日中関係は国交正常化からの半世紀で目まぐるしく変化してきた。互いに歩み寄ろうとした時期もあれば、緊張の走る時期も幾度となく経験している。
中国メディアの知乎はこのほど、「中国には日本と親しかった時期もある」とし、日中が蜜月と呼ばれた時期を振り返る記事を掲載した。

 記事は日中国交正常化後の両国について、「互いに利用し、けん制し、協力し、疑うという演目を演じてきた」と、腹の探り合いだった関係性を表現した。この半世紀の日中関係は、「雪解け期」、「蜜月期」、「疑心暗鬼の時期」、「せめぎ合う時期」の4つに分けられるとしたうえで、このうちの「蜜月期」を振り返っている。

 ここでいう「蜜月期」とは、1989年から1996年を指しているようだ。この背景には、それ以前のプラザ合意とその後に発生するバブル経済とその崩壊、ソ連解体といった出来事があり、経済・政治両面で互いを必要とし、よりいっそう日中関係が強まったと伝えた。

 特に、1989年の天安門事件をきっかけに欧米諸国が中国に制裁を課すなかで、日本はいち早く中国に援助の手を差し伸べ、1992年には天皇陛下が訪中したことで日本と中国の関係はいっそう良好になったと分析した。そして、日本経済が停滞し始めた時点で「村山談話」が発表され、「蜜月期はピークを迎えた」と振り返っている。

 そして記事は、日本と中国の蜜月期が終わったのは1996年だったと指摘し、この年に尖閣諸島を巡って日中の対立が激化し始めたと紹介。「保釣運動」と呼ばれる尖閣諸島をめぐる中国や香港での活動が活発化し、この頃から日本では徐々に「中国脅威論」が持ち上がることになり、こうして日本と中国の蜜月期は終わりを迎えたのだと論じた。(編集担当:村山健二)(イメージ写真提供:123RF)
編集部おすすめ