殿堂が、殿堂が、またしても私たちを引き裂く(the Hall will tear us apart)──。ロックの殿堂(Rock & Roll Hall of Fame)は2025年の新たな殿堂入りアーティストを発表し、ニュー・オーダーが今年も落選したことが明らかになった。殿堂側はジョイ・ディヴィジョンとニュー・オーダーを「ひとつのバンド」としてノミネートしており、つまり選考者たちは一票で二組の伝説的バンドを同時に殿堂入りさせることができるチャンスを持っていた。しかし、ジョイ・ディヴィジョンもニュー・オーダーも、それぞれ単独でも殿堂入りに十分すぎるほどの実績を誇る──過去50年間で最も影響力のあるバンドの二組だ。それなのに、二組まとめても殿堂入りできなかったとは? いったいどういうことなのか?
歴史的に見ても、これはロックの殿堂における最大級の失態のひとつだ。1980年代のアート・パンク/ゴス・ディスコの先駆者たちは、すでに20年も殿堂入りを逃し続けている。オリヴィア・ロドリゴが生まれた年(2003年)にはすでに選考対象になっていたにもかかわらず。そしてポストパンク、シンセポップ、ダンス・ミュージックに絶大な影響を与えてきたにもかかわらず。ニュー・オーダーの代表曲のひとつは「Confusion(困惑)」、ジョイ・ディヴィジョンの代表曲のひとつは「Disorder(混乱)」──この状況を象徴しているかのようだ。イアン・カーティスがかつて歌ったように、〈いったいどこで終わるのか?いったいどこで終わるのか?〉
ジョイ・ディヴィジョン/ニュー・オーダーは2023年にもノミネートされたが、その時も殿堂入りを果たせなかった。とはいえ今年は、候補者リストがかなり物足りない顔ぶれだっただけに、さらに大きな驚きとなった。今年も、誰もが「Unknown Pleasures」のジャケットをあしらったTシャツを目にすることだろう。
ザ・スミス、ピクシーズ、リプレイスメンツと同様に、彼らは80年代を代表する伝説的なバンドであり、80年代当時以上に今なお影響力と人気を誇っている──これぞ文化的な持続力というものだ。しかしロックの殿堂においては、これらのバンドはすべて「チャビー・チェッカーより下」扱いなのだ。長年にわたり、殿堂の選考者たちは80年代、特にUKニューウェーブに対して頑なな姿勢を崩さなかった。ニューウェーブは彼らが最も好まないジャンルのひとつだったのである。しかし2019年、キュアーの殿堂入りによってその壁はついに崩れた──しかも、殿堂史上最高のインタビューつきで(記者の質問:「私と同じくらい興奮してますか?」 ロバート・スミスの答え:「あなたほどではないみたいです」)。翌年にはデペッシュ・モード、さらにユーリズミックスやデュラン・デュランが続いた。つまり、ニュー・オーダーにもようやく追いつくための道は開かれていたはずだった。だが、まだ早すぎたということだろうか? 彼らのタイミングはそれほどまでにズレていたのか?
