家族は声明を通じて、「言葉では言い尽くせない深い悲しみとともに、最愛のオジー・オズボーンが今朝、永眠したことをお伝えします」と発表し「家族に囲まれ、愛に包まれて旅立ちました。この困難な時期、どうかプライバシーを尊重していただけますようお願いいたします」と続けた。死因は明かされていないが、近年はパーキンソン病の闘病や2019年の転倒事故による後遺症と闘っていた。
オズボーンは、ステージでは電撃的かつ予測不能なパフォーマンスで知られ、一方で乾いたユーモアと飾らない人柄でファンを魅了してきた。そのエネルギッシュな存在感は、「Iron Man」「Paranoid」「Crazy Train」といったアンセムを、ラジオヒットの枠を超え、スポーツスタジアム級のアンセムへと押し上げた。重厚で破壊的なサウンドを軸にヘヴィメタルの雛形を築いたブラック・サバス。その中心で、彼はいつも謙虚で、自身の限界や過去の依存症と向き合いながら、より良い自分を模索し続けた。誰もが応援したくなる”負け犬のヒーロー”だった。
ブラック・サバスの”黙示録の預言者”として、オズボーンの悲鳴のようなボーカルは楽曲に本物の恐怖と狂気を吹き込んだ。「Black Sabbath」で「黒衣の者が私を指さす」と叫ぶ声は、まるでホラー映画のワンシーンのようだった。「Iron Man」では復讐に燃えるゴーレムの怒りを、「Sabbath Bloody Sabbath」では「夢が悪夢に、天が地獄に変わる」と悪魔的な激烈さで歌い上げた。彼の声は、バンドの超常的な轟音をこの世に引き戻す”人間の声”として、何百万というリスナーの魂に届き続けた。
当時すでにハードロックの限界を押し広げようとする動きがあったなかで、ブラック・サバスは攻撃性を純化させ、まったく新しい音楽ジャンルを創出した。メタリカのラーズ・ウルリッヒは2006年のロックの殿堂入りセレモニーで「ヘヴィメタルとはつまり、”ブラック・サバス由来の音楽”と言い換えても差し支えない」と語っている。ブライアン・メイは「親たちを嘆かせる”泣き叫ぶ柳のようなボーカリスト”」と形容したが、まさにそれこそが、当時のキッズたちが音楽に求めていたものだった。
ソロ活動においても、彼はサバス的世界観を引き継ぎつつテンポを加速させ、”頷き”から”ヘッドバンギング”へと進化させた。「Crazy Train」「Bark at the Moon」「Miracle Man」など、暗黒と狂気に満ちた物語がそこにはあった。そして自らが主役となったその音楽世界では、シャープなウィットと破天荒なライフスタイルを全開にし、新たな”パフォーマー”像を確立した。妻でありマネージャーでもあるシャロン・オズボーン、そしてギターの鬼才たち──ランディ・ローズ、ジェイク・E・リー、ザック・ワイルドに支えられながら、オジーは”降霊術の司祭”にも”酔っぱらいの宴会部長”にもなりきった。
ブラック・サバスとしてもソロとしても、彼は”ローリングストーン誌が選ぶ史上最高のメタルアルバム”ランキングに最多ランクインしたアーティストであり、名盤『Paranoid』は堂々の1位を獲得。グラミー賞を4度受賞し、そのうち1つは生涯功労賞としてブラック・サバスに贈られた。彼のアルバムのほとんどがゴールドまたはプラチナ認定を受けている。
90年代末には、彼自身の名前を冠した大型フェス『Ozzfest』を主宰し、ソロとサバスの両軸でツアーを展開。メタルというジャンルが時代の主流から逸れても、オジーはその”避難所”を提供し、多くの”はみ出し者”たちに居場所を与えた。
そして2000年代、リアリティ番組『The Osbournes』では、テレビのリモコンに苦戦するお茶目な父親として、アメリカ中の家庭に笑顔を届けた。全盛期の”コウモリを喰う狂気のロックスター”は、いつしか”アメリカの愛すべきパパ”へと変貌を遂げたのだ。同番組はエミー賞も受賞している。
ヘヴィメタルの”プリンス・オブ・ダークネス”として時代を切り拓き、同時に無垢な愛嬌で世界中に親しまれたオジー・オズボーン。壮絶なロックンロール人生の果てに、彼はついに”向こう側”へと辿り着いた。
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From Rolling Stone US.
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