音楽評論家・田家秀樹が毎月一つのテーマを設定し毎週放送してきた「J-POP LEGEND FORUM」が10年目を迎えた2023年4月、「J-POP LEGEND CAFE」として生まれ変わりリスタート。1カ月1特集という従来のスタイルに捕らわれず自由な特集形式で表舞台だけでなく舞台裏や市井の存在までさまざまな日本の音楽界の伝説的な存在に迫る。


2023年5月の特集は「田家秀樹的 90年代ノート」。「J-POP LEGEND FORUM」時代に放送した「60年代ノート」「70年代ノート」「80年代ノート」の続編として、ミリオンセラーが日常となった空前のヒット曲の時代「黄金の10年」を振り返る。PART4は、1996年、1997年のヒット曲9曲をピックアップする。

FM COCOLO「J-POP LEGEND CAFE」マスター田家秀樹です。今流れているのは、河村隆一さんの「Glass」。1997年4月に出た2枚目のシングルで、この年のシングル年間チャート2位です。
ミリオンセラーになりました。今日の前テーマはこの曲です。

90年代が後半に差し掛かってきます。それまでと違う存在や流れが台頭してきてるんですが、その象徴のような存在がこの河村隆一でしょうね。もちろん彼はその前からLUNA SEAのボーカルで活動をしていたんですが、LUNA SEAが96年に活動を休止して、メンバーがソロになったんですね。隆一さんは、LUNA SEA自体のアルファベットのRYUICHIから本名の漢字・河村隆一でソロデビューして、97年にシングル4枚と、ミニアルバム1枚とフルアルバムを1枚発売しました。


フルアルバムの『Love』は年間のアルバムチャート4位で、なんと300万枚を超えたんですね。未だに破られてないソロアーティストのアルバムの売上の枚数になりました。それまでLUNA SEAのステージで「かかってこい!」と叫んでた姿とは別人でした。本格ボーカリストとしての鮮烈なデビューでした。

彼のソロツアーを取材して『1997河村隆一』っていう写真と文章の本も出したりしたので、この年の隆一さんのことはよく見ましたね。この90年代ノートでは、実はまだLUNA SEAはおかけしてないんです。
彼のソロがLUNA SEA関係の最初ということになります。LUNA SEAを初めて見たのが95年12月の東京ドームで、ビジュアル系ってくくっちゃいけないなと思った。とてもドラマチックなステージを見てちょっと驚かされたんです。95年は先週だったんで、先週入れようかなと思ったんですが入らなくなってしまいました。

99年のところでLUNA_SEAの話をまたしてみようと思っております。何でLUNA SEA関係で隆一さんが最初の取材だったかっていうのも来週しようかっていう。
こういう触れられない話とか、ご紹介できない曲がたくさんあるんで、この90年代ノートは7月に続編をやろうかなと思ったりもしております。そんな96年1月1日に出て、年間チャート2位だった曲です。globeの「DEPARTURES」。

96年1月1日元旦に発売になったglobeの4枚目のシングル「DEPARTURES」。TETSUYA KOMURO、MARC PANTHER、KEIKOという3人ですね。ラッパーの入ったダンスユニット。
モチーフになった人たちがいて、ベルギーで人気だったユーロビートのユニット、2 アンリミテッド。TRFをもっと進化させたと言っていいんでしょうけども、この「DEPARTURES」が約230万枚売れた。3月に発売になったアルバム『globe』は400万枚ですよ。400万枚の原動力がやっぱり、TK、小室哲哉さんだった。97年の年間チャート1位が安室奈美恵さんの「CAN YOU CELEBRATE?」なんですね。そんな話はこの後も続いていきます。


96年3月発売、安室奈美恵さんの「Don't wanna cry」。96年97年98年、TKプロデュースの絶頂ですね。先週のTRFが起爆剤になって、その後を受けたのが安室奈美恵さんとglobeですね。小室哲哉、TKと出会うことで運命は変わったって意味では、安室さんがその代表のような人でしょうね。中学生のときにSUPER MONKEY'Sでデビューして、この曲はソロの5作目でTKプロデュースの3曲目。

この2人のコンビで97年の「CAN YOU CELEBRATE?」が年間チャート1位で代表曲になってるんですが、僕はこの曲ですね。この曲のイントロは鳥肌立ちました。96年に幕張のスタジアムで安室さんのライブを見たんです。バックに何か気になる人がいるなと思って双眼鏡で見たらシーラ・Eだったんですよ。え! こんな人が出てるんだと思ったのがそのときですね。TKはこういうことやろうとしてるのか。この後には宇多田さんが登場してニューR&Bというブームが来るんですけど、やっぱり打ち上げ花火はこの曲だったんじゃないかなと思います。