ニュー・オーダーとジョイ・ディヴィジョンの遺産
ニュー・オーダーは、究極の80年代バンドだった。パンク・ロックの瓦礫の中から現れた、4人の人付き合いの苦手な若者たち。エレクトロ・ビートに手を伸ばし、気づけば世界中のダンスフロアを革新する存在になっていた。もしも1980年、オリジナルのフロントマンであるイアン・カーティスの死を機に活動を終えていたら、彼らはジョイ・ディヴィジョンとして──「Love Will Tear Us Apart」とともに──記憶されていただろう。
ジョイ・ディヴィジョンは、1970年代後半、北イングランドの工業都市地帯マンチェスターから現れた。周囲に広がる都市の荒廃を音に変え、ディストピア的なサウンドを生み出したのだった。彼らはデビュー作『Unknown Pleasures』のダークな荘厳さで世界を──そして何より自分たち自身を──驚かせた。イアン・カーティスは苦悩する詩人として、自らの悪夢を心からの叫びに変えた。「Disorder」から「New Dawn Fades」「Shes Lost Control」まで──そのすべてにそれが刻まれている。また、このアルバムには伝説的なカバーアートもある。ローリングストーン誌によって「史上最高のアルバムジャケット」に選ばれた、宇宙の彼方──地球から978光年離れた場所にあるパルサー(中性子星)を描いた、孤独で不気味なイメージだ。
彼らのサウンドは、以後何度も模倣されてきた。バーナード・サムナーのスタッカート・ギター、スティーヴン・モリスのロボットのように痙攣するドラム、リード楽器の役割を果たすピーター・フックの伸縮自在なベース。「Love Will Tear Us Apart」は1980年、彼らにとって大きなUKヒットとなった──しかし悲しいことに、それはカーティスの死後に訪れたヒットだった。カーティスは、バンド初のアメリカ・ツアーを翌日に控えた夜、マンチェスターで自ら命を絶った。彼らは「Dead Souls」「Atmosphere」「Transmission」といった名曲を遺した。──「ダンス、ダンス、ダンス、ダンス、ダンス・トゥ・ザ・ラジオ」と必死に叫ぶ「Transmission」のカーティスの声は、まるで救いを求める叫びのように響く。
仲間たちは、あの時すべてを諦めることもできた。だが彼らは一緒に踏みとどまり、バンド名をニュー・オーダーに改めた。さらにモリスの恋人だったジリアン・ギルバートをキーボード担当に迎え入れ、すべてをゼロからやり直した。そして、ジョイ・ディヴィジョン時代の楽曲を演奏することを頑なに拒んだ。メンバーの誰もまともに歌えなかったため、サムナーがしぶしぶボーカルを担当することになった。親友を失ったショックに打ちひしがれたまま、彼らは手探りで原始的なシンセサイザーやドラムマシンをいじり始めた。
だがなぜか、その素朴な実験は世界中のクラブを席巻するヒット曲へと爆発していった。「Blue Monday」「True Faith」、そして永遠のダンスフロア・アンセム「Bizarre Love Triangle」。バンドが大きくなればなるほど、彼らの音楽はどんどん奇妙になっていった。「The Perfect Kiss」は、深夜のクラブでの絶望をそのまま切り取ったような楽曲だ。サムナーは歌う──〈今夜は家にいればよかった/自分の快楽ゾーンで遊んでいればよかった〉と。孤独な若者たちの何世代にもわたる心情を代弁するかのように。
彼らの「失敗」までもが伝説だ。彼らはマンチェスターにハシエンダというクラブを開いた──アシッド・ハウス時代を象徴する有名な大失敗である。(ちなみにフックがこの体験について書いた痛快な本のタイトルは『How Not to Run a Club』)デザイナーのピーター・サヴィルとともにリリースした1983年の「Blue Monday」は、制作コストがかかりすぎて、売れるたびに赤字になるという12インチ盤だった──にもかかわらず、史上最も売れた12インチレコードとなり、その後のダンスミュージックを永遠に変えた。私には、「Blue Monday」がクラブで流れた瞬間、両親がマイアミのダンスフロアで出会ったおかげでこの世に生まれた友人がいる。でも、ある意味では、私たちはみな「Blue Monday」の子どもたちなのかもしれない。
ひどい歌詞と素晴らしい歌詞の混在
私にとってニュー・オーダーの最高傑作は、永遠に『Factus 8 1981–1982 EP』だ。
