1937年7月31日、いわゆる「抗日七君子」が釈放された。

 1931年の満州事変勃発によって中国では反日感情が高まったが、蒋介石率いる国民政府は日本への対抗より中国共産党に対する攻撃に力を入れたため、全国で次第に内戦停止・一致抗日を求める気運が高まっていった。


 こうしたなか、36年11月、国民政府に対し共産党攻撃の停止と統一戦線の結成を要求した「全国各界救国連合会」の幹部らが逮捕される事件が起きる。逮捕された7人は、のちに中華人民共和国最高人民法院院長(最高裁長官)を務めた弁護士の沈鈞儒をはじめ、章乃器、鄒韜奮、史良、李公朴、王造時、沙千里。いずれも社会的知名度が高かったため、「抗日七君子」と呼ばれた。

 事件発生後、世論では国民政府に非難が集まり、蒋介石夫人の宋美齢の姉である宋慶齢らは、抗議のため自ら蘇州監獄に入る「救国入獄運動」を展開。日中戦争開戦後の37年7月31日、国民政府は世論の高まりを受けてついに7人を釈放した。(編集担当:梅本可奈子)

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