第153回芥川賞・直木賞(日本文学振興会主催)の受賞者・受賞作品が発表された16日夜から、台湾では「台湾人が受賞」の記事見出しが躍った。直木賞受賞者の東山彰良さんが台湾出身だからだ。
芥川賞受賞の又吉直樹さんも芸能人として著名なため注目を集めたが、台湾では東山さんの受賞への関心の方が高い。

 台湾の中央通信社は東山さん関連の話題を動画ニュースを含め、14本も配信した。台湾で東山さんの直木賞受賞が喜びと誇りをもって大きく報道されているのは、日本文化に対する“リスペクト”が根強い上に、“日本文化リスペクト”を表明することが自然なこととして定着しているからと考えられる。

 東山さんは1968年生まれで、現在は46歳。本名は王震緒。5歳の時に父親に連れられて日本に渡った。9歳の時にいったんは台湾に戻ったが、ほどなくして改めて日本に渡った。一族は山東省の出身で、東山さんは父から、「父は日中戦争時に遊撃隊として日本に抵抗した」といった話を聞いた。一家はその後、国共内戦の敗北に伴い、台湾に渡った。

 直木賞受賞作品は「流」。戦争に翻弄される一家を描いた。東山さんは父親から聞いた話などにもとづいたと説明し、物語の大半は事実と述べた。
東山さんの父親の王孝廉さんも作家として研究者・作家として活動している。王孝廉さんは「流」について「作品中の日本人も中国人も台湾人も悪人としては描かれていない。悪事もしたが、それは環境や時代に強要されたものだ。それこそ戦争の悲劇なのだ」と述べた。

 台湾最大野党の民進党の蔡英文主席(党首)は王孝廉さんの見方に強く感銘したとして、戦争を経験した世代の癒えない傷を知ることは、「平和こそがわれわれの世代が追及すべき時代の精神と、目を開かせてくれる」と述べ、過去を知ることは、「(かつて敵対した人が)互いに包容し、互いに許す」ためとの考えを示した。

 東山さんは「流」について「最初は、日本人の読者の方に、これほど支持されるとは思いもしませんでした」と説明。作品が大きく評価された理由について「過去のことを思う気持ちは日本人とか台湾人とかに関係なく、不変的な感情なのでしょう」と述べた。

 台湾出身および中華民国国籍保持者の作家が直木賞を受賞するのは第33回(1955年下半期)に「香港」で受賞した邱永漢さん(1924-2012年)、第60回(1968年下半期)に「青玉獅子香炉」で受賞した陳舜臣さん(1924-2015年)に続き、東山さんが3人目。陳舜臣さんは神戸生まれなので、台湾生まれとしては東山さんが2人目。また、東山さんは戦後生まれでは初めてだ。

**********

◆解説◆
 台戦後になり、台湾には国民党関係者や軍人、支持者が大陸から大量にやってきた。彼らおよび彼らの子孫は「外省人」と呼ばれる。
戦前からの台湾住民は「本省人」だ。戦後の台湾では、双方の深刻な対立が発生した。本省人による外省人襲撃もあったが、犠牲者や被害者が圧倒的に多かったのは本省人の側だった(2.28事件、白色テロなど)。

 外省人に対しては、引き上げた日本人にかわって利権を握り、台湾の政治、社会、経済を支配したとの指摘がある。しかし実際には、外省人でも社会の上層部に位置したのはひとにぎりの特権階級で、敗残兵や難民として台湾に渡った多くの外省人は、極めて苦しい生活を強いられた。

 東山さんの祖父は、抗日活動に加わったが「非正規のゲリラ」だったので「国民政府軍人」とは認められなかったという。詳しくは伝えられていないが、相当に苦労したと想像できる。

 「東山彰良」のペンネームの「東山」の姓は一族の出身地である「山東」の地名を逆にしたもので、名の部分の「彰」の文字は、幼いころに台湾の「彰化」で暮らしたことことによる。(編集担当:如月隼人)(写真は中央通信社の動画ニュース掲載頁のキャプチャー)


【関連記事】
台湾で相次ぐ「日本、ありがとう!」の声・・・イベント事故受け日本の企業・団体・組織が支援を申し出
首をかしげる台湾人!? 「第二次世界大戦、われらは日本人として戦ったのだから敗けたのでは?」・・・政府当局の「中華民国は勝利」にいまだ抵抗感
台湾・李登輝元総統が馬総統の「大陸政策」に激怒・・・「お笑いだ」、「でっちあげ」、「台湾は台湾」
日本が残した建築は・・・「300年使える」と台湾・台東県知事
台湾で日本人観光客が狙われた! 逮捕された「中国人スリ集団」に、台湾メディアが怒りの報道
編集部おすすめ