第2次世界大戦後、アジアで最初に発展した日本はアジア諸国に経済発展のモデルを示した。しかし、中国メディアの百家号は2日、アジア諸国は日本の発展モデルをなぞったように見えるが、日本と同じ道を辿って同じような発展を遂げることができた国はないと伝える記事を掲載した。
記事はまず、アジア諸国は日本の経済発展を真似しようとしたと紹介した。日本が戦後最初に実行したのは繊維産業の復興で、後に原材料を輸入して加工し、工業製品として輸出することで発展したと伝えている。工業を中心に発展させるというこの基本的な考え方は、アジア諸国で受け入れられたものの、全く同じ発展をなぞることはなかったとしている。
例えば財閥の強い韓国では、「会社は家族」という意識の日本とは違い、経営者と労働者が対立してきたと紹介した。また韓国は貿易依存度が高く、依存度が低い日本とは経済構造が違うと分析している。ではお隣の台湾はどうだろうか。記事は台湾について、家族経営の中小企業が強く順応性とエネルギーに富んでいて、秩序立った日本とは「やはり違う世界」だと紹介した。
日本に続いて発展したシンガポールについては、エリート教育の徹底により計画的に情報通信や科学技術などを発展させてきたと紹介した。シンガポールには、英語ができる強みがあったとしている。香港については、「アングロサクソン型資本主義と、香港に移り住んだ本土の中国人の勤労の精神・企業家精神の結合」で成功したと理解しているそうだ。ASEAN諸国もまた違う発展の仕方をたどったと伝えている。
記事は、日本がアジア諸国に経済発展のモデルを示したものの、各国がたどった道はそれぞれ大きく異なっていたことを強調し、日本と同等の先進国になれた国や地域は今のところないことを伝えている。