音楽評論家・田家秀樹が毎月一つのテーマを設定し毎週放送してきた「J-POP LEGEND FORUM」が10年目を迎えた2023年4月、「J-POP LEGEND CAFE」として生まれ変わりリスタート。1カ月1特集という従来のスタイルに捕らわれず自由な特集形式で表舞台だけでなく舞台裏や市井の存在までさまざまな日本の音楽界の伝説的な存在に迫る。


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2023年7月の特集は「田家秀樹的 続90年代ノート」。「J-POP LEGEND FORUM」時代に放送した「60年代ノート」「70年代ノート」「80年代ノート」の続編として、今年5月に特集した「田家秀樹的90年代ノート」の続編で、よりパーソナルな内容の90年代特集。PART4は、1996年、1997年のヒット曲10曲をピックアップする。

こんばんは。「J-POP LEGEND CAFE」マスターの田家秀樹です。今流れているのは、奥田民生「イージュー☆ライダー」。
96年6月に発売になった6枚目のシングル。「イージュー」というのは、業界用語で30のことですね。民生さんは1965年5月生まれ。この曲を制作していたのがちょうど30歳。あの70年に公開された映画『イージー・ライダー』と掛詞になってますね。30歳でも自由だよ。
大げさに言うとそういうことだっていうのが民生さんらしいですね。今日の前テーマはこの曲です。

今週は96年と97年。90年代の折り返しが過ぎて、後半に差し掛かりました。ユニコーンは87年にデビューして、93年4月に解散したんですね。それぞれがソロになって、民夫さんは92年に『休日』でソロデビューしました。
94年の2枚目のシングル『愛のために』がミリオンセラー。95年にソロデビューアルバム『29』を発売しました。29歳という年齢ですね。バンドからソロ。いろんな人たちがそういう軌跡をたどってますが、民夫さんもはっきりと軌跡を残してますね。3枚目のシングルのタイトルが『息子』。
父親と息子。4枚目のシングル『コーヒー』。日常的なことですね。その中にも「もう30だから」っていう歌詞がありました。5枚目が『悩んで学んで』。その後がこの「イージュー★ライダー」。
やっぱり俺たち自由だよなって、そんな歌でしょうね。民生さんは70年代ロック少年なんで、30代は信じるなって言葉を知っている世代ですね。バンドを解散してソロになって30代を迎える心境がつづられてます。この年、民生さんにはもう一つ大きな出来事がありました。その話は後ほどです。

バンドを休止してソロになった人の名曲をもう1曲お聴きいただきます。
96年7月発売、玉置浩二さん「田園」。

96年7月発売、玉置浩二さんの「田園」。11枚目のシングルですね。作曲が玉置さんで、作詞が玉置さんと共同プロデュースの須藤晃さん。尾崎豊さんのプロデューサー。玉置さんは87年にソロデビューしてたんですが、安全地帯が活動を休止して本格的にソロに専念するようになりました。93年の彼のアルバム『あこがれ』で作詞を担当したのが須藤さんですね。『カリント工場の煙突の上に』。あのアルバムのタイトルもそうなんですけど、安全地帯のときにはなかった生活感というのが色濃くなりました。「田園」はそういう名曲の一つですね。これは年間チャート25位、玉置さんソロの最大のヒットです。民生さんにしても玉置さんにしても、バンドからソロになって新しい扉を開けました。

96年2月発売、JUDY AND MARY「そばかす」。96年の年間チャート18位、ミリオンセラーですね。彼らの最大のヒット曲。97月に発売になったアルバム『THE POWER SOURCE』、これは300万枚を超えました。年間チャート4位ですね。作詞がYUKIさん、作曲がベースの恩田快人さん。バンドブームはあっという間に終息したんですけども、その中で活動していた人たちはそれで諦めたわけではなくて、次のバンド次のバンドと再起を図った例がたくさんありました。恩田さんも、それまでのバンドを解散して、90年にハードロックバンドJACKS'N'JOKERを結成したんですね。映画『いつかギラギラする日』の演奏シーンの撮影が函館で行われて、そのロケのときにエキストラできてたのが短大生のYUKIさんだった。この話はJUDY AND MARY伝説ですね。彼女のデモテープがきっかけで93年にデビュー。プロデューサーが佐久間正英さん。今のベースとギターがセッションしながら進んでいくみたいな、あれはBOØWYにはあり得なかったですからね。全く違うビートの音楽性のバンドを佐久間さんがジュディマリで試みました。

