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ジャッキーによると、ジェイシーは米国籍を放棄した。米国移民局が何度も慰留したが、ジェイシーの決意は固かったという。ジャッキーは、「やはり中国人だ。祖先のことを考えるものだよ。落ち葉は木の根に戻るということさ。私と母親も賛成した」と語った。
芸能界で実績を重ねる息子を語る時、ジャッキーの顔は誇りと喜びに輝く。しかしこれまで、息子にはとんでもない「仕打ち」を重ねたという。一例として話しはじめたのは、「学校に迎えに行く」と言って喜ばせた息子を裏切ったというエピソードだ。
小学生になり、ジェイシーは日記をつけだした。ジャッキーが見ると、たどたどしく「僕の一番の願いは、学校が終わった時に、お父さんが迎えに来てくれることです」と書かれていた。
忙しいジャッキーは、息子と会うことすら、ままならなかった。しかし、息子の望みをかなえようと「よし、いつか必ず迎えに行ってやろう」と、心に誓った。しかし、なかなかそのチャンスは訪れず、何年もたってしまった。
ある朝、やっと時間が取れた。下校時間の正午ごろ、息子の学校に行ける。やっと、「誓い」が果たせる。ジャッキーは興奮した。そして事務所から家に電話連絡。受話器を取った家政婦に言った。「息子に伝えてくれ。今日は迎えに行く。学校の門のところで、待つように」と。
車を運転して、ジャッキーが学校についたのは午前11時半。下校する生徒らが、門から出てきた。しかし、息子の姿は見えない。学校の周囲を何度も見たが、息子はいない。しまいに、生徒は皆、帰ってしまった。「せっかく、無理して来たのに」と無性に腹が立った。ジャッキーは家に電話をかけた。「いったい、アイツは、何で待っていないんだ!」と怒鳴りつけた。
家政婦は「今、どこにいらっしゃいますか」と聞く。「決まってるだろ。小学校の門の前だよ」。受話器の向こうでは、しばし沈黙が続いた。
ジャッキーはあわてた。それまで、息子が通う中学校の名も所在地も知らなかった。電話で聞き、急行する。息子はひとりで待っていた。車に乗っても、しゃべろうとしない。窓の外を見ながら、ぽつりと「お父さん。僕はもう、中学に通っているんだよ」と言った。家についても親子は気まずい雰囲気で、会話はなかった。
後で聞くと、ジェイシーの同級生は「大スターが来る」ということで大喜び。皆で、中学校の門のところで待っていた。
ジャッキーによると、幼い息子の心をどんなに傷つけたかと思うと、胸が痛む。「自分は父親として、まったく失格だった」という。(編集担当:如月隼人)
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