アムラーという存在が街を闊歩しますね。ミニスカート、ロンドンブーツに茶髪。ストリートからアイドルが登場したって意味では安室奈美恵さんは画期的だったと思っているんです。それまでのブラウン管の中で白い歯を見せていた茶の間のアイドルとは違うところから颯爽と登場した。安室奈美恵は革命でした。90年代ならではの現象ですね。

そういう中で、80年代のアイドルもこうやって健闘してました。6年4月発売松田聖子さん「あなたに逢いたくて ~Missing You~」。

1996年4月発売、松田聖子さんの「あなたに逢いたくて ~Missing You~」。作詞作曲ともに松田聖子さん、作曲は小倉良さんと共作なんですけども両方とも関わっている。シンガーソングライターになった。しかも、この曲は未だにキャリアハイ。一番売れた曲なんですね。80年代の松本隆さんがずっと書いてた当時よりも、この曲が売れてるんですよ。これは1人のアーティストのピークって意味では、やっぱり特筆すべきことでしょう。

聖子さんは62年生まれ。この曲が出たときには30代になってるんです。脱アイドル。10代にアイドルでデビューした人が、30代になって、シンガーソングライターとして書いた曲で、キャリアハイを残している。聖子さんっていう人は、やっぱりいろんな掘りがい、語りがいがある人なんだなと改めて思いました。

90年代っていうのは80年代の発展系でもあるんですね。全く変わってしまったわけではなくて、80年代にデビューした人が、新しい世界、新しい海を求めていって、いろんな結果を残してる。次の人もそうですね。96年5月発売、久保田利伸さんの「LA・LA・LA LOVE SONG」。

1996年5月発売、久保田 利伸 with NAOMI CAMPBELL「LA・LA・LA LOVE SONG」。これが年間シングルチャート3位。シングルチャート1位がMr.Childrenの「名もなき詩」、2位がglobeの「DEPARTURES」、3位がこの「LA・LA・LA LOVE SONG」。華のある曲だなと思いますね。

久保田さんがデビューが86年ですから、10周年の快挙だった。89年にベストアルバム『the BADDEST』で1位。ミリオンセラーを達成して、90年代に入ってずっと志向がアメリカに向いていくんですね。93年にアメリカに移ってしまって、95年にToshi Kubotaって名前で全米デビューしてる。NAOMI CAMPBELLさんは同じアパートの住人で、エレベーターの中であったんじゃなかったかな。向こうに拠点を移したからのお付き合いでこういうコラボレーションが実現したんですね。

松田聖子さんも2000年代に入ってアメリカでアルバムがクラブチャートに入ってますからね。90年代っていうのは多くの人が次へチャレンジしたいと活動してた。そんな時代なんでしょうね。90年代に誰もが思った音楽シーンの一つの夢が叶ったというふうに言っていいんではないでしょうか?

全部だきしめて / 吉田拓郎とLOVE2 ALL STARS

吉田拓郎とLOVE2 ALL STARS「全部だきしめて」。97年11月に出たアルバム『みんな大好き』に入っておりました。LOVE2 ALL STARSというのは、96年10月にスタートしたフジテレビの音楽バラエティ『LOVE LOVE あいしてる』のバンドですね。その主題歌でした。

アルバム『Long time no see』が95年に出ました。拓郎さんが50歳になる前、50代をどう迎えるかっていうのが、この世代の90年代の大きなテーマだったんですね。拓郎さんは95年にバハマでレコーディングしました。コンパス・ポイント・スタジオ。ジャクソン・ブラウンのバンドのセクションというメンバーと一緒にやりたい。ドラム、Russ Kunkel、ベースLee Sklar、キーボードCraig Doerge、ギターDavid Lindley。亡くなった人がたくさん出てきましたが、1軒家を貸し切って、そういう人たちと一緒にレコーディングしたアルバムが『Long time no see』。その中に「永遠の嘘をついてくれ」という中島みゆきさんの歌が入ってたんで、それをかけようかなと思ったんですが、こっちにしちゃいました。

50代になった拓郎さんが、今までやったことのないことをやりたいっていうことで、テレビのレギュラーを持ったんですね。それが『LOVE LOVE あいしてる』だった。その相手になったのが、デビュー前のこの人たちでありました。去年のアルバム『ah-面白かった』にも参加してましたね。拓郎さんの人生の中で一番大きな影響を与えた2人と言っていいかもしれませんね。特に人生の後半は、そういう存在だったんではないでしょうか? KinKi Kidsデビュー曲「硝子の少年」。

