日本語と中国語(153)-上野惠司(日本中国語検定協会理事)

(5)フウ→ヒョウ 誤読のルーツ

 『中検4級○○○』という本を頂いた。あまり付き合いのない出版社からだが、私が検定試験の仕事にかかわっていることを知っていて、わざわざ贈ってくださったのだろう。


 この本の著者の一人に馮さんとおっしゃる方が入っている。存じ上げないが、巻末の著者略歴によると関西方面で中国語の講師をしていらっしゃる方らしい。その略歴に出ているお名前の馮さんにピンインのFeng(第2声)と並べて「ひょう」とふりがなが付いている。何度か指摘していることだが、中国語読みがFeng(第2声)なら、日本語の方はフウでなければならない。なるほど「暴虎馮河」の「馮」の字のように、「馮」にはヒョウという音もあるが、その場合の中国語の発音はping(第2声)である。

 馮さんにヒョウと名乗ることを教えたのは、おそらく日本人だろう。日本人の先生からそう教わったというヒョウさんを、他にも何人か知っている。

 姓の馮をヒョウと読むのは誤りだが、中華民国時代の軍人・政治家の馮玉祥だけは、どういうわけかヒョウ・ギョクショウという読み方が、かなり行き渡っている。『広辞苑』『大辞林』も見出しは「ふうぎょくしょう」で立てているが、共に「姓はヒョウとも」と注記している。

 以前にこのことを取り上げた時、ずっと先輩に当たる方から、当時ラジオでヒョウ・ギョクショウと放送していたように記憶しているという指摘を受けたことがある。「当時」というのは、戦中から戦後にかけての頃のことだろうから(馮玉祥は日中戦争後、内戦反対と反蒋介石の立場を鮮明にしたことで「時の人」となった。1948年没)、フウ→ヒョウ誤読の根はかなり深い。


(6)「・・・づらい」は聞きづらい

 これは中国語とは無縁の話だか、近頃(と言っても、もう10年も20年も前から気になっていることだが)、「…しにくい」という代わりに「…しづらい」という傾向が強まってきているように感じる。「このペンは書きにくい」といわずに、「このペンは書きづらい」という。「生きにくい世の中」は、「生きづらい世の中」だ。「話しづらい人」「答えづらい質問」「食べづらい料理」「着づらい服」「歩きづらい道」「上りづらい階段」「座りづらい椅子」……。或いは私一人の思い込みかもしれない。日本語を専攻している友人などに確かめても、「そうですかねえ」であったり、「そう言われてみれば……」程度の反応しか返ってこないことが多い。

 私には縁のない道具だが、コンピューターを使って計量的に処理すれば確認できるに違いない。「誤用だ」と騒ぎたてるつもりはないが、例によって両様の言い方が並存している場合はなるべく古い方を選ぶ主義の(主義というよりもそういう性癖の)私には、「…づらい」の多用は好きになれない。聞きづらいし、読みづらい。

 「この釘はひきぬきづらい」では早口ことばにならないし、「兎角に人の世は住みづらい」では、漱石先生の名文も台無しだ。(執筆者:上野惠司)

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