胡耀邦氏(写真)は中国共産党総書記などを務めた政治家で、徳生さんは甥(おい)。
胡徳生さんは、胡耀邦元総書記の故郷である湖南瀏陽市中和鎮巷坊村に住んでいる普通の農民だ。胡徳生さんの記憶に残る胡耀邦元総書記は、「清く正しく厳格だった」という。
例えば、1983年に胡徳生さんは都市部の化学工場に職を得ることができた。しかし、胡耀邦元総書記は、自分が政治家であることを考慮した採用であり「実質的なコネ」と考え、就職に反対した。そのため、胡徳生さんは故郷で農業をすることになった。
農村部の人間にとって、都会で就職して生活することは「最大級のあこがれ」だ。胡徳生さんの父は猛烈に怒ったが、胡耀邦元総書記は、とりあわなかった。胡徳生さんによると、「一族は“自力更生”に慣れており、おじに面倒をかけることは、ほとんどなかった」という。
胡耀邦総書記が親戚を避けていたわけでなはく「しばしば、北京に行って会いました。故郷の食べ物を持って行くと、大喜びしてくれました」という。今でも胡徳生さんの子が、北京に住む胡耀邦夫人の李昭さんに会いに行くことがある。
胡徳生さんは健康状態がそれほどよくなく、自分で農作業をすることはやめた。わずかばかりの水田を親戚に貸している。一時は「胡家飯店」という飲食店を営んだが「神経を使うわりに儲からないので、やめてしまった」という。今は家で孫の世話をしながら、時おり地方劇である湖南花鼓劇を鑑賞したり、友人とトランプなどを楽しんでいる。
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◆解説◆
中国で、胡耀邦元総書記の人柄をあらわすエピソードが記事化される場合、なんらかの政治的思惑が存在すると考えられる。甥に対する些細な「特別扱い」も認めず、その甥が庶民として生活していることを大きく紹介したことは、有力な政治家の子女が高い地位を得ることが多いことに対する批判と読み取ることもできる。
胡総書記は、日本との関係改善にも尽力した。中国で最大の批判の対象である戦前の“軍国主義者”についても「あまりにも偏狭な見方で国を誤ったが、(日本人としては)愛国主義者だった」と、中国の政治常識では考えられない発言をした。胡総書記は続けて「偏狭な愛国主義で国を誤った例は昔から多い。
1980年にチベットを視察した際には、政策の失敗を認めて謝罪。責任は共産党にあると認めて“政治犯”をただちに釈放させ、チベット語教育を再開させた。胡総書記はチベットの悲惨な状況を目にして、涙を流したと伝えられている。胡耀邦総書記の失脚後、中国は再びチベット政策における「締めつけ」を強化した。(編集担当:如月隼人)
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