ジュディマリを初めて見たのを覚えてるんですけど、94年の日清パワーステーション。YUKIさんがカップヌードルの被り物をかぶってステージに出てきたんですよ。95年、野音で見たときに「Over Drive」が出るときで、「JUDY AND MARY、この勢いを止めたくない」と叫んで歌った。かわいかったですね。そういう中で実力を見せつけたバンドの曲です。サザンオールスターズ「愛の言霊」。

96年5月に発売になった、サザンオールスターズの「愛の言霊」。年間チャートが7位で、彼らにとって4作目のミリオン。本当にミリオンセラーがたくさんあって、それぞれの曲はやっぱりいい曲が多い。もちろんそのときだけの瞬間風速のような曲もたくさんあったんですが、でも一つ一つ見ていくとやっぱこれもいい曲だなと。この曲の入ったアルバムは、96年7月に出た12枚目で『Young Love』。最終的には240万枚売れた。サザンオールスターズで一番売れたアルバムなんですね。

右肩下がりの人たちが多い中では、彼らにしかない一つの軌跡でしょうね。『Young Love』は小林武史さんから離れてセルフプロデュースだった。90年にサザンオールスターズ『稲村ジェーン』、92年『世に万葉の花が咲くなり』、小林さんと組んでアルバムが続いて、これは自分たちで作った。当時のインタビューの中で一つの原点回帰って話をしてた記憶がありますが、この「愛の言霊」は全然原点回帰じゃないですもんね。全く違うことをやってる、それが彼らの実力であり、すごさでしょうね。この『Young Love』っていうタイトルは、1957年に出たタブ・ハンターの歌があったんですけども、彼は当然それを知ってたんでしょうね。12枚目で最多記録更新したバンドですね。

サザンの翌年にデビューした人たちの曲をお聴きいただきます。

NとLの野球帽 / CHAGE and ASKA

CHAGE and ASKAの96年4月に発売になったアルバム『CODE NAME.2 SISTER MOON』の中に入ってました。詞曲はCHAGEさんですね。CHAGEさんのキャリアの中で、これが一番好きですね。最高傑作だと思います。NとLというのは、西鉄ライオンズと南海ホークス。西鉄ライオンズと南海ホークスの対戦はパ・リーグファンにとっては最高のカードだったんですよ。僕は西鉄ファンだったんですけど(笑)。

CHAGE and ASKAは92年93年94年、ワールドミュージックアワードをアジア代表で3年連続で受賞しました。さらに、ハリウッド映画『ストリートファイター』のエンディングテーマもありましたね。94年からアジアツアーですよ。一緒に行きました。96年、アジアミュージシャンで初めてMTVアンプラグド、これをロンドンでやったんですね。これも取材で見に行きました。オリンピックの日本選手を応援するみたいな気分でスタジオで見ておりました。チャカ・カーンとかボーイ・ジョージとかいろんなアーティストが参加したトリビュートアルバムも出てるんですよ。そういう中でそれぞれのソロ活動も行っているという時期でした。

96年3月発売、華原朋美さんの「I'm proud」。言わずと知れた詞曲はTK、小室哲哉さんですね。いまさら何をというぐらいに、彼の代表曲の1曲でしょうね。彼女の3枚目のシングルで年間チャートは8位。でもカラオケの年間チャート1位なんですよ。この年、最もカラオケで歌われた曲です。

