1981年に浙江東陽の農村に生まれた呉英は、2003年8月に2万元で美容院を開設し、2005年3月に東陽呉寧喜来登クラブを設立し、同年4月に娯楽理容院を開設、同年10月に東陽韓品服飾店を開設、2006年4月に東陽市本色商貿有限公司を設立し、後に5000万元を注入して持株会社としての本色集団有限公司を設立し、その傘下にはクリーニング、ホテルチェーン店を含む7社があり、その成長ぶりは凄まじかった。
この時の呉英はすでにマスコミの注目の対象となっていた。地元のあるメディアの、この「億万富姐(億万長者である若い女性)」への取材、報道で彼女は一気に人気が高まった。義烏、東陽などの地方の民間資金が次々に本色集団に流れ込み、遠く離れた温州の銀行までが彼女に融資するようになった。この年、呉英は早くもフォーブス世界長者番付・億万長者ランキングに載り、中国で最も若い女性富豪となった。
しかし、殆どのメディアが気が付かなかったことだが、本色集団の設立前に、呉英はすでに1400万元もの負債を抱えていた。その後たったの半年間で彼女は多くの会社を設立した。これらの会社は設立した後実際に経営していなかったか赤字経営を強いられていた。金華市中級人民法院(裁判所)の一審判決、そして浙江省高級人民法院(裁判所)の二審判決によると、呉英は事実の虚構、真相隠し、嘘の宣伝などの手法で、十分な経済力があるように見せかけ、7.7億元の違法集金を行い、摘発された時に尚も3.8億元の資金が返済できない状態になっていた。
裁判所の審理後、呉英の行為は民間の貸借範疇には属さないとしている。呉英が設立した会社は短期間で利益を上げることができず、利益のある経営活動は殆どなく、赤字状態が続いていた。また、実際に使い道がないにもかかわらず、2000万元近くでフェラーリやBMWなどの高級車を40台あまり購入したり、集めた資金で1億元相当の宝石を購入したりしていた。
しかし、世論はまったくの反対の見方をしている。2012年1月18日に浙江省高級人民法院(裁判所)の二審で、集金詐欺罪で死刑が確定した後のたった半月間に、この事件が司法事件と化し、「呉英案件世論総纏め」というツイッターまで現れ、事件に関する最新の評論を随時更新している。北京大学、清華大学や浙江大学などの大学の研究者や著名な弁護士などが最高裁判所に嘆願書を提出している。また、あるサイトの「呉英は死ぬべきかそうでないか」というアンケートの結果によると、殆どの投票者は呉英の罪は死を以って償うほど重くないと見ている。ごく普通の一つの事件に対する法律の裁きと社会の世論との間にこれほどにもギャップがあることは、珍しいとしか言いようがない。
社会学者の馮鋼氏が言うには、普通の民衆のネット上での発言は、民間の常識で司法判決を見ているのが殆どだそうだ。中国国民の間でその昔から「借金したら金銭で返し、人殺ししたら命で償う」という常識が定着している。今回の判決では人を殺さなくても命で償うこととなり、逆に借りたお金は返せなくなる。この民間の常識が人々の判決結果への理解を妨げている。法律、常識と感情の三者が激しくぶつかり合ったのだ。
法律学者や金融学者、社会学者などの多くは次のように見ている。歴史的に見てわれわれが置かれている時代は市場経済が徐々に完全になっていく特定の歴史的段階であり、民間金融の功罪半す時代でもある。
民間金融と正規金融の二つの市場が長期にわたって共存していることは事実である。1986年時点で、浙江省の民間金融市場はその規模が相当大きく、今日に至っては、統一的な管理監督機関が不足しているため、民間金融に対する科学的な統計ができない状態になっている。しかし、予測では浙江省一省だけで民間流動資金の額はおよそ1兆元から2兆元にも達するという。膨大な額の民間資金の投資先がないため、浙江省では多くの小さい県(町)にあふれるほどの仲介屋が、質屋や投資コンサルタント会社などの名目で民間貸借の仲介をしている。
通常ルートでの融資が難しく、また民間貸借では利息が高いものの、かなり多くの民間企業が資金不足の時に、民間貸借に頼ってしまう。一方で多くの企業が正規のルートで市場価格での融資が受けられず、もう一方では闇の金融市場が異常に活発している。しかし、闇の金融市場にはリスクを伴う。
専門家たちは、「呉英事件」は計画経済時代にはあろうはずもなく、完全な市場経済時代にもこれほど注目を集めることはないと見ている。企業の資金へのニーズと現在の資金供給体制との間の矛盾が、目下の経済分野の主要な問題の一つである。呉英を死刑にしてもこの矛盾した問題の解決には何の役にも立たないだろう。