硝子の少年 / KinKi Kids

1997年7月発売、KinKi Kidsのデビュー曲「硝子の少年」。作詞・松本隆、作曲・山下達郎。97年年間チャート2位でしたね。1位は何かというと安室奈美恵さんの「CAN YOU CELEBRATE?」ですね。

96年10月に始まった『LOVE LOVE あいしてる』は、KinKi Kidsはデビュー前だったんですね。拓郎さんは、俺は若い奴は嫌いだって言ってて、KinKi Kidsともなかなか打ち解けられないんではないかという時期がありました。『LOVE LOVE あいしてる』のスタジオ、始まってしばらくは、当時のフォーライフレコードの担当者、今毎日放送にいる原田さんと一緒に立会いに見に行ってました。拓郎さんは辞表を懐に入れて収録に臨んでおりました。

この頃と今違うことにデビューまでの時間をちゃんとかけてる。そして曲を、いろんな曲の中から選んでるっていうことがあるんじゃないでしょうかね。TikTokでバズったからデビューさせるみたいなことじゃなかった。次におかけするアーティストもそんな例でしょうね。92年から3年間修業期間があった。95年にデビューして、97年の1月に主演映画を撮ったんですね。『月とキャベツ』。いい映画でした。彼も主演しておりました。その中の曲がロングヒットしたんですね。次の曲はその曲ですね。

『月とキャベツ』の前に、96年9月にシングル『セロリ』を発売して、それが97年5月にSMAPがカバーした。で、山崎まさよしという名前がいろんな形で広まるようになった。90年代にデビューした人たちの息が長いのは、そういうデビューのいろんな知恵が詰まってるっていうことがあるんじゃないでしょうか。この曲も、そういう時間をかけて作られた曲です。「One more time, One more chance」。

この辺はおぼろげになってるんで、ひょっとしたら事実と違うのかもしれないんですが、山崎まさよしさんを新宿のルミネ劇場で見たときにオープニングで出たのがスガシカオさんだったんじゃないかな。スガさんのデビュー曲「ヒットチャートをかけぬけろ」が、ちょうどこの97年の2月ですからね。そういうタイミングだったんだと思います。オフィスオーガスタっていう新しい制作会社がこっから台頭してくる。ちゃんと音楽を作るんだっていうことを自分たちの旗印に掲げた制作会社。90年代後半ですね。

シンガーソングライターの人たちが頑張ってる一方で、松田聖子さん、安室奈美恵さん2人に共通点がありまして、出産を経験してる。聖子さんは80年代でしたけども、安室さんは97年に結婚を発表して、そのとき既に妊娠していた。で、また復帰するわけですね。70年代のアイドル、山口百恵さんのように、結婚で引退っていう選択はなかったですね。ママドルっていうのを、松田聖子さん安室奈美恵さん、この2人が確立させました。それはアイドルだけじゃないんです。そういう自分の出産経験を歌にしたということで、名作を残したシンガーソングライターもいまして。次の曲はその人ですね。UA。98年の『アメトラ』っていうアルバムは、出産後のアルバム。妊娠してるときのことを歌にしてるんですけど、それだと来週なっちゃうんで、今週は96年の代表曲をお届けしようと思います。

1996年6月発売、UAの「情熱」をお聴きいただいてます。アルバムが96年10月に出た『11』ですね。このアルバムはMONDO GROSSOの大沢伸一さんとか、LITTLE CREATURESの青柳拓次さんとか、いわゆるポップス系とはちょっと違うオルタナティブなところで活動してたクラブ系ミュージシャンっていうんでしょうか、そういう人たちがたくさん参加してましたね。

これはだからどうってことではないんですが、UAのデビューときのプレスリリースを僕が書いているんです。R&B、吉田美和さんとかそういう人たちの流れの中での新しい流れだって書いた記憶がありますね。

京都の美術短大。映像をやりたかった人なんですけども、音楽の方に進んでいった。UAという名前はスワヒリ語ですね。アフリカの「花」と「死」という意味が込められてる。デビュー当時のビジュアルも、アフリカの大地をイメージしたような民族衣装なような格好をしてました。2000年代に入ってから彼女は沖縄とかカナダとか、長野県の八ヶ岳とか移り住んだ。ヒッピー的ですね。そこでお子さんも出産して、母性というのを音楽に残しながら至っております。70年代のエッセンスをピュアな形で継承している1人でしょうね。