97年は安室奈美恵さんの「CAN YOU CELEBRATE?」が年間チャート1位なんですけど、この番組では5月にもあの曲はおかけしなかったですね。安室さんの「Don't wanna cry」をお送りしたんですけど、「Don't wanna cry」とこの「I'm proud」は小室さんが女性アーティストに書いた曲の双璧だと僕は思ったりしてます。教会音楽とまで言えないんですけども、そういう匂いもありながら歌謡曲で、小室さんの一つの特徴、女性アーティストのキー、ギリギリに迫っていくっていう悲壮感がこの曲よく出てるなと思います。TRFとかglobeのようなダンスミュージックとは違う女性シンガーに書いた小室哲哉の代表曲。次の曲も、この年に発売された女性アーティストの名曲であります。

96年11月発売、今井美樹さんの「PRIDE」。97年の年間チャートの6位ですね。プロデュースと詞曲は布袋寅泰さん。自分の恋をプライドとして歌ってるんですね。華原さんも自分の恋を歌ってるんですけど、「I'm proud」、私は負けないっていう、あまり思うような恋ができない中で自分を励ましてるっていう。これが思春期なのかもしれませんね。今井さんは違いますよ。「あなたへの愛が私のプライド」。ここまで言うか(笑)。「あなたは自由と孤独を教えてくれた」。これ、布袋さんが書いてるんですよ。今井さんにこういうふうに歌ってもらいたかったのか、今井さんはこういうふうに思ってるだろうな、思っててくれてるといいなっていう願望を書いたのか、それとも布袋さん自身が今井さんとのお付き合いの中で自由と孤独を学んだのか。さあ、これはどれが本当なんでしょうね。全部本当に思えるからこれだけヒットしたんでしょうけど、男性が書いた愛の歌の中の傑作。さっきの「I'm proud」とこの「PRIDE」はそういう2曲でしょうね。

布袋さんは、この曲で初めて紅白に出ました。今井美樹さんのバック。BOØWYでも自分のソロでも出たことがないのに、彼女のバックでは出るよっていう、そういう優しい男性なんですね。90年代の後半、女性も背筋が伸びておりました。90年代後半、新しい扉を開けたロックミュージシャンの曲。歌ってるのはロックミュージシャンではないんですが、女性です。PUFFYで「これが私の生きる道」。

ソロのシンガー・ソングライターとプロデュースという関係の中では。奥田民生さんとPUFFYは特筆される関係でしょうね。PUFFYは脱力系のヒロインという、民生さんの分身の術のような存在になりました。バンドとソロ、そしてソングライターこの曲を書いたのもそんな2人でありました。

96年12月発売、猿岩石の「白い雲のように」。作詞が藤井フミヤさんで、作曲が藤井尚之さん。チェッカーズの兄弟ですね。97年の年間チャート11位です。バラエティーに出てる人たちのヒット曲としては、H Jungle with tの「WOW WAR TONIGHT ~時には起こせよムーヴメント~」。あれはTKが参加してました。でも純粋な曲の提供という意味では、この藤井兄弟の傑作として残るでしょうね。こんなにいい曲だったっけ?と思ったのは、2013年にMay J.とクリス・ハートがこれ歌ったんですよ。そのときに、これこんなにいい曲だっけ!?と思って改めて聴き直したりもしました。

猿岩石は『進め電波少年』のヒッチハイクで人気になりました。80年代にもそういう若者たちの海外志向というのがあって、そのバイブルは沢木耕太郎さんの『深夜特急』だったんですが、90年代が『進め電波少年』だったのかもしれません。でもネットがなかったから、ああいう旅がロマンチックに見えたんでしょうね。今はどこで何をやってるとか、そこがどんな場所かって全部ネットでわかっちゃいますから、そういう旅のロマンっていうのはなくなったんではないでしょうか? 

