッケンシュピール、ストリングス、バイオリン、シンセサイザー、エンジンノイズ、コーラスグループなど、あらゆるものを試した。
「僕らはいろいろなやり方でプレイしてみた。スタジオでの待ち時間が長く、やることがなくてダーツやビリヤードが上手くなったよ」とEストリート・バンドの元ドラマーで、この曲のレコーディングを終えた直後にバンドを離れたアーネスト・”ブーム”・カーターは証言する。スプリングスティーンの願い通り、元気がよく疾走感のある傑作が完成した。それは後に、彼の作品を代表するアンセムとなる。彼は64歳(訳註:原稿執筆当時)になってもなお、ステージのまばゆいライトの下でEストリート・バンドと一緒にプレイできる情熱と意欲にあふれている。
「ものすごい希望にあふれたアルバムだった」とスプリングスティーンは言う。「その情熱と強い願いは、死ぬまで決して忘れない。曲が自分の年齢を超越し、明日を迎えるワクワク感と不安な気持ちに語り続けるんだ。いつでもそうさ。こういう風に、この曲はできあがったのさ」
リスト制作協力者:
ウィン・バトラー(アーケイド・ファイア)、アンディ・グリーン(ローリングストーン誌、共同編集者)、ローレン・オンキー(ロックの殿堂ミュージアム)、ジャクソン・ブラウン(シンガーソングライター、ロックの殿堂入り)、ミカル・ギルモア(ローリングストーン誌、寄稿編集者)、クリストファー・フィリップス(バックストリーツ誌、編集・出版)、ピーター・エイムズ・カーリン(ジャーナリスト、スプリングスティーンのバイオグラフィーの作者)、ブライアン・ハイアット(ローリングストーン誌、特別編集者)、ロブ・シェフィールド(ローリングストーン誌、寄稿編集者)、ベサニー・コセンティーノ(ベスト・コーストのオリジナルメンバー)、アラン・ライト(ジャーナリスト、著書『The Holy or the Broken』の作者)、スティーヴン・ヴァン・ザント(俳優、ギタリスト、Eストリート・バンド)、ビル・フラナガン(MTVネットワークス、執行副社長)、エドワード・ノートン(俳優、映画監督、アカデミー賞ノミネート2回)、ウォーレン・ゼインズ(ザ・デル・フエゴスのオリジナルメンバー)、デヴィッド・フリッケ(ローリングストーン誌、特別編集者)、トム・モレロ(ソロアーティスト、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン、ギタリスト)
Text by BRIAN HIATT, DAVID BROWNE, DAVID FRICKE & JON DOLAN & THOMAS WALSH & SIMON VOZICK-LEVINSON & PATRICK DOYLE & ANDY GREENE & WILL HERMES & ROB SHEFFIELD
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from Rolling Stone US
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ブルース・スプリングスティーン『レター・トゥ・ユー』
Bruce Springsteen / Letter To You
ソニー・ミュージックジャパン インターナショナル
SICP-6359 2400円+税
発売中
収録曲
1. One Minute Youre Here / ワン・ミニット・ユア・ヒア
2. Letter To You / レター・トゥ・ユー
3. Burnin Train / バーニン・トレイン
4. Janey Needs A Shooter / ジェイニー・ニーズ・ア・シューター
5. Last Man Standing / ラスト・マン・スタンディング
6. The Power Of Prayer / ザ・パワー・オブ・プレイヤー
7. House Of A Thousand Guitars / ハウス・オブ・ア・サウザンド・ギターズ
8. Rainmaker / レインメイカー
9. If I Was The Priest / イフ・アイ・ワズ・ザ・プリースト
10. Ghosts / ゴースツ
11. Song For Orphans / ソング・フォー・オーファンズ
12. Ill See You In My Dreams / アイル・シー・ユー・イン・マイ・ドリームズ
【リンク】
日本公式:http://www.sonymusic.co.jp/artist/BruceSpringsteen/
日本公式Facebook:https://www.facebook.com/BruceSpringsteenJapan
アーティスト公式:https://brucespringsteen.net/