中国メディアは7日、2011年12月26日に靖国神社に放火し、韓国でも日本大使館に火炎瓶を投げた罪で有罪となり服役した劉強容疑者(韓国では実刑判決を受けたので元受刑者。後述)の「今」を伝えた。
帰国当初は劉容疑者を「英雄視」する人も多かったが、「奇矯な反日行動」を繰り返すため、周囲ももてあまし、次々に離れたという。北京青年報が報じ、新華社、中国新聞社など多くの中国メディアが転載した。

 劉容疑者によると、2011年の来日目的は東日本大震災の被災者を支援するボランティア活動だったという。同年12月26日に靖国神社を放火すると、その日のうちに韓国に逃走した。12年1月8日、ソウルにある日本大使館に火炎瓶4本を投げた。劉容疑者は有罪判決を受け、同年11月まで服役した。

 劉容疑者は韓国当局による取り調べの際、靖国神社を放火放火したことも供述。日本政府は「日韓犯罪人引き渡し条約」にもとづき、韓国での刑期終了後に日本に引き渡すよう求めた。一方、中国政府は自国に送還するよう、韓国当局に圧力をかけた。韓国側はは劉容疑者を「政治犯」として中国に帰国させた。

 劉容疑者は上海に住む両親の家に戻った。上海市当局は「日本および韓国における行為」について、事情聴取を行った。
両親は次第に劉容疑者を「つらよごし」、「面倒をおこして」とののしるようになった。

 劉容疑者は韓国での取り調べの際、病院に1カ月入院し精神鑑定を受けたという。「軽度の躁鬱症」との診断だったが、劉容疑者は精神状態と犯行の関係を否定した。劉容疑者は両親との折り合いが悪くなったため、広東省広州市に移り住んだ。

 反日運動は継続した。ただし暴力的方法については、2014年初に友人と話しあったことで「好ましくない」と考えるようになった。劉容疑者はピアノを弾け歌も歌える。書もたしなむので「芸術パフォーマンス」で自らの気持ちを表現する方法に切り替えたという。

 帰国してからは外国語教師、通訳、心理セラピストなどの仕事をしたが、劉容疑者の「個性が強すぎる」ため、働き先は次々に、劉容疑者との関係を絶った。そのため、過去半年は無収入という。

 広州市には、革命前の共産軍の理念を高揚する目的をもつ「新四軍後代合唱団」(新四軍は日中戦争時の共産軍部隊のひとつ。『後代』』は『子孫』の意)がある。
劉容疑者は同合唱団に加わった。合唱団は当初、劉容疑者を「韓国帰りの英雄」として歓迎し、芸術総監督の地位につけた。しかし劉容疑者が「奇矯な行動」を繰り返すので、合唱団団長や副団長と「ケンカ」をするようになった。劉容疑者は合唱団にも顔を出せなくなった。

 結局は行き場所がなくなった。それでも単独で、「反日パフォーマンス」を続けている。

 背中に「精忠報国」と筆で大書きする。どのような方法かは不明だが、自分で書くので4時間はかかる。パフォーマンス時に着用するのは、広州戦士歌舞団の特製で、新四軍後代合唱団の出演用衣装でもある07式軍礼服だ。日本領事館が入居するホテル前で、自らが書いた「日本謝罪」、「中華崛起」などの文字を広げて見せ、大声で歌を歌う。軍礼服を脱ぎ、背中の文字を披露する。

 その後、ホテル内に「突入」しようとするが、阻止される。
警備員らともみ合いになる。そして、やってきた警察官に引き渡される。警察は簡単な調書を作成するが、すぐに釈放する。毎度のことで警備員や警察官らとは「顔なじみになった」という。

 劉容疑者は、「この行動を通じて、民衆の愛国の熱情と自信を奮い起したい」と説明した。ホテル従業員は「私どもも、デモンストレーションには反対しませんがね。彼の行為はいつも、ちょっと過激です」と、眉をひそめた。

 記事は劉容疑者について、「愛国の勇士と強調する人もいる。非理性的な衝動にまかせているだけと非難する人もいる」と紹介。

 劉容疑者は1974年生まれだ。記事は「不惑の歳を過ぎたばかり。いまだ、ひとりで左に右に突き当たりながら、その意義を追い求めている」と評した。


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◆解説◆
 7月7日は盧溝橋事件発生の日だ。1937年の同事件は日中戦争の直接の引き金になったことで、中国では「愛国活動」が盛んになるなどで、反日感情が高まる日でもある。この日に、中国メディアが上記記事を配信したことが注目される。

 上記記事は劉容疑者の行動を全面否定はしていないが、「奇矯な行動」、「次第に孤立」を強調している。読んでみて、劉容疑者を「見習いたい」とはとても思えない内容とニュアンスだ。

 初出の北京青年報は、中国共産主義青年団(共青団)北京市委員会の機関紙。中国共産主義青年団は、「過激な愛国主義」、「外国、特に日本との敵対」などには反対する立場だ。そのため、江沢民元国家主席とは対立する存在だ。

 例えば2005年に全国各地で反日デモが発生した際にも、共青団を支持基盤とする胡錦濤主席は過激な運動を懸命に抑制した。しかし、やや効果が出はじめたタイミングで江沢民元主席が南京市の大虐殺記念館に姿を現し、群集に向かって手を振るなど「反日運動を煽り立てた」という(清水美和氏著『中国が「反日」を捨てる日』など)。

 上記記事には、過激な反日運動に対して「読者を興ざめさせよう」とする、政治的意図があった可能性がある。

 なお、日本側にとって劉強容疑者は現在も「容疑者」だが、上記記事は「犯人」として扱った。
(編集担当:如月隼人)


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