今日最後の曲は、90年代を牽引したバンドが97年の大晦日に解散しました。そのときのライブからお聴きいただきます。

97年12月31日、東京ドーム、X JAPANの解散コンサートのライブアルバム『The Last Live~最後の夜~』から「紅-THE LAST LIVE-」。記憶がかなり曖昧になってるんですけど、花道でTOSHIとYOSHIKIがとってもいい笑顔をしていたなって記憶があるんですが、X JAPANのメジャーデビュー、89年アルバムが『BLUE BLOOD』。キャッチフレーズが「メジャーを変えろ」でしたね。

インディーズ時代に彼らはエクスタシーレコードを設立して、そっからメジャーに乗り込んできたわけですけど、エクスタシーレコードがその後のLUNA SEAとかGLAYに繋がっていった。それは先週までにお話した事でもあります。クラシックピアノとツーバス。これは他のバンドにはない音楽性ですね。初めて見たのが渋谷公会堂なんですけど、渋谷公会堂の横の通路にクレーンが置いてあって、そのクレーンが渋公の屋根を突き破って水があふれてきたんですよ。このバンドにはそういうのがよく似合ってるなと思った記憶があります。

その後、ソニーマガジンンズから「Xの本書きませんか?」って言われて、「いや僕いいです」と遠慮しちゃったことがあって失敗したかなと思った記憶があります(笑)。97年3月、同じ東京ドームでですね、ツアーファイナル。「REGRESS OR PROGRESS」のファイナルを行ったMr.Childrenも活動休止に入りました。そして98年に「終わりなき旅」で活動を再開します。これは来週の話です。

流れてるのはこの番組の後テーマ、竹内まりやさんの「静かな伝説」。

本当にいろんなことがあって、改めて思い出すことがたくさんあります。こんなことしてたんだってことを思い出しながら選曲したりしてるんで、かなり個人的になっております。97年の手帳に「パリ」という言葉があったんですよ。何だっけ、と。藤井フミヤさんと尚之さんのインタビューをパリでやってます。今もやってますけど、フミヤさんがデジタルアートの個展をパリで行ったんです。「DIGITAL MASTURBATION」という個展で、ファンクラブのツアーを組んだんですよ。チャーター機ですよ。観光船を貸し切って川を下っていくって企画があったんですけども、観光船を二艘貸切。ホテルのコンベンションルームで食事会がありましたね。フミヤさんも一緒にゲームみたいなものをやってました。ファンクラブツアーとしてはこんなに大規模なものがあるんだって思った記憶ですね。

向こうのでメディアを集めた記者会見があったり、個展の会場でオープンイベントがあって、向こうの美術系のアーティストもたくさん来てて、僕らは彼らの取材もしたりしました。新聞に載りましたよ。そういう取材やファンクラブイベントを、レコード会社とか事務所が組んで、僕らのような取材の人間を連れてったんですよ。いかに音楽業界が潤っていたか。僕はフリーランスなので、あまりバブルの恩恵は感じたことなかったんですけど、改めて思うとやっぱり恩恵をこうむっていましたね(笑)。ロンドンにも行ったしアジアツアーも行ったしパリも行かせてもらった。あの時代の好景気に改めてありがとうございましたと思いながら、そのピーク、98年99年編に来週向かおうと思います。

<INFORMATION>

田家秀樹
1946年、千葉県船橋市生まれ。中央大法学部政治学科卒。1969年、タウン誌のはしりとなった「新宿プレイマップ」創刊編集者を皮切りに、「セイ!ヤング」などの放送作家、若者雑誌編集長を経て音楽評論家、ノンフィクション作家、放送作家、音楽番組パーソリナリテイとして活躍中。
https://takehideki.jimdo.com
https://takehideki.exblog.jp
「J-POP LEGEND CAFE」
月 21:00-22:00
音楽評論家・田家秀樹が日本の音楽の礎となったアーティストにスポットを当て、本人や当時の関係者から深く掘り下げた話を引き出す1時間。
https://cocolo.jp/service/homepage/index/1210

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