彼らの最高のフルアルバムは『Brotherhood』だろう。「Weirdo」や「Broken Promise」のオープンハートな高揚感は圧巻だ。次点は『Power, Corruption & Lies』(特にB面)、『Low-Life』(特にA面)、『Technique』(特に「All the Way」)、『Movement』(特に「Chosen Time」)、そして『Waiting for the Sirens Call』と続く。90年代に入ると、彼らはイビサ後のアシッドハウス・クラブ文化の波に乗ることになる──そもそもそのシーンは、彼らがいなければ生まれなかったかもしれない。
さて──歌詞について。できればその話題は避けたかったんだけど、君に持ち出されてしまった以上、もう逃げられない。確かに、ニュー・オーダーが〈I would like a place I can call my own / Have a conversation on the telephone〉(自分だけの場所がほしい/電話で会話がしたい:「Regret」の一節)みたいな詩でロックの殿堂入りにふさわしいかと問われれば、反論の余地はない。サムナーは、ひどい歌詞と素晴らしい歌詞を、しばしば同じ曲の中で平然と歌っていた──しかも、その違いを自分でまったく気にしていないところが、彼の少年っぽい魅力のひとつだった。〈I feel so low, I feel so humble, sometimes in life we take a tumble〉(気分はどん底、謙虚な気持ちになる、人生には転ぶこともあるさ)」──こんな歌詞をマイクの前で歌ってしまったら、普通ならテープを即座に消去するどころか、スタジオごと燃やして証人も始末するだろう。
だが、ニュー・オーダーはそういうものを楽しんでいた。それが彼らの神秘性の一部になったのだ──「えっ、今ほんとにそう歌ったの?」という驚きは、彼らの曲から決して消えない。〈Every time I see you falling, I get down on my knees and pray〉(君が倒れるたび、僕はひざまずいて祈る:「Bizarre Love Triangle」の歌詞)」は天才的なサビだし、〈Oh, God, Johnny, please dont point that gun at me(お願いだジョニー、銃を僕に向けないでくれ)〉は救いようのない駄作だ。だが、バンドの誰もそんなことを気にしていた形跡はない。
ロックの殿堂は「80年代の異物」を恐れてきた
もし彼らがロックの殿堂入りを果たし、4人全員が同じステージに立つことになったら──そこには”兵器級”のドラマが巻き起こるだろう。フックと他の3人は、何年も口をきいていない。フックがバンドを離れたあと、彼は自身のバンド「ザ・ライト(The Light)」を結成し、ニュー・オーダー時代の楽曲を演奏するようになった。サムナーとフックはそれぞれ回顧録を出版し、お互いをどれほど嫌っているかについて詳細に語っている。最初に殿堂入り候補にノミネートされたとき、フックは「もしかしたら、これが必要だった和解のきっかけかもしれない」とつぶやいていた。だが、オリーブの枝(※和解の象徴)だけでは無理かもしれない──たぶん神の介入レベルの奇跡が必要だろう。それでも、いつかその瞬間を目撃できることを願っている。もしかしたら「No Love Lost」を演奏してくれるかもしれない。
ジョイ・ディヴィジョン/ニュー・オーダーは、ロックの殿堂における最大級の「取りこぼし」のひとつであることは間違いない──だが、問題は彼らだけではない。選考者たちは、長年にわたり「80年代の異物」を恐れてきた。特に、シンセサイザー、大仰なヘアスタイル、イギリス訛りが絡む場合にはなおさらだ。90年代については、ほとんどの主要ロックスターがいまだに一度もノミネートすらされていない──90年代こそ、ロック・アーティストが文化的にも商業的にも絶頂を迎えた時代だというのに、殿堂はこの時代を必死で無視しようとしている。殿堂の選考者にとって、1980年以降のロックは今でも「悪い仲間(Bad Company)」であり、殿堂は「ゾッコンな気分(Feel Like Makin' Love)」にはなっていないのだ。彼らはこれからも、60~70年代のハム&エッグ級ミュージシャンを必死で掘り出し続けるだろう──まあ、みんなが殿堂について文句を言うのが好きだから、それも悪くない(ルーサー・ヴァンドロス? 一度もノミネートされていない! フィオナ・アップル? こちらも!)
それでも、ジョイ・ディヴィジョン/ニュー・オーダーという逃れようのない遺産に、選考者たちが追いつくのは時間の問題だ。実のところ、ポップ・ミュージックの歴史そのものが、彼らの進化の中にすべて詰まっている。彼らは70年代の瓦礫から這い上がり、80年代を創り出したバンドなのだ。
From Rolling Stone US.