で、今日最後の曲は、そういう時代に日本のロックという旗を高々と掲げたバンドをご紹介しますね。THE YELLOW MONKEY。結成が88年です。92年メジャーデビュー。デヴィッド・ボーイとかTレックスとか、耽美的、退廃的、エロティックなロックですね。ビジュアル系もそういう耽美とか退廃っていうのは特徴だったんですが、そういう意味ではもっと日本の歌謡曲に寄っていた。97年1月発売、アルバム『SICKS』。病気という言葉と6枚目っていう数字がダブルミーニングになったアルバムですね。その中から「花吹雪」。

97年1月発売のTHE YELLOW MONKEY、6枚目のアルバム『SICKS』の中の「花吹雪」。「花吹雪」にしようか「人生の終わり (FOR GRANDMOTHER)」にしようか「紫の空」にしようか迷いました。「人生の終わり」は「血が泣いてるんだよ」っていうフレーズが衝撃だったのと、「花吹雪」は和風、桜ですよ。ロックがなかなか扱わなかったテーマをこんなふうに扱った。この曲を聞いたときに、東京キッドブラザースを思い出したんですね。彼らがニューヨークに乗り込んだときに、着物を着て、花吹雪の中でロックをやってた。わー日本のロックだと思ったのがこの曲でした。

彼らで思い出すのが、7月26日、富士天神山スキー場、第1回フジロック。そこで演奏したのが「紫の空」だったんですね。イエモンの前がレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンで、その前がフー・ファイターズ。イエモンの後、トリがレッド・ホット・チリ・ペッパーズだった。台風直撃。僕はこのままだと帰れなくなると思って、レッチリの途中で帰りました。イエモンの最後は「悲しきASIAN BOY」。日本のバンドを背負ってましたね。フジロック7月26日、その前の日、7月25日に河村隆一を京都会館で見て、その帰りに寄ったんですね。だから途中から見たんですね。多分フー・ファイターズから見たんだと思うんですけど、イエモンを見に行きました。新しい始まりでしたね。

流れてるのはこの番組のテーマ竹内まりやさんの「静かな伝説」です。

随所に個人的な思い出、体験が登場するのはお許しください。一番ライブ見てたのがこの辺なんで、いろんなことを思い出すんですね。時代はTKとビーイングでもあったんですけど、やっぱり拓郎さんのことが大きいですね。どんな50歳になるのかが、みんな悩んでたことで、さっき話したバハマが95年で49歳。その後、ロサンゼルスのバンドと一緒にツアーもしました。96年に50歳を迎えて、彼はハワイでバースデーパーティーをしたんですね。当時、彼がやっていた東京FMのリスナーをカップルで招待して、ハレクラニホテルでパーティーをやって、秋から『LOVE LOVE あいしてる』を始めたんですね。50代になって今までやったことがないことをやりたい。

この96年の9月14、15日、神戸のワールド記念ホールで泉谷しげるさんのスーパーバンド、「日本を救え!!」の阪神淡路大震災復興支援コンサートがあったんです。拓郎さん、小田和正さん、浜田省吾さん、大江千里さん、高中正義さん、伊勢正三さん、大友康平さん、坂崎幸之助さん、いろんな人たちが出ましたね。いいコンサートでしたね。そのコンサートが、これも私事になってしまうんですが、50代になって見た最初のコンサートでした。50歳っていうのは今は普通の年齢ですね。誰もそんな年齢を意識したり、年だとか思わないんでしょうけど、やっぱり当時の50はなかなか越えられない年だったんです。色々隔世の感がありますが、アーティスト年齢の長さっていうのも隔世の感がありますね。90年代ノート、来週は大詰めです。

<INFORMATION>

田家秀樹
1946年、千葉県船橋市生まれ。中央大法学部政治学科卒。1969年、タウン誌のはしりとなった「新宿プレイマップ」創刊編集者を皮切りに、「セイ!ヤング」などの放送作家、若者雑誌編集長を経て音楽評論家、ノンフィクション作家、放送作家、音楽番組パーソリナリテイとして活躍中。
https://takehideki.jimdo.com
https://takehideki.exblog.jp
「J-POP LEGEND CAFE」
月 21:00-22:00
音楽評論家・田家秀樹が日本の音楽の礎となったアーティストにスポットを当て、本人や当時の関係者から深く掘り下げた話を引き出す1時間。
https://cocolo.jp/service/homepage/index/1210

OFFICIAL WEBSITE : https://cocolo